「……ん、」

上半身を締め付けられる息苦しさを感じて、名前がふと意識を覚ました。
目の前は真っ暗。横向きになった状態で僅かに身じろぎ顔を上げれば、一定の間隔を保って寝息を立てる花礫がそこに居て。暫しの間きょとんとその端正な寝顔を眺めていれば、突き刺さる視線を察したのか少年が眉間に深い渓谷を刻んだ。
長く繊細な睫毛がふるりと揺れ、目覚めの兆しを窺わせる。微動だにせず息を潜めて成行きを見守っていれば、まもなくして睫毛と同色の黒い瞳が目蓋の下から覗いて名前と視線が交差するなり見開かれた。

「…………やっと起きたとか、遅ェよ。のうのうと間抜け面晒して呑気に爆睡しやがって。どんだけ待たせるつもりだよ、あんまり待ちくたびれてジジイになっちまうだろうが」
「ふふ……おじいちゃんになっても待っててくれるんだ?」
「るせ、揚げ足とんな」

自分も寝てたくせに、とは敢えて指摘せず揶揄を返せば頭突きされた。
けれどさほど痛くは無く、花礫はそれきり額を合わせたまま動こうとしない。急に黙り込んだ相手を不思議に思い首を捻れば、名前を抱き締める腕がおもむろに殊更強い力を帯びた。

「……違う、 俺が本当に言いたいのは、ンなことじゃなくて」
「うん」

真面目に傾聴しなければ危うく聞き落としてしまいそうになるほどか細い声を拾い、「自分のペースで良いよ」と名前が背中を撫でて優しく後押す。
だんだん安心したように力が抜けていく腕。しかし離されることは無く、顔は見るなと言わんばかりに花礫の首もとに押し付けられた。

(勝手にしろとか吐かしときながら、この期に及んでこの手を離すこととか出来ねークセに。矛盾してんのは、俺だ)
変わらず宥めるように自分の背中を撫でる手のひらに不覚にも目頭が熱くなる。
男が泣くなんざダサい、みっともない。
そう花礫は珍しく弱る自分に檄を飛ばし意地を奮い立たせる。

「……誕生日とか、訊いてねぇし」
「うん」
「……お前のこと知らなすぎて、なんつーか……こんなんで俺、お前の恋人とか言えんのかって」
「え、今頃?」

あっけらかんと小首を傾げた名前の言葉が無慈悲に胸に突き刺さった。確かに今頃だ、ぐうの音も出ない。
図星を突かれて口を噤んだ花礫を見て、一息ついた名前はクスクスと笑って「ウソ、冗談」とのたまった。ちょっとした意趣返し。

ポンポン、と背中を叩いて一旦適度に身体を離す。最後に顔を合わせた時あんなに鋭かった瞳はもう棘の欠片も無く凪いでいて。
ほっと胸を撫で下ろした。

「花礫くんはね、それで良いんだよ。むしろそのままじゃなきゃイヤ。ありのままの花礫くんを私は好きになったんだから、無理に気取ったりなんてしなくて良いの。自然体の、意地悪で、でも優しい花礫くんが好き、大好き」

好いところも悪いところも、全部ひっくるめて花礫という個体が愛しいのだと、名前は瞠目する少年の首に自ら腕を回し破顔した。

「……物好きな女。」

かろうじて言えたのはそんな憎まれ口。
自分が女だったら絶対に自分みたいな男は選ばない、なのにこの女は好きだと、愛してると。その小さな身体いっぱいの愛を惜しみなく花礫に注いで。
だけどその行為も「いつ自分が命を落としても悔いのないように」というためなのだと思うと途端に苦しくなる。真綿で首を絞められているかのよう、気道が狭まって、肺が見えない透明な何かに圧迫されて。

これが、人を好きになるということなのか。自分達を隔てる空気の存在が煩わしくて、花礫は再度開いた狭間を埋めるために名前の体を腕の中に閉じ込めた。
軽く触れ合わせるだけのキスを交わし、真っ直ぐに互いを見つめ合う。

「……そうだ、なんか欲しいモンあるか? 物によっちゃ今すぐにってのは無理だけど、街に降りた時とか買ってやることくらい……」
「ううん、お金が掛かるものが欲しいんじゃないから」
「じゃ、何?」
「……や。 絶対、確実に引かれるだろうから止めとく」
「言え。言ってみなきゃ分かんねーだろうが」

今にも噛みついてきそうな剣呑とした光を宿し、物々しい形相で凄んでくる花礫に思わず顔が引き攣る。
こうなったら少年は梃子でも動かない、そう易々と見逃してはくれない。
名前が口を割らないならどんな手段を行使してでも吐かせようとするだろう。そう危惧するくらいの表情の険しさ。正直に白状しなければのちに泣きを見るのは自分だと潔く腹を括った名前は、観念して怖ず怖ずと「……花礫くんのぬくもり」と包み隠さず暴露した。
しかし案の定、

「…………ハ?」
「ほらやっぱり引いたー!!」

ドン引きされた。
明らかに「うわあり得ねえコイツ何言ってんの?」という顔をされた。

居たたまれないと硬直する花礫の胸板を押して布団の中に頭からすっぽりと包まる。だが抵抗空しく布団は勢い良く引っ剥がされて。羞恥の涙で滲んだ視界のまま見上げれば、ムスッとした仏頂面が待ち構えていた。

「なに、温もりってどーいうことだよ」
「……だから、その。〜〜っ抱いてほしいってこと!」

自棄になって声を張り上げ、花礫の手から奪い返して懲りもせず名前がまた布団に隠れる。今度は上から下までがっちり包まっていて、もぞもぞと蠢く姿はさながら芋虫のよう。情けない格好に自然と花礫の口角は弧を描き、上体を起こして逃げ場を妨げるように布団ごと彼女を両腕で囲った。

ギシ、スプリングが軋む音を奏でて女が花礫の息遣いを傍で感じ身をのたくる。
「名前、」
顔を近付けて滅多に呼ばない彼女の名を囁けば、丸くなった物体は敏感に反応を示した。
陥落するまで後もう少し。引き続き攻勢を維持する。

「顔出せよ」
「やだ!」
「名前」
「いーやー!!」
「自分から誘っときながら今更照れてんなバカ女!」
「ぐえっ」

色気もなにもない、蛙が潰れたような声だった。
手っ取り早く往生際の悪い名前を引きずり出すためにわざと全体重をかけて布団にのし掛かれば、中の酸素が薄くなった名前は慌てて息をするために顔を出す。そこが好機。

新鮮な酸素を求めて開いた口を己のそれで塞ぎ隈無く口内を食い荒らせば強張った身体は脱力して鳴りを潜め、次第に花礫に身を委ねる。明確な意図を以て絡まった二人の指先。
温もりを欲していたのは自分もだと、認めたくはないが受け入れざるを得ないほどの昂りを感じて花礫は夢中になって口付けに興じた。

「ン、むぅ」
「ちゅ、……っ、ん」

性急に下着のホックを外し、解放された撓わな胸を揉みしだく。
服から現れた細い肢体はしなやかにくねり、ピリピリと痺れるようなもどかしい刺激に名前の空いた片手がシーツを手繰る。

唾液でべたべたになった口唇から首筋を伝ってスルスルと降りていき、花礫の歯が胸の頂をかすれば名前の背筋が弓なりに反った。
はくはくと呼吸を乱し、元より潤んでいた瞳から涙が溢れる。
花礫がふと目線をずらし、視界の端を掠めた時計を見やれば時間はもうあっという間に日付が変わろうとしていて。目尻を濡らす雫を吸い、恍惚として彷徨う焦点を自分に定めさせた。

「名前、」
「……っぅ、ん?」
「さんきゅ」

生まれてくれて、
見つけてくれて、
手を伸ばしてくれて、
温もりを教えてくれて、
────愛してくれて。

万感の思いを込めて、花礫は名前にそっと雪のような口付けを降らせた。
互いの温もりが浸透していって、溶けるように馴染んでく。
ふにゃ、名前の頬が再び緩んだ。

「──私こそ、ありがとう。」
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