パチ、パチと暖炉で燃え盛る炎が小さく爆ぜる音が断続的に部屋に響く。
霊勢の影響で年がら年中雪が降りしきるこの街は、かのガイアス王が統べるア・ジュールの首都、カン・バルクだった。
一行はジュードの補佐の過失により姿を眩ました源霊匣セルシウスの行方を辿って此処まで足を運んだのだが、吹雪の勢いは増し、今日はもう宿で休んだ方が良いと判断を下して目的地に近間であるこの街に立ち寄った。

本日はジュードとミラが買い出し係。
「ルドガー達はゆっくりしてて」とジュードの言葉に甘えた仲間達は皆思い思いの行動を取っていた。
エルとエリーゼはルドガーが作ったお茶菓子を手にマセた女子トークに花を咲かせ、ルドガーもエルの隣に座りながら何やかんやと話を振られて苦笑いしつつも受け答える。時々メモを片手にレイアがそれを茶化し、名前はクスクスと笑いながら見守っていて、ご飯を食べ終えたルルは満足げな様子で欠伸を一つ。和やかな空気が五人と一匹の部屋を包んでいた。
……筈なのに、そんな和やかなひと時もレイアの些か問題ある発言により波風が立ち始める。

「ルドガーってさ、結構ムッツリっぽいよね」
「ぶっ、ごほっごほっ!!」
「レイア……いきなりですね」

今まで話していた話題と全く脈絡の無い話に虚を衝かれたルドガーは飲んでいたお茶を詰まらせて思い切り噎せた。彼の反応は無理もないと思いつつ、名前は磨いていた槍を置いて彼の側に寄り、噎せながら丸まった背を撫でる。しかしレイアからすれば図星を指されたからそんな反応をしたのではと疑わしいのだが、突然不意を打ってしまった事は否めないので念のためごめんごめんと詫びを入れた。

「ルドガーむっつりー?」
「ルドガーさんが……ムッツリ……」
「キャー! ルドガーのスケベ〜!」
「ナァ〜」
「、待ってくれ……何だかえも言われぬ疑いを掛けられてる気がする……!」
「あ、あはは……」

よもやふと思ってうっかり口を滑らせた発言がこんなに反響するとは思わなかった、とレイアは人差し指で頬を掻きながら乾いた笑みを零した。エリーゼとティポ、エルはドン引きしたような眼差しでルドガーから距離を置き、ルルですら胡乱げな瞳を彼に向けている。しどろもどろになりながらも弁解しようとするルドガーの側に居るのは終始苦笑いの名前だけだ。
けれど違うと捲し立てたところで言い訳がましく、余計怪しまれると確信したルドガーはそう思った根拠は何なんだよ、と若干不貞腐れたような口調で問いかける。
とりあえず子供達が己へ抱きかけている不信感は払拭しておきたいのだろう、噎せた拍子に湿った唇を手の甲で拭いながらレイアを窺う碧の双眸は真剣だった。
その視線に咎めるような色が帯びていることに気付いた彼女は今更失言だったことに後悔しながらも、小首を傾げる名前を一瞥したあと躊躇いがちに口を開く。

「……なーんかルドガーが名前を見る目って、ちょっと裏がありそうっていうか」
「い゛っ!?」
「……裏?」
「こう、アルヴィンが名前を見る時の目と似てるんだよね〜」
「エルも分かる! なんかたくらんでそうっていうか、でもたまに苦しそうなカオしてるの」
「恋い焦がれる目……ですね?!」
「ルドガーが……コイ!?」

子供だからと侮ることなかれ、女性陣は感服どころか震え上がる程の慧眼の持ち主だった。まるで本心を見透かされているように痛いところを的確に抉られ、青年はそんなに分かりやすかったかと深い反省に沈み込む。
ちら、とルドガーが横に居る名前の顔を覗き見ると、彼女は開き直ったレイアにエル達が同意し、更に危うくルドガーの想いの決め手となりそうな行動の証言を聞いて硬直している。聡い名前の事だ、少し思考を巡らせれば彼の心の内などいとも簡単に悟ってしまうだろう。
……ああほら言わんこっちゃない、顔には出ていないが確実に内心動揺して戸惑っているのが雰囲気からして手に取るように分かる。
やられた……と勘の鋭い、尚且つお喋りな女性達に頭を抱えながら、ルドガーはどうするべきか考えあぐねていた。いっそ此処で自ら腹を括って名前に想いを告げてしまうか。いやいやそれではレイア達の思う壺だ。名前も困り果ててしまうだろうし、何よりこの場でフられてしまったら自分が立ち直れない。

──気まずくなるのはまっぴら御免だ、と臆病風に吹かれウンウン葛藤する彼に対し、直立不動だった名前は困惑しつつもハッと我を取り戻した。
真実がどうであれ、レイア達の見解は全くの見当違いだろう。現にルドガーだって口を噤んでしまっているし、こんな勘違いをされて気分を害してしまったかもしれない。ならば直ぐさまフォローを入れるべきだと機転を利かせた名前は慌てて平静を装いながら口を開き、精一杯の笑顔を見せる。

「それこそまさか、ですよティポ。ルドガーが私なんかの事を好きだなんてあるわけ無いじゃないですか」
「……」

それがあるんです。
……とは口が裂けても言えなかった。
無邪気な笑みで首を振った名前に自分の想いごと否定されたようで、ルドガーは心に燻る黒い靄に眉を寄せる。

「えーでもぉ〜」
「うーん……私の思い込みだったのかなあ……もしそうだったらごめんねルドガー」
「……いや、俺は……」
「さて、この話はもうお仕舞い。私ジュードとミラを迎えに行って来ますね。もしかしたら荷物が多くて手間取ってるかもしれないし」

まだ何か言いたげだったルドガーの言葉を途中で遮り、強制的に収拾をつける。
ジュードとミラが宿を出てからもう一時間程経つからそろそろ買い出しも終わる頃合いだろうし、この際抜け出す口実として利用させてもらおうと名前は「行ってらっしゃーい」と元気な声を背中に浴びて部屋を出た。

フロアに降り、宿屋の扉を開けると肌を突き刺すような寒さが身を襲う。粛々と降り積もる雪は見る分には綺麗だが、この上を歩くとなると転ばないように注意しながら慎重に歩かなければならないため少々億劫だ。
でもだからこそジュード達と早く合流して身体も冷え切っているだろう彼等が暖かい場所に帰れるよう急がなければ、と気持ちも引き締まる。まだ買い物が終わってなければ手分けした方が効率も良い。
終わっているならば少しでも負担を軽減させる為に荷物持ちを──と名前が寒さを堪えながら外に一歩踏み出した時、前触れもなく後ろから突然肩を引かれた。そして同時にふわりと身体を包む温かいストール。
驚いて目を瞠れば、ほんの少し息を切らしたルドガーが名前の表情を見て微笑んだ。

「そんな薄着で行ったら風邪引くだろ? 迎えなら俺が行くよ」
「……い、いえ! 私一人でも大丈夫よ、風邪なんて滅多に引きませんもの」
「そういう人ほど危ないんだけどなぁ……だったら二人で行こう。俺も今あそこに戻るのはちょっと気が引けるし……な」
「……あ、はは。じゃあ、二人で」

照れ臭そうに目を逸らしたルドガーにさっきのやり取りを思い出して、途端に恥ずかしさが込み上げた名前は自分も目を泳がせながら二人で行こうと頷いた。
誤って転倒しないようにと差し出されたルドガーの手は大きく、名前の手を包み込んでしまう程で、年下とは言え立派な男の人だなと今更ながら改めて実感する。
前を向く彼の横顔は凛々しく、頼もしいもので、繋がれた手から伝わる温度さえ心強いと思ってしまう。自分の方が年上なのだから、という見栄は今この時ばかりはすっかり名前の頭から消えてしまっていた。
先程の一件もあってか、やけに意識してしまう。彼の温もりも、距離も、息遣いも、存在全てを。
ルドガーには友人として、時には弟のように親しみをもって接していたのに。

「……なあ、名前」
「はい?」
「さっきレイアが言ってたこと……あながち外れてはないって言ったらどうする?」
「ムッツリなんですか!?」
「そっちじゃない! 一旦ムッツリから離れてくれ! というか忘れろ!!」

思い切って切り出した早々話が脱線した。
ルドガーは改まって咳払いをし、このままじゃ二進も三進もいかないと展開を予測して足を止める。
すると手を引かれて歩いていた名前もつられて止まる訳で、二人は邪魔にならないよう往来の隅っこで自然と向かいあった。
未だ雪はしんしんと降り続いている。白い雪に映える亜麻色の髪を触りたい撫でたいと衝動に駆られながら、ルドガーは繋いだ手を此方に引き寄せ、バランスを崩したその体躯を自らの胸で受け止めた。
息を飲んだ気配を間近で感じ、よりいっそう彼女を抱き締める力を強くする。髪を撫でる、なんてことより遥かに大胆な行動をしているのは百も承知だ。それでも、羞恥よりも優越感の方が今は勝った。

「こういう事とか、……これ以上の事も、名前としたいって常に思ってる」
「……!!」
「分かってるよ。名前が俺の事を弟のようにしか見てなかったってのも。でも……俺だって男だから。好きな人には、意識してほしい。もっと俺を見てほしい。男として頼ってほしい」

────視線も身体も心さえも独占、したいのだと。
ルドガーは身体を離して名前を真っ直ぐに見つめながらそう言った。心なしか熱の篭った瞳に心臓が痛いほど早鐘を打つ。
異様な緊張に手を震わせつつ、名前は次第に射抜くような強い眼差しに居た堪れなくなって俯いた。

「つ、常にって……やっぱりムッツリスケベじゃないですか」
「……はは、うん。そうだな。結局そうかも。君にだけ、だけど」
「〜〜その台詞恥ずかしくないんですっ?」
「確かに少し……というかかなり面映ゆいけど、ごめん。名前のそんな顔見せられたら楽しいし嬉しいって気持ちのが上回ってるかな」

意地の悪い発言に、「なっ!」と名前は弾かれたように顔を上げた。目があったルドガーは彼女の真っ赤に熟れた頬を見て「ほら、」と嬉しそうに表情を綻ばせる。
ふいに目尻を撫ぜた彼の親指は優しく、宝物を慈しむかのような手付きで名前の頬に手を這わせた。……愛しい。愛しくて堪らないのだと彼の丁寧な所作からありありと伝わってくるむず痒い感情。
心臓が、壊れそうだと名前はドキドキと鳴り止まない鼓動に唇を噛み、なんとか理性を保って耐え凌いだ。そんな彼女の仕草すら愛らしく思う自分はもう末期だなと、ルドガーも恥を偲んで告白してみた甲斐があったと安心する。こうすることで彼女が己を男として見てくれるならば万々歳だ。
良くやった、と自画自賛し、青年が調子に乗って顔を近付けたその時──

「転泡!」
「のわっ!?」
「名前、こっちへ」
「っみ、ミラ!?」

後もう少しで二人の唇が重なりそうなところで思わぬ横槍が入った。
紅潮して身動きの取れなかった名前の腕をミラが引っ張り、ルドガーに攻撃を仕掛けたジュードは荷物を抱えながらも空振って崩れ掛けた体勢を立て直す。
ルドガーは間一髪でジュードの足払いを回避したが、避けることが出来ていなかったら今頃地面とキスをしていたかもしれないと考えると身の毛がよだった。

「ジュード! 危ないじゃないか!」
「ごめん、僕にはルドガーの方がよっぽど危ないと思ったから」
「同感だ」
「!? いっ、いやそれは……! 名前っ」
「…………知らないっ」

縋るような目付きでルドガーに助けを求められたが、名前は敢えて顔を逸らしてしらを切った。混乱していたとはいえ抵抗も出来なかった乙女の唇を勝手に奪おうとした罪は重いと膨れっ面をする。そんな彼女の態度に自分は見捨てられたんだと察したルドガーの顔からはみるみるうちに血の気が失せていき……

「ルドガー……悪く思わないでね」

彼女を本当の姉のように慕っているジュードに見つかったのが運の尽き。
その日一つの断末魔が街の一帯に響き渡り、後に宿屋のベッドで屍のように沈んでいた身体が目撃されたとレイアのスクープで明らかになった。
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