「惚れました。私と付き合ってください」
「…………ハァ?」

 第一印象はサイアクだった。

 この女は一体何ふざけた事を抜かしてるんだと、初対面を果たした翌日に挨拶代わりとして突拍子もなく発された言葉に思わず胡乱気な声が洩れた。
 だってそうだろう。顔見知りや何らかの接点があったなら兎も角、フツー会って間もない人間に告白するなんて常軌を逸した行為じゃないか。
 相手にするのも馬鹿馬鹿しいと、その時は一切取り付く島も与えないで一蹴した。

 けれども女は決して倦(う)むことなく、愚直に、熱心に、ひたむきに少年へ向けて想いを水のように注ぎ続けた。他を顧みることなく、脇目も振らず、一本槍で自分を歯牙にもかけない花礫に届かない手を伸ばし続けた。
 そんなにも花礫に執心する理由は何だったのだろうか、そもそもたかだか一目惚れでそこまで本気になれるものなのか。
 ある日うんざりと彼女を睥睨しながら訊いたことがある。自分の何処が好きなのかと。そしたら名前は特徴的なヘラリとした笑い方で、

「確かに最初は花礫くんの外見だけを見てビビっと来たけど、でもそれだけじゃなかったんだよ」
「どういう意味だよ」
「ごくたまーに見せてくれる優しさとか、実は面倒見が良いところとか、内に秘めた芯の強さとか、私は初対面の時から全部感じ取ってたってことかね!」
「……アホくさ、」
「あ、その顔は信じてないな。本当なんだからね!」

 得意気にふんぞり返る名前をハイハイと膠もなく切り捨てて、花礫は時間の無駄だったと落胆して踵を返した。
 優しくした覚えなんて無い。
 優しい自分なんて想像しただけで虫唾が走ると身を震わせれば、キョトンと丸くなる瞳。何を言ってるんだと問いたげな眼差しに寧ろお前が何なんだと視線で問い質せば、心底嬉しそうに弛む頬。
 こいつさては相当なマゾかと花礫は内心引いていたが、名前の口から切って落とされた爆弾に再びモヤモヤとした情動に心を燻らせる事となった。

「だって花礫くん、何だかんだ言いながらこうして最後までちゃんと話訊いてくれてるじゃない? 充分やさしいよ。だから好き、大好き」

(……誰にでも言ってるクセに)
 暢気に傍らで笑う名前を鼻であしらった。
 自分から訊ねてるつもりなんて毛の先ほどもない。他愛ない話だって涼しい顔して聞き流しているし、面倒だからと相槌を打つこともない。一方的に話して満足して去っていくのはいつだって彼女だ。
 それを優しさなどと履き違えられて勘違いされるのは花礫にとって甚だ迷惑なだけで、自分を好き放題美化して付き纏うのはヤメてくれと少年はほとほと呆れ果てていた。
 しかし、いつからだろうか。
 追われる側が、いつしか追いかける側になっていたのは。

 今になって全部気付いたんだ。
 表では散々憎まれ口を叩きつつも、目線は常に彼女の去り際の背中を追っていたこと。直ぐ至近距離に並ぶ柔い肌に、ふと食指を伸ばしかけたこと。
 何もかも見えないフリ。囁きかける聲に耳を塞いで頑丈な蓋をし鍵を掛けて、これらの行動に適当な理由を付けては己を正当化していた。
 気になっているワケじゃない。
 背中を見つめているのもアイツが早くどっかに行ってくれないかと考えていただけで、指を伸ばしたのだって今にも触れそうな距離が煩わしく感じて、咄嗟に振り払おうとしたから。
 そう、それだけなんだ。

 ……それだけ、なんだよ。
(本当は違うと判っているのに)

 想いはとうに自身すら誤魔化しきれないところまで知らない内に肥大していた。
 彼女が不慮の事故をきっかけとし記憶を失って、自分だけ誰と言われて、一つとて跡形も遺さず過去に葬られて。好きだと、あの澄んだ透明な声で紡がれた想いすら、無情にも遙か彼方に追いやられた。
 どれだけ悔やんでも悔やみきれず、失ったものは戻らない。時計の針は止まったまま、溢れた水が還ることはない。

「──隠れんぼ、しようぜ」

 だからもう、みすみすと手放すワケにはいかねーんだよ。
 手のひらに掬った水がこれ以上隙間から零れてしまわないように祈りながら、花礫は瞳を見開く名前を真っ直ぐに見据えて、呼吸を止めた針の螺子をゆっくりと廻した。





 隠れんぼのタイムリミットは一時間、鬼は発端である花礫が自ら名乗り出た。時間内に見つけられなければ名前はこのまま誰に会うこともなく艇を降りる、という条件付きでゲームスタート。
 一か八かの賭け試合、思い切って乾坤一擲の矢を投じた。彼女を見つけられるか否かはこれからの花礫の奮闘次第、そして天命を待つのみ。
 名前が隠れる為の時間を五分に設定して、過ぎれば自動的に隠れんぼは開始される。
 短いようで長い五分。
 花礫はスタート場所である転送ポートの壁に寄りかかりながら、長い睫毛に縁取られた瞳を伏せた。


 息を堰切らして部屋に駆け込んできた與儀から聞かされた話に、花礫は雷に打たれたように暫し茫然と立ち尽くした。

「────名前が、今日限りで貳號艇を降りて壱號艇に行くって…!」

 切迫した事態を漸く把握した時には既に自分は走り出していて、慌てて呼び止める声さえ振り切り、辺りの目を憚らずがむしゃらに風を突っ切った。
(どこに居やがんだよあのバカ女……!)
 厭に騒ぐ虫の知らせ。気道を狭める閉塞感に汗が額を伝った。
 まさか朝一番で艇を降りてしまったのだろうか、探しても一向に見当たらない姿にますます焦りの色は見え隠れして。けれど転送ポートに向かう途中差し掛かった廊下に、名前はポツンと重そうな荷物を抱えて一人佇んでいた。
 この好機を逃さない手はない。背後から息を殺して忍び寄り、右手に持っていた荷物を奪い取って何事かと瞠目する名前へ含みある笑みを見せた。
 そして挙げ句の果てには荷物を返して欲しければ自分と隠れんぼしろと取引材料として姑息な手段を使い、狼狽する彼女を半ば強引にゲームまで漕ぎ着けて今に至る。

(…ゲーム、スタート)
 タイムリミット時などの協力を煽った羊からの合図を受け、花礫は転送ポートから離れ一目散に走り出した。早く繰り返す呼吸に喉奥が焼け付くような感覚を味わいながら、思い当たる場所をひとつひとつ入念に探っていく。
 蛻の殻と化した彼女の元自室、良く入り浸っていた食堂、衣装の打ち合わせを重ねていたらしい裏倉庫、此処から見る空が好きなのだと言っていたハッチ。

 されどもどのスペースにも追い求める姿は見つからない。
 やはり一筋縄じゃいかないかと歯噛みをし、巡っている間に気付けば時刻の半分を切っていたことを確認して花礫はまた身を翻した。

 もっとはやく、はやく動けよ
 じゃねーとアイツがどっか行っちまうだろ
 早く、早く早く早く!!


「──花礫くん」
 ……なんだよ

「花礫くん」
 そんな呼ばなくても聞こえてるっつの

「花礫くん、」
 だから、

「だいすきだよ」
 ンなの、──俺だって、


 だから、…ばいばい。
「……意味、わかんねぇ……っ!!」

 奥歯が砕けるんじゃないかと思うほど強く食い縛って、募る苛立ちを吐き出すように低く吼えた。
(やっぱりあのバカ女、見つけたら一回ブン殴る)
 名前にとって末恐ろしいことを胸に決意しながら、花礫は迸る衝動のまま床を蹴った。
 隈無く隅々まで物色し、以前のトラウマから立ち入り禁止区域に踏み入ることはなく極力避けて通り注意深く周りを窺う。
 残り、五分。
 いよいよ切羽詰まった、高々と聳え立つ壁にぶち当たる。

 落ち着け、こういう時こそ慎重且つ冷静に。深く息を吸い込んで瞑目する。
 名前が居るだろう場所のヒントを、過去交わした話題の断片から拾い集めて。

「ここの花ね、実は私が育ててるんだよ」
「…お前が? ジョーダンだろ」
「ヒドッ! 喰に一から教わって丹精込めて育ててるんだから! 咲いたら一輪花礫くんにもあげるからねっ」
「いらねー。花なんか貰ったって使い様ねぇよ。つか薄ら寒ィ」
「これの花言葉はねー」
「聞けよ」

 青筋を立てて憤る花礫に笑顔を浮かべる名前。
 花壇に満遍なく埋められた蕾はまだ咲きかけで、大空に向かって力強く咲いた光景はきっと圧巻なんだろう。そこまで思い出して、少年は夢から醒めたように走り出した。


 息を弾ませて汗を振り乱して、もう今更恥も外聞も取っ払った姿にすれ違い様羊達が訝しげに見遣る。
 なりふり構ってられなかった。
 残り時間は僅か二分。
 此処からあの花が咲き誇るテラスに辿り着くまで、一分。

(クソッ……間に合え!!)
 一歩一歩、確実に。




 やがて見えた背中に、手を伸ばした。
 あの白昼夢のように離れることは無いが振り向くこともない。それが無性に悔しくて、七分袖から覗く細い手首を掴み己に引き寄せた。
 たちまち驚きに染まる相手の表情。
 ぜぇ、と否が応でも乱れた呼吸を整えながら、然れど花礫は勝ち誇った顔でゲームの終わりを告げる言葉を口にした。

「………人に二度手間取らせやがって。見つけたぜ、バカ女」

 宝探しは、俺の勝ちだ。

 やっと捕まえた温もりを、花礫はひと思いに腕の中に掻き抱いた。
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