実に唐突だが、花礫の前世は鬼か悪魔の化身に等しいものだったのでは無いかと推測する。
今でさえ凄んだり怒ったりした時の剣幕は比肩出来るくらい恐ろしいんだ、前世からの影響を色濃く残して産まれてきたと言うのなら妥当性もあるし合点もいく。
容赦や情け、という言葉はきっと母胎の中に置いてきてしまったに違いない。
冒頭から当人には内緒でこんな悪口みたいな事を仄めかすのは大変心苦しいし後ろめたいのだが、私も相当鬱憤が溜まっているため大概のことは寛容な気持ちで大目に見て欲しいと前述しておく。

────だって、花礫はいつも私に対して嫌がらせと言っても過言では無い、悪戯をしてくるんだ。
お願いだから止めてと懇願してもお構いなし、むしろ私の嫌がる顔を見ながら愉しんでるようにしか思えなくて、「なんでこんな事するの!?」と問い詰めても「さぁ?」なんて適当にはぐらかされるだけだった。
ちなみに、されたことの全容を話すと長くなるが、例として幾つか挙げるならば持ってきていたお弁当の中身を全部食べられていたり、自販機でコインを入れて目当ての飲み物のボタンを押す前に別の飲み物を選択されたり、比較的仲の良い男子の前で黒歴史を暴露されたりと幼稚なような陰湿なような悪質な悪戯である。油断した矢先を狙うから姑息極まりなかった。

他の女の子にはこんな事やれと言われても絶対やらないクセに何で私だけ。
そんな不満は私の中に鬱積していった。
決して泣き言や恨みつらみを言うワケでは無い。ただ私だって好きな人には女の子扱いしてほしいだけなのだ。……所詮片想いだけど。
でも、異性として意識されてないのなら当然恋愛対象にも含まれて無いだろうなってもう半分諦めてる。私の周りはツクモとかキイチとか可愛い子ばかりだし、もし花礫が歳上好き、なんて可能性があったらイヴァさんという強豪もいる。どう考えても平凡な私に勝ち目は無い。

ふー、と机に突っ伏して憂鬱な気分を持て余していると、なに辛気臭ェツラしてんだよと隣から野次が入る。
言わずもがな諸悪の根源である花礫だ。
無視を決め込んでボーッと前の席の椅子を眺めていると、「シカトすんな」とギリギリ頭蓋を鷲掴まれた。蟀谷と脳天を圧迫される痛みに「止めて!」と訴えれば渋々とした動きで手のひらが去っていく。

「、もー……ホントなんなの……」
「テメェがそんな重っ苦しい空気醸し出してんのが悪ィんだろ」
「だってやっと席替えしてあんたと離れられると思ったのに! なんっで无くん前に行っちゃったのよおおお」
「あいつチビだから仕方ねーだろうが」

そうなのである。今日は二ヶ月ぶりに待望の席替えをすると知らされていて、ようやく花礫の嫌がらせから逃れられると思って登校前から胸が弾んでいたのに、結局は最初隣同士になった无くんが黒板が見えないということで隊列の一番前だった花礫とチェンジして元通り。
せっかく私は窓際隅っこ最後尾という特等席をゲットしたのに、花礫が隣に再来したことで悪夢の日々は続くのかと思うと上がったテンションもガタ落ちである。

嬉しくないってワケでは、無いんだ。
どんなちょっかいを掛けられてもそれが嫌なことでも好きな相手と接点を持てるっていうのは喜ぶべきことだし。けれど、隣に居ると見たくなくても他の女の子と普通に話してたり触れられたりしてる花礫が目に入って……少し、ズキンと胸が痛む。
楽しそうだな、とか、女の子に対する気遣いみたいなものが言動の節々から感じ取れるというか。私にはそんなもの、これっぽっちも感じられないのに。
実感すると改めて私はそういう対象として眼中にも無いんだなって思い知らされる。
やっぱり私は花礫にとって暇つぶしとか都合の良いオモチャにしか過ぎないのかな。……あ、思い詰めてなんか虚しくなってきた。止めよ。

再び机に脱力して深く嘆息すれば、視界の端で花礫が眉を顰めたのがついと見えた。恐らく私のいじいじと思い悩む態度を見て苛ついてるか怪訝に思ってるのだろう。授業中真剣な花礫の横顔を盗み見れることは嬉しいけれど先のことを思うと複雑な心境。
まさか見抜かれるとは思っていないが、万が一ということもある。悟られまいと腕に顔を隠して探るような視線から避けて、どうしたらこの後ろ向きな気持ちを晴らすことが出来るんだろうと知恵を絞ればふと後頭部に乗った暖かな温もり。
そのまま労わるように撫でられてもしかして花礫? と思ったけどあいつがこんな優しいことを私にしてくれるわけが無い。なら誰が……と訝しんで顔を上げれば、空いていた前の席の主が愛想の良い笑顔をニコニコと浮かべてこちらを見ていた。

「名前ちゃんどうしたの〜? なんか席替えしてから元気無いねえ」
「……與儀くんーーっ!!」
「わっ、なに!? どしたのっ?」

私の今現在、唯一の心の拠り所である救世主様が降臨なさった。
感極まって思わず與儀くんの首に抱きつけばアワアワと焦りながらも背中に回される逞しい腕。しかもポンポンと宥めるように背中を叩いてくれて、ああ、落ち着く。
やっぱり與儀くん至上の癒し。どっかのゴーグル野郎とは天地の差だ。

この菩薩のような優しさと包容力を模範にしたまえと強調すれば、しかし花礫は鼻であしらった。
「包容力? タッパだけは無駄にあるからそう有るように見えるだけだろ」と何ともまあ與儀くんを侮辱するような事をいけしゃあしゃあと吐かす。
與儀くんもあからさまにショックを受けた顔で「ヒドイよ花礫くん!」と抗議を挙げるがこれまた相手にされず、私と似たような扱いだった。親近感。
うう、と沈んだ與儀くんと傷の舐め合いをするようによしよしと頭を撫でながら柔らかい金髪に頬擦りすれば、なにやら隣から刺さるんじゃないかってくらいの物騒な目線をひしひしと肌身に感じて一瞥する。

……見て、後悔した。花礫がどう料理してくれようかコイツらみたいな目でこっちを睨んでいる。ただでさえ泣く子も黙るほどの目付きの悪さなのに、あまつさえスッゴい不機嫌ですって纏う雰囲気が教えてくれるから。
いや不機嫌どころの話じゃないな、殿は立腹されている。般若が居た。何でかは分からないけど。

「……人の気も知らねぇで……」
「っが、がが花礫くん何か言った?」
「お前には言ってねーよ」
「ひっ」
「名前、来い」
「私っ?!」

まさかのお呼び出しだった。もうこれ私人生詰んだんじゃないかな。「授業がもう直ぐ始まるよ」とかろうじて言い逃れようとしてもサボんぞ、と有無を言わさず連行され、與儀くんの哀れみに満ちた眼差しで見送られながら教室を出て二階ほど階段を登る。

そうして着いた先は、私が危惧していたような体育館裏とか倉庫では無くなんの変哲もない殺風景な屋上だった。本来なら立ち入りは禁じられているが、生憎鍵が壊れているため自由に出入りする生徒は少なくない。もちろん先生には内密で。
花礫も今回のように授業サボったりする時など、此処でよく昼寝したり読書したりとわりかし頻繁に活用しているらしいが、私は来るのは初めてだった。
意外と綺麗なその場所を見て感嘆の息を零し、花礫に腕を引かれながら辺りを見渡す。すると挙動不審な私を見兼ねたのか、花礫が溜め息を吐きながら都会に来た田舎モンみたいな反応すんじゃねーよと釘を差した。

「……田舎者で悪かったわね……」
「比喩でいちいちヘソ曲げてンじゃねェよめんどくせーな……おら、そこで座って待ってろ」

ボロクソに言われてムッと顔を顰めれば、花礫は言葉通り面倒そうに頭を掻いて来た道を戻った。
何処に行くの? と慌てて問いかければ飲み物買ってくる、の一言だけ。

とりあえず手持ち無沙汰なまま指定された屋上の片隅に腰を下ろして、フェンス越しから一望出来る街並みの景色を広く見下ろした。少し埃くさいけれど、風が心地いい。ちょうど階段を登ってる時にチャイムが鳴ったこともあって私以外に人っ子一人居ないし、なんだか屋上を悠々と独占してるみたいだ。
憂鬱だった気分もみるみる晴れていく。ひょっとして花礫は覇気の無かった私を気遣ってここに連れて来てくれたのだろうか。だとしたら照れ臭いけれどちゃんとお礼を言わなければならない。……尤も、私が若干悲観的だったのはその花礫の所為でもあるんだけど。

すると性懲りも無く意気消沈してフェンスに項垂れた私の頬に、突如として前触れもなしに襲った冷たい感触。
誰も居ない筈なのにもしかして幽霊!? と心臓を跳ねさせながらも弾かれたように振り向けば、缶ジュースを手に持った花礫が底意地悪い笑みを浮かべていて、犯人の姿を認識したと同時にドッと疲れがやって来た。

どうやら私の懸念と警戒は取り越し苦労にしか過ぎなかったようだ、恨めしげに目をやれば花礫は相変わらず歯牙にも掛けずダルそうに私の隣に腰掛けた。
プシュッ。缶を開けると炭酸の抜ける音が耳朶を打つ。花礫は無難に炭酸飲料を選択したようだった。
一方、私のはというと──

「ココアって……」
「お子様味覚のお前にはピッタリだろ」
「私がそんなに甘いものは好きじゃないって知ってて買って来たでしょ」
「そうだっけ? 忘れた」

間違いない、確信犯だ。その証拠に花礫の片頬は楽しそうに上がっている。
いくら缶で隠そうたって私の目は誤魔化せない。けれど奢ってもらった分際であれこれ文句を言うのも失礼だ。大人しく諦めて蓋を開け、熱すぎずぬる過ぎず適した温度のそれを一口嚥下すると甘ったるい味が舌の根まで染み渡る。自分で作ったココアなら砂糖の量も調節出来るし好きなのだけれど、自販機やコンビニなんかで売ってるココアは甘過ぎて苦手だ。

不可抗力でうぐ、と頬を引き攣らせば、缶の半分ほどまで飲み切ったらしい花礫が私の顰めっ面を見て変なカオと吹き出した。
やはり甘いものは得意じゃないんだから仕方ないじゃないと不貞腐れれば、花礫は暫し思案顔をした後おもむろに私の手の中に収まっていたペットボトルを抜き取る。
あ、と呆気に取られた隙、なんと花礫は平然とした自然な動作で私が口付けていたココアを飲んで。あんぐりと絶句するしか、無かった。

「──なっ、ななな!」
「……ン。確かにゲロ甘だな、コレ」
「ちょっ、まっ、なぁっ!?」
「……なに奇声発してんの?」
「だだだって! それっ……私も飲んで、っ」
「ああ……間接キス?」

これくらいで動揺するとか。なんて花礫は飄々としているけれど私にとっては一大事。まさかあの花礫と間接キスを果たす日が来るなんて夢にも思っていなかった。
だって花礫はなんとなく高潔って感じがするし、無闇やたらに女の子とはそういう接触はしなさそうだったし。……あれ、でもそうなるとホントに私は異性として見られてないって線が濃厚になってくるのかな。

そうだよね。花礫もこれくらい、って言ってたし深い意味は無く、信用できる″友達″なら普通で────やば、涙が出そう。
自分で自分の地雷踏んでなにやってんだろ。しゃんとしろ、名前。今の顔が花礫にバレたらきっと私が花礫のことを好きなんだってことも纏めて勘付かれてしまうかもしれない。そしたら私達の関係も一巻の終わりだ。

急いで花礫から目を逸らして明るいことを考えようと懸命に意識を外せば、されど強引に顎を掴まれて強制的に目線を花礫に戻された。これまで見たことの無い真剣な表情に締め付けられていた胸は殊更苦しみを増して、ますます顔の火照りが強くなる。

「……すげーカオ真っ赤」
「っ……そ、んなの、」
「な。間接だけじゃ無くてこのまま実際にしてみる?」
「なに、……を?」
「キス」

すぅ、と形をなぞるように唇を滑っていく親指に息を飲んで、近づいて来る花礫の端正な顔立ちに私は為す術もなく固まった。
花礫の目を直視することは敵わず、視線だけを彷徨わせて戸惑いを露わにすればふいに見えた花礫の喉仏がこくりと上下した。唾でも飲んだのだろうか。お互いの唇が重なる手前で接近していた顔は止まり、恐る恐る焦点を合わせれば目の前の口角はニヤリと歪む。

「とびっきり深いの、したらさぞかしこんな甘さじゃ済まねーんだろうな……」
「ふ、ざけ……からかってんなら……」
「本気だっつったら?」

舌を絡めて、唾液さえも混ぜ合わせて。ココアの甘さを二人で堪能するように。
花礫の口から発せられた生々しい言葉に私の思考回路は卒倒寸前だった。
冗談で言ってるならば「からかうなバカ!」とでも注意して花礫を突き放すなり何なり躱すことは可能だが、相手は本気だと伝えてくる。

どうしよう、どうすれば。
生まれてこのかたこんな状況に陥ったことのない私にとって今の状況はまさに絶体絶命だった。誰か助けて。
再び迫ってくる整った唇。覚悟を決めて私もぎゅっと目を閉じれば、けれど想像していた感触は一向に訪れず代わりに鼻を摘ままれた。驚いて瞳を開けば花礫は悪戯が成功したやんちゃ坊主みたいにニィッと笑って。

「ぶぁーーーか。誰がするかよ」
「……、まっまさか、また騙して……!?」
「今のアホ面、今後のネタの為に撮っときゃ良かったな。チッ、失敗した」
「〜〜っ花礫のばか! 豆腐の角におでこぶつけて怪我してしまえ!!」

複雑な乙女心を弄ばれた気分だった。捨てゼリフよろしく吐き捨てて、私は涙ながらに屋上を後にする。今は授業中だから流石にそんな中教室に踏み込むほど勇敢では無い。終わるまでどこかで時間を潰そうと溢れて来た涙を拭いながら階段を降りる。

だから知らなかったの。
私が駆け足で去った後、真っ赤な顔で花礫が頭を抱えながら一人悶々としていた、なんて。

「…………っぶねー……。マジでやらかすとこだった……あんな顔反則だろ……」

ぽつり、花礫が零した愚痴は風に紛れて消えた。
ただ残ったのは、空になった缶ジュースと二人が口付けたココアのみ。
この少年もまた多感な思春期だったということを、既に居なくなってしまった少女は知る由もない。
ALICE+