「……そうやってると名前も母親として様になってきたね」
目から鱗だ。と、暫く振りに貳號艇へ訪れた喰と顔を合わせて早々そんな心外なことを言われ、私は相も変わらず歯に衣着せぬ幼馴染みの言い種と尊大な態度に失礼な、と苦笑した。
「どーだ畏れ入ったか」とふんぞり返ってやろうとも思ったけど、胸を張れば先ず胸よりもお腹が前に出る。それはそれで喰に突っ込まれそうなだけだと思い至って、私はポッコリと膨らんだ身体の中心部をそっと撫ぜた。
いよいよこれからが正念場の妊娠八ヶ月に突入。赤ちゃんの目も耳もはっきりと画像に移り、指をしゃぶる動きまでも鮮明に分かるようになってきた頃。胎動が今まで以上に活発になり、足の形をくっきりと感じるくらいに強く蹴られることもあって、パパに似て足癖が悪くならなければ良いねーなんて與儀と笑いあうこともしばしば。
あ、もちろん與儀はその発言がバレてパパもとい花礫くんにこっぴどく叱られてた。イヴァ姐は「口は災いの元よ」なんて呆れ返ってたけど。
日に日に意識が高まる出産への緊張。そして待望の我が子と対面出来る楽しみ。様々な感情が交錯して気が滅入ることもあるけど、そういう時はいつだって必ず誰かが私の側に居てくれたから一人ではなかった。頼もしい周りの支えや協力があったからこそ、私は今こうしてこの子の母親になる為の覚悟と準備を固めることが出来ているのだと心から思う。
だから喰が言う母親として様になってきたというのもあながち外れては居ないのかな、なんて。
「じゃあ性別とかももう判るようになったんじゃないの?」
「うん。でもそれは楽しみにしときたいなって思って先生には訊いてないの。産まれるまで秘密にしてくださいってお願いしておいたんだー」
「ああ成る程ね……朔さんがしつこいんだよ、僕だって訊いてないのに名前の子供は男なのか女なのかって。どっちが産まれても今度こそ俺の所にとか云々」
「……朔さんってお稚児趣味なワケじゃないよね」
「……うわ、ちょっと止めてくんない気色悪い。もしそうだったら本気で貳號艇に異動も考えるんだけど」
まさかな疑惑に私も喰も神妙な面持ちだった。
もっとも朔さんお得意の軽口だろうとは思うが、これこそイヴァ姐の言葉を拝借して言うならば口は災いの元、だ。どちらにせよ私と花礫くんの子は渡しません譲りません。
「朔さんに言っといて。相手が誰であろうとも果たし状ならいつでも受けて立ちますからねって」
私がお腹を撫でながら満面の笑みでそう言伝てを頼めば、喰も呆れたような渋い表情でハイハイと頷く。その返事に満足してテーブルの上に置いておいたカップを取れば、しかし生憎なことに先程の分で飲み干してしまったのか中はすっかり空だった。
たまに喰の淹れたお茶が飲みたいなー……と駄目で元々口にしてみる。本来はお客である喰に私が淹れるべきなんだろうが、実は現在切迫早産の可能性があり、お腹が張っていて無理に動いたりすると危ないからそういった場合は無闇に動かないでと先生から釘を差されているため動けないのである。
まあ一番の理由はお腹の重みで腰と恥骨の辺りが痛くて立ち上がるのも一苦労だからなのだが。念のために断っておくがだらけている訳ではない、決して。
「お願い!」と両手を顔に合わせて懇願すれば、喰は案の定面倒臭そうな顔をした後「分かったよ」と渋々重い腰を上げた。
彼が昔から私のお願いに弱いことは百も承知だ、言わずもがなお小言は倍に返ってくるけれど。それでも久し振りに喰のお茶が飲めることに気分が弾んで頬を緩ませていると、自室の扉がノックされて遠慮がちに開かれる。
恐る恐ると顔を覗かせたのは、どことなく曇った面持ちをしたツクモだった。
「名前、今良いかしら……?」
「ツクモちゃん!! 良いよ良いよ、ここ座って! 僕が今お茶淹れるから!」
「私との扱いの差。というか私と花礫くんの部屋なのにアンタが言うな」
ツクモが来たと分かった瞬間つまらなさそうに顰めっ面をしていた喰の表情が明るくパァッと輝いた。何なのこの変わりよう。気持ち悪い、と私がポツリ呟いてドン引きすれば、運悪く相手に聞こえてしまったのか含んだ笑みを向けられる。
あれは迂闊なこと言ったらテメェ殴るぞと目が語っている。だがそんなことしたらその丸眼鏡かち割ってやる、と考える私はきっと逞しくなったに違いない。怯むどころか対抗心剥き出しだった。
「ツクモ、どうしたの?」
「クッキーを焼いてみたんだけど名前に味見をしてほしくて。ただ少し…その、焦げちゃったから渡すかどうか迷ったんだけれど……」
「……ほんとだ」
バスケットに入った薄茶色のクッキーには所々焦げ目がついている。とは言えどそんな真っ黒焦げとか食べれそうに無いかなって大袈裟な程では無くて、「やっぱり身体に悪いから……!」と慌てて持っているバスケットを背に隠そうとしたツクモを制してクッキーを一枚手に取った。手先が不器用なツクモらしく形は歪だが匂いは香ばしい。
「いただきます、」と一言告げてから口の中に放り込めば、バターの風味と程好い甘さが舌の上に溶けて馴染んでいった。
「うん、美味しい」。
率直な感想をそのまま言えば、私が咀嚼している間もハラハラと気が気でない様子だったツクモも安心したように胸を撫で下ろし、花が開くかのように柔らかく笑う。……ほんと可愛いなあこの子。
心が和むついでにサラサラな髪を撫でれば、ツクモはくすぐったそうに目尻を窄めてほっぺたをほんのり赤くした。
脇でお湯を沸かしながら悔しそうに私を睨み付ける喰ざまあみろ。
「それで? 今回は誰にあげるの?」
「……ひ、平門に。最近、一段と疲れてるみたいだから……」
「そっかぁ……じゃあこのチョコクッキーにはクリームも添えてみたら良いかも。甘い方が疲れにも効くっていうし」
「分かったわ、ありがとう名前」
真剣な眼差しで頷いたツクモに喜んでもらえるといいね、と微笑んだ。
平門さんは朔さんとか與儀ほど喜びなど感情を必要以上表に露呈することは無いが、それでも嬉しい時は笑うし思ったことはちゃんと濁さず口にする。
今回のツクモの気遣いだって、想いを汲み取ってきちんと美味しいと告げる筈だ。このクッキーの美味しさは私が太鼓判を押すんだから間違いない。
自信持ちなさいと後押しすれば、ツクモも強張った肩から力を抜いてゆるりと微笑した。
「ちょっと、僕のこと忘れてない?」
「ああ、居たんだっけ」
「……名前は要らないみたいだね。はいツクモちゃんどうぞ」
「ごめんってば! 喰はもうちょっと私に優しくして!!」
優しさが欲しい!! と切に訴えれば喰は苦虫を噛み潰したかの顔でチッと舌打ちをして仕方なく、って動作で私にもお茶をくれた。
なんたる仕打ち。羊と同じく容赦が無かった。
だから意中の女の人にも振り向いてもらえないんだよねー、と面白おかしくお腹の子にも話し掛ければ、地雷だったらしい喰の片眉がピクリと引き攣る。
直後「違うんだよ僕は振り向いてもらえてないワケじゃなくてもあっちが素直じゃないから」などと諸々怒濤のように語りはじめて、ああ相当鬱憤溜まってるなあとツクモと一緒に苦笑いした。くっつけば良いとは思ったけど、これはこれで些か厄介だ。自分が言えたことじゃ無いけども。
「……っていうか、お腹に話し掛けたって分かるワケないでしょ」
「残念でしたー、意味は分からなくても声はちゃんと聴こえてるんだって。実際こうして話しかけるとね、お腹蹴ったりしてちょくちょくと反応してくれるの」
「與儀もこの前話し掛けてたわよね?」
「その時は無反応で落ち込んでた」
「……ふーん……」
ずーん、という効果音が似合いそうなほどへこんでいた姿を思い出してツクモと笑っていると、喰が考え込む素振りを見せた後おもむろに近寄ってきて私が腰掛ける足元に跪いた。ツクモと二人ギョッとして見やる。
なに、どうしたの。
けれど私が訝しげに問い掛けるよりも先に、喰は私の膨らんだお腹を見つめそっと手を当ててきた。……触りたいのかな?
そう思って好きにされるがままじっとしていれば、無言無表情を貫いていた相手が口を開く。
「聴こえてる? 僕がパパだよ」
……は? 思いもよらない言葉に素っ頓狂な声が出てしまったのは致し方ない。
私は呆気に取られながらお腹を撫でつつ平然と話し掛ける喰を見つめ、唖然とした状態からハッと我に返ってバカじゃないの! と彼の頭にチョップを喰らわせようとした。
──ら、私が行動するよりも早く、私の目の前から喰が消えた。代わりに耳朶を打ったのは一発の銃声。喰が居た場所には小さな穴が空いている。
発生源を見れば、そこには業腹耐えかねたお腹の子の本当の父親がおっかない表情で佇んでいて。もう一度引き金を引こうとした花礫くんの前に立ち塞がり急いで止めた。
「そこ退け名前……いっぺんマジでシメる…!」
「待って!! それシメるどころの話じゃなくなっちゃうから!! いくら喰でも急所当たったら本当に死んじゃうから!!」
「僕がそんなヘマ起こすとでも?」
「もう、喰君…! 花礫君もいい加減銃を下ろして。今誰に向けてるか分かってるのっ?」
「…………チッ」
ツクモの言う通り銃を下ろして安全装置をつけた花礫くんにホッと胸を撫で下ろした。
冗談抜きで寿命が縮まるかと思った……もうこんなことは懲り懲りだから止めてと窘めれば、花礫くんはばつの悪い顔で「……悪い」と目を逸らす。
私の勝手な憶測だけどこれは喰に対しての謝罪ではなく不可抗力でも私に銃を向けたことだろうか。罪悪感にまみれた表情はなんとなく居心地が悪そうで。
もう止めてね、としつこく念を押せば分かってるとため息が落とされた。
「つーかお前といい、キイチといい最近来すぎじゃね? 暇なのかよ」
「暇なワケ無いじゃないか。朔さんが様子見てこいって五月蝿いから、しょうがなく来てるだけだよ。ツクモちゃんの顔も見たかったし」
「むしろ喰の場合それが目当てでしょ」
「あれ良く分かったね」
「イヴァ姐ー! ここにツクモに近付く不届きものがいるよー!!」
「止めてくれない!!?」
そんなんだから意中の以下略。
マジでイヴァさんが来たらどうしてくれんだよ! と戦々恐々とする幼馴染みを鼻で笑って軽くあしらう。花礫くんも鼻で笑ってた。
「なんだか二人とも似てきたわね…」とツクモが微妙に複雑そうな面持ちで言うから、ほら夫婦は似てくるって言うじゃない? と弾んだ声音で返した。けどもちろん花礫くんには冗談はお前の顔だけにしろよと辛辣なお言葉を頂いた。ひどい。すげない。
「……っつ、う」
「! 名前っ?」
「……まさか陣痛?」
「……や、確かに早産の危険性はあるって言われたけど、破水してないし、そんな感じの痛みでは無い……かな」
突如下腹部に走った痛みに顔を顰めて身を屈めれば、血相を変えて花礫くんがよろけた身体を支えてくれた。とにかく横になって、とツクモに安静を促され、先程まで腰掛けていたソファーにゆっくり寝そべる。上を見上げれば心配そうに窺う視線が三つ。
迷惑掛けてごめんね、と申し訳なさを堪えつつ謝れば、名前はそんなこと気にしなくて良いのとツクモに怒られた。
「……ブランケットかなんか羽織るモン持ってくるわ。あと担当医に電話してくる」
「じゃあ僕は蒸しタオル用意するから。ツクモちゃん少し名前の様子見てもらってても良い?」
「任せて」
……ほんとに、申し訳ない。
一斉に慌ただしく動き始めた周りに後ろめたさを感じ、原因不明な痛みと相俟って一抹の心細さを抱き瞳を伏せれば髪をくしゃりと乱される。
おずおずと視線を上げれば、ソファーの傍らにしゃがみこんだ花礫くんが私の顔を覗いていて。
「直ぐ戻っから。待ってろ」
「……ん」
かろうじて返した私の返事に、ふと口角を上げて離れていった花礫くんの背を見て僅かに安心感を得た私は瞳を綴じた。
──どうか、どうか何事もありませんように。ただそれだけを願って。
懸念のちの緊張
心臓の高鳴りが、異様に怖かった。ALICE+