「ぅ?」
「ちょっとヤダ何この子有り得ないくらい可愛いんだけど」

もはや誰でも良い、誰でも構わないからこの不可解で非現実的な現状をまるっと分かりやすく説明してくれないか。出来れば簡潔に、三十字以内で。

花礫が困惑するのも無理はあるまい。
彼が「面白いものが見れるからおいでよ」と厭に喜色満面の笑みを湛えた喰に連れられ、憩いの場である食堂にやってきた時には既に今の混沌とした絵面が成り立っていたのだから。
名前そっくり、というかよもや瓜二つと言っても概ね過言ではない小さな女の子をイヴァが有らん限りの力で抱き締めている。
腕の中で「やー」と険しい面持ちを見せる少女は施される締め付けが苦しいのかもぞもぞと身じろいでおり、気付いたツクモが慌てて少女を抱き締めたきり震えて動こうとしないイヴァを諫めて引き離した。

「……なに、あれ?」訝しげに花礫が呟く。
名前に妹が居たなんて話は訊いたことが無い。ならあの少女は一体何者なんだと首を捻れば隣に並んだ與儀から「あれねー、実は名前本人みたいなんだ」と信じられない爆弾が落とされた。
「ハァ?」と知れず間の抜けた声が付いて出たのは致し方ないだろう。だってそんな突然幼児化だなんて荒唐無稽な話、易々と受け入れろという方が無理がある。
(……そうか、ひょっとしてこれは相当タチの悪い白昼夢か)試しに與儀の頭を渾身の力でひっぱたいてみた。
「いたっ! ちょ、花礫くん何!?」──どうやら夢でなければ冗談でも錯覚でも無いようだった。

「可愛いだろ、名前」
「朔……何でアンタが此処に居んだよ」
「相変わらずつれねーこと言うなって。なぁ、平門?」
「この馬鹿が土産にと買ってきたロクでもない薬を名前が飲んで、というか飲まされてああなったんだ」

心底疲れ果てたとばかりに深々と嘆息を零した平門の一方でトラブルメーカー、もとい諸悪の根源である朔はけらけらと笑っていた。

「だって幼児化だぜ? 興味もそそられるだろ」
「下らない、そんな信憑性の欠片もない胡散臭い物に手を出したお前の気が知れないな」
「けどさ、信憑性云々は置いといてドンピシャだったろ。実際ちっちゃくなっちまってるし」
「……」

ま、違法性は無いし、一日経てば元に戻るらしいから可愛い名前を堪能しとくのも悪くねーんじゃね?
ああ言えばこう言う。
依然悩ましげに頭を抱える平門を楽観して言い包めた朔はパチンとウィンクを一つ投げた。即座に花礫が鳥肌を立ててドン引きしたのは言うまでもない。

さておき肝心の名前はというと、今や貳組の闘員プラスおまけの間で可哀想な事に揉みくちゃになっていた。
舌っ足らずな口調で誰かの名を呼ぶ度ある者は顔を真っ赤に染め、ある者は自前のカメラで連写をし、またある者は込み上げる猛烈な衝動を堪える為に身悶えしながら壁を殴る。
いつも以上にてんやわんやと盛り上がってる場の空気に上手く馴染めず、馴染もうともせず、花礫はもう勝手にやってろと全てを放り出して壁に寄りかかった。

「……お前は混ざらないのか?」

朔が手土産にと持ってきた面倒事は吹っ切ったのか、もしくは諦めて順応することを選んだのか。今はひどく愉しげに口許に弧を描く平門を一瞥する。
「テメェこそ」
視線を屈託無く笑う名前に戻して突っ慳貪にそう返せば、「俺は後からイヴァに写真を焼き増ししてもらうからな」と耳を疑うとんでもない言葉が跳ね返ってきた。
何だかんだ言いつつこの男も今の状況を満喫している、事前の根回しは抜け目なくしっかりと固められていた。

「名前、ほらこっちおいで」
「…………じき……、やっ!」
「ぶっ、喰振られてやんの」
「……五月蝿いですよ。朔さんこそ最近名前に殆ど相手にされてないくせに」
「おま、それは言わないお約束だろ!」
「名前、おいで」
「ん!」

例え小さくなっても記憶は残っているのか、喰の呼び掛けには渋い顔して応じずともツクモの声には満面の笑みで応えて広げられた胸の中に飛び込んでいった。子供の無邪気さとは時に残酷な刃と化すことがある。喰の場合、普段からの彼女に対する行いが仇となった。

少女がツクモの腕に抱かれた瞬間、断続的なシャッター音と眩いフラッシュが何度も焚かれる。これもわざわざ口にせずとも犯人は分かりきっているので割愛。
(誰かまともな奴はいねぇのか……)
そう花礫が辟易と呆れかえるも皆の馴致能力は抜群、状況に対する適応力はさすが輪と言えるものだった。
すると暫くキョロキョロと視線を彷徨わせていた名前と目が合い、見る見るうちに子供特有の柔らかいほっぺたが綻んでいく。

「がれき、く!」
小さな手の平が己に向かって一生懸命伸ばされる。自然と高鳴った鼓動はときめいたからじゃない、断じて。
ただ見つかるとは思わなかったから咄嗟に驚いただけなんだと花礫は誰に訊かれる訳でもなく必死に自分に言い聞かせた。

そして一斉に浴びせられる羨望や嫉妬の眼差し。そして巻き起こる舌打ちの嵐。
顔を引き攣らせた喰が「名前、花礫君はほら子供苦手みたいだし……」と法螺を吹いて自分に気を引こうとするが、またもや「や!」と首を逸らされ蟀谷に青筋を立てた。無様だな、平門が傍らでほくそ笑む。

花礫くん、花礫くん。
いつもとは遠くかけ離れた拙い呼び方、高い声。けれど決して聞いていて不愉快になるものじゃない。
渋々壁から離れた花礫はツクモから名前を受け取り、己の腕でそっと優しく抱き上げた。その際、苛立たしげに足踏みする喰に不敵に微笑むことを忘れずに。

「……名前の手、あったかくてふわふわしてるね」
「ガキの体温なんざこんなもんだろ。固かったらむしろ不気味だって」
「がれ、く!」
「あーハイハイ、ここにいるから何回も呼ぶなうぜえ」

嬉しそうに首に纏わりついてくる小さな子供を、しかし素っ気ない言葉とは裏腹にあやすよう軽く背を叩いた。
ポン、ポン。
緩い振動が心地良いのか、徐々にトロンと微睡んでいく名前の双眸。意外と重みのある頭を花礫の肩に預け、やがて安らかな寝息を立て始めた。普段の破天荒さはどこへやら、あどけなく眠る姿はまさに天使そのもの。
細々と震えていたイヴァが我慢しきれずとうとう声を張り上げた。

「〜〜っちょっと花礫! 一人だけ独占なんて狡いわよ、あたしにも名前寄越しなさい!」
「は? ヤダね」
「えー! じゃあ花礫くん、俺は?」
「もっと却下」
「少しは迷って!! 俺にも情けを!! 慈悲を!!」

こっぴどく與儀を切り捨てた即答は清々しいほどのものだった。どいつもこいつも集りやがって、内心花礫は悪態吐く。
未だ穴が空きそうなほど羨ましそうにこちらを見つめる男に、「それ以上見たら金取るかんな」と牽制して脅し、腕の中で喧騒そっちのけに眠る子供を隠すようにそっぽを向いた。ああっ! と非難の声が飛んでくるが知らんこっちゃない、こんな所でも無意識に花礫の独占欲は発揮されていた。

「しかし、そうしているとまるで兄妹のようだな」
「違うだろー? こいつら曲がりなりにも恋人なんだし……そうだなぁ、名前と花礫の間に子供が出来たらこんな感じなんじゃね?」
「んなっ、!」

アホか! とあっけらかんと笑う朔にがなり立てるところだったが危うく寸でで抑えた。こんな至近距離で大声を上げたら折角すやすやと気持ちよさそうに眠っている名前の安眠を妨害してしまう。
業を煮やし「ああ、成る程」と納得する大人組を睨み付けることしか出来ず花礫は悔しげに歯噛みしたが、そんな尖った神経を静めたのは腕の中でヘラリと笑った少女の顔だった。

……ああ駄目だ、結局適わない。
ああだこうだ言いつつも所詮自分も名前には甘いのだと身を持って実感する。確かに喰の言うとおり子供の扱いは何を考えてるか分からないため得意では無いが、名前なら、名前との子供なら別に悪くないとさえ思えた。
そんな思考に耽りながら子供の柔い頭を遠慮がちに撫でていると、何やらニヤニヤと突き刺さる不快な視線をひしひしと肌で感じて眉根を寄せる。どうやったってこの大人達は人の挙げてない足を掬い上げてでも弄り倒して遊びたいらしい。とんだ厄介種だと舌を打つ。

「いまちょっと想像したろー?」
「してない」
「まあまあ花礫、正直に暴露しておいた方が身のためだぞ?」
「ナニ考えてんだテメェら……」
「べっつにぃ? こんな可愛いんなら早く名前の子供の顔が拝みてぇなぁって思っただけ」
「それは同感だな」

ニヤニヤ、ニヤニヤ。
纏わりつく視線がうざったい。
嫉視、羨望、微笑、揶揄。多種多様な視線が少女を抱く花礫に躊躇いなく投げられる。
安心する温もりの中で眠りこける子供は知る由もない、少年vsその他大勢が目線で火花を散らす光景など。
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