ツバメちゃんは端的に一言で形容するならば、加工前の原石だ。もちろんそんな淡々とした言葉一つで済ませられるほど魅力に乏しいという訳ではない。だからこそ原石なのだ。
希望に満ち溢れ、磨けば磨くほど光り輝く。それはいずれ多くの人を魅了するほどの眩い宝石となるだろう。
だから何だと突っ込まれそうだが、漠然と不安なんだ。
あの子が近い将来能力者となってしまう可能性を背負いながらも前に進むと覚悟を決めた時から、朔さんがあの子の心意気を買って全責任を同様に背負うと手を差し伸べた時から。
ずっと、不明瞭な感情の渦が私の心に蟠って。

これは嫉妬なのだろうか。
もやもやして、時々ずきずきと胸が痛いような痒いような良く分からない曖昧な感覚。
この感情の正体の得体が知れないからいつまで経っても私の心は迷子のまま。
朔さんと話すにも挙動不審だったり上の空だったり、日によってムラがあり、怪訝に思われるだけでなく「熱でもあるんじゃないか?」と心配される始末。仕事には支障を来していないのが唯一の救いである。

しかし依然として膠着状態が続くとしたならばマズい。心配されるどころか問答無用で有無を言わさず休ませられるだろう。ましてや彼は見ていないようで実はしっかり人を見ている。些細な機微にも敏い朔さんの目をのらりくらりとかわすのも長くは不可能だ。

(バレないうちに、なんとかして立ち直らなきゃ……)
そう自分に厳しく言い聞かせて、努めて自然に見えるように朔さんの前でも振る舞った。けれど彼は当たり前にそんな私の心の内など知る由も無く、あっけらかんと出鼻を挫くようなことをしゃあしゃあと吐かして。

「あーやっと面倒な仕事終わった! ツバメもクロノメイで元気にやってるみたいだし、これで当分何事もなく平和に過ごせんな〜」
「……ツバメちゃんって、もしかしてこまめに連絡取ってらっしゃるんですか?」
「イヤ、そんな頻繁にはしてねーけど。二週間に一回程度、まぁ現状確認がてらにな」

言わずもがな朔さんは悪くないと分かっている。ツバメちゃんが幼い頃より飲ませられていたという薬も、これから彼女の身体にどういった変化を齎していくか注意深く経過観察をしていかなければならない。
そう、ゆえに悪いのは私なのだ。
仕事だと理解しているのに、公私を弁えず私利私欲のまま朔さんを独占したい、あまつさえ余所見なんてせずに私だけを見てほしい、だなんて。分を過ぎた事を。

仕舞いには朔さんは私よりも若く、活発な女の子の方が良いんじゃないかとあり得ない想像まで及ぶほど邪推が巡ってしまうから。
朔さんの前でも平静を装うことが難しくなってしまって、ここ最近は業務上での報告や必要な事柄に関してしかまともな会話を交わしていない。
ああ、私って転んでもタダでは起きないふてぶてしい女だったのだと身に染みて痛感した。
立ち上がろうにも立ち上がれない。
ツバメちゃんみたいに朔さんから手を差し伸べられれば、直ぐにでも溌剌と起き上がって、その大きくてあったかい胸に飛び込んでみせるのだけど。


「……ぅ、うー……」
「ウサッ?」
「元気ないウサ?」
「元気だすウサ」
「兎いぃー!」

──残念ながら私が力一杯抱きしめているのは愛しい愛しい恋人ではなくて兎だった。
廊下ですれ違った兎達をとっ捕まえるなり理由も述べず抱きしめて、加減もそこそこにふわふわの毛並みに頬をすり寄せる。情けない声を上げる私を突き放すでもなく、優しい言葉を掛けてくれる癒やしの子達。
もう私……兎と結婚したいな。いやそもそも戸籍が無いから結婚自体遠い夢だけど。
我ながら心が狭いなぁとしょぼくれる。朔さんがちょっと他の女の子と定期的に連絡しているだけでヤキモチなんて、どんだけ束縛強いんだ私。
やだやだ、嫌気が差す。朔さんもこんな重い女はさぞかし鬱陶しいだけだろう。

ツバメちゃんだってあんなに健気で良い子なのに、私が不甲斐なく大人げないばかりに嫉妬の対象にしてしまって申し訳ない。考えれば考えるほど、浮かぶのは自責の念ばかり。
ばか、あほ、まぬけ。ありきたりな言葉の三重苦を胸中で唱えて短慮だった自分へ投げつける。ひしひしと虚しい思いが募るだけだった。
自分で自分を詰ってもさしたる威力も無い。ただの気休めにしかならないとため息を吐いた時、不意に腕の中で身じろいだ兎が「朔ウサ」と漏らした。
朔……──朔? え、ちょっと待って。
弾かれたように後ろを振り向けば、珍しく呆れたような苦笑のような複雑な表情を見せている朔さんがこちらに歩み寄ってきていた。見る見るうちに私の顔からは血の気が失せていく。
どうしよう、今こんな余裕の無い心情で朔さんと真っ正面から向き合える自信は無い。
逃げるが勝ち、という言葉もあるけれど、それはそれで却って火に油を注いで怪しまれてしまうだろうし。

まさかの展開に為す術もなくまごついてその場に固まっていれば、私と兎の横に同じくしゃがみ込んだ朔さんはおーい?とヒラヒラ私の視界の前で手を振った。
我に返って生きてますから!と声を張り上げれば何だそれと噴き出される。咄嗟に言った私が一番良く分からない。混乱し過ぎている。

「ったく、相も変わらず浮かない顔してんな」
「…………え、あ」
「お前もう俺の部屋に強制連行な。異論は認めねーからそのつもりで。っつーワケで、」
「ひゃあ!?」
「部屋までひとっ飛びで行きますか。あ、兎。緊急だから止めんなよ!」
「? 了解ウサ」
「いやいや明らかに嘘だからそこは止めてよ。むしろ助け……ってちょ!?」

朔さんの肩に俵担ぎされた状態で宙を飛ばれて、兎に救いを求めようにもお尻を鷲掴みされて口封じされた。いくら手で口を塞げないからってなんて姑息なやり方をするんだこの人……!けれど睨み付けようにも私の視点からは生憎朔さんの背中と後頭部しか見えない。
きっと彼なら私の険しい視線なんて見ずとも察しの通りなんだろうけど、そんなもの意にも介さない様子で風を突っ切って本当に部屋までひとっ飛びしちゃうから。朔さんの自室に着くなり肩から下ろされて地に足を着けた私は、体勢を持ち直した後さっそく文句を叩きつけた。

「いきなり危ないじゃないですかっ、兎達にまであんな見え透いた嘘吐いて!」
「こうでもしねーとお前いつまでも俺と話す気無かったろ。確かに問答無用に引きずってきた俺にも非はあるが、大半は強いて言うならまどろっこしいお前が悪い!」
「はいい!?」

とんだ濡れ衣を被せられたものだ。や、確かにまどろっこしいと言えばそうなのかもしれないけれど。
……あれ、じゃあ私ぐうの音も出ないじゃないか。今更反論の余地も無い。
二の句を告げず、目線を彷徨わせていると上からふと浅いため息が零された。そりゃ、さすがに朔さんも呆れちゃうよなぁ。相手の都合で理由も明かされずにことごとく避けられた上、雲行きが危うくなれば黙り込まれて。自分でもムシが良いとは分かっているけど、こんな醜い部分なんて朔さんには知られたくない。
ぎゅっと俯いて下唇を噛み締めた。
その時──大きな手のひらが頭の上に乗って、くしゃくしゃに髪が乱された。

「わ、ちょっと朔さん……!」
「ばっかだなぁ、自分一人で抱え込んで悶々と悩んで。ま、誰にも迷惑掛けたくないって気持ちは汲むけどよ、せめて俺くらいには話せ。じゃねーと大事な女ひとり支えてやることも出来ねーのかってヘコむから」
「そんなこと……朔さんはいつだって私の支えになってくれています」
「ん。そう思ってくれてんならさ、つまらない意地なんて張らず頼ってくれよ。情けないとか恥ずかしいとか思わずに、全部俺に包み隠さず晒せ」
「……そ、れは、でも」
「迷惑になるだとか重荷だとかごちゃごちゃ余計なこと考えてんなら、ゴミ箱に捨てちまえ。そんなもん俺にとっちゃ取るに足らない、塵以下の価値だ。迷惑? 名前に掛けられる迷惑なら喜んで背負ってやるよ。ただ……心配は掛けるな、心臓いくつ合っても足んねーから」

今回だってお前に避けられてどんだけ俺が干からびそうだったか。冗談抜きに名前不足で死にそうだったんだぜ。もー懲り懲りだわ。
と呆然と佇立する私の肩に顔を埋めて額をグリグリと擦り付けてくる朔さん。彼の短い赤髪が私の耳に掠めて、くすぐったくて身を竦ませれば、彼はなおさら額を強く押し付けてくる。
しかも何気に肩から首筋へ向かって移動してきているから、吐息までもが鎖骨を撫でて。
くすぐったさとはまた違った感覚に身体を震わせれば、朔さんがふっ、と笑った。

「しばらく触ってなくても感度良好なのは変わってないのな」
「なっ……」
「まさか俺が可愛がってやれなかった時、他に触らせてたとか無いだろうな?」
「そんなわけっ」
「はは、どーかな。……んじゃ、 ちょっくら証拠でも見せてもらうとすっか」
「分かってるクセに……!」
「聞こえねーなぁ」

ハッキリ聞こえるように、もっと近くで言ってもらおうか。
耳朶を甘噛みされて、力が抜けそうになる身体を支えるために反射的にしがみつくように朔さんの腕に掴まった。ニィ、とつり上がる口角を目の当たりにして身の危険を感じても遅い。

体の良い口実を盾に、潔白を証明するため身体の至るところ隅々まで貪られた私は、
ヤキモチなんて妬くまでも無く彼に愛されていたんだと身を以て思い知らされる事となり、翌日彼のベッドから抜け出せないで居たのであった。


(──まったく、嫉妬なんて可愛いことしてくれるよ)
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