「花礫くん大好き!」

アイツはいっつも、そう言って能天気なツラして笑ってた。
何回うぜえとか話し掛けんなとか、世間一般からは冷たいと思われる態度で突き放したか分からない。どんだけ俺からの風当たりが厳しくてもアイツは「酷い!」なんて言っておきながらヘラヘラと笑ってまた性懲りもなく近付いてくるから、もう半ば諦めに近い感情を抱いてた。
名前に関する俺の批難の声は切った爪の先ほどどうでも良い。けど好奇の目に晒された挙げ句、数少ない一人の時間すら妨害されてムシャクシャしてた俺にとって名前の好意は傍迷惑な煩わしいモノでしか無くて、利になるどころか不愉快にさえ感じていた想いを一方的に告げられる度にかなり鬱憤が溜まっていった。

石の上にも三年。
面倒なのもこの艇に乗せられてる間のことだけだと我慢して我慢して、でもいよいよ張り詰めてた癇癪玉もはち切れて、仕舞いにはやり場の無かった苛立ちを名前本人にぶつける形になって、……後悔して。
あんなにしつこく俺に引っ付いてた日々が白昼夢だったかのようにアッサリと離れていこうとする身体に、俺はらしくもなくガキみてぇにしがみついて縋った。

ここにいろ、
(傍にいろ、)
好きでも嫌いでもどうでもいい、
(ウソだ嫌うな俺だけ追ってろ、)
逃がさねえし離さねえ
(だから、逃げようとすんな)

隠れた本心をありのまま率直に名前に伝えることは敵わず、どこまでもまどろっこしい言い方でしか口に出来なかった。
ハズいとかキャラじゃねえとか、そんな自分勝手な言い訳が通用する状況じゃないことくらい理解していたのに、自分でもひねくれてると認識してる天の邪鬼な俺は冒頭から終わりまで素直になれず、曖昧で中途半端に言葉を濁した。

今まで別にどんなヤツから嫌われようが恨まれようがいちいち気にしやしなかった。
金さえありゃあ一人でも生きていける、死ぬワケじゃねーんだから媚び売る必要もない。周りのヤツはみんな雑魚か敵かカモ。それだけ。
……なのに俺は、名前から拒絶されたらどう引き留めれば良い? なんて言葉を掛けてやればコイツはどこにも行かない? だの、前の俺が聞いたらそれこそドン引きするようなことばっかで思考を埋め尽くしてて、利益とか見栄とかこれまで一番に考えてたもの全部かなぐり捨ててたった一人の人間に執着して。ましてや煙たがってた女にだぜ? 自分でも俄かには信じらんねぇよ。
けど、焦ってたのは紛れもない事実だった。

そもそも金輪際近寄るな、なんて牽制した発端である俺が名前を止める資格なんて無いのに、アイツが記憶を失ってから俺に対してどことなく遠慮がちだった姿勢を利用して邪険に扱っていた態度とは一変、手のひらを返すように躍起になってガンガン攻めて。
記憶を取り戻していざ離れていこうと画策されれば先手を打って未練がましく俺の許に繋ぎ止めて。自己中でセコいし虫が良すぎるのは分かってる、百も承知だ。
どんなに後ろ指を差されても良い。
コイツの……名前の笑った顔が見れなくなるよりよっぽどマシだ、と本気で思った。

雨降って地固まって、
泣きながら嬉しそうに笑った名前の顔見て、俺もその時ようやく損得勘定とか一切抜きで誰にも渡したくねえ大事なものなんていうのを見出だした気がしたんだ。

「……そろそろ潮時かもな」

だから俗にいうコイビトっていう関係になって、俺はクロノメイを卒業して艇に戻ってきて。
途中ひと悶着もあって最初の予定から大幅に狂ったけど、サブとしてでも何とか貳號艇の闘員になることが出来て。仕事も板に付いて少しゆとりが出てきた時、俺は少なからず名前との現在の関係に限界を感じていた。
何事にも必ず倦怠期ってヤツは訪れるもので、それは俺と名前も例外では無かった。俺は街で情報収集及び潜入捜査、名前は各地を巡って葬送任務にデスクワーク。
二人の仕事がかぶることは滅多に無い。部屋は同じでも朝が早い名前は既に寝てたり遠征で居なかったりですれ違いも多々あって、一言会話を交わせる日の方が貴重な程。
ゆっくり過ごす時間もまともに取れねぇわ、ろくすっぽ顔も見れねえわでそりゃ不満も募るっつの。

潮時、そう独り言のつもりで発した言葉をわりと近くに居たらしい與儀に聞かれて「どうしたの花礫くん悩みごと!? 名前と何かあったの別れるなんてゼッタイ駄目だよそんなことしたら花礫くんがイヴァ姐さんとツクモちゃんに殺されちゃうから!!!」とか何とか誤解してきてガタガタ五月蝿かったけど、そんな意味で言ったんじゃねーよと思いっきしブン殴ったら速攻で黙った。
俺はただ、俺らの合間に新しい風を入れたかっただけだ。現状の不安定な名前との関係を手っ取り早く何か形一つで揺るぎないものとする方法。
結婚とかは戸籍がねーし無理だから、それ以外で。

今思えば、廊下に佇んでた影にここで気付いてやってたら、あんなめんどくせぇことにはなって無かった。俺の言葉が足りなかったゆえに、どっかのバカみたいにあらぬ誤解を受けるのは至極当然で、仕方なくて。
浅慮なこの発言がヒビが入って壊れかけてた俺らの関係を悪化させる要因になるとは、まさかこの時の俺は露と思わず、走り去っていった足音には見向きもしなかった。

「……もう、無理しなくていいから」
「…………は?」

そして俺が名前に聞かれていた、と気付いたのは久し振りに二人のオフが重なった日だった。

その日は何故か異様に名前の覇気が無くて、仕事詰めで疲れてんのかって思ってそっとしておくことに決めて、俺は適当に夕食まで時間を潰すために機械工学の本を読み耽っていた。集中してひたすら目で文字を追っていたから他への興味は等閑になってしまっていて、名前にとってはそんな俺の態度すら不安を煽るものでしか無かったんだろう。
曇った表情で眉を下げて、怯えるように肩を縮こまらせて、恐る恐る俺にそう言ってきた。

「……無理?」言っている意味が推し量れなくて訝しげに眉を顰めれば、名前はなおも視線を床に下ろしたまま俺と目を合わせようとしない。それどころか少しでも俺と距離を取ろうとするかのように腰は引けてて、片足もいつでも動き出せるように僅かに後ろに下がっていた。

したらアイツは、俺が大っ嫌いな繕ったあの歪な笑顔を浮かべて。
ごめんね、なんてのたまった。

「私バカだから気づかなくて。花礫くんに、また昔みたいに窮屈な思いさせちゃってたね。……でも、もう良いから。明日中に荷物纏めて私が部屋移動するね。花礫くんは今まで通りここ使って」
「……オイ、なんの」
「今までありがとう。すごく、幸せだった。それじゃ今日は私ツクモの部屋に泊めてもらうから。……ばいばい」
「、っな、待て!」

前からそうだ。
お前は勝手に誤解して勝手に自分一人で抱え込んで勝手に結論付けて、最終的にはいつも自分が悪いと貶める。
俺はそんなお前が気に入らなくて腹立って、もう少し俺に楯突いて来いよとかたまには八つ当たりの一つでもしてこいよとか不完全燃焼な思いだけが燻ってて。私の方が歳上だからって大人ぶられんのが、何より名前本人の意思よりも俺の意思を優先させようとしてんのが一番ムカつく。
まあ結局俺の考えは恐らく名前が勘違いしてるようなモノとはえらくかけ離れてっけど。

──なに早とちってんだか知らねぇけどバイバイとか、ンなのさせるかよ。

翻った身体をまた強引に翻して向き合って、驚いたように丸くなった両目と視線がかち合う。
なんで、どうしてって顔だな。
バーカと悪態吐きながら鼻を摘まめば名前は苦しげに唸って、今にも泣きそうなくらいくしゃりと顔を歪めた。
最初からくだんねー意地なんて張らずにすんなり泣いときゃ良かったんだバカ女、と思いつつもコイツは頑としてまだ泣こうとはしないから、俺は嘆息を落として話を切り出すなら今しかないとポケットの中をまさぐった。
目当ての四角い箱から中身を取り出して、相手が呆気に取られてる隙に薬指に嵌めてやる。

……よし、ピッタリだな。

イヴァから提案されて買ってはみたものの、サイズだけは忙しくて直接訊くことも出来なかったから目測だった。満足して俺が呟いた言葉に硬直していた身体がピクリと反応する。
すると唖然と間抜け面を晒していた名前が我に返ったように自分の左手と俺の顔を交互に見て、はくはくと口を空けて声にならない声を上げていた。
気ぃ抜けるからアホ面ヤメロと注意すれば、だって!とかろうじて反論が返ってくる。
それきり名前はまた黙って、シルバーの輝きが光に反射するそれを凝視し始めた。

「……給料三ヶ月分っていうだろ」
「 それって、」
「ぶっちゃけ出逢った時なんてお前のことなんか何だコイツキモいとか思ってたし、毎日しつこく好きとか言って俺の後追っかけ回してきてウザくてウザくてしょうがなかった」
「……ですよねー……」

ああ、その様子だとやっぱ自覚はしてたんだな。
気まずそうに目線を外した名前の頬は引き攣っていて、反省してます……と力無い語気で項垂れた。
今さら俺に言われても。まあお前のその努力の甲斐合って今があんだから結果オーライなんじゃね? と考える俺も甘くなったか。……絆されたな、認めたくはねえけど。

居心地悪そうに肩を竦める名前に、俺は一つ深呼吸をして話し始めた。
未だかつて、誰にも話したことの無い本心を。

「けどお前が一度死にかけて、っつーか俺の事だけ忘れて、忘れられて。当然もう俺に好きとか言ってこなくなって、前みたいに馴れ馴れしく後ろくっついてこなくなって。挙げ句の果てに余所余所しくなるわさんざっぱら俺を避けるわで、……自分のこと棚に上げてすっげぇムカついた。お前俺のこと好きだったんじゃねぇのって」
「……、」
「……でも、お前が壱號艇に異動するって訊いた時、ガラにもなく焦って、離れるどころか二度と俺の手が届かなくなるんじゃねえかって考えたらその場に落ち着いて居ても立っても居らんなくなって、気付いたらお前のこと血眼になって探してた。とっくに艇降りちまってたらどうすんだよとか、まだ自分の気持ちも伝えてねーのにとか色んなモンが頭ン中でごちゃごちゃしてて……あんな思い、もう絶対に御免なんだよ」
「……がれきく、」
「だから傍にいろ。これからもずっと。離れんな。死んだって俺のこと好きでいろ。そしたら俺もお前しか見ねぇから、抱き締めねぇから。ずっとお前のことだけ好きで居てやるから。……良いな?」
「──…っは、い」
「……まぁもっとも、拒否権なんざハナっから用意してねーけど」

嬉しかろうが悲しかろうが直ぐ泣く泣き虫な女。
でも変なとこ強情で嬉し涙以外は俺の前でも誰の前でも晒そうとしない頑固な女。
そんなバカでこの上ない程めんどくせぇ女が、俺はどうしようもないくらい好きで、好きで、好きで。

ボロボロと堰を切ったように泣き出す名前を宥めるよう顔中にキスを落として、断続的にしゃっくりが漏れる唇に自分の唇をゆっくりと重ねた。


────ついついと何処までも先をゆくアイツのピンと伸びた背は、なんとなく軽やかに闇を縫って泳ぐ。
薄雲の奥で光る星のように、しれっとした素振りで夜に溶けこんでいく後姿。
追い掛けて追い掛けて、それからいくらも歩かないうちに見えてきた大通りの遠い光源に俺はほっと安堵する。
白々しくもまばゆい光の帯が、まっすぐ進む先の地平に横たわっていた。
切れ込みのように細く短く、けれどしっかりと輝きを放つそれは、どこか日の昇る風景に似ている。
蜃気楼みたいに幻想的な景色の中、少し向こうでアイツが俺に手を差し伸べて笑ってた。

何をしなくたって平等に朝は来るし、誰にも同じように日々は訪れる。ただいつまでも眠らないその明かりは、きっと夜を厭うすべてのヤツに優しくて。
穏やかな光に導かれるまま、俺はアイツの隣に足を一歩踏み出した。


「……ッつ、間に合えよ……!!」

かつてのように汗も気にせず髪を振り乱し、息さえ二の次で走る、走る、走る。

パニクった與儀から裏返った声で「名前がさっき緊急で分娩室に運ばれたんだ! もう頭が見えてるって!」と急な連絡を受け、「ハァッ!?」と同じく素っ頓狂な声で返した後、俺は取るものとりあえず急いで残った仕事を片付けて名前の許へ駆け付けた。
赤いランプが付いた分娩室の前の待合室には既に與儀とツクモがいて、二人とも俺の顔を見るなりバッと椅子から立ち上がって僅かに安心したように強張った表情を緩ませた。

連絡を取ってから五時間。
「名前は?」と最も重要なことを確認すれば不安そうな面持ちのツクモが躊躇いがちにかぶりを振る。
胸の前で重ねられた両手は細々と震えていて、名前と子供の安否が気掛かりなのだろう、強く握り締め過ぎていて白い手は更に白くなっていた。
與儀もいつになく浮かない顔をしていて、けど情けねえツラしてんなよとか俺も言えた立場ではなく。固唾を飲んで点灯されているランプを見守る。

耳障りな秒針の音が進む度に焦らされるような感覚。早く、頼むから早く。
無事に、そう何度も乞うように祈った。

それから一時間ほどして、その間も三人して黙して語らず。
ただ来たる時に備えて待っていると、やがて廊下にまで響いてきた赤ん坊の元気な産声。
ああ、産まれたんだと今までにないくらい安堵で全身から力が抜けて、手を取り合って喜ぶツクモと與儀の姿を傍らに俺もふっと微笑んだ。

でも、血の気の失せた表情で慌てて分娩室から出てきた助産師の姿に、俺の胸には嫌な予感が渦巻いて。
虫の知らせは、最悪にも的中した。

「おめでとうございます、元気な男の子です。……ですが現在、母体の方が弛緩出血が酷くショックを起こして──」

このままだと、大変危険な状態です。
真剣に告げられた無情な言葉は、俺の思考を止めるには十分過ぎる威力だった。

「…………名前、」

「頑張るからね。」そう笑って意気込んでいた名前の顔が、鮮明に脳裏に蘇った。

(……生きた心地がしなかった)
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