これほど悪意の篭った妨害を散々受けると、いっそ駄々を捏ねる子供のように地団駄を踏んで年甲斐も無く喚き散らしたくなる。
触れたいのに触れられないのは勿論の事、二人でのんびり世間話をしている時すら光った目が視線が身体のあちこちに突き刺さり、話が長くなれば何食わぬ顔で二人の間に割り込んでくる。突然の乱入にルドガーが唖然とすれば横入りした人物から返ってくるのは裏を含んだような薄ら笑い。
但し目は口ほどに物を語っており、「それ以上の接触はダメだよ」と名前との話に花を咲かせていた青年を厳しく牽制していた。

つまりは明白な少年の計画的犯行に悔しさと歯痒さを募るに募らせたルドガーは日々煩悶としながら、もう懲り懲りだと苦痛すら感じるジレンマをただ持て余していたのだ。
確かに些か強引に名前に迫って場の雰囲気に流されキスまでしようとした前科があることは認めるが、何もここまでガードを硬くしなくたって良いだろうと彼は深い嘆息を吐く。ましてや警戒しているのは名前本人では無い、彼女を本物の姉のように慕っているジュード・マティスという少年なのだ。
名前が嫌がっていて自身を拒んでいるというのならジュードが無理矢理介入してくるのもまだ納得は出来る。そう考えたら悲しいが。とてつもなく胸が張り裂けそうだが。しかしルドガーに迫られた時、あの娘は意外にも満更でもなさそうだった。
これは決して自惚れでは無く、本当に心の底から嫌ならばルドガーを突き飛ばすなり横っ面を張るなりして撥ね付ける事も可能だった筈だ。だから少なくとも嫌悪されている訳では無い……とルドガーは信じている。

ならば何故しょっちゅう彼に邪魔立てされるのだろうか?原因は恐らくルドガーが以前彼女にキスしようとしたから、という理由だけでは無いような気がする。
あの心根が優しい少年は人の恋路を応援する事はあっても、アルヴィンのように茶々を入れたり意味が無ければ邪魔したりなんてしない。
それを踏まえるとまさかジュードも名前の事が好きだったりするのか、という想像も掻き立てられたが、それはアッサリとローエンによって翻された。

「ジュードさんが名前さんを恋愛対象として見ている、という可能性はごく僅かでしょう。彼はどちらかと言えば尊敬するミラさんを異性として意識しているようですし、名前さんの事は甘えられるお姉さん、或いは包みこんでくれる母親のように感じ懐いているのではないかとジジイは思います」

自慢の髭を撫でながら、我が子を見守るような穏やかな眼差しで彼は行き詰まったルドガーを安心させるように私見を述べた。
いかに突拍子もない質問をされようとさしたる動揺をする事も無くスマートに答えてしまう余裕さは年の功ゆえか。伊達に長生きしていませんよ、と茶目っ気たっぷりに笑うローエンは仲間として本当に頼もしく、また宰相としての観察眼も確かなもので、彼の言う言葉にはそれ相応の説得力さえ感じられた。
けれどだからと言って根本的な問題が解消した訳では無い。それどころかますます疑念は深まっていくばかりだ。訝しげに答えを見出そうと首を捻るルドガーにローエンはただ優しく微笑むばかりで、それ以上のヒントは出してはくれない。
……このまま考えを巡らせていても埒が明かない。淹れてもらった紅茶を飲み干したルドガーは話を聞いてくれたローエンに礼を言ってその場を離れ、次はジュードを良く知るあの少女の元へ足を運んだ。

「へ、ジュード? ……うーん、そうだねぇ……私も最初は名前のこと好きなのかな? って疑った時もあったよ。でも探っていく内に、なんかそういうのとは違うなあって思って」
「そういうの?」
「こう、ルドガーが名前に向けるような目? 好感度アップ! とか狙って話してるんじゃ無くて、ジュードは純粋にお姉ちゃんに甘えたいって感じの雰囲気を醸し出してたの」
「……好感度アップ……うん……」

肝心なジュードの話よりも、端から見て自分はそんな露骨だったのかと気付かされたルドガーは酷く落ち込んだ。あまり気張らず自然体で話すようには努めていたが、下心なんて周りにはとっくに筒抜けだったようだ。
だから以前ムッツリ疑惑も浮上したのか。そりゃあ彼女を慕ってるジュードも良い思いはしないよな、と思わず納得しそうにもなったがそれとこれとは話が別。
もしローエンやレイアの言うようにルドガー自身が立てた仮説が正しく、ジュードが名前を自分の姉のように見ていたとして、それにしたって過干渉過ぎやしないかと。不満に近い異論をルドガーが口にしたところで、レイアは少々唇を尖らせた彼の苦い心中を察し苦笑した。
曰く、ジュードは幼い頃の家庭内環境が少し複雑だったようだ。それはかつて分史世界で彼の父らしき人物と会った時、ジュードのその男性に対するどことなく余所余所しい態度からルドガーも過去に何かあったのでは、と父子の軋轢を感じ取っていた。
現にこちらの世界、正史世界でも息子と父の関係は仲睦まじいとは言えず、未だ微妙な距離感が残っているとレイアは神妙に語る。
母もジュードの父が開いていた治療院の手伝いをしていた為に家には一人で留守番していたことが多く、誰にも甘えることの出来ない辛い幼少期を過ごしたとか。

「だからきっと、憧れていた姉のような存在が出来てジュードも嬉しいんだと思う。小さい頃甘えられなかった反動が今に来てて、ルドガーと名前の間に割り込むのは多分……お前に娘はやらん! じゃなくてルドガーに姉さんはやらん! っていう頑固オヤジならぬ融通の利かない弟みたいな心境からそんな行動しちゃってるんじゃないかな」
「……回りくどいけど、なんとなくは分かった」

あくまでなんとなく、だが。ジュードが名前という唯一甘えられる存在に執着しているのは重々理解したつもりだ。しかしそのお陰でまた新たな悩み種が増えた事も歴とした事実。
(……道のりが、遠く険しい)
思ったより厚い壁が立ちはだかっていた。
なんとか血は繋がっていないがシスコンを拗らせているらしい少年の目を掻い潜って名前と何処かに出掛けられないものかとルドガーは案を巡らすが、一計も浮かばず先行きは不透明。こういう駆け引き染みた事は苦手だ。一向に慣れない。
朝より一段と重くなった身体を引きずり、ひとまずこれから大急ぎの仕事が入ったらしいレイアと別れて夕暮れに染まったトリグラフ大通りを上の空で歩いていると、楽しそうな声がやけにルドガーの耳朶を打った。
──もう聞き慣れた声。顔を上げれば目線の先に居たのはルドガーの頭痛の元である名前とジュードが二人ならんで道並を歩んでいて。あ、と知れず声を洩らすと物言いたげな視線に気付いた名前も立ち尽くしたルドガーを見つけ、笑顔を浮かべた。

「ルドガー!」

……ああ、やはり彼女の笑顔は癒される。我ながら現金だとは思うが、惚れた欲目だろうか。名前に自分の名前を呼んでもらえるだけで軽く浮き足立つ。頬が綻ぶ。
きっと今の自分は緩み切った面を見せているだろうが、呼ばれた名前に片手を挙げ応えて、足を留めた二人の近くに歩み寄った。
それに倣って名前も間の距離を縮めようと自らルドガーの元へ近づいて来る。が、二人の間を阻むように影がさっと素早く彼女の前に滑り込んだ。
ピキッ、とその場に緊迫した空気が走る。

「やあルドガー。なんだか疲れた顔してるけど、もしかしてクエスト帰り?」

緩んでいた頬を引き攣らせたルドガーの前に立ちはだかるのはニコリと愛想良く微笑むジュード。こんな時まで余念を怠らない彼は抜け目ない。最早彼を出し抜いて名前と二人きりになりたい、なろうだなんて意気込みは夢のまた夢のように思えた。
いや、待て。たかがこの程度の障害で尻込みしては名前に情けない男だと思われてしまう。
ここは勇ましく、何事もなかったかのように振る舞うべきだとルドガーは自分を諌め、ひきつけを起こす頬をなんとか治め目の前の少年と同じように微笑んだ。
屈託無く、というのは無理だったが、名前に不審がられなければ及第点だ。
恐らく思惑を察したのであろうジュードは相手の出方を窺うように琥珀色の瞳を細めたが、特に言及することは無くルドガーをジッと見据えている。しかしその視線も後ろから肩を叩かれたことで間もなく逸らされた。

「名前?」
「ジュード、実は買い忘れたものが一つあったみたいで……」
「買い忘れ? ……何かあったっけ……」
「ライフボトルです。ほら、この間のアスカ戦で全て使い切ってしまったでしょう? 備えあれば憂いなしと言いますし、私が買ってきますのでジュードは先に宿へ戻っていてください」
「え!? 僕も行くよ!」
「その荷物でまた同じ道を引き返すのは変に注目を浴びてしまいます。買い物ならルドガーに付き合ってもらいますから、……ね?」

ちらっと意図を含んだような一瞥を名前から向けられ、願っても無いチャンスが巡ってきたルドガーは一も二もなく頷いた。それにジュードは不服そうな面持ちを浮かべたが、他ならぬ名前が大丈夫だと言っているのだ。不承不承といった風情だけれどしつこく食い下がる事は無くおとなしかった。
……正直、いつもと展開が違うことにルドガーは驚いた。常ならば彼女がどう言おうと粘って粘って最終的には説き伏せるのに。
今のジュードは母に叱られた後の子供のようにしゅんとしていた。その姿は可哀想ではあるが、自身が荷物を肩代わりして宿に行くという選択肢はルドガーには無い。生憎ながらそこまで人の好い行動が出来るほど彼女に関しての余裕は無いのだ。
二人きりで話したい。そう切な思いを馳せていた名前から行きましょうと促され、多少後ろ髪を引かれつつも道具屋への道のりを歩き始めた。

「……すみません、ジュードも悪気があって威嚇している訳では無いと思うんです」
「……いや。うん。悪気が無いのは分かってるよ。名前が大切だから、他の男を警戒してるんだなって事も」
「うーん……大切……そう、ですね。気遣ってくれている事は確かです」
「? ……もしかして、他にも何か理由が?」
「あなたは、敏い人ですね」

言葉を濁した名前になにやら意味があると感じ、問い返したルドガーに彼女は苦虫を噛み潰したような笑みでそう言った。皮肉のつもりは無く、ただ単に褒め言葉として名前は口にしたんだろう。とはいえ微妙な心境だ。
だって彼女の言うように自分が敏かったのならば、ユリウスが密かに暗躍していた事も、クラン社の構想も、どれか一つなんらかの異変に勘付くことくらいは可能だっただろうから。

「……一年ほど前、私もジュード達の旅に同行していたのは知ってますよね?」
「リーゼ・マクシアとこの世界……エレンピオスが断界殻という結界? のようなもので隔たれていたんだったよな」
「そうです。私達は前マクスウェルを討つ事でそれを破り、二つに分かれていた世界をまた一つに戻した。……でもその断界殻という存在すら知らなかった頃に、私とミラが大怪我をしたことがあって」
「!?」
「ミラは両足を、私は右腕を損傷し、幸い医療算譜術という治療法をジュードの父が知っていた為、激しい痛みを伴いながらですがかろうじて動かせるようにはなりました。けれどそれ以来、ジュードが異様に過保護になってしまって……」
「……そうか……それで、戦闘中も時々右腕を庇うような仕草をしてたんだな。それにジュードも名前とリンクする時、必ず右側に立つから何か意味があるのかとずっと不思議に思ってたんだ」

だがその怪我と、ジュードが名前に近づく男に注意している事になんの因果関係があるのだろう?
言外に滲んだ奥の意味まで悟ることは叶わず、神妙な面持ちで眉を寄せるルドガーの横顔に隣を歩いていた名前は相も変わらず苦い表情。
言うか言うまいか目を泳がせて暫し逡巡する素振りを見せたが、深呼吸したあと改まったように前を見据えた。

「ジュードが私に近づく男性に用心するのは、主にその後の事が原因かと思われます」
「……後?」
「……非常に情けないことなのですが、一度柄の良くない男性に因縁をつけられた事があるんです。ちょうど痛み止めの効果が切れ、引き千切られそうな痛みで身動きが出来ず……そのまま襲われそうなところでジュードが助けてくれて……安心したのか、ボロボロと年甲斐もなく泣いてしまったんです」

当時の事を思い出したのか、気恥ずかしそうに目線を斜め下に向けながら名前が過去を打ち明ける。襲われそうになった、という思いがけない言葉にルドガーは目を見開いて胸をざわつかせたが、こんな往来で問い質すなど出来るはずが無い。何より名前もあまり触れられたくはない記憶だろう。本来なら今すぐにでも彼女の肩を掴んで詰問したい衝動をグッと堪え、ルドガーは何を言うでも無くただ立ち止まって名前の頭を撫でた。
ようやく顔を上げた彼女と視線が交錯する。橙色の柔らかな光に照らされた面差しはとても優美で、互いが互いに目を奪われる。
──時さえ止まったような感覚だった。
大仰だと、そんなことは有り得ないと分かりきっている。しかし二人を纏う空気を端的に比喩するには、こんな気障な言葉が一番相応しいとさえルドガーは思った。
そのままスルスルと髪を滑って、手の平が夕陽で赤らんだ頬にたどり着く。
両手で頬を包めば僅かに身を強張らせた名前に彼は内心落胆しながら、唇に笑みを刻みかぶりを振った。

「もうあんなことはしない。だからそんなに警戒しないでくれ……ちょっと傷付く」
「え!? あ、ごめんなさい、そんなつもりは無かったんですけど……!」
「はは、分かってるよ。あの時は俺に非があったんだし……ごめんな」

あたふたと慌て始める名前を宥め、親指でそっと目尻を撫ぜる。その時のルドガーの微笑はこれまでに見た事がない程慈愛に満ち溢れたもので、真正面から直視してしまった名前はたちまち顔面に熱が集中していく。
そろそろ日も暮れるし行こうか、とルドガーの手が己から離れてしまった事が、なんだか無性に名残惜しく感じた。熱くなった頬に涼しい風が掠めていくのが唯一心地良くて、名前は居た堪れなさから再び視線を下に向ける。すると、視界に差し出された手の平。
それは紛れもなく先程自分の頬を包み込んでいたルドガーの手で。顔を上げれば、彼の優しげな微笑みが絶えずそこにあった。

「買い物が終わったら少し、遠回りして帰ろう。二人で話したい事が沢山あるんだ」
「──……は」
「ダメだよ。もうすぐ晩ご飯なんだから」

今良い雰囲気だったのに……!!
はい、と頷こうとした名前の返事を遮ったアルトボイスは、ついさっき別れた少年のもの。
道具屋は目と鼻の先。
海停にある宿屋からルドガー達が話していた場所まではそんなに距離も無いが、こんなに早く追いつけるものだろうか?
信じられないものでも見たかのような顔で固まるルドガーにジュードはニコリとしたり顔。どうやらあの荷物は途中で出会したアルヴィンに預けてきたらしく、また道を引き返してきたようだ。ガックリと青年が肩を落とし、その隣で彼女は苦笑を見せる。
道草を食うくらいなら晩ご飯を食え、と諭すジュードはまるで母親だ。
……いったいどちらが年上なのだろう。これではまだまだ先が思いやられる。

「……ジュード。俺は屈しないからな」
「望むところだよ」

とりあえずの宣戦布告。
どれだけの妨害を受けても決して敗けは認めないと頑とした姿勢で挑むことにする。彼女の隣に並べる日。その道のりは、長く険しい。
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