あの二人の妹と訊いて私の脳裏に過ったのは、よもや妹までろくでもない人間では無いだろうな、という仄かな警戒と忌避感、だった。

上っ面はひょうきんでお気軽な人間を装っていてもその実裏では何を考えているのか全く計り知れない兄と、慇懃無礼で一皮捲ると冷たく、かつ底意地のひねくれた胡散臭い弟。
……の、末っ子。
療師が貳號艇専属の医師として務めることになった時、不本意ながら自分の代わりにこの娘の主治医になってやってほしいと紹介を承ったが、正直私には気が重い話ではあった。

安易に引き受ければ必要最低限以外、出来るものならば生涯関わりたくない人間達と嫌でも結び付きを持たなければならなくなる。患者家族とその主治医。関係図において少なからず信頼関係は必須とするもので。
私にとっては億劫で突拍子もなく頭痛の種が増える厄介事が舞い込んできたと、自分の不運さを嘆いたものだった。

しかし義理のある療師の頼みを一蹴することも敵わず、私は不承不承と主治医になることを承諾した。
恩を仇で返すような真似は出来ない。
療師も自身を信用している上で申してきたのだろうと潔く腹を括って、会ったことの無いその妹に罪がある訳では無いのだからと渋る己を説き伏せた。


結論として、名前は私が思っていたような人種とはえらくかけ離れていた。
確かに時折やはり平門や時辰の妹だと感じるような点はある。だが他人に対してどことなく一線を引いていて、常に周囲の目を気にしながら密やかに生きようとしているような、そんな脆い印象を受けた。
他の人間を押し退けてまで自ら進んで前に出ようとはせず、自身は余った場所で良い。
余り物で構わないのだと謙遜しがちで、決して自分を強く主張しようとはしなかった。

特別何か悪いことをした訳でもあるまいに、何故いつもそのように過剰な低姿勢なのか。
名前がまだ私に萎縮して物怖じしていた頃、定時検診の合間に何気無く訊ねてみた。
すると名前は目を丸くして、はて、と首を傾げて。


「……そんなつもりは無いんですけどね?」

「だが私の目からはそう見えるが」

「うーん……だとしたら、潜在意識が表に出ちゃってるのかも」

「潜在意識?」

「……ふふ、先生には内緒です」


おどけるように唇に人指し指を当てて微笑った顔は、かの兄弟そっくりだな、と思った。

名前の言う、潜在意識。
含んだ言葉の意味を知ったのは、彼女が一人俯いて泣いている時のことだった。

訪れた平門を見送って、夕陽が射し込んで静かになった部屋に一人きり。ベッドの上で名前は何もかも諦めきったような嘲笑を浮かべながら、音もなくただ泣いていた。本当は大声を上げて泣き叫びたいのだろうに、他の患者や看護師が病室の外に居る手前そんなことも出来ない。
布団を握り締めていた華奢な手は力を籠めすぎて白くなっていて、白亜の部屋に夕陽の橙色のコントラストが上手くそれを隠していた。

(ひとりなんて、慣れっこよ)
彼女の心の悲鳴は、去った兄には届かない。

名前は大分鬱屈していた。
長い闘病生活で様々な我慢を強いられ、我慢することが当たり前なのだと根強い固着観念に縛られていた。
本音を言えばあいつら兄弟の妨げになる、あんまり出過ぎた行動をすれば鬱陶しがられるんじゃないか、見限られるんじゃないか。ある種の強迫観念はいつだって死の恐怖と共に名前を蝕んで。

水面に浮かんだ泡がパチン、と弾けて消えるように、名前も触れたら壊れてしまいそうだった。


「名前さんは、強いですよね…俺いっつもスゴいなぁって、見習わなきゃなって思うんですけど真似出来なくて」


採血中、尊敬の意を込めた眼差しで滔々と語った與儀の言葉にそうだな、と咄嗟に返したものの、どうも腑には落ちなかった。

強い? あいつが?
正しく名前の精神力には目を見張るものがある。元々芯は太いのもあって、どんな苦痛を用いる投薬や治療、検査にも何一つ文句を口にすることなく彼女は凌いできた。
けれど完璧な人間なんてこの世には存在し得ない。必ずどこかには欠陥があるもので、名前の短所は強く見せようと振る舞う見栄っ張りなところ、だろうか。
尤もそれは本人も無意識にやっていることで、強いといっても所詮仮初めの虚勢にしか過ぎない。だから與儀のように彼女の本質をよく知らない人間はこう皆一様に評価するのだ。「強い」、「逞しい」と。
そう褒められる度に、名前はきゅっと口を結んだ後、誤魔化すように微笑むのを私は知っていた。
 
名前は恐らく知らないだろう。
辛いことがあると手を握り締めて素肌に爪を立て堪える癖も、嬉しいことがあると振り子のように身体を揺らす癖も、悪戯を思い付いた時直ぐ片頬が上がる癖も、私と話す時手を布団の下に隠す癖も──全部、全部知って覚えた。

(燭先生、)
私に向けられる双眸に、信頼とはまた異なった感情が宿っていることも。

歯車が狂ったのはいつからだろうか。
名前の主治医となった時か、恍と名前が出逢ってからか、恍が名前の友人としてしょっちゅう病棟に赴くようになってからか、或いは。
────私と恍が、強引に婚約者として上に定められた時からとっくに狂っていたのかもしれない。


「燭、どうしよう……っわた、し、名前ちゃんに酷いこと言っちゃった……!」


名前ちゃんになれたら、名前ちゃんみたいに病気だったら燭に優しくしてもらえたのかな。と、恍はある日、闘病に励む彼女にそう失言したらしい。

名前だって好き好んで心臓が弱く産まれてきた訳じゃない。普通と何ら遜色ない丈夫な身体で生を受けたなら今頃やりたいことも全う出来ただろうに、それでも限られた自由の中こんな狭い世界で一生懸命生きようと足掻いているのに。彼女の努力を知った上で、恍はそんな馬鹿げたことを言ってしまったと深く反省していた。

しかし反省すべきところは私にもある。半ば強制的に周りに婚約者として関係を結び付けられ、私は恍のことを疎んじているような素振りを取っていた。
彼女のことは同僚としても一研究者としても敬意を持っているし唯一対等に向き合って切磋琢磨出来る競争相手だと思っている。されど婚約となると話は別物で、私は恍のことをそういった対象で見ることは出来なかった。

大切では、ある。
でも、恋とか愛とかでは、無い。

縋りついてきた恍の震える背中に手を回すことはせず、頭を撫でてやっている時も私の片隅に思い浮かんだのは今も病室に一人で佇んでいるだろう、あの頼りない小さな姿だった。


「……燭って、罪作りな男よねえ」

「いきなりなんだ、唐突に」

「中途半端な気持ちは人を傷付けるだけよ」


……それは名前のことを暗に指しているのか、はたまた自分達の関係のことを示しているのか。
私にはとても推し量れなかった。苦虫を噛み潰したような顔で恍は苦く笑いながら、肩を竦める。

凡て終わってから気付いたんじゃ、遅いんだよ?

何をするにしても、決着を着けろ。と恍は言いたかったのだろう。一に仕事、二に仕事。他の物のことは全て後回しにして曖昧を維持していた結果が、──これだ。
恍、君がドナー登録の申請を進めていたことも私は知らなかった。私を本気で愛してくれていたことにも見てみぬフリをして、生半可な態度で幾度となく傷付けて。
仕舞いには私を想って告げただろう忠告すら、くだらないと軽く流した。


あの時何か一言でも、感謝の言葉でも良いから彼女に言ってやれていたなら現状は変わっていたのだろうか。……否、そのような憶測など今となっては意味など為さない。
いつだって寂しそうに笑っていたあの子までも、この手から失いかけている今となっては。


「…………まだ見付からないのか!?」

「は、はい……どうやら能力者に攫われた線が最も濃厚らしく……今現在、貳組の面々が全力を上げて行方を追っているそうです〜……」


苛々と腹の虫が収まりきらない私の機嫌を窺いながら糺がおどおどと報告を告げる。

糺に当たるのは間違っている、とは思考では理解していても、頭に血が昇っている今の状態じゃ冷静に対応することは敵わなかった。
何を手間取っているんだ平門の奴は、と思わず舌打ちを洩らした私を、彼が依然ビクビクと引け腰のまま一瞥する。


名前が恍の墓場から消息を絶ってから丸一日が経過しようとしていた。
息を切らして血相を険しく染めた平門が私の研究室に入り、放った言葉の数々は私の意表を見事に突いた。何故恍の墓なんかに、そもそも名前がどうして真実を知っている?
そう疑問に眉を顰める私に平門は判らない、と首を振って、けど名前は全部知っていましたと視線を下ろした。

恍が不慮の事故で亡くなったことも、恍の心臓を自分に移植されたことも。
謎が謎を呼び、しかし真相を確かめることは出来ず当人が攫われてしまった今、非戦闘員の私には為す術が無く帰りを待つだけ。無為に過ぎていく時間が非常にもどかしくて焦燥を煽って、願わくは何事もなく帰ってくるのをひたすら、一心に祈って。ここまで来たらもう自身の想いをはぐらかすのも限界だった。


────私は紛れもなく、名前を一人の女性として愛していた。

一回り近く歳が離れ、ましてや平門達の妹だからと積極的には関わろうとしてなかった娘を、いつの間にか、仕草やあらゆる感情表現の仕方を覚えるまでに溺れていた。

終わってから気付いたんじゃ遅い。
ああ、全くその通りだな。今なら唐変木、頑固オヤジだの蔑まれても反論の余地すら無い。とんだお笑い草だ。
失いかけてようやく認めるなど、いい歳して青臭い子供のような真似を。
けど、まだだ。まだ終わっちゃいない。

(……恍、)
こんな非常事態の時ばかりお前に縋るなんて卑怯だと、男らしくないと後ろ指を差されても致し方ないと思っている。だが、頼む。今も一人ぼっちのあの子を守ってやってくれ。誰よりも近い場所に居るお前にしか頼めないんだ。

どこまでも謙虚で、優しくて、そして臆病な

私達にとってかけがえのない可憐な掌中の花。
枯れずに、どうか。


「……っ無事に、戻ってこい名前……!」


君が君のまま咲き誇ってくれていることを、心から願う。



────
@燭先生も政府に属する者なので多分戸籍は無いと思うのですが、この連載では戸籍があることになってます。ご了承下さい。
ALICE+