そんな眼をするくせに
そんな声で呼ぶくせに
お前はいつだって見るな近寄るな嫌いだ何だとすげなく俺を突き放しては遠ざけて。
真っ赤な顔してイヤイヤ拒んだって説得力なんか皆無だろ。それで俺が大人しく鳴りを潜めるとでも思ったらとんだ見当違いだ。
俺の目に狂いは無い。
どんなにお前が気取られまいと誤魔化そうが欺こうが見逃さない、騙されない。むしろこっちから一芝居打って揚げ足を掬う。

罠に掛かったと気付いた瞬間、悔しげに歪む顔に優越感を抱いたのは数知れず。我ながら屈折した愛情だなと苦笑したこともあった。
だがしかし微塵たりとも反省はしていない。自重もしない。完全に開き直った。

「朔ちゃん、そんなにしつこく付き纏ってたらいつか尻尾を巻くどころか切り落としてでも逃げるかもしれませんよ?」
「ん? 逃げ場なんてことごとく看破して潰したからもうどこにも行く宛てなんて無いだろ。心配すんなって、何だかんだあいつも満更じゃなさそうだし」
「……そういう態度と発言が、さらに名前さんの怒りを買ってるんだと思いますぅ」

いつかやれやれと言わんばかりの呆れ顔でため息を吐いたキイチに、されど俺は悪びれなく楽観的にからからと笑った。
そう、名前には此処以外どこにも居場所なんて無い。折り合いが悪くて目の敵にしてる平門のところなんか以ての外だろうし、何よりあいつは輪としての自分を誇りに思ってる。艇を降りることはまず無い。つまり八方塞がり、袋小路に入り込んだ恰好の餌食ってワケだ。

飛んで火に入る夏の虫。
容易く逃げる隙なんざ与えない。
足掻くのは勝手だが、もがけばもがくほど泥沼に嵌っていく事をどうせあいつは理解していないんだろう。それで良い。
いつか俺自身の手であの意固地な口から素直な気持ちを吐かせるまで、────諦めない。

「……お」
噂をすれば何とやら。
キイチと別れてから早々に目当ての背中を発見した俺は内心ラッキーと呟いた。
即座に足音と気配を殺して接近を図る。あいつは一向に後ろを振り向く素振りを見せない。またとないチャンスを棒に振ってしまわないよう慎重に、かつ迅速に小さな背中に近づく。
耳元に唇を寄せて「よっ!」と大きな声を出せば「ぎゃああああ」と一際大きく肩を跳ねさせて叫ばれた。

「おいおい、色気もへったくれもねー声だな」

言いながら笑いを喉の奥でかみ殺せば、けれど防ぎ切れてはいなかったのか紅潮した頬で誰のせいですか誰の!と怒鳴られる。だぁからそんな顔で怒ったって迫力も何も無いって。威勢の良さだけは認めてやるけどな。
けどこれ以上難儀な姫さんの機嫌を損ねるわけにもいかないから、あくまで穏便に済ませようと謝ればじろりと睨まれる。
心が籠もってない、とでも不満言いたげな眼差しだな。事実軽い気持ちで謝ったからわざわざ突っかかったりしねーけど。
露骨にいやな顔を見せたあと、聞こえよがしに深々と嘆息を吐いた名前は、俺に話しかけられたことなんて無かったかのように踵を返す。

……へえ、面倒だからって無視を決め込むか。仮にも上司相手にイイ根性してんなぁ。
えらく肝の据わった行動に、俺は予想通りだと動じることもせず黙って後に着いていく。
カツカツ、カツカツ。
徐々に早くなっていく歩む速度。でもそこは男と女のリーチの差。どれだけ名前が先急ごうが間合いが広がることは無い。
いつまで経っても途切れない足音に、かえって悪循環を及ぼしてると痺れを切らしたらしい名前は、ピタリと立ち止まって眉間に皺を刻みながら振り向いた。

「ああもうさっきから何なんですかっ! 用件があるならさっさと仰ってください、私は忙しいんですから」
「俺はヒマなんだ」
「元はといえばあんたが仕事しないからでしょーがヒマなら仕事しろこの物臭上司っっ! 上から怒られるのは貴方なんですからね!!」
「あーそれはアレだ、明日は明日の風が吹くって言うだろ?」
「なんつー言い逃れだ!!」

仕事は放っておいたって溜まる一方でなるようにはならないんですよ!!自然と消えてたわーい!なんていう夢見事では片付けられないんですよ裏で血の涙流しながら奮闘してる人間が居るんですよコノヤロウ!!

息継ぎも儘ならないまま見事に一息で言い切った名前に、おーおーよっぽど鬱憤溜まってんなぁと俺はどこか他人ごとのように聞き流していた。真面目に取り合ったら良心の呵責を受けるからな、部下達からの悲鳴はそっと胸に秘めておくとしよう。
それに名前の言い方には語弊があり、俺は全く仕事をしていないってワケじゃない。
気が向いた時に、不思議とやる気が湧いた時に、感情の赴くまま消化していってるだけだ。ただ悲しきかな。今日はちっともその気が起きない。すなわち率直に言ってしまえば面倒くさい。物臭上等だった。

「いざって時には頼もしいし心強いのに普段がコレだから……ったくもう」
「へぇー、俺のことそんな風に思ってくれてたのか」
「そりゃそうですよ、こんなちゃらんぽらんでろくでもない上司でも信頼してるから着いてって……はっ!」

貶されてんのか褒められてんのか分かんねーけど心から慕われてるのは良く分かった。
にっ、と知れずのうち口角を吊り上げれば、名前はしまったとばかりに青褪めてうっかり滑らせてしまった口を閉ざす。今さら言った言葉は消えないし、俺が忘れるわけ無いのにな。

何でもないです!と居たたまれず逃げるように翻した身体を後ろから抱きしめて、名前が息を詰めた気配を側で察して微笑んだ。
ほんと、こういう不測の展開には弱いとことか異性の温もりに慣れてないとことかウブだよなぁ。かわいーの。
引き止められるにしてもこんな方法でなんて思いもしてなかったんだろう、硬直して茫然としている名前に攻めるなら今しかないと出し抜けに顔を近付けた。
邪魔な髪を退けて、耳朶に唇をくっつけ直接鼓膜に言葉を吹き込む。

「──で、いつになったらお前は俺に良い返事を寄越してくれるんだ?」
「!」

今にも湯気が出てきそうなほど赤く染め上げられた顔が振り向いた。
互いの鼻先が触れそうなくらい近い距離。それにことさら名前の顔は恥ずかしそうに歪んでいって、瞳には涙が浮かんできて。
しかし強硬な姿勢は崩さないと必死に羞恥と抗ういじらしい姿に、俺の笑みはますます深みを増していった。

「……っ私は嫌いだと、以前にも申しましたが」
「お、生憎だな。俺は好きだ」
「だからっ」
「冗談抜きにそろそろつまんねえ意地張ってないで、受け入れちまえよ、認めちまえよ。……俺に惹かれてるって、好きなんだって」
「〜〜っ!!」

見え隠れする、密かな恋慕。
強請るような欲を孕んだ熱い眼差し、俺の名前を呼ぶとき何かを期待するような甘い声。
──気付かないとでも思ったか。
お前は一体何を待ち望んでる?言葉にしろ、声にしろ。その愛らしい唇で囀ってみせろよ。

促すように微かに緊張で震える桃色の下唇を撫でれば、けれど俺が求める言葉が落とされる事はなく。あったのは指先に走る鋭い痛み。
……おいおい、普通この状況下で噛みつくか?本当にムードも何もあったもんじゃない。
呆れながらも渋々と身体を解放すれば、名前は俺からバッと離れて潤んだ瞳で真っ向から睨み付けてきた。

「っ朔さんこそ冗談はその無駄にだだ漏れな色気だけにしてください!! 誰がっ!! あんたなんかに!! 落ちるものか!!」
「いや落ちるも何も、お前とっくに俺のこと……ってオイ!」

そそくさと言い逃げして脱兎の如く駆けていった後ろ姿を見送って、またうやむやに流されたことにため息を吐いた。
相変わらず逃げ足だけは早いヤツ。焦らされるのも燃えるけど、あんまり待たされると俺でもナニ仕出かすか分かんねえよ?

「…………だから、そんな真っ赤な顔したってそそるだけだって」

綺麗に歯形のついた指をペロリと舐めた。
強気な態度がいつまで保つか──見物だな。
そっちがその気ならこっちも遠慮はしない。容赦なく押して押して押しまくってやる。
とっとと早く素直になれよ?俺もそんなに気が長い方じゃねえから……長引けば長引くほど、後で泣きを見るのはお前だからな。

「楽しみだなー、なぁ兎?」
「ウサッ」

じっくりじっくり。
いつかお前が自らこの腕の中に飛び込んでくる日を心待ちにして。


(だぁぁ、あの人ムッカツク!!! なにあの余裕な面!! 人のこと何でもかんでもお見通しですみたいな顔してくれちゃって!! 私が朔さんのことを好き? あり得ないから!!)
(……あり得、ないんだから)
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