ああ、むしゃくしゃする。

「花礫くーん!!」

 何処からともなく颯爽と現れて、満面の笑みを浮かべながら嬉々として駆け寄ってくる姿に溜息を吐いたのは数知れず。同時に腰回りが締め付けられる不快な息苦しさに眉を顰め、更に密着しようと絡みつく腕を強引に引き剥がした。
 巧く回避していたつもりだったのに、また今日も出会してしまった。
 苦々しい気持ちを奥歯で噛み締め、傍らに寄り添う頭一つ分小さい女を見下ろした。俺が見ていることに気付くと、直ぐにヘラリと弛む頬。
 (……ああ、不愉快だ)
 仏頂面のままソイツから視線を逸らした。

「おっはよう、今日もいい朝だね! 花礫くんが私の告白を受けてくれたらもっと最高な朝になるんだけどな」
「拒否。それにもう昼だけど」
「私の朝は花礫くんに会わなければ始まらない! よって今は朝なのです」
「相変わらずご都合主義な頭だな」

 敬礼のポーズを取る彼女を鼻であしらう。相手にするのも面倒臭い。外を眺めていた窓から離れてスタスタと歩き始めると、何故かこいつも付いてきた。
 瞳を爛々と輝かせながら堰を切ったように世間話を話し始める彼女に、よくもまあそんなに口が回るものだと感心する。
 自分と居たってろくな返事は期待出来ないと分かっている癖に、コイツはよく喋り、よく笑い、コロコロと数多にも表情を変える。
 いったい幾つの顔を持っているのか。
 好奇心がそそられる事はあるが興味というほど別に関心もなかった。百々のつまりどうでもよかった。

 ──花礫の中に格付けがあるとしたら、名前は間違いなく一番下の位置だ。
 目の上のたんこぶ、癪の種。

 そもそも彼がどうしてこんなにも彼女を毛嫌いするのか。その理由は実は花礫自身定かではなかった。
 自分を汚れていると貶す花礫にとって、名前のような楽観的且つ脳天気な人間は本能的に避けていた部類だ。初対面で名前にせがまれて握手を交わした時、生理的に無理、自分とは合わない。そう瞬時に悟ったのも本当だった。
 なのに何がどうなってこうなった。
 何を血迷ったか「惚れました。私と付き合ってください」と翌日に会って早々告白され、以降花礫が行く場所居る場所に彗星のように現れ、「花礫くーん」と暢気に声を掛けては好きです!と告げて瞬く間に去っていく。彼女に会った後の脱力感は半端ない。大いに振り回されっぱなしだった。
 そんな日が毎日続けば苛々も疲弊も塵のように募るだけ募っていく。堪忍袋の緒もそろそろ限界という文字が頭を擡げていた。

 勘弁してくれ。
 花礫が頭を抱える悩みの種、諸悪の根源はこてりと小首を傾げた。

「お前、そんなに俺が好きなワケ?」
「大好きです」
「……あっそ、」

 即答された言葉にばつが悪くなり顔を背けた。

 自分に向けられる純粋な好意がむず痒かった。
 どんなに撥ね除けようが遠ざけようが飽き足らず何度も何度も告げられるありったけの想い。今では全身全霊でぶつかってくる華奢な体躯を突っ返すことが殆どになり、かわし方を覚えた。それでも彼女は折れない、挫けない、諦めない。
 他にも男は居るだろうに、なぜ自分なのか。
 心の中で悪態を吐いた。

 面倒事は嫌いだ、況してやデメリットしか生まない事にまで時間を割いている暇はない。恋だの愛だの惚れた腫れたの話は余所でやってくれ。
 そう念じるも機嫌よくニコニコと微笑む女を横目に肩を落とした。駄目だ、伝わりそうにない。

 廊下の角を曲がった時、ちょうど誰かを捜している様子のツクモと遭遇した。
 彼女は今まで名前を捜していたらしく、花礫の隣を歩く姿を見て微笑ましいと言わんばかりに口角を上げた。その表情がまた花礫の中の苛々を煽る。

「平門が呼んでた。至急の用事みたいだから急いで」
「……え、平門さんが? どうしよう嫌な予感しかしないんだけど」
「仕事そっちのけで随分楽しいことしてるみたいじゃないかって笑ってたけど…?」
「今すぐ土下座してくる」

 鬼の逆鱗に触れるべからず、厄が降ってくる前に平伏すのが最善の選択。
 幾らヤレ脳味噌が空っぽだのヤレ考えなしだの散々な批評を浴びせられる名前でも、保身に走る為には手段を選ばなかった。それで例え僅かばかりあるプライドがズタズタに切り裂かれようとも。

 泣く泣く身を翻し慌ただしく去っていく後ろ姿を見送り、ツクモは憮然とした表情の花礫と向き合う。お互い感情の起伏が薄いというわけでは無いが、滅多に表情に変化がない二人の空気は淡々として見えた。
 しかし静寂も長くは続かず、バタバタと騒がしい足音が再び近付いてくる。

「っ忘れ物!」
「どうしたの?」
「うん、自主的に言うの忘れててね! 花礫くん大好きだよー!!」
「ばっ……、」

 かじゃねぇの。
 続く筈の言葉は「そいじゃ!」と踵を返した名前によって遮られた。不完全燃焼に飲み込んだ言葉はぐるぐると彼女の愛の告白と共に脳裏を巡る。
 ──馬鹿の一つ覚え。
 そんな単語が片隅に過ぎった。

「名前、生き生きしてる」
「俺は今にも吐きそうなんだけど」

 砂糖よりも甘ったるい。いっそ砂なり何なり吐いてしまった方が楽になれるんじゃないかと思う。
 あの女の所為で肩凝った、と沸々と蓄積されていくフラストレーション。
 おもむろに首を回し深い嘆息を零した花礫に、ツクモが一瞥をくれる。彼女は喰のように茶化すでもなく深入りしてこないから気が楽だ。
 否、深入りはしない。が、

「…花礫君は名前のことどう思ってるの?」

 花礫にとって要らぬ節介を焼こうとは、してくる。

 この類の質問もほとほと聞き飽きた。
 先日は與儀に、今回はツクモ。時と場合と人目も憚らず想いを告げてくる行動が祟り、女が少年に片思いしているというのは周知の事実だった。
 勝手に盛り上がる周り。まるで自分だけが取り残されたような感覚に酷く腸が煮えくり返りそうだった。

(知るかよ、あんな女のことなんて)
 ツクモに対する問いの答えは言わずもがな、

「嫌いだよ」

 一つしかなかった。

 その時まだ少年は気付いていませんでした。好きの反対は嫌いじゃない、
 無関心だということを。
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