ぶっちゃけ自分で云うのも人に云われるのも面白くねーし癪に障るけど、ここだけの話し、俺が実力としても人間としてもまだまだ未熟なのは分かってる。
けど何も知らなかった、狭い世界しか見たことの無い井の中の蛙だったあの頃よりは大分マシになったかなとかは思ってて、慢心ってワケじゃねーけど自分も一員となることで輪の連中に対する劣等感を抱くことも無くなり、ある程度の自信も付いた。名前の隣に立つのだって、引け目を感じることも薄れていって。
そうこうしてる内にいつの間にか隣に並ぶ小さな頭の位置は、俺の首くらいから胸元くらいになっていた。

それだけ俺が肉体的にも精神的にも成長した証拠で、名前なんか簡単に背中で隠せるようにもなって、でも関係は到って変わることなく今まで通りで。
もし変化したところを上げるんなら、お互い出来ることの役割分担とか、干渉の加減とか、どんだけ喧嘩しても忙しくても必ず同じ布団で寝るとか、そういう上手いやり方はちゃんと覚えた。
多分二人とも出来ることもやりたいことも色々増えて、やんなきゃなんねえこともずっと増えたからちょうどいい距離感も自然と身についたっつーか。
大事なのは間違いない。だけどもう俺らはガキじゃねえから、お互いが世界の中心だとか頭ン中が一杯一杯だとかそういうんじゃなくて、自立して周りにも目を配って恋愛だけにうつつを抜かすようなことは無くなったから。大事なものは他にもあると弁えを持ったから。

アイツにはぜってー口が裂けても言わねえけど、信用してるからこそ俺は自分の好きなことをやってられるんだ。それは恐らく、いや、自惚れなんかじゃなく確実にアイツも同じ気持ちなんだと思う。
だから例えば生活の齟齬とか相克みたいな、そんなんはもう何もないのに……なんもなくて逆に漠然と、不安。

「──ハ? 今なんつった?」
「だから、名前。今だから話せるけど花礫君がクロノメイに帰って修行を積んでる時にまた大怪我して、二週間くらい生死の境を彷徨ってたことがあったんだよ」
「……訊いてねえけど」
「余計な心配掛けたくないからって君には固く口止めされてたからね。多分その時の傷痕も背中にうっすらと残ってるんじゃないかな」

別に、アイツの全部を把握して認識したいとか大きなことは考えてない。過去よりも今の方が肝心だろとは思うから。それでも出来る限りのことは知っておきたいというのが紛れもない本心で。
淡々と喰から聞かされた寝耳に水な話に、俺は無意識に舌を打って苛立ちを誤魔化していた。
(背中、な。)
耳にした傷痕の在処を心の中で反芻して踵を返す。言わずもがな、行く先は俺ら二人が過ごす自室で。


──ちゃぷん、とどちらかが動く度にお湯が跳ねて水面が静かに波紋を描く。
今さら隠すとこもねーだろうにこの期に及んで恥ずかしいからとか言って名前がバスタブに泡を入れやがったから、お湯じゃなく素肌に纏わりつく感触がひどく煩わしい。けどンなこと言ったらまたコイツは機嫌損ねるだろうし、面倒なことになるのは火を見るより明らかだから災いの元は閉ざしておく。
つっても、俺が帰ってからベッドで三回はヤったから、反抗出来る気力も尽き果てたろうけど。現に今の名前はげっそりとした様相で俺に凭れかかってるし。問答無用だったとはいえ流石にやりすぎたかと反省して、明るみに晒された肩にそっとお湯を掛けてやった。

「……お前、肩冷えてんじゃねーか。こんなんじゃ風呂出ても直ぐに湯冷めしちまうだろうが」
「花礫くんこそ……風邪引いちゃう」
「俺は伊達に鍛えちゃいねぇし、柔じゃねえからいーんだよ。お前は女なんだから冷やしてんな身体に毒だろ」
「……わあ、花礫くんが優しい」
「はっ倒すぞ」
「ごめんなさい」

言外に含まれた皮肉に気付いて威圧的にそう言えばあっさりと白旗を上げた。
コイツは俺に適うワケがないと身を以て痛感してっからみだりに歯向かってくる無謀な真似はしない。したところで倍返しに叩きのめされるだけだって理解してるからだろう、もちろん身体的に。主に足腰への被害が。

すっかり大人しくなって今度は泡で遊び始めた名前を見て零れそうになったため息をグッと押し殺した。
無防備っつか、ここまで無警戒なのもホント呆れる。確かに今さらっつーのもあるけど、いくら何でも安心しすぎじゃねー?
いや、しかし依然として油断はしていない。相も変わらずコイツは背中を俺にはあんま見せねーようにしてるみたいだしな。恥じらってるわりにはピッタリ隙間無く身体をくっつけてきてんのもきっと何かを隠す為だ。

思い返せば俺がこの艇に戻ってきてからコイツは殆ど明るいところで背中を見せない。
行為中も照明は消せとかうるせーからまじまじと見る機会も無いし。恥ずかしいとか実のところ単なる口実で、泡を入れた実際の理由は俺の目を欺くための……なんてこれはますます疑いの線が濃厚になってきたワケで。
おもむろに後ろから腹周りに回していた片腕を抜いて、適度に身体を離し僅かに浮き出た名前の肩甲骨を触れるか触れないかの絶妙な瀬戸際で微かになぞった。
すると大袈裟なくらい一際大きく跳ねる肩。慌てて振り向いた顔は、案の定真っ赤に染まっていて。……腰にキたのは言うまでもない。

「っが、花礫くん!?」
「……お前、 ちょっと触っただけで何ビビってんの?」
「……え。いや、ビビっては……」
「ふぅん。じゃ何で俺から離れてってんだよ」
「…………なんか、 とてつもなく危険なものを感じたから……?」

……チッ、学んだな。鎌をかけても転ぶことは無く大して動揺を表に出すこともしない。
でも嘘吐くとき目を泳がせる癖はどうしても隠しきれなかったようで、まさか俺が見逃すハズもなく。ジリジリと後退していく名前を追い詰めるように、俺から距離を縮めていった。血の気が失せていく相手の表情。

やっぱ揺るぎないバカだな、今頃気付いたって遅ェよ。この狭い風呂ん中じゃ逃げ場なんざ限られてることくらい。とりあえず、今はそれらしい背中の傷の有無を確認出来れば良い。お互いが息を潜めて気の緩みを推し量り緊張が走る。
──出し抜いて先制を仕掛けたのは、俺だった。

「やーっ! 離してぇぇえ」
「っの、暴れんなバカ!!」

往生際悪く激しく抵抗の意を露わにする名前を押さえつけて引き寄せる。
泡が付いた素肌を若干乱暴に擦り邪魔な障害物を無くせば湯気の中でも朧気に視界を掠めた斬り傷。薄くて時間も経ってるっぽいけど、喰が言ってたのは正真正銘これでビンゴだな。
黙り込んだ俺を、名前が青褪めた顔つきのまま恐る恐ると窺ってくる。おどおどと萎縮した態度に、今回こそ俺はため息を殺せなかった。

「……余計な心配掛けたくねぇんなら、 ハナから隠すなっての」
「……え?」
「コッチの話」

ちゅ、と痛々しい傷痕に口づけた。ついでに啄んで吸って赤い花を咲かせる。
さっきも散々付けたけどまだ足んねー。それに一度付いた火も未だ鎮火してないし。……後で文句言われること覚悟で付き合ってもらうか。背中のあちこちにキスを落としながら脇の下から腕を通して胸の飾りを摘めば、名前が身を竦ませて息を洩らした。

「やっ、花礫くんまた!?」
「……仕方ねーだろ。お前に触ると勝手に勃つんだよ」
「そんな身も蓋もない言い方はやめてー!」
「〜〜だぁっ、耳元でギャンギャンうっせーな黙って抱かせろ!」
「おーぼー!」

横暴上等。非難の言葉を次から次へとまくし立てる五月蝿い口を上から覆い被せるように自分のそれを重ねた。柔らかく俺の唇に吸い付いてくる弾力のある感触を堪能して、口内を荒らせば次第に蕩けていく名前の双眸。
……これ、コイツのこの表情、たまんなく好き。
俺にしか見せたことない表情とかスゲェ興奮する。つったらなんか変態くせーけどもうどうでも良いわ、どうせ名前にしか反応しねぇんだし。
……あれ、 もしかしなくても俺も何だかんだコイツ以外眼中にねぇじゃん。
頭一杯どころか他の人間なんて入る余裕もねえとか。常に恋愛脳ってワケじゃ無いけどそれにしたって、うわ、なんか無性に死にてえ。いっそ殺せ。殺してくれ。

「……花礫くん?」
「…………なに、続けろって?」
「いやちが」
「もう聞こえねーけど」
「それって最初から拒否権無いんじゃっ」

……けどやっぱ、 殺されんならコイツに殺されてーかな。っとか、つくづく馬鹿馬鹿しいこと考えた。そんなことしたら絶対こいつ泣くし、後追いかけてきそうだし、そうじゃなくても危なっかしいし、なんつーか、無理だわ。心配事多すぎておちおち成仏も出来ねえっつの。

「…………名前、」
成長して大人になって、やることも増えた。責任も、負担も付いて来た。
だから目の前のことをひとつひとつ処理することに精一杯で、がむしゃらに日々を生きて、昔じゃ到底信じらんねえくらいに毎日が充実してて。時々非情な現実を目の当たりにして嫌気が差すこともあっけど、でも此処に帰ってくれば名前が居るから、足を止めてなんか居られねーなって意地で踏ん張ってられる。

だけどせめて二人で居る時くらいは、仕事の事とか抜きにして二人の時間を大切に過ごしたい。……とか、ガラじゃねえけど、まぁ一応多少なりとも思うわけで。

「──良いだろ?」
「……、ずるい……」

暗に肯定を示す返事に、口角を吊り上げて口づけた。
──風呂から上がったら覚えとけよ、傷に関してもたっぷり問答繰り返してやっからな。
ああでも今は、……俺だけ感じてろ。
同じシャンプー、ボディーソープの匂いに釣られるように、俺は剥き出しになっている名前の肩に噛み付いた。

(傷よりもくっきりと残った歯形に優越感)
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