全身に鉛が乗ってるみたい。
重くて怠くて仕方なかった。
瞼も異常に熱くて、目に涙の膜が張って痛くて、吐き出す呼吸も苦しくて、なのに取り込む酸素は冷たくて寒さに震えた。
すると私の手を、布団をかい潜って遠慮がちに握る感触があって。この骨張った手は、いったい誰のだろう……?もしかして與儀かな。
私は意識が無くて分からなかったけど、恐らくベッドまで運んでくれたのも彼だろうし。

開けるのすら億劫な瞼を持ち上げて、一番に入った天井から視線を逸らすと、そこには信じられないことに花礫がいた。
目が合った瞬間に息を詰めて、動揺を決して悟られないように口を閉ざす。

なんで、なんで此処にいるの?
だって私、あんなに自分勝手に当たり散らして、勝手に腹を立てて逃げて。花礫に散々みっともないとこ晒しちゃって、見限られてもしょうがないこと仕出かしたのに。ばつが悪そうに顰めっ面を浮かべる花礫は、されど間を置いて「……大丈夫か?」と私の目を真っ直ぐに見つめてきた。それに私は引け目を感じつつも、かろうじてうん、と首肯する。重なっていた視線は、外して。

かなり気まずい沈黙。
永遠に続くんじゃないかと錯覚するような、長い長い時間だった。やがてそんな暗い雰囲気に耐えかねたのか、花礫の後ろに居たらしい人物が「ああっもう!」と声を張り上げて──與儀が涙目ながらに訴えてきた。

「二人してなんなの焦れったいっ! 花礫くんも意固地にならないで素直になって、名前ちゃんもきちんと自分の気持ちを花礫くんに白状すること! そんなんじゃホントに二人ともすれ違ったまんまだよ!?」
「二人の問題になんでお前が首突っ込んでくんだよ。別に俺らがどうこうしようがお前には関係ねーだろ」
「そ、れはそうだけど……。でも花礫くん、名前ちゃんは……!」
「與儀、いいから」

危うく要らぬことを口走りそうになった與儀を制して、横になったまま首を振る。
言わないで。
口には出さずとも目で静かに語りかければ私の心情を汲み取ったのか、與儀は納得いかないという顔をしつつも引き下がった。僅かに落ち込んだ様子に心苦しいとは思うが、言ったところで今の與儀のようにすげなく撥ねつけられたりでもしたら。
……やっぱり、たまらなく恐いよ。
こんなところでも二の足を踏んで口を噤む私を、花礫はただ黙って見つめていた。

「……それじゃ、俺はもう行くけど……名前ちゃんはゆっくり休んでね」
「ありがとう、與儀」

出来る限り微笑んで、後ろ髪引かれているように何度も振り返りながら部屋から退室する與儀を見送った。
再び訪れる静寂。
與儀のお陰で少しは空気が軽くなったかと思ったけど、居なくなったと同時にまたどんよりと纏わりつくような空間に苛まれた。
さながら真綿に首を絞められているよう。気道が狭まる感覚に、ひどく泣きそうになった。

「……っ、花礫ももう部屋に戻りなよ。私なら大丈夫だから」
「……」

しかし花礫は頷かなかった。
それどころか私の突き放すような言葉に気分を害したのか、表情はますます険しくなって、穏やかならぬ険難な雰囲気が醸し出される。
彼の何もかも見透かすような眼差しがなんだかとてつもなく怖くなってふと顔を逸らせば、相手が舌打ちする音が響く。
今まで握られていた手にありったけの力を込められて、骨が軋む痛みに顔を顰めた。

「った……、花礫いた、いよ」
「……與儀にはあんな風に笑っといて、俺にはろくに目も合わさずさっさと出てけって?」

花礫が嘲笑とも取れる笑みを落とし、ぎりっと歯を食いしばったあと、落ち着いた様子とは一変、力任せに勢い込むよう私の上にのし掛かってきた。ベッドのスプリングが二人分の体重を受けて耳障りな音を奏で、間近に迫る険悪な相に私の心臓も早鐘を撞く。
布団から引きずり出された手はうっすらと汗が滲んでいて、小刻みに震えるのは極度の緊張と不安からか、或いは熱のせいからか。どちらとも判別付かず身を堅くする私を、花礫はまるで射るように鋭く睨みつける。

「存在が邪魔? ……っざけんな、お前がそうやって俺を邪魔にしてんだろ! アイツには何でもかんでも打ち明けるクセに、俺には何一つ話さねぇで余所余所しくて、一歩どころか二歩も三歩も引いて。人を好き勝手振り回すのも大概にしろよ。そんなに與儀のことが好きなら、大事なんならもういっそ……っ、アイツんとこに行っちまえよ!」
「……な、によそれ、何それ!! 花礫だって私のことバカにしないでよ! いつも、いつも素っ気ない態度で邪険に扱って、どうでもいいように冷たく突き放して! 私のことを好きじゃないのは、本当に要らないのは花礫の方じゃ──」

今の今まで鬱勃と蓄積され、いよいよ爆発し解き放たれた不平不満は、だけど最後まで花礫に火の粉が降りかかることはなかった。

強く強く、抱きしめられる。
加減の知らない抱擁は肺を圧迫し、雁字搦めに身を締め付け、表には見えない心までも頑丈に拘束する。
首筋を掠める吐息は風邪なんて引いていない筈なのに、私よりも遥かに熱く感じて。
ポツポツと零された、張り詰めたような、切羽詰まった声色に、言葉に、胸が千々に張り裂けそうだった。

「……うそ。っ行くな、どこにも行くな……そばに、いろよ……」
「…………花礫、」
「好きだ……、何回言っても足んねーくらい好きだ……けどこんなこと簡単に言えっかよ! そんなポンポン簡単に口に出来るほど安いモンじゃねーし、軽い気持ちなんかでもねえ。なかなか言えないのは俺が素直じゃねえからってのも、……あるけど。それは自分でもよく分かってるし反省もしてる。だからまさか察しろなんて無茶なことは言わねーし、我慢しろとか無理強いする気もない。……だけど、忘れんな。これだけは嘘偽りなく本当だから」

「嫌いな奴をそばに置いとくほど、俺は我慢強くも寛容でもねえよ」……嗚呼、そうだ。いつだって、いつだってそうだったじゃないか。この人は手先は器用なくせに不器用で、愛情表現が下手で乏しくて、でも──真っ直ぐに他人を見つめる人だった。

あたかも木で鼻を括ったような突っ慳貪な言い方しかしてこなかったけど、私を見る眼は常に優しくて、凪いでいて。「愛しい」、って告げていた。
それを私は見ないフリしていて、目を逸らして自分だけ悲劇のヒロインを気取って、喚き散らして八つ当たりして。馬鹿は、どっちだったんだろうなんて。

絡まった糸が解けた途端に安心して、申し訳なくて……結局花礫の前でボロボロ泣いてしまった。身体を離した花礫は私の姿を見て困ったように苦笑して、「泣くな」と言いながら目尻に口づけてくれた。

「……っごめん。ごめん、ごめんね花礫……! ごめんなさい……!」
「……バカ、もう良いから。今回は互いに悪かったってことで痛み分けにしとこうぜ。お前熱あるんだし、もう休めよ。眠るまで、……寝てもそばにいてやるから」

そう言って、花礫も布団を剥いで中に潜り込んでくるなり私の隣に横になった。
再度ぎゅう、と、でも力加減をして優しく抱きすくめられる。目の前の胸から聞こえてくる少し早い鼓動に、そばで感じる息遣いに、ひとしおの安らぎと幸福を抱いて。瞳を、閉じた。

「不安にさせて、悪い……ちゃんと好きだから。良い夢みろよ」

……花礫。ごめん、ごめんね。
私も好きだよ、おやすみ。
額に触れた柔らかい感触に誘われるように、私は身に余る幸せを噛みしめながら眠りに堕ちた。

どれだけ飽きて飢えたとしても、新しく無上の愛を君は注いで、渇いた心を上塗りしてくれるから。
これから先も私たちは二人並んで歩いていける。そう、信じてる。
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