どこにいるの、っ名前さん……!

どれだけ血眼になっても見付からない、能力躰や能力者の気配すら感じない。鬱蒼と茂る森は血の臭いを掻き消して方向感覚をも狂わせ判断さえも鈍らせる。
この場に无が居てくれれば優れた聴覚で名前の聲を聴けたかもしれない、或いは喰のような特殊な眼を持っていたなら。
──駄目だ、たらればなんて仮説を立てたって弱気になるだけ。しゃんとしろ、絶対生きてるって考えろ。
一抹の不安が渦巻いて臆病風が吹く自身を、與儀は厳しく檄を飛ばして奮い立たせた。

スピードを上げて、これまで以上に神経を研ぎ澄ませる。集めた情報が正しければ能力者は必ずこの森の何処かに鳴りを潜めている筈。
ツクモと手分けして捜索を始めてから既に二時間。名前が行方を眩ませてから、一日と四時間。もはや一刻の猶予も無く、懸念と焦燥だけが募っていく。

狼狽えるな、かつ迅速に。飛行を停止し、息をこらして警戒を高める。
刹那、八方から浴びせられる敵意の矛先。
それは與儀が留まった隙を狙って姿を露にしたが、能力躰の群れが湧いてくる出所に探し求めていた人影を捉え與儀は紫の双眸を見開いた。


「っ薔薇の牆!!」


地面に剣を刺し、土を割って這い出た数多もの蔓で障害物を一掃する。

能力躰が粒子となって空に散っていくのを横目に見ながら、與儀はなりふり構わず力無く横たわった名前に駆け寄って身体を抱き起こした。
しかし幾度と無く呼び掛けても応答は無く、ひどく苦しそうに呼吸を繰り返して眉を顰めるだけ。おもむろに額に触れれば、たちまちその熱さに驚いて。

芯が抜けたようにぐったりと弛緩した身体を抱いて、與儀は直ぐさま携帯を取り出し同じく捜索中の平門に繋いだ。


「────與儀です。名前さんをたった今保護しました。このまま研案塔に移送します……!!」





それから異変が起きている身体は與儀によって研案塔に運び込まれ、直ちに諸々の検査や救命処置が施された。
幸い能力者の細胞が混入されているなどの結果は無く、外傷もほんのかすり傷程度。
問題は身体の根幹から来ているところで、移植の拒絶反応として肺炎を起こしているということだった。

当分の間は予断を許さない。以前名前が生死の淵を彷徨った時と再び同じ状況だ、と燭は苦々しい面持ちで平門に告げる。後は名前の新しい主治医がどういう治療方針を掲げていくかだと不満を隠せない口振りで語り、男は焦りがちらつく眼差しで集中治療室を一瞥した。燭の心情を推し量るように平門は無言でその行動を見守る。

大急ぎで名前が搬送されてきた時、彼は微かに安堵したように眉間の皺を柔らかくした。もっともそれは瞬きした間にまた濃く刻まれていたが。
名前が生還してきたことに安心したのか、もしくは恍の心臓が無事だったことに胸を撫で下ろしたのか。
名前が生きているという点では同じようにも聞こえるが言い方によって意味は異なる。婚約者である恍か、患者である名前か。果たして燭はどちらが心配だったのか、藪の中に包まれた真意を探るように注視した。

恍が亡くなって、平門は正直名前が想いを叶える好機なのではないかとさえ思った。
薄情だと、不謹慎だとは自分でも思う。
恍の心臓が名前に移植されて名前に対してどことなく過保護になった燭の想いを試すように。
けれど燭は勘敏くも平門の邪な思惑に気付いた。そして名前に対する態度を一変した。それはつまり、名前を撥ね付けたことに等しいと、そう思っていたのに。

名前を見る瞳に浮かんでいた情愛の灯火。
名前に恍を重ねて見ている可能性も一概には無いと言い切れない、だが。

「…………名前、」
彼がいとおしげに口ずさんだ名は、確かに自分の妹のものだった。


「……、燭さん、貴方は」

「あっ燭先生、この後会議がありますので遅れないでくださいね……!」

「、分かっている」


はっきり白黒着けようと、思案した平門が言いかけた時だった。燭の部下である研究員が彼に声を掛けバタバタと慌ただしく去っていったのは。
あの様子だと会議までもう間も無いのだろう、燭は腕時計を見やるなり溜め息を吐いて。

何か言ったか、と憮然とした表情で問い掛ける彼に暫し考えた後、やがて平門はゆるりとかぶりを振った。確かに燭の返答次第では名前の今後に関わる故にいずれ知らなければならないことだが、何も今でなくても大丈夫。そう結論付けて、平門は燭に会議を優先するよう促した。
いまいち煮え切らない様子を訝しげに窺いつつ、燭も言われた通り後ろ髪を引かれつつ会議室へ向かう。
待ち合い室に一人残された平門はヤレヤレと頭を抱え、疲労が蓄積してどことなく重い身体で椅子に腰掛けた。
自分も大概名前には甘い、半端な気持ちで人の恋路に首を突っ込んでも全てが良い影響をもたらす訳では無いと重々承知しているのに大事な妹の事となると敏感になる。慎重になる。これは絶対大丈夫だと保証された頑丈な石橋でさえ叩いて信憑性を見極めるほどに。

彼なら任せられる。だからこそ、情けを掛けているつもりの生半可な気持ちなら名前と接するのは控えてほしい。

誰も得をしない。仮初めの時間だけを与えて、余計な期待を抱かせたって両方傷付くだけだ。
尤も賢い名前なら燭の心境を汲み取って自身は無駄な期待をせず、ただそっと彼の傷に寄り添うのだろうけど。例えそれで燭が癒されたとしても、あの子は利用されるだけされて仕舞いなのか。そんな哀れな姿を見る羽目になるのは真っ平御免だと、平門は葛藤を続けていた。
名前の意志を尊重したい。されど想定する荊の道に進もうと言うのなら、恐らく自分も時辰も黙ってはいない。
名前が意固地になってどうしても、と反対を押し切るつもりなら、如何なる手段を行使しても止めることは不可能なのだろうが。


「平門さん」

「、先生。名前の容態は?」

「現在は点滴で薬を投与して、大分落ち着きました。まだ意識は朦朧としているようですが、どうしても平門さんとお話したいと……」

「……分かりました」


名前が無理を通すなんて滅多に無いこと。何か大切な話があるのだと意図を察して、平門は消毒をしてから治療室へ足を踏み入れた。薬品の臭いに規則的な心電図の音。機械や酸素マスクに繋がれた妹の姿はいつ見ても痛々しく、口を結んで眉を顰める。けれど決して目は逸らさず、名前が横たわる寝台の側で立ち止まった。

名前、手を握って呼び掛ければゆるりと弱い力で握り返される。億劫そうに目蓋を開け、平門の姿を視界に捉えるなり彼女は今にも消えてしまいそうな様相で微笑んで。

お兄ちゃん、と呼ばれ方はいつもと変わらないのに、掠れた声は妙に平門の心を突き刺してきた。


「……むかしの、ゆめ、みたの……。まだわたしの身体がよわくて、だけど海にいきたいって言ったときのこと…」

「……ああ、覚えてるよ」

「……海って、ほんとに青いんだね……すごくきれい、だった。恍さんも、あそこならいつも綺麗な風景、見れて…」

「……名前、」

「……でもやっぱり、あんなとこ、に、ひとりぼっちは、さみしいよ……」


誰もいない。辺り一面見渡しても、誰も。
ずっと同じ光景、同じ場所に一人。まるで昔の自分のようで、名前はとてつもなく苦しかった。

亡くなった者に、寂しいも無い。悲しいも無い。嬉しいも楽しいも、何も。
死人に口なし、という言葉がありまして。
名前のようにそうやって死者の感情を決めるのは所詮全て生きてる者の慰めでしか無い。彼女だってそんなこととっくに分かっていた。でも、

心臓が、けたたましく騒いでいた。

行かないで、一人にしないで。
そう、恍が言っているような気がした。


「…………わたしもいけば、恍さん、もうさびしくないかなぁ……」

「……名前、馬鹿なことは言うものじゃない。それでは元の木阿弥だろう。恍さんの想いを無碍にするつもりか」

「…分かってる。けど、…すごく、すごくねむいの。このままねむったら、なんか、一生目覚めなさそうで……」

「縁起でも無い。起きるさ……必ず。俺が何としてでも起こしてやる」


断言、と言っていいほど力強く言い切った平門に名前は笑った。自分の手を握ってくれる大きな手は僅かに震えている。ああ、また心配をかけてしまったなぁ、と苦い情動に駆られながら。

口を、開いた。


「……お兄ちゃん。一生分のおねがい、いま、使っちゃってもいい……?」

「……駄目だ」

「……」

「これからも遠慮なく言いなさい。お前は俺達の妹なんだ。これまで聞けてやれなかった分、これからは、存分に」


言っていいんだよ、名前。
頭を撫でてくれた兄の優しい手。
入眠を促すような手つきに微睡みながら、名前は意を決してたどたどしくも言葉を紡ぐ。

今まで生きてきた中で、一度もしたことのないような無茶なお願い。
それを平門は瞠目した後、暫く考えてから了承した。



────翌日、ようやく上層部やらデータの整理から解放された燭は疲れきった有り様で集中治療室へ向かっていた。会議は上と丁々発止のやり取りとなり、説き伏せるのは困難を窮めたがなんとか言いくるめ難を逃れた。

(……早く名前の顔が見たい)
無事であることを再度確認して安心したい。そう思うと自然と進む足取りは速くなって、あっという間に目当ての病室にたどり着いた。しかし、


「…………は?」


集中治療室に名前の姿は無かった。
昨日までは機能していた機械も今は電源が落とされ真っ暗で、彼女が居た形跡も跡形も無い。

まさか、こんなに早く普通病棟に移る訳が無い。言い様の無い不安が胸を過る。
踵を返して血相を変え、名前の主治医に詰め寄ってみれば、それは


「……手は、尽くしましたが」


────彼女の死。
ここにも、もうどこにも居ないという残酷な事実を突き付けられた。

(花は枯れて、蕾は萎んだ)
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