「あなたは独りに慣れたんじゃない、独りしか知らないだけなのよ」
「……うるせぇよ、バーカ」


前に女に言われたことを思い出して、花礫はいっそ憎たらしいほど清々しく冴え亘る空を仰ぎ言葉を落とした。
いつもは口ごもってばっかのクセに、なんでああいう時に限って真っ直ぐと俺の核心を衝くようなこと言うんだか。だけど毅然とした口調は、凛とした佇まいは、今まで見たことが無いくらい綺麗だった。



吸血鬼花礫と人一倍怖がりな女の子。出逢いはなんともありきたりで、ハンターに追われ命からがら適当な屋敷に逃げ込んだところに屋敷の主である女の子と鉢合わせした。
女の子は臆病な癖にお節介で、お人好しで。
花礫が世に蔓延る吸血鬼だと分かっていながらほっとけないと、満身創痍で息をするのも精一杯な彼にその手を差し伸べた。

それから怪我が完治するまで暫くここに滞在するよう言い包められて。何で俺がこんな人間の女の言うことに従わなきゃなんないんだと、花礫は指図を受けるつもりは毛頭無かった。でも体はそんな意思とは相反して動かなくて、思い通りにはならなくて。
外にはハンターが徘徊している。この際だから利用出来るものは存分に利用しようと腹を括って、女の手厚い介抱に身を委ねた。

そうして日々を供に過ごしていく中で、女のことについて分かったことが幾つか。
ひとつ、

「……おい、」
「っひいい! が、花礫さん!? 後ろから突然話しかけないでくださいよびっくりするじゃないですか!」
「イヤお前がビビりすぎなだけだろ」

物凄く怖がりだということ。ひとつ、


「これは桔梗っていうんです。で、こっちがクレマチスで──」

花が好きだということ。ひとつ、


「……い、や、ひとりは、いや……」

苦しそうに魘されて、夜中にたったひとりで涙を流すこと。

声を圧し殺して泣く姿を見て、ああやっぱり人間は脆弱なんだと。ひとりじゃ何も出来ない、生きていけない。
俺は違う。ひとりで生き、誰の力も温もりも必要とせず、暗い世界を蠢く闇。

何だかその違いが腹立たしくて、漠然とした得体の知れない気持ちが無性に煩わしくて。腹が空いてるからこんな苛々するんだと、怪我の完治も近いことだし花礫は久しぶりに街に繰り出した。
適当な人間を引っかけて物影に連れ込んで、いつものように吸血しようとした。

──でも、今までにはない強い吐き気が襲いかかってきて。
不思議そうにこちらを窺う香水臭い女を気絶させて、仕方なく屋敷に戻った。




「……花礫さん、?」
「……テメェのせいだ」

全部全部お前の。
なんで他のヤツの血を吸おうとすると泣いてるお前の顔が浮かぶんだよ
ヤメロ泣くんじゃねえそんな顔で俺を見んな
なんで、なんでなんでなんで

なんで、お前みたいな人間に。


男は既に心奪われていた。
吸血鬼は好きになった人間が出来るとその者の血液しか受け付けなくなる。つまり、花礫にはこれから先もう女の血を吸うしか生きる術はなくて。
傷つけないよう力加減をしながら抱き寄せれば、鼻腔をくすぐったのは甘い甘い花の香り。堪らず露わになっていた首筋に牙を突き立てた。


「──あっ……!? が、れきさ……花礫さん、いや、止めてぇ……っ」


女が泣こうが暴れようが離せなかった。
いまだかつて味わったことのない極上な味に酔いしれて、夢中になって貪った。けれど次第に弱々しい嗚咽が耳朶を打って、ハッと我に返った花礫は女から離れた。
瞬間、崩れ落ちる華奢な体躯。透明な滴がぽたり、無機質な床に弾けて溶けた。


そうこうして二人の間に出来た溝、蟠り。
距離は離れて、話したとしても他人行儀な振る舞い方。好きだと気付いた途端自分が冒した愚かな過ちにより、こんなにも二人は遠く遠くかけ離れてしまった。


(……いや、ハナから遠い存在じゃねえか)
ふと、自嘲を落とした。


日に日に高まっていく吸血衝動。それでも他の血を得ようとすると吐き気がして、空腹は募っていくばかり。


ああ、俺もそろそろ死ぬかな。


死ということに恐怖はなかった。
けど心残りがあるとしたら、最後の最後まで怖がりの女の子を怯えさせてしまったこと。

謝れ、なかった、な。

やがて力が抜けてって、指先も動かなくなって、静かに目蓋を綴じた。──すると、


「──花礫さんの、っ馬鹿!!」
「……な、おまえ、なんで」
「そんなになるまで我慢して、痩せこけて! 無理矢理にでも吸ってくれてよかったのに! そしたら私もあなたのことを恨めたのに、憎めたのに!! どうしてそんな風に自分を押さえつけるんですか、私の意思を守ろうとするんですか! そんなやさしさ見せられたら、分かっちゃったら、抗うなんてできっこないのにぃ……っ!!」


目の前で泣きじゃくる女の言っている言葉の意味が分からなかった。


……なあ、お前怖がりなクセに、いっちょまえに強がってんじゃねーよ。
脚、震えてんぞ?
唇だって青ざめて、手だって固く握り締めすぎて皮が剥けちまってんじゃねーか。
止めとけよ、
いまならまだ、取消はきくから。


けれど願い虚しく眼差しは真剣で、いつか真っ向から見つめてきたあの時と同じように毅然と、凛と俺を見据えていて。

「……っ馬鹿か! いまの俺に吸えなんて、んなの自殺行為みてぇなモンだぞ分かってンのか!」
「そんなこととっくに分かってます、承知の上です! ……それに、ね、花礫さん」

私、今さら気付いたんです。
あなたがいつも、夜ひとりで泣いてる私を窓の外から見守ってくれていたこと。
ひとりぼっちにしないよう、出来る限りそばにいてくれたこと。
気付けば、あなたはいつもその手を私に伸ばしてくれていたこと。
あなたのさりげない、でも大きな優しさに、いつでも私は救われていたの。

だからね、今度は私が伸ばす番。




「……ほんっと、馬鹿だよな」

自分の腕の中で眠るように息を引き取った女はとてつもなく美しかった。
安らかで、穏やかで、もう何一つ怯えることはない。此処よりもずっとずうっと安全なところに旅立っていった。

天国なんて信じていない、神など以ての外。


──でももし、もしも一つだけ叶うならば。



「……お前、また泣いてんじゃねーの? ひとりは恐いーとかつって」

「相当怖がりだもんな、お前。そのくせ、時々生意気に反抗してきやがって、」

「どんだけひっぱたいたっけ……その度にお前は何するんですか! って涙目で睨み付けてきて、」

「……結局、大事なこと、は、伝え、らんなかったな。まあ良いか、また逢えたとき言えば」

「……おいバカ名前、そっちで他の男見つけてたら容赦しねーかんな」


「いま俺も、行くから」


また再び、巡り会える奇跡を。





@長い上に支離滅裂、中途半端。ついったで吸血鬼は恋をするとその相手の血しか飲めなくなる。その吸血衝動は日毎強まり、終いには血を吸い尽くし殺してしまう。しかし相手の血しか飲めない身体は変わらないゆえ、吸血鬼も餓死。相手を生かしたいなら吸血衝動を自分から耐え餓死しかない。(引用)というのを見て衝動的に。
桔梗の花言葉は変わらぬ愛、変わらぬ心で、これはこれでハッピーエンドだと私は思ってます。
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