@无くんの場合
 そばにいるとあったかくて、胸がドキドキして、時々目がいたくなるほど熱くなって、それでもそばにいたいと思う人がいる。

「名前、あったかい」
「ふふ、无はいつもそればっか」

 頭をさらりと撫でてくれるやさしい手のひらが心地いい。あったかい陽射しにあったかいぬくもり。しあわせって、こういうことなのかなぁ? と小首を傾げた。
 ほんとうはね、名前のことは呼び捨てで呼んじゃいけないんだって。
 名前は行き場のなかった俺達を拾ってくれたご主人だからって。でもいまいちよく分からなかった俺に、「好きなように呼んで良いわよ」って名前はわらってくれた。
 その笑顔がだいすきになった。名前の声もこのぬくもりも、ぜんぶぜんぶ、だいすきになった。名前が花礫とかにわらってる姿をみるともやもやして、胸がくるしくていたかった。
 やだ、やだやだやだやだ。名前が花礫にとられちゃう。そんなのやだ。
 思い出して、また胸がくるしくなって、名前のお腹に顔を埋めた。
 …やっぱり、あったかい。

「无は甘えんぼね」
「…名前だけ、だよ?」

 この思いは、ダメなんだって喰くんは言ってた。お嬢様に恋することは禁忌なんだって。…よく、わからないけど。
 この気持ちがゆるされるためには、俺はどうしたらいいんだろう? 名前がすきって気持ちだけは、だれにも負けないのに。

「名前、」
「んー?」
「名前、名前」
「なぁに?」

 だいすきだよ。だいすきだから、どうかずっと俺のそばにいて。


@花礫くんの場合
「こら花礫! また私のシュークリーム食べたでしょ!」
「しらねーよ」
「嘘を吐きなさい嘘をっ。しっかり目撃情報もあるんだからね!」
「ハ? 誰だよ」
「與儀」
「…ち、あいつか」

 (次会ったらシメる)。文句を捲したてる女をハイハイと一蹴しながら内心呟いた。
 すると屋敷のどこかで誰かが盛大にくしゃみする音が響く。奇遇だな、再会の時は思ったよりも近いみたいだ。
 どう懲らしめてやろうか。ほくそ笑みながら思案していると、頭一つ分ほど低い位置から視線がグサグサと突き刺さる。言わずもがな名前だろう。嘆息を落として渋々と目線をそちらに向ければ、案の定、拗ねた顔つきの女がそこにいた。

「花礫からは私に対する誠意ってものが全く伝わってこない」
「はいはいこれで良いですかオジョーサマ」
「…相変わらず生意気なんだから」

 誰がいうかよ、お前との差を顕著として現す敬称なんて。
 ムッとして顔を顰める女の頬を悪戯に引っ張る。到底主に対する扱いだとは思えないがこれで良い。俺は主従関係だなんて一括りの枠にいつまでも収まってやる気は更々ないのだから。
 掟破り? ──上等。いつか必ず、こんな狭い鳥籠の中から攫ってやる。だからそれまでは、まだ俺の主のままで。

「奪われんなよ」
「?」

 ずっと、誰にも汚されないお前のままで。


@與儀くんの場合
「さ、三十八度…! お嬢様、大丈夫!? 寒くない!? あ、喉とか渇いてるんじゃ…俺、水とか持ってきますね!」
「大丈夫だから…水も平門から貰ったし、もう薬も飲んだから與儀は少し落ち着いて。病人である私より執事の貴方が慌ててどうするの」

 お嬢様の言葉も尤もだと落ち込んだ。
 そっか、さすが平門さん仕事早いなあ。だからお嬢様からも頼りにされてるんだろうな、と思案して再び落ち込む。自分を追い詰めてなにやってるんだろう、俺。
 お嬢様の顔を見ると、白い陶器のような肌は赤く色付き、整った唇から零れる吐息は普段よりも苦しげで、酷く胸が締め付けられた。変われるものなら変わってあげたい。
 恐る恐る頬に手を這わすと、俺の低い体温が火照った体には調度良いのか「もっと、」とすり寄ってきた。思いもよらず顔が熱くなる。

「ああああの、お嬢様?」
「ん…與儀の手きもちい…、」
「(うわああああ!!)」

 とんだ藪蛇だった。
 ねえ、いいのお嬢様。俺バカだから、こんなことされたら期待しちゃうよ。自惚れちゃうよ。だから、だから理性がまだ保っていられる内にその頬を(はやくはなして、)(やっぱりはなれないで、)。
 ドクドクと脈打つ鼓動。いっそ邪魔な皮膚を突き破って心臓を取り出し君に見せれば、俺のこのありったけの想いも伝わるのかな。

「…お嬢様、」

 好きだよ、大好き。
 もっと成長して、堂々と君の隣に立てるような男になったら。いつか俺だけのお嬢様として、貴方を迎えに行ってもいいですか?


@平門さんの場合
 小さな手を差し伸べられたその時から、俺の心はずっと貴女だけの為に。
 蝶よ花よと大事に見守ってきた。いつ如何なる時だろうと側に寄り添った。彼女の婚約者からは邪険に扱われているが、知ったこっちゃない。俺程度の障害で離れていくならこっちのモノだと高を括る。
 気高く聡明で、謙虚な俺のお姫様。

「そんなに無防備な姿を晒されると、一口で食べてしまいますよ?」
「…ん、」

 全く、困った方だ。あれだけ眠いならちゃんと寝台の上で寝るように再三申し上げたのに。
 芝生の上で本を抱えるようにして呑気に夢路を辿っている主の姿に、呆れ混じりの溜め息を吐く。こうなったら完全に頭が冴えるまで梃子でも動かない。致し方ないと小さな痩躯を横抱きし、緩慢と立ち上がる。すると振動が多少なりとも伝わったのか、ふるりと戦慄く艶やかな睫毛。おや、と瞳を丸くし歩みを止めれば、おもむろに細い腕が俺の首に回された。

「や…ここがいいの…」
「風邪を召されますよ? この間のように苦しい思いはしたくないでしょう」
「平門がこうしてくっついてくれてたら大丈夫よ、きっと」
「…ったく、」

 本当に、狡い方だ貴女は。
 俺が断れないことを知っていて、強請るように見上げてくるのだから。
 仕方なしにとお嬢様を腕に抱いたまま身近にあったベンチに腰を下ろし、膝の上で依然横抱きになったままの彼女は甘えるように俺の肩口に顔を埋める。無防備過ぎるにも程がある。
 これは再教育しなければならない由々しき問題だと思考を巡らし、彼女が瞳を閉じたのを気配で察して頭を撫でた。

「──あまり隙を見せられると、冗談抜きで襲うぞ」

 その際ドロドロに甘やかして、もう二度と俺から離れることが出来ないように。
 外堀は埋めた、地盤は完璧。
 あとは君を手に入れるだけ。でも今は、(この寝顔を心行くまで堪能するのも、また)

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