────名前、


「……り、ヴァ、?」


まだ寝惚けてんのか?


「……な、で、だって、あなたはもう」


その様子じゃ当たりだな。俺が何だって?


「もう、二度とあえない、はずじゃ」


……何ふざけた事吐かしてやがる。此処に居るだろうが、俺も、お前も。


「………ゆめを、みていた………?」


そりゃ、さぞかし笑えねぇ夢なんだろうな。


「ええ、本当に……私が半身を巨人に喰われて、死に際に、あなたと話して、それで、……?」


……寝ろ、名前。もう一度寝れば、そんな悪夢も綺麗サッパリ忘れるだろ。


「………」


果たして悪夢、だったのだろうか。

確かに自分の死に様を夢にまで見るなんて笑えない冗談だ。その上正夢になんてなってしまったらもっと洒落にならない。私たちが生きる世界はいつだって残酷だから、あの夢の光景が現実になりえる事は全くあり得ない話では無いのだけれど。

石が浮かんで木の葉が沈む。
何てったって私たちは、国にとってその場凌ぎの使い捨ての駒にしか過ぎないのだから。


でも、だけれど。
────あの夢は、



「……いやなことばかりでは、なかった」


………。


「死んで、また、戦わなきゃならなかったけど、でも、あの子たちがいたから、私、は」


眠れ、名前。
それは全部、所詮仮初めの夢でしかねえ。……だがお前がそう云うんなら、せめて今だけは、




幸せな夢を看て、眠れ。

……犠牲になるだけの消耗品。死んだって国から名誉の戦死とは讃えられず、あまつさえ作戦が失敗し、何の武勲も挙げられなければ国民に役立たずがと蔑まれる。これからもそんな忸怩たる想いに苛まれつつも屈辱を堪え、亡くなった部下達の無念を背負い巨人と戦わなければならない。

けれど今だけは、と。
何もかも全て忘却の彼方へ置いて休めと、他でもない彼が赦してくれたから。


額に触れた、かさついた唇。
束の間の安らぎに身を委ねて、目を閉じた。



@與儀の場合
「……あれ、料理長?」

俺が昼間うっかり置き忘れた文献を取りに談話室へ足を運んだら、そこには奇しくもあんまり馴染みの無い先客が居た。ソファーの背もたれの影からチラリと覗いた髪は我ら貳組の母(のような存在)のものであり、こんな時間帯に料理長がこんなとこに居るなんて珍しいな〜と思いつつ、名前を呼んでもサッパリ返事が返ってこないことに更に不思議がりながらゆっくりと近付く。力なく横たわっている身体は俺よりもずっとずっと小さくて。ソファーの側にしゃがんで顔を隠してる疎らな髪を耳にかけて退けてあげると、俺は目に入った料理長の表情にびっくりして固まった。え、……えっ?どうして、

「……なんで、泣いてるの……?」 

何か嫌なことがあった?ひょっとして機嫌の悪い平門サンにでもいびられた?ううん、料理長はそんな理由で泣くような人じゃない。むしろそんなことをされた日には平門サンと料理長の全面戦争が艇内で勃発するだろう。じゃあなんで泣いてるのって訊かれたら、俺もよく分かんないけど……。いつもは毅然としていて滅多に弱る姿なんか周囲に晒さない料理長の涙を見て、俺はどうするべきか途方に暮れていた。……どうしよう、起こした方が良いのかな。もしくはそっとしておいた方が良いのかな。けど泣いてる料理長をこんな誰一人居ない寂しいとこに一人ぼっちにして放ってなんかおけないよ。歳上だしこれでも先輩だから俺達に弱いとこは見せたくないって意地を張る料理長からすれば余計なお節介かもしれないし迷惑かもしれないけど、俺だったら置いてかれるのはヤダ。なにより俺が料理長の傍に居たいから。だから、(よし、)意を決して料理長の肩に手を掛けた。──だけど俺が肩を揺さぶって起こす前に、料理長は眉を顰めて眩しそうに目蓋を開けた。涙で潤んだ瞳は暫しボーッと天井を見つめ、今の状況を咀嚼するように瞬きを一つ。「……ああ、やっぱり……」ポツリ、まるで何かを悟ったような声音で呟いた料理長の言葉に眉を寄せた。

「名前さん……?」
「……與儀? どうしたんです、こんな所で」
「俺は文献取りに…。名前さんこそブランケットも掛けずにソファーで寝ちゃったりしたら風邪引いちゃうよ」
「大丈夫ですよ、そんなヤワな身体じゃありませんから」
「女の子なのは違いないでしょ。もうちょっと危機感持って」
「……」

流石にこの歳で女の子って言われるのは……。微妙な心境だと言わんばかりに苦笑いする料理長は、気だるげにのそりと上体を起こした。動いた拍子に、本人の意志とは関係なくポロポロと料理長のほっぺを流れてく雫。俺はまたびっくりして、でも俺より料理長の方が遥かに驚いてて、拭いても拭いても引っきりなしに湧いてくる涙に戸惑いが隠せていないみたいだった。止まらないと分かると料理長は途端に苦虫を噛み潰したかのような険しい顔つきになって、慌てて俺から目を背ける。

「…っやだ、見ないでください」
「………俺だってやだ。見る」
「與儀、」
「ねえ料理長。どんなに歳をとっても、どんなに強い人でも、無性に泣きたくなる時ってあるよ」

泣くのって、恥ずかしいことじゃない。そう俺に教えてくれたのは貴女なんだよ、名前さん。「涙にはたくさんの種類があるんだ」って。嬉しかったり、辛かったり苦しかったりすると自然と涙っていうのは想いの結晶として目から産まれてくるものなんだって。哀しい涙もあれば、幸せな気持ちでつい溢れてしまう涙もある。俺が涙を流す時は半々のことが多くて花礫くんや姐さんに呆れられることが殆どだけど、でも泣くのって決して悪いコトじゃない。泣くことで時には何よりも自分の感情をハッキリと相手に伝えることが出来るんだ。喜びも感動も、苦しみも寂しさも、全部。ただ料理長が流す涙にはどんな意味が込められてるのか。俺じゃとても計り知れないけれど、名前さんが何かに縛られて苦しんでるのは分かるよ。

「……漲る男子の心意気!!」
「、え?」
「ハート高鳴るキラメキ王子っ!! 国家防衛機関『輪』第貳號艇闘員與儀、及び皆のスーパーヒーローニャンペローナは今夜貴女だけの騎士になります!!」
「………ハァ?」

あれ、思ったより冷やかな反応だった。料理長ってたまに花礫くん並みに口調が悪くなることがある。今だって若干ナニ言ってんだコイツ、みたいな声色だった。普段こそ物腰柔らかくて丁寧な話し方だから崩れた挙げ句棘が含まれると恐さが倍増。しかしここで怖じ気づいたらキラメキ王子としての面目が立たない。うっと怯む声が出てきそうな口を噤み、俺は床に膝をつけたまま苦々しく笑って親指の腹で料理長の目尻を拭った。

「…えーっと。もしかしたら俺じゃあ役不足かもしんないけど…けどっ!大事な名前さんの為なら一肌も二肌も脱ぐよ!!」
「そう言って本当に服まで一緒に脱ごうとしないでください」
「う………ゴメンナサイ…」
「……ふふ、なんてね。ありがとう、與儀。皆のヒーローを独占出来るなんて私は果報者だわ」

落ち込んで項垂れたところ、予想外の言葉に意表を突かれてばっと顔を上げた。名前さんはいつものような穏やかな微笑みで跪く俺を見下ろしている。目元は赤くなっちゃってるけど、もうその目から涙は溢れてなくて。嬉しくなって、ほっとして。だらしなくほっぺが緩んだまま、俺は料理長の身体に抱き着いた。仕方ないとばかりに名前さんが肩を竦めて、抱き着く俺の背中を優しくポンポンと叩いたり撫でたりしてくれる。…あったかいなあ、やっぱりお母さんみたいだ。幼い頃の記憶は朧気であまり覚えてないけど、本当の俺の母さんもこんな風に温かかったのかな。としみじみ物思いに耽る。──だけど『輪』としての今の俺には、俺たちには名前さんっていう日だまりのように包んでくれる存在がいるから。

「明日の夕飯は與儀の好きな物作ってあげる」
「ッホント!?」
「ええ。だから任務頑張ってらっしゃい」
「もちろん!」

おかえりなさい、ご飯ですよ。辛い葬送任務から艇に戻ると掛けられる名前さんのその言葉を聞くと、ああ、家に帰ってきたんだなあって心から感じる。今の俺の帰る家はここで、守りたい居場所も、ここで。誰一人として失いたくない、大切な大切な俺の宝物。みんな笑顔で、輪を繋いで。輪には当然名前さんも必要不可欠なんだよ。だからどうかずっとそうやって笑っていてね。もし我慢しきれなくて泣いちゃった時は、また俺がすっ飛んで行って貴女を笑わせるから。名前さんの綻んだ頬には、もう涙の跡は残ってなかった。


@无の場合
「、料理長…? どうしたの、どこかいたい? くるしい? 俺っ、平門さん呼んでくる……っ!」
「待って!! 大丈夫…大丈夫ですから」

完全に失念していた。私が居眠りをしていた此処は闘員の誰もが訪れてもおかしくない食堂で、それは保護対象としてこの艇で預かっている少年達もまた同様だった。无君はみっともなく涙を溢す私を見るなり綺麗な紅い瞳を真ん丸くしてパタパタと駆け寄ってくる。私のせいで曇った表情は、けれどハッと閃いたような顔になって。出された名前に平静を取り乱しながら引き留めた。滅多に出さない大声に无君が怯えたように肩を跳ねさせたのを見て、私は唇を噛むことで歯がゆい思いをぐっと耐える。────違う、何をやっているんだ私は。怖がらせたかったワケじゃないのに、こんな、余裕が無いからって人に、ましてや純粋な子供に当たるような真似をするなんて。このような有り様じゃ朔にも平門にも大人げないなんて自分のことを棚に上げて言えないじゃないか。

「……びっくりさせてごめんなさい、无君。私はどこも痛くありませんから誰かを呼ばなくても大丈夫ですよ」
「……、でも、料理長……くるしそう……」
「目にゴミが入っちゃって、なかなか取れなくて苦戦してたので……」
「本当に、痛くない?」

半信半疑、といった様子で恐る恐る訊ねてくる无君に苦笑いを浮かべた。この子はニジとしての聴覚が飛び抜けて発達しているし、何より人の機微に敏感だから、きっと下手に平常心を繕おうとすればする程ボロが出るだろう。しかし目にゴミが入った、だなんて我ながら辻褄合わせの苦しい言い逃れだとつくづく呆れ返る。相手が无君だからまだしも、他の人間だったら確実に嘘だと見抜かれていただろう。與儀や花礫君だったら容赦なく詰問されていたろうなと考えると背筋が凍りつくようだ。ある意味見られたのが无君で良かったと安堵するべきか。依然と狼狽えた様子で私の顔色を窺う少年の頭を、今度こそ怖がらせないようにそっと優しく撫でた。それでも浮かない无君の表情に首を捻り、どうしたんです?と問い掛ける。

「……花礫みたいに、もやもやしてる」
「…………え?」
「今は、前よりしてないけど…花礫も、カラスナに行った時からずっともやもやしてた。今の料理長も、おんなじ」
「……、」

思いもよらず絶句してしまった。…この子は、本当に敏い。頭脳知識としての云々ではなく他人の感情や、起伏といったものを察して鋭く急所を突いてくる。子供の純粋かつ率直な言葉は、時に私たちのように本心を隠す狡い大人の肺腑を的確に抉る。前言撤回。无君もやはり見過ごしてはくれなかった。穢れを知らない澄んだ瞳が私の胸の内を暴こうと真っ直ぐに貫いてくる。(…この子も、ここに来た時より大分強くなりましたね)もう何も知らない、無垢な子供のままじゃないんだと凛と私を射抜く視線にそう実感して、観念したように目蓋を伏せた。

「……夢の中で、小さい頃からずっと逢いたかった人に逢えたんです」
「……? 逢えたのに、嬉しくないの?」
「そうですね……。どうせ夢で終わって、またあの人と別れてしまうなら、……いっそそんな夢は最初から見たくなかった」

なんて、卑屈な考えなのだろう。逢いたくて逢いたくて、ようやく逢えてとてつもなく幸福で満たされていたのに、儚い夢から目覚めて現実に戻るとスゥッと身体の芯から冷えきっていく感覚。所詮仮初めの夢だと、リヴァイが言っていた言葉が脳裏で甦る。幸せな夢など見たって現実に還ったとき空しくなるだけだ。見るものじゃない。ふと自嘲紛いの笑みを落とした、その時。ぽふりと頭の上に柔らかな手のひらの感触がして、ぎこちない手つきで撫でられる。

「俺、いつも料理長にこうしてもらえると元気出る。だから、與儀に教えてもらったおまじないと一緒にすればもっと元気出る?」
「……无、?」
「いたいのいたいの、飛んでけーっ」

無邪気な笑顔で笑いかけられて、あまつさえ少し雑に髪をくしゃくしゃに乱されて。止めなさいと窘めるべきなんだろうが、如何せん私は思いの外脆く弱っていたようだ。この子の邪気ない優しさが、身に染みて。おもむろに目頭が熱くなった。再び性懲りもなくポロポロと溢れてきた涙を見て无君が更に戸惑ったようにあたふたと慌てる。「料理長、まだいたい?おまじない効かない?」心配そうに問いながら私の双眸から流れ落ちる涙を拭う。その小さな子供の手を取って、頬をすり寄せながら私は今出来る限りの精一杯の笑顔を浮かべた。

「……无君、ありがとう。効果覿面です」
「……う、うん?」
「元気出ましたよってことです」
「! なら、よかった!」

俺、料理長の笑った顔すき!勢いよく抱き着いてくるなりそんなことを言った少年に私も笑った。……そうね、でも私が届かない淡い懸想に打ちひしがれてもまたこうして笑うことが出来るのは、あなた達が居るからなの。あなた達が笑っているからなの。だからどうか、私だけじゃなく。あなた達が幸せそうな顔をしてくれていたら他に望むことはないから。ずっとそうやって笑っていてね。
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