*キチガイ染みたお話
*シャボン玉の解釈はご自由に
*読んでからの苦情は受け付けません



シャボン玉  とんだ

屋根まで とんだ
屋根まで とんで


こわれて 消えた



────ジャラ、と酷く耳障りな音が耳朶を打つ。長いこと上に吊るされ挙げ続けた両腕は血液の循環が悪くなり、徐々に痺れて今はもはや感覚すら薄れて危うい。
いっそ殺せ、止むに止まれぬ苛立ちを持て余しながら名前は唇を噛み締めた。

この薄暗い廃墟のような部屋に閉じ込められてから幾ほどの時間が経過したのだろうか。時計も無ければまともな生活家具も無い。あるのは硬い石壁と綵祢の手足の自由を縛る頑丈な鎖だけで、後は天井に近いところに心許ないランプが一つ。外の景色や空気といったものは一切遮断されている。

まるで監獄のようだ、と名前は思った。否、此処に閉じ込めた主犯の男からすれば自分は敵なのだから、監獄という例えもあながち過言ではない。
ならば私は死刑を待つ受刑者か。それならそれで良い。ただでさえ火不火に対し分が悪い輪がこれ以上劣勢となる前に、一思いに殺された方が。もしも生かされ拷問に掛けられたとしても情報を流す気は毛ほども無いが、万が一ということもある。如何なる手段を行使してきて洗脳でもされる前に自分で命を断つか────(……いや、)考えて、止めた。自分の心臓は平門に捧げている。その平門が死ねと言わない限り名前は、死ねない。もちろん意外と情に厚い彼がそんなこと命令する筈も無いと分かりきっているが。

ふ、と名前が瞳を伏せて失笑した時、今まで憎たらしく睨み付けていた扉が開かれる音がした。外の光が射し込み眩さに目を細めたのも束の間、入ってきた人物を捉えて名前の眼差しには再び殺意の籠った険しさが宿る。
男は露骨に警戒心を剥き出しにする名前の姿を滑稽だと口角を歪め、クツクツと喉の奥で笑いを噛み殺した。


「ご無沙汰していましたね、名前。手足を奪われ不利な状況でもその威勢の良さは相変わらずご健在のようで何よりです」

「貴方こそ、自分で捕まえた格好のエサを長いこと放置なんて良いご趣味を。精神的にじわじわと甚振るのがお好みで?」

「一人だと色々な憶測や考えを廻らせてしまうでしょう? 退屈は人を殺すと言いますし、そろそろ程好く熟れた頃かと思いまして」

「まあ。それはそれは随分と勝算性に欠けたお遊びをしてらっしゃるのね」

「そうやって強気な発言が出来るのも今の内だけでしょう。それで貴女の気が紛れるのならば精々お好きなだけどうぞ」

「 お心遣い感謝するわ」

「……ふ、本当につれない方だ。ところで、私の想いは信じて頂けましたか?」

「まだそんな戯言を?」

「…………残念です」


皮肉に皮肉の応酬。
相手の問い掛けを嘲笑しながら鼻であしらえば、されど男、黒白は告げた言葉とは裏腹に嬉しそうに微笑んだ。

名前がこの部屋に捕らわれ、意識が覚めて一番に目にしたのは黒白だった。
買い出しの途中に謀られた犯行。必要なものをあらかた揃えて艇に戻ろうと踵を翻した時物陰の側でしゃがみこんでいた老婦が視界に入り、どうしたんだろうかと何気無しに近付いたのが運の尽き。
まさか親切が仇となるなんて、この時の名前は思いもしていなかったのだ。

何故私を。
自分は貳號艇の料理長であって正式なレギュラー、つまりは闘員として扱われることなんて滅多に無い。所詮『予備』でしかない自分が持つ情報量なんて高が知れていて、的外れも良いところだと疑問は尽きなかった。それでもツクモや與儀といった他の闘員が狙われなくて良かったと、せめて一つだけ見出だした不幸中の幸いに安堵したが。

そして目の前の敵である男は言った。「貴女が欲しかった」と。他でもない、名前自身を手に入れたかったのだとのたまった。恍惚と熱に浮かされたような表情で名前の頬を撫でた黒白に、名前は嫌な予感と共に背筋を走った寒気に戦いた──瞬間、気道が狭まる苦しみ。
鎖に繋がれているせいで抵抗も儘ならず、首を絞める手を引き剥がすことさえ敵わず、引き攣る名前の顔を見て黒白は愉しそうに微笑んでいた。そう、今のように。


「輪の連中は血眼になって貴女の捜索に奔走しているようですよ。大変彼らに愛されているようじゃありませんか」

「……なんてことを。情よりも理を優先するべきだと分かっているでしょうに」

「それほど名前が大事なのでしょう。嬉しくないんですか?」

「少なくとも、己の使命を見失ってまで下らないことに時間を割くなと言ってやりたいくらいには立腹してますね」

「その言い方だと貴女は見棄てられることを望んでいると受け取りますが」

「一より十でしょう」


……成る程ね、と黒白は瞳を綴じた。
たった一人の為に十を、十以上の人員を費やすのは得策ではない。ましてや名前は燭のようにSSSといった特別な立場では無いのだ。そんなことをしてる間にも、能力者はどんどん数を増やして世を蔓延っている。だったら捜索に当たる人間をそちらに回して葬送に徹した方が被害も少ないと、名前は苦い思いに駆られていた。
平門だってそんなこと百も承知の筈。どうして信じて待っていてくれないのだと、いやそもそも自分が慢心しなければこんなことにはと今更のやるせなさに苛まれた。

名前が苦虫を噛み潰したかの表情をする一方で、黒白は暫し彼女の様子を物思いに眺めた後おもむろに自身の懐を探って小瓶を取り出し口に含んだ。ゆっくりと近付いてくる端正な顔立ち。隠された意図に気付いて名前が咄嗟に顔を横へ背ければ、けれど顎を掴まれて無理矢理引き寄せられる。

強引に重なった唇。名前が頑なに閉ざした唇も顎に添えられた指によって抉じ開けられ、水とは違い少し粘りけのある液体を飲ませられる。そのまま縦横無尽に口内を蹂躙される不快感に眉を顰め、いい加減我慢の限界がはち切れた名前は好き勝手に暴れる舌を千切ろうとせんばかりに渾身の力で噛んだ。
反射的に飛び退く相手の身体。舌に出来た傷口から止め処なく溢れてくる血が黒白の口端から零れ、それを拭いつつ男は息を切らしながらせせら笑う名前を睥睨した。


「気安く触れないでくれるかしら。ゲスが伝染るわ。虫酸が走る」

「…気位の高い女王のようですね。それが貴女の本性ですか」

「だったら何? あなたこそ仕事用の口調はそろそろお止しになって尻尾を出したら?」

「……やれやれ、折角優しくして差し上げていたのに」


どうやら姫は酷くされるのをご所望で。
そう言うなり黒白は今までの物腰柔らかな雰囲気とは打って変わって剣呑とした空気を身に纏い、構える名前の首をいつかと同じようにきつく締め上げた。

苦悶に染まる女の表情を一目見て、黒白はやはり陶酔したような息を落としうっとりと眦を窄めて見遣る。


「…ああ、思った通り貴女は痛みに歪んだ貌が一番美しい」

「……っ、な、にを、っざけた、こ」

「名前、貴女は愛されすぎている。愛されすぎて、普通に愛を囁いただけでは貴女には本気が伝わらない。だから私は貴女を連れ去った。あの胸糞悪い輪の連中から、反吐が出るほど憎々しいあの男の許から攫った。だがどれほどの時間をかけて献身的な愛を注いでも徒労に終わるだけで貴女は一向に自分の信念を曲げようとはしない。私を受け入れようとはしない。……だから私は考えました。だったら痛みを与えれば良い、と」

「、…っぐ」

「痛みや恐怖というものは、人間にとって何よりも根強く記憶するものでしょう? それは名前、貴女のように意志が硬い剛直な人間でも変わらない。仮に貴女が此処から脱出することが出来たとして、私から離れてしまっても一度植え付けられた記憶から徹底に私のことを排除するのは到底不可能。一生消えない傷を身体に付ければ、貴女はずっと私と一緒も同然。愛を囁くだけなんて生温い行為じゃ、貴女に想いは届かないと悟ったんです」


素晴らしい幸福だ、と男は夢心地で呟いた。無論貴女を手離す気は更々ありませんが、などと釘を差して。

何故敵である自分に黒白がそこまで執心するのか。名前には意味が分からなかった。この男と自分の接点など無い。かろうじて煙の館でイヴァやツクモと並んで黒白と対峙した、ただそれだけ。
けれど黒白は名前を知っていた。輪に関わる者として?
最初はそうだった。敵として向き合ったその時、揺るぎ無い毅然とした眼差しに目を奪われた。凛としつつも、奥に澱んだ『影』を秘めた双眸。視線が交錯して、駆け巡る血が沸騰しているかのように全身が熱くなった。

手に入れたい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいほしいホシイ。

貪欲に求めた。脇目も振らず、屈折した愛情に翻弄されるがまま油断していた名前に食指を伸ばした。
敵同士?そんなもの、名前を捕らえた今になっては取るに足らないこと。名前はもうあの艇になど戻れないのだからそんな事実も形を成さない。念願叶って欲しいモノを掌中に納めた男は、苦しげに足掻く名前の姿に満足げに口角を吊り上げた。

限界を見計らって首を解放すれば、一気に肺に雪崩れ込んだ酸素に名前が咳き込む。
辛そうな彼女を気遣う様子も見せず、黒白は錆びた鉄の味を舌の上で転がしながら「そうですね……」と目を細めた。


「貴女の意地がどこまで保つか、苦痛を施して徐々に崩していくのも一興があって胸が弾みますが、恥辱に耐える貴女の姿も見たい」

「……っ外道が」

「子を孕ませ、流させれば女性としての傷も深くなりますよね。しかし私との愛の結晶を無闇に殺してしまうのも勿体無い」

「……冗談。あなたとの子供を腹に宿して産むくらいなら、例え平門との誓いを破ることになったとしても私は自分の舌を噛み千切って死んでやるわ」

「ならば、そんなことはさせないようにするだけです」


黒白がそう言った途端、名前は心臓の脈動が激しくなるのを感じた。身体の至る所に冷や汗が滲み、整えた筈の呼吸は乱れ、視界も朦朧として肩が戦慄く。
効いてきましたね、ポツリと溢された言葉に先程飲ませられた液体が何らかの効果をもたらしている事に気付いて、何を盛ったの、と名前が力なく訊ねた。

にこり、一見愛想の良い笑顔を浮かべて相手が笑う。嗤う。


「ご安心を、ただの痺れ薬です」

「…っまさか、痺れ薬がこんな、」

「ええ、少々量を誤ってしまいまして…効果がやや強めに効いてしまったようですが大きな害はありません」


とっくに害は出ているとは言えず、名前は脳をも揺らす酷い目眩に酔った。次第に黒白の声も遠くなって、途切れ途切れの自分の息だけが耳に聞こえる。


「抗わず、心行くまでお休みください。次目覚めた時には楽になっていますから」


「―――よい夢を、名前」

黒白の手のひらに埋め尽くされた視界。襲い来る眠気に、名前が抗う術は無く。
意識は闇へと沈んでいった。

(リヴァイ、………ひら、 、)

焦がれた温もりは、もう傍にはなかった。




@ただ単に黒白さんのヤンデレが書きたかっただけ。子供の遊びの歌って意味を理解すると案外えげつないものが多いですよね。花一匁も子供の人身売買の歌で、かごめかごめは確か流産した(させられた?)女性が恨みを綴った話とか諸説あり。
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