この歳にもなって誕生日が楽しみだなんて浮き足立つのもみっともないな、なんて自分でも呆れかえるけども、今年の誕生日は今までとは違ってとっておきの日となることは疑いようもなく確信していたから仕方ない。
大好きな人が、花礫くんが恋人となった今、私は己の誕生日に彼を誘って街に繰り出そうとあらかじめ念入りな計画を立てていた。
こればかりはどうしようもないことだけど、普段から艇に籠もりっきりの花礫くんにとって外出は良い気分転換にもなるだろうし、なにより私は誕生日に花礫くんを独占出来る。
まさに一石二鳥、一挙両得だ。

(……なんて、単純に私が花礫くんとデートしたいという安い口実にしか過ぎないのだけど)
だからいずれ来たる本番の日に備えて、私は忙しい時期にも関わらず平門さんに少々無理をお願いして仕事を前倒ししてもらった。

一日お暇を戴く為、滞りなく手筈通りに事を運ぶ為に日々膨大な量の仕事を捌き、ここ最近はまともに花礫くんとゆっくり話す時間すら無かった。
つまり誕生日以外のことは疾うにすっかり頭から抜けていて、今日は何の日だとかどんなイベントが行われるだとか念頭に無かった私は、食堂で片手間に昼食を摂りながらデスクワークを熟していた。
曰く周りへの注意を散漫にして、ある意味平たく構えていたのだ。

「名前ー、トリックオアトリート」
「……え? 今日ってハロウィンだっけ?」
「そうだよ。なんだ、やっぱり忘れてたんだ」

何食わぬ顔で近付いてきた喰に催促され、ようやく艇がいつもより賑わっている原因が判明した。さぞかし與儀たちも盛り上がっているのだろう、私の所に来ないのは近頃の様子を見てきっと忙しいからと向こうが気を使ってくれたからだ。
なのにこの幼馴染みといったら「お菓子は持ってないの?」なんぞと遠慮も気兼ねも無くふてぶてしい態度で訊ねてくるから、重い嘆息を吐きながら持ってないよと肯定すれば出し抜けに視界が狭まって一面が喰の顔で覆い尽くされた。続けざま生ぬるい感触が肌に伝わる。

「……は?」じん、と熱を持った箇所。
茫然として離れた喰を見上げれば、彼は憎たらしい顔をして「ゴチソーサマ」とのたまった。
……はて、今いったい何をされた?
事態を把握整頓する為に停止しかけている思考回路に鞭を打って記憶を辿る。
たっぷり間を置いて認識したあと、私の頭部には見る見るうちに血流が集中してきて。抗議するため真っ赤にのぼせた顔で椅子からいきり立てば、されど横からそれ以上の勢いで壁が殴られる音がした。
あちゃー、と喰が呆けた声を出す。

「が、花礫くん……」
「……恋人の事はほったらかしで、自分は幼馴染みとキスするまで仲を育んでましたってか」

……ああ、 構わず続けてれば? 俺も好きにするから。お前も勝手にやってろよ。
氷のごとく凍てついた眼差しに、冷や水を浴びせられたように私の身体は固まった。
しかし踵を翻して向けられた背中に我に返って、あらぬ誤解を解こうと慌てて花礫くんの腕を掴み引き留める。でも、

「──触んな」

無情にも手は振り払われて。
為す術もなく愕然と立ち尽くす私には一瞥もくれず、花礫くんは徐々に遠ざかっていく。
ああ、まるで片想いのあの時に戻ったみたいだなぁ、なんて。
かさぶたを剥ぎ取られるような痛みに胸を締め付けながら、私は後先考えず舞い上がっていた自業自得の極みだと、自分で自分を嘲笑ったのだった。


「……名前、顔色が悪いわ。やっぱり大事をとって一日安静にした方が……」
「んー? 大丈夫だよこれくらい」
「でも、せっかくの誕生日なのに。今日余裕を作る為にわざわざ急ぎじゃない仕事まで片付けたんでしょう? ならこの機会に骨を休めるだけでも……」
「うーん……予定無くなっちゃったし。部屋に居たってすることも無いからさ」

それだったら仕事してた方がずっと有意義でしょう?
面持ちを曇らせるツクモの憂慮を晴らすように努めて平静を装えば、同様にデスクワークに専念していた少女は納得していない様子だったが渋々と引いた。
予定が潰えた理由を詳しく掘り下げられなかった事に名前は密かに安堵する。

いよいよ待ちに待った自分がこの世に生を授かった日。けれどかねてより周到に組み立てていた計画は見るも無惨に跡形を無くし、今や何の変哲もないただの平日と化していた。
それもこれも喰の所為だ。
名前は生憎此処には居ない幼馴染みの腹立たしい顔を思い浮かべて胸奥で盛大に悪態吐いた。

依然として花礫には勘違いされたまま。
視線が交錯しても興味なさげに直ぐさま逸らされ、弁解しようと話し掛けてもそこに名前は存在していないかのように無視をされる。
顔を合わせたり話し掛けることが出来るだけまだマシだ、こと如くあちら側から避けられて会えない事の方が殆どなのだから。我ながら肝心な時に意気地が無いと気が沈む。花礫の素っ気ない態度には慣れていたがこうも徹頭徹尾、完膚無きまで徹底的に叩きのめされると流石に挫ける。ボッコボコだ。

息を吐きながらもどことなく上の空な名前を見て、彼女の微細な変化をひとつひとつ見落とすことなく窺っていたツクモは眉根を寄せた。
名前は悩み事があっても無用の心配を掛けまいと一見あくまでも気丈に振る舞うが、微妙に笑顔がぎこちなく強張っていることが多い。
決して名前が隠すのが下手という訳ではないが、長年付き合いのあるツクモの目を欺けるほど巧くもなかった。

「……ねえ、名前」辛抱しきれず、強制的にでも言いくるめて覇気の無い名前を部屋に連行し休ませようと、ツクモが口を開いた時だった。
「二人ともお疲れ様、少し休憩したら?」と香り立つお茶を持った喰が微笑を湛えてやってきたのは。

「……どしたの喰。珍しく気が利くじゃない」
「おかしいな、僕はいつだって優しいつもりだけど」
「可愛い女の子にはね。私は例外でしょ」
「心外だなぁ、名前にだって細やかな心配りしてるじゃないか」
「あーあー左様ですねー」
「棒読みムッカつく」

本性が垣間見えた。
投げ遣りな名前の応対に表情筋を引き攣らせながらも、ここは自分が大人になって冷静を保たなければ意味が無いと己を律する。
気持ちを切り替えた喰はカップの乗ったソーサーをそれぞれ前に置き、新味で美味しいから飲んでみてよと太鼓判を押して二人に勧めた。

こくり、名前とツクモが手に取って同時に嚥下する。喉から胃にかけて瞬く間にジワリと浸透していく仄かな熱。疲れた身に際限なく染み渡るようで、名前はふと頬を綻ばせ「美味しい……」と感慨に耽るよう瞳を閉じた。一時的にでも胸のつかえが取れた彼女の様子を見てツクモが(さすが喰君だわ)と舌を巻く。
しかし程なくして目がトロンとうつけていく名前の異変を察知して、推し量るように彼女の名を呼んだ。

「……なんか、急に、眠く……」
「え……? っ名前、!」
「ツクモちゃん、しー……」

体勢を崩して椅子から滑り落ちるところだった体躯を寸で喰が受け止め支える。
動揺して思わず席を立ったツクモを諌めたのは、喰の弧を描いた唇の前に添えられた人差し指。その動作によりこれは青年が故意に仕組んだことなのだと思惑を汲み取って口を噤んだ。

「即効性の睡眠薬を入れたんだ。こうでもしないと名前休まないし」
「あ、あまり誉められたことでは無いけれど……でも正直、喰君の機転で助かったわ。私が言っても名前は頷いてくれないから……」
「変なところで意固地だからねー。ごめんね、ツクモちゃんにまで余計な手間掛けさせちゃって。そうそう、因みにそっちのお茶には何も入ってないから安心してね」
「ええ……。けどこれからどうするの?」
「ひと芝居打つことにするよ。まぁ今回名前が意地張ってるのは不本意ながら僕の所為でもあるし、お詫びも兼ねて粋な計らいって事で」

ぐったりと力が抜けてされるがままの名前を横抱きにし、近くにいた羊を呼び寄せて花礫への伝言を伝える。

「名前が極度の疲労と貧血で倒れたって花礫君に言っておいて。なるべく大袈裟にね」

なんだか口車にのせて名前ともども騙すような形になってしまいツクモはやるせない気持ちに苛まれたが、元気の無い親友の為だ。
致し方ないと些細な悪行にも目を瞑り、「了解メェ」と従った羊の小さい後ろ姿を見送って深々と憂鬱なため息を落とした。

「上手く行くかしら……?」
「そればっかりは花礫君の御心次第だね。ま、何だかんだ彼も名前には甘いし、大切にしてるみたいだから飛んで来るでしょ。そうじゃなきゃ僕が問答無用でかっ攫うけど」
「……駄目、 喰君には名前は渡さない」
「……参った。手厳しいなぁツクモちゃんも」

ムッと顰められた少女の面持ちを見て飄々と青年が笑う。彼に抱き上げられた名前が魘されているかのように眉間に皺を寄せて微かに身じろいだ。
(……さて、)
狸の皮を被るとするか。
ニヤリと影で悪魔がほくそ笑んだ。
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