@朔さんの場合
フロアのあちらこちらで響く下卑た笑い声、噎せ返るほどの化粧と香水の残り香。
あーあ、退屈だし窮屈だな。何より、例え務めの一環としてでも愛想よく振る舞うお嬢が気に食わないと、壁に寄りかかりながらシャンパンを一気に仰ぐ。隣から平門の咎めるような眼差しが突き刺さってるが我関せず、愛しい姿をグラス越しに覗いた。
若草色のアンサンブルドレス。薄いストールが珠のような肌を上手く隠していて、けれどチラチラと垣間見えるうなじに噛みつきたいと邪な思考が脳裏に過った。そんなことも露知れず、ひと通り挨拶回りを終えたお嬢が俺達の許に戻ってくる。疲弊の色が淡く滲んだ表情を見て、宥めるようにその滑らかな髪に指先を絡めた。

「……朔が飲んでるの、シャンパン?」
「そ。中々の代物だぜ?」
「ひとくち、」
「だーめだ。お子様にはまだ早い」

けち、と小さく呟かれた言葉に頬を弛めた。子供扱いするのも今だけ、大事に大事に大人の女として羽化するまで手塩に掛けて側にいてやる。だけど目覚めたなら遠慮はしない。絡めた髪を指先で弄って、俺は表情をいっさい消してつまらなさそうに広げられる宴を見つめるお嬢に言問いた。

「いいのか、本当にこれで」
「……仕方、ないでしょう」
「名前、俺はお前が望むんならいつだってお前を連れてどこまでも逃げてやる、攫ってやる。だから我慢するな、目を背けるな。思う存分我儘を言え。俺達は、俺はどんな願いでも受け止める」

そう、お前が俺に死ねと命じても、俺は甘んじてその願いを受け入れよう。隣にいた平門が目を見開いた。しかし構うことはない。刻一刻と迫る結婚式。猶予はもう残されていなかった。
「名前、」
──さあ、早く俺を選べ。お前の全てを、俺の全てを以てして愛してやるから。


@喰くんの場合
ポタ、ポタと断続的に落ちる滴。水気を含んで湿っている髪先はいつもの癖っ毛とは打って変わって真っ直ぐに伸ばされていた。
確かに色っぽくて欲をそそられるけど、そろそろいい加減乾かしてほしいなぁ。掃除するのは誰だと思っているんだか。僕じゃないけど。

「名前様。ちゃんと髪乾かさないと風邪引きますよ。夏風邪は馬鹿が引くものですからね」
「遠回しに貶してない?」
「あれ、お気付きになられましたか」

すみません、と思ってもいない上辺だけの謝罪を口にすれば不機嫌そうに歪められる眉。
そんな顔したって男を煽るだけなんですってば、分かります?

「喰が乾かして。こうも髪が長いと自分でやるのは面倒なの」
「……はいはい。畏まりましたお嬢様」

なんて、彼女の我儘な振舞いにも腹を立てず結局甘やかしてしまう僕もどうかしている。
ドライヤーのスイッチを入れて、細い髪先を痛めないように、注意を払って温風を当てていく。さらさらと指先の間からすり抜けていく黒髪からはシャンプーの薫りが漂ってきて、ことさら僕の中の加虐心を煽り立てた。
ああもう、無防備だなぁ。貴女を狙うケダモノはこんなにも近くにいるのに。せめて意趣返しとばかりに顕わになったうなじに歯を立てれば、慌てて振り向いた端正な顔立ち。ニヤリとほくそ笑み、丸くなった瞳へ向けてちょっとした挑発を。

「すみません、あまりにも美味しそうだったのでつい咬んじゃいました」

従順なだけじゃ収まらない。飼い犬に噛み付かれたご気分はいかがですか、お嬢様?


@燭さんの場合
外で交わされる雀の囀り、カーテンから洩れる暖かな陽射し。爽やかな朝の始まりを、しかし一つの怒声がぶち壊した。

「いい加減起きんかこの寝坊助!」
「いったい! 燭さん痛い!」

拳骨を食らった頭を押さえて涙で上半身を起こした名前を見て、やっと起きたかと鼻を鳴らした。全く、この娘はいちいち世話の焼ける。朝っぱらから無駄な体力を浪費させるなと吐き捨てたかった。渋々と起き始める主を片隅に捉えて、今日の服装をクローゼットから選び出した。黒のワンピースに合わせてヒールの低いミュール。寝癖で跳ねた髪に櫛を通し、外気に晒された素足にそれを履かせた。

「いつもありがとう、燭さん」
「ふん、お前の面倒をこうも甲斐甲斐しく見れるのは私しかいないからな」

そう、私だけに許された特権。
あどけなく眠る寝顔も、朝起きた時のまだ夢見心地な表情も、全部、私だけの。
何だかんだ文句を言いつつも、やぶさかではない。これだから朝欠かさず彼女の部屋に訪れるのを止められないんだ。例え、決してこの想いが報われることはないと知っていても。募るいとおしさから目を背けることは出来ない。だからただ、せめてそばに居ることだけは、
(ゆるしてほしい、なんて)(私は進むことを畏れる臆病者)


@黒白さんの場合
そう、それはさながら蠱惑的な麻薬のようにジワジワと彼女の中に根を拡げていくのだ。
白い真綿で包み、甘やかし、時に冷たく突き放し、私しか考えられないように思考回路を埋めていく。
ゆっくり、ゆっくりと、彼女自身が気付かない内に私という存在が小さな躯を蔓延っていく。そうして着実に依存させて、私から離れていこうなどと浅はかな愚考に辿り着かぬように。

「黒白……もっと……もっと頂戴……?」
「貴女が望むのならば、幾らでも」

陶然とした双眸にうっそりと笑い、赤い赤い唇を貪った。貴女から求められることの身に余る多幸感、背徳感が背筋をゾクゾクと駆け上がる。
ああ、ああ、なんて甘美な。
此れほどの高揚は二度と味わえたものじゃない。私は愛しい女性を腕の檻に閉じ込め、これからの未来に形を描いた。
さあ、どう飼い殺しにして差し上げようか。
ALICE+