「前から思ってたけど花礫君と與儀君ってさ、あんたに対する態度が周りとは別人みたいに変わるよねー」
「…………え、そう?」

筆記用具を鞄に詰め、帰り支度を進めていた時に友達から放たれた思いがけない言葉。
今まで盛り上がっていた話題とはなんの脈絡も無かったゆえに、私は唐突に切り出された話に一瞬反応が遅れて、訝しげに小首を傾げた。

別人……別人?さすがにそこまで誇張して言うほど変わってはいないと思う。花礫は元から愛想も素っ気も無い一匹狼タイプだし、與儀君は持ち前のコミュニケーション能力の高さを生かして誰とでも分け隔てなく接しているし、二人とも私にだけ態度を豹変させるとかそんなことは無いと思うんだけど……。
うーん、と渋い顔をしながら難色を示す私に、前の席に座る彼女は頬杖を付きながらため息を吐き、「やっぱ自分じゃ気付かないモンか」と肩を竦めた。

「どっちもやけに名前に過保護ってーかさ、ちょっとベッタリし過ぎじゃない? いっくらあんたがドジで間抜けで天然ボケっていう三重苦抱えてても」
「待って私の扱い」
「なーんか腑に落ちないのよねえ」
「……花礫は幼馴染みだし、與儀君は同じクラスの好みとして仲良くしてくれてるだけでしょ。勘繰るような他意は無いと思うよ?」

ボロクソ言われて腑に落ちないのは此方の台詞だとは告げず、話の腰を折らないためにも出来る限り理性的に努めて受け答えした。
実際花礫も與儀君も、私と他の人とで話してる時の仕草とか一際目立った大差は無い。
與儀君はそういう、相手によって対応を変えるとか、いかにも人を差別するようなことは嫌いそうだし、花礫はそもそも面倒事や厄介事は疎んじてるから、積極的に自ら人の輪に混ざろうとはしないし。
私は幼馴染みだからまぁ、腐れ縁として何だかんだ言いつつも世話を焼いてくれてるんだろうなとかその程度。
だからあたかも私だけ二人に特別扱いされてるーみたいな見解を述べられても、ピンとは来ないのが本心で。

もしかしたら私が二人の私に対する接し方に慣れてしまって分からないだけで、端から見れば過剰に映るのかなあ。そうならば二人とも周囲にあらぬ誤解を受けて、私のせいで迷惑が掛かってるんじゃないだろうか。
しっくりしない心境のまま、悶々と頭を悩ませつつノートを鞄に入れた時、ふいに教室の扉が無遠慮に開かれる音がした。ズカズカと誰の目を憚ることなく入ってくる人物に「あ、」と思わず声が漏れて視線が重なる。吊りがちな黒い双眸は私を捉えるなりさらに鋭く細められて、気だるそうな足取りで近付いてきた。
噂をすればなんとやら、横で友達が微かに呟いて吹き出しそうになる。

「おら名前、帰んぞ。準備しろよ」
「ごめん花礫。私、今日はこの子と帰る約束してて、」
「…………へぇ?」
「……っ」

花礫が友達を一瞥すると、その子は何故か途端に顔面を蒼白にして、怯えるように肩を跳ねさせた。私が名前を呼べばハッと我に返ったような顔をしたあと苦い面持ちになって、「え、……っと、ごめんね名前。私先生に用事思い出したから先に帰ってて」と自分の鞄を手に教室を慌ただしく去っていった。
私が止める隙も無く、急にどうしたんだろうと一抹の不安が胸を過る。
側にいる花礫は相変わらず憮然とした表情で突っ立っていて、ひょっとしてこんな顔であの子を睨んだのかと思い至ったらそりゃあ逃げるわと合点がいった。

「せっかく綺麗な顔立ちしてるんだからもうちょっと愛嬌振る舞えば良いのに、勿体ない」

私が納得がいかないとばかりに眉を顰めて指摘すれば、花礫はより不機嫌そうに顔を歪めて「いったい何の為にンなメンドクセーことしなきゃなんねぇんだよ」とのたまった。そういうところが勿体ないって言ってるのに。
こりゃ一生治す気無いな、と諦念を持って机の中を漁る。花礫はじっと私を見ながら、何をすることも無くただ静かに待っていた。

「私一人でも帰れるのに。花礫もわざわざ離れた教室まで迎えに来るの楽じゃないでしょ?」
「……お前、この間までストーカーに遭ってただろうが。犯人まだ捕まってねぇんだし、ほとぼりが冷めたからってもう少し危機感持てよ」
「ハイハイ、ご忠告痛み入ります〜」
「殴んぞ」

本気の声音に慌ててごめん、と謝った。花礫の拳骨は冗談抜きで相当痛い。それだけは絶対に御免だと引け腰になりながら若干身構えれば、花礫は「ぶぁーか」とふと微笑ってデコピンしてきた。
「一人より二人っつーだろ。」
文句を言おうとした矢先に髪をくしゃりと掻き乱されて、おもむろに花礫の顔を見上げる。彼はそっぽを向いていたが、黒髪から覗く耳は僅かに赤く染まっていた。
……照れ屋さん。私も恥ずかしくなって誤魔化す為に茶化す口調でそう言えば、容赦無く頭蓋を鷲掴まれて指でギリギリと圧迫される。痛い痛いと切実に訴えても加減されることは無く、むしろ力は増していくばかり。

ほら、やっぱり友達の言ってたことは単なる勘違いで、そんなことはあり得ないと私の中で確証付けた。他の子と扱いが違うっていうんなら確かに違うね。花礫は周りに対しての接し方のほうがまだ優しさを感じる。私にはゼロだ。厳しい、厳しすぎる。鬼か。
なんて内心では悪態吐きつつ、花礫が私のことを心配してくれてるのは百も承知しているので、手を頭から振り払ったあと「ありがと」と素直にお礼を告げた。花礫は瞠目して「……別に」と再び照れ臭そうに顔を逸らす。そのまま話題を振り切るようにスタスタと歩き始めた背中に、私も鞄を肩にかけて後を追う。

すると教室の扉を抜けて横に曲がろうとした時、ろくに前を見ていなかったからか勢い良く誰かにぶつかってしまった。思いきり鼻を打って踏鞴を踏んだところ、すかさず転ばないようにと腰に回された腕のお陰でバランスを崩さずに済む。
「すみません……!」取るものとりあえず言って広がった視界は、眩い金の髪で満遍なく埋められた。予想より遥かに近かった明眸に胸がドキリとする。

「っとと。危ないよ名前ちゃん、ちゃんと前見て歩かないと〜」
「、ごっごめんね與儀君!」

事実危なかった。反射で顔を引かなかったら唇が触れ合ってしまいそうだった。
ただでさえ鼻先がくっつきそうで與儀君の息遣いを肌で直接感じてしまうほど今の私たちの距離は狭いのに。
家族以外の男の人にこんな、不可抗力とはいえ抱き締められた事なんて今まで生きてきた中で一度も経験が無くて、心臓がドキドキして仕方なくて、私はお礼を言ってあたふたと與儀君の腕の中から抜け出そうとした。
でも逞しい腕の力が緩むことはなく、私がもがけばもがくほど却って強くなっていく。後頭部に回った手により、細身だけどがっしりとした胸板に顔を押し付けさせられて、どうしようと混乱に陥った刹那。

横からグイ、ともの凄い力で腕を引っ張られて、肩が抜けるかと思った。さながらジェットコースターが急転直下するような衝撃に目を瞑り、重心を失ってぐらついたところをまた誰かに支えられる。
と言っても、私たちの周りに居たのは花礫くらいだ。
だから誰がこんな乱暴なことを行使したのかと犯人は言わずもがな明白で、私は不満を籠めた眼差しで頭一つ分高い横顔を見やる。けれど花礫はそんな私の視線なんて知らん振りで、私を背中に隠したまま、まるで威嚇するように與儀君を見据えた。

「テメェ……何でまだ居んだよ」
「名前ちゃん待ってたんだ〜。ホントはもっと早く声かけようと思ってたんだけど、友達と楽しそうに話してたから邪魔しちゃうのも悪いなぁって」
「あ……つくづくごめんね與儀君。そうとは気付かなくて」
「ううんっ、名前ちゃんが謝ることじゃないから。俺が勝手に待ってただけなんだし。それに名前ちゃん、この前までストーカー被害に遭ってたっていうじゃない? だから一緒に帰ることで、せめて用心棒として俺が力になれれば良いなーって」
「用心棒なら俺が居る。コイツはお前になんざ構ってもらわなくても心配いらねーんだよ」
「……そうかな? 何事も備えあれば憂いなしって言うし、注意深いに越したことは無いと思うけど……」

一人より二人、デショ?
與儀君が放った言葉に、花礫が醸し出していた険しい雰囲気はますます刺々しいものとなった。そんな幼馴染みとは相反して、與儀君は怯むような様子もなく、ただニコニコと朗らかに笑っている。
────恐い、と私はその時、何故かとてつもない恐怖心を二人に抱いた。
身の毛に伝わってくる緊迫感に息が詰まって、訳も分からないまま対峙する彼らの顔を交互に見る。敵意に満ちた花礫の表情。詳しくは心情を読み取れないけど、ほの暗く澱んだ與儀君のアメジストの瞳。

小刻みに震える手で花礫の制服の裾を掴もうとした時、遠くから友達が私を呼ぶ声がした。一様に意識がそちらに外れ、瞬く間に緊張の糸がほどけていく。
元通りに戻った空気に、私はホッと胸を撫で下ろした。「ちょっと行ってくるね」と踵を返して、立ち尽くす二人に背中を向けた。


  


「……ふふっ、名前ちゃん可愛いなぁ」
恍惚と熱に浮かされたような面持ちでポツリと呟いた男に、殊更苛立ちが増して聞こえよがしに舌を打った。
そんな色んな感情がごちゃ混ぜになった汚ェ眼でアイツを見るんじゃねえ。ヤメロ。
握った拳は胸クソ悪さを堪えるために小刻みに震えて、手のひらに食い込んだ爪は皮膚を裂く。

だらしなく弛みきったコイツの頬を殴りてえ。原型も留めないくらい、もう二度とアイツを目にすることなんか出来なくなるくらいに。けど俺が暴力沙汰を起こせば名前は悲しむから、泣いちまうから。
後先考えず激情に身を任せて、なんて思慮に欠けた行動に出る訳にはいかなかった。

「……力になれれば、とか良くもまぁしゃあしゃあと吐かせんな。散々アイツを泣かせた奴が」
「……酷いなぁ、花礫くん。俺は名前ちゃんの色んな顔が見たかっただけだよ」
「黙れよストーカー」
「そういう花礫くんこそ、やってることはほとんど俺と変わらないクセに。ううん、俺よりタチ悪いんじゃないかな?」

口を尖らせた與儀の言葉に、俺はふっと笑って鼻であしらった。

「────トーゼンだろ?」

幼馴染みっつー立場を利用しまくって、何がなんでもアイツの隣に居座った。
怪しまれないように、アイツにとって俺が側に居ることが当たり前になるように、少しずつ少しずつ時間を掛けて刷り込んでいった。
ストーカーであるコイツを放置してんのも、その方が名前は俺を信じてすがって来るから。

まあいったい何度閉じ込めちまった方が手っ取り早いとか気が急いたか。我慢に辛抱を重ねた結果、成果がコレだ。現に名前は俺を信用しきってて、真っ先に頼ってくるのも俺。何するにも先ず俺に声を掛けてくる。そうするよう全部俺が仕込んだんだから。

「名前には俺だけ居りゃいーんだよ」
「えー! ズルいよそれ。俺もその中に入れてよ〜」
「却下」
「じゃ名前ちゃんだけチョーダイ?」
「フザけんな」

目の前でヘラリと笑ったムカつくヤツの尻を蹴って踵を翻した。こんなヤツの相手をするだけ時間のムダだ。早く名前を迎えに行ってやんねーと。
だけど窓際に近付けば近付くほど徐々に大きくなっていく、アイツが楽しそうにはしゃいでる声。無邪気な笑顔が向けられてる先は俺も與儀も知らねー男。

「……ジャマだねえ。」
俺の斜め後ろを歩いてた與儀がいつになく低い声で囁く。俺はゆっくり、足音を殺して未だ会話に夢中になってる二人に近付いていった。


勝ってうれしい 花いちもんめ
負けてくやしい 花いちもんめ

あのこ が ほしい
あのこ じゃ わからん


相談しましょう?
────そうしましょう?


(ほぅら、逃道なんてないんだよ?)
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