「っあ゛ー、疲れた」

 代わり映えの無い住み慣れた部屋に着くなりソファーにどっかりと腰を下ろして悠々自適とふんぞり返った花礫の姿に、名前と梛は顏を見合わせて「相変わらずだね」と微笑んだ。

 不慮の危機に瀕してから驚異の回復力を見せ、研案塔で三週間ほどの治療を受けていた花礫が帰ってきた。とは言えどまだ任務に出れるくらい傷が治癒したという訳ではなく、あくまで滞りなく快方に向かっているから艇での自宅療養を課せられただけで、安静にしていなければ仕事への復帰も遅れるだろうとしっかり釘は差された上での退院だが。
 その注意に対し花礫はもう痛みは無いのにと研案塔を発つ最後まで腑に落ちていないような顔をしていたけれど、また無茶をするんじゃないかと心配で気が気でなかった名前は正直燭が念を押してくれて助かったと密かに胸を撫で下ろした。
 彼女が諌めたところで頑固なこの青年は何もせずジッとしていられないタチだから、一刻も早く現場復帰出来るようリハビリに粉骨砕身勤しむんじゃないかと懸念していたのだ。
 実際少し目を離すと動かない脚を無理やり動かそうとしていたり筋トレに励んでいたりと余念が無く、暇さえあれば何かしら動いていたから僅かな油断も隙もありはしなかった。

 でもこれからは梛も羊も居るし、自分だけが警戒して花礫の動向を見守っていなくても大丈夫だと多少肩の荷も降りる。
 そのおかげでニコニコと朝から上機嫌な名前を見てソファーに寄り掛かっている花礫は不服そうに眉を顰め、けれどそんなに自分は彼女に要らぬ気苦労を掛けてたのかと反省の余地もあると思い至って溜め息を吐いた。
 梛がキッチンの冷蔵庫から取り出した水をコップに注ぎ、気遣わしげな面持ちで花礫に渡す。

「ぱぱ……だいじょうぶ? すこしベッドでおやすみする?」
「……別にそんな疲れちゃいねーよ。ただ久しぶりに戻ってきて気ィ抜けただけ」
「慣れない場所で寝食をするって結構気が詰まるよね。例え仕事みたいに周りが敵だらけじゃ無かったとしても」
「まーな。しかも病室のベッド固ェし」
「わ、贅沢発言」
「うっせ。お前も何度もあそこで寝てんだから分かんだろ」

 それはごもっともだけど……。花礫の身も蓋もない言い方に名前の口からはつい苦笑が零れた。
 反論することは無かった母の反応を見て小首を傾げた梛が「何度も?」と言葉を反芻する。名前がしょっちゅう怪我をして與儀と共に研案塔もとい燭の世話になっていたのは梛が産まれる前だから子供が疑問に思うのも当然だ。
 しかし我ながら恥ずかしい黒歴史だから余り思い出したくないんだけどな…。と口を濁す名前の心境を知ってか知らずか、いとも簡単に花礫はアッサリと彼女が幾度も死にかけたことを暴露する。更に記憶を失って彼だけを忘れてしまった事実も。
 恐らく壱號艇に異動すると言って逃げようとしたあの時の事は未だ深く根に持っているのだろう、ジロリと突き刺さる黒い視線が痛くて、名前は引き攣った頬を隠すように明後日の方角を見た。

「、あ。そうだ名前、忘れないうちにアレ梛に渡しとけよ」
「…アレ? あ、オルゴール?」
「!? オルゴール、なおったの!?」
「ふふ。聞いて驚けー! パパが入院中退屈な時にね、かき集めた部品をまた一から組み立てて新しいのを作ったの」
「……つっても、出来はそんな期待すんなよ。箱は割れちまったから適当にあった木箱を改造したヤツだし、前より音質とかは劣ってるかもしんねぇから」

 いつになく押し出しの弱い花礫に名前は目を開きつつ、戸惑ってる梛に柔らかく笑んで花礫が退院する際一緒に詰めていた荷物の中から目当ての物を取り出す。「音も見た目も綺麗だよ」と太鼓判を押してうずうずと待ちかねる子供に差し出せば、相手は瞬く間に顔を輝かせた後嬉々として受け取って蓋を開いた。
 すると部屋に流れる機械音。丁寧に磨かれた金属の円筒と同様に箱の外に着いているぜんまいも回り、か細くも甘やかな音色が三人を包む。
 落胆することの無いよう期待するなと花礫はあらかじめ言っていたが、期待以上の出来栄えだった。
 耳を打つ温かみの籠った音に梛は心を震わせ、オルゴールを置いて悠然とソファーに居座る父の元へと突撃する。

「っつ、! おま、いきなり突っ込んでくんなビックリすんだろうが!」
「ぱぱぁぁあ〜!! だいキライなんてウソだよごめんなさいぃいーっ」
「あー花礫くん梛を泣かせたー」
「ハァッ!? 俺が原因かよ…ってほくそ笑んでんじゃねえかこのガキ!」
「いっ、ぱぱがなぐったー!」
「あーあーいけないんだぁ」
「〜〜〜テメェら人おちょくんのもいい加減にしろよ……っ!!」

 母子二人組がタッグを組むと厄介なことこの上ない。梛が責められれば名前が庇うし、名前が責められれば梛は彼女の肩を持つ。
 いつだって状況的に不利になるのは花礫の方で、ニヤニヤと此方を窺ってくる二人に果たして本当に自分を休ませる気はあるのかと花礫は言いようも無い苛立ちに苛まれた。
 主導権を奪われて思い通りになるのは癪だ、勝手気ままにおちょくられるのはもっと御免だ。
 「──名前、」と低い声で牽制するように名を呼べば身の危険を察した名前は賢明な判断として口を噤んだので幸いほとぼりは直ぐ収まったが、何を思ったのか梛は花礫の顔をじっと見つめた後彼の脚に極力負担を掛けないよう配慮しながら彼の膝の上に腰掛けた。

 ありがとう、と首に腕を巻き付けてきて耳元で囁かれたお礼に花礫はつかの間沈黙し、くしゃりと子供の後頭部を撫でて髪を乱す。花礫の首には梛がプレゼントした、梛の首には花礫がプレゼントしたゴーグルがぶら下がっていた。
 その時その仲睦まじい光景を微笑ましく傍らで傍観していた名前の携帯が鳴り、「ちょっとごめんね」と一言二人に断ってから席を外す。
 わざわざ洗面所に行ったことからもしかしなくても仕事類の話だろう。今は無闇に働けない花礫の前で仕事の話なんかしたら絶対に無鉄砲をやらかすと思って気遣ったのだろうが、そこまで徹底しなくとももう無茶はしねえってと花礫は小声で悪態をついた。

「……ねえ、ぱぱ」
「あんだよ」
「オルゴールのおれい、なにがいい?」
「………は。イヤ別に要らねーよ。そもそも俺が壊したヤツだし、お前から礼なんて貰う道理はねぇだろ」
「でも、でも、ボクもなにかしたい」
「…なら、この前撮ってたアイツの寝顔写メ寄越せ」
「それはヤダ」

 ちぃっ、と隠すことも無く凶悪な人相で花礫が舌を打った。
 子供の前では感心しない態度、露骨過ぎる。因みに言わなくともお分かりだろうがこの場合のアイツとは此処には居ない名前のことだった。

 「…んじゃ、逆にお前が欲しいモンは無いのかよ」。思い出したように止まったオルゴールのぜんまいを回して蓋を閉じた梛にそう花礫が問い掛ける。
 今まで仕事ばかりにかまけて、中々遊んではやれない事についての詫びのつもりだった。せめて欲しい物くらいは不自由無く与えてやりたい。
 自分が過去に不便な生活をした分、この子供には伸び伸びと生きてもらいたいから。捻くれず真っ直ぐに成長してほしいから。
 ただくれぐれもベタベタに甘やかす、のとは些か意味が違うけれど。

 欲しい物…。うーんと頭を悶々と悩ませる梛に、まあ考えとけよと軽く言って花礫は自分の膝の上に乗った身体を横に下ろし立ち上がる。
 若干違和感はあるがもう松葉杖無しでも余裕で歩ける。慌てて身体を支えようとした梛を制して花礫は一人で空になったコップを持って冷蔵庫までたどり着けば、再びボトルを取り出して新たな水を注ぎ一気飲みした。するとちょうど名前が通話を終えて戻ってきて、彼女もまた花礫が立つ姿を見るなり酷く驚いた様子で駆け寄ってくる。

「ちょっ、一人で大丈夫? フラついたりはしてない?」
「してねーよ。お前らが過保護過ぎるだけで本人は全くピンピンしてるっつの」
「もう……またそうやって」
「……あ!!」

 突然梛が上げた大声に、困ったように眉尻を下げていた名前がビクリと肩を跳ねさせ振り返る。梛は滅多に大きな声を出さないからどうしたんだと怪訝に思ったのだろう、「な、梛…?」と目を白黒させる名前は頭をもたげて。
 けれどそんな母の様子などお構いなし、欲しい物とやらを思いついた梛は、名案だとばかりに無邪気な笑顔でこう花礫に言い放った。

「ボク、いもうとがほしい!!」

 ────ゴンッ。
 名前が唖然として手に持っていた携帯を床に落とした。「まま?」と梛の不思議がるような声でハッと我を取り戻す。

「なっ、なな梛、いきなり何言……っ」
「? だってぱぱがボクにほしいものはないかって」
「花礫くんっ!?」
「……あー、流石に俺もこれは予想外。何となく言うんじゃねーかとは思ってたけどまさかマジで言うとはな」
「何でそんなに落ち着いてるの…大体梛、赤ちゃんはどうやって作るのか分かってないよね!?」
「コウノトリがはこんでくるんだってえほんにかいてたよ?」
「……」
「…………まあ、梛もこう言ってるし。俺も当分は休暇だし? そろそろ二人目孕ませんのも悪くはねぇか……」
「………ワタシ、ヨウジガー」

 明らかにウソだ。
 途端に動きがぎこちなくなった名前はそそくさと不穏な言葉を呟いていた花礫の側から離れようとしたが、そこはそこ。慣れた手付きで花礫にあっという間に手繰り寄せられ素早く肩に担がれる。

 「ちょっと待って花礫くん怪我!!」とすかさず抗議の声を上げる名前など知らんぷりで、当の花礫は涼しい顔をしながら寝室の扉へと向かう。
 その背中は心なしか戦地へ赴く勇ましい漢のようで、特に悪気の無かった梛は純粋に小首を傾げた。

「────ああ、梛。お前は暫く與儀かツクモんとこに泊めてもらえ。……そうだな、一週間もありゃ上等か」
「っ!!?」
「いっしゅうかん…も、あればボクにいもうとができるの?」
「任せろ」
「ままそっくりの?」
「多分な」
「じゃあ……うん、わかった」
「だめっ梛! 行かないでママを見捨てないでこのままじゃ私っ…」

 腹上死の一途を辿っちゃう!
 そんな言葉を言ったって幼い子供には理解出来る筈も無く名前は無念さながら飲み込んだ。しかも良く分かっていない癖に梛は両手で拳を作って「まま、がんばって!」と声援を投げてくるから余計に切なさで涙が滲んだ。子供の純粋とは時に以下略。
 それから一週間励んだ甲斐があって、11ヶ月後待望の女の子が産まれ、また新たな戦争の火蓋が切って落とされることになるのは──いつか、のお話で。


ぱぱとボクのレンアイ戦争


俺たちの関係に名前は無い。
恋人といえばそうなのだろうし、夫婦といえばそうだろうし、仲間と言えば仲間なのだろう。要はどの枠にも当てはまって、たった一つの括りには収められない程の繋がりを持っているからだ。

最初の始まりはサイアクで、誰がどこからどう見ても交わることの無さそうな俺たちだったと思う。
若気の至りってモンでまっしぐら、アイツは俺に当たってきては砕けてトボトボと引っ込むようなヤツだったから。

でもさ、お前はきっとそんなことさえ後十年もすれば「もっと良いやり方も言い方もあったろうにね」って黒歴史も笑い話にするんだ。そしてその時も俺は多分、きっと、お前の傍に居る。

「花礫くんは私のどこを好きになったの?」
「知らねぇーよ。そんなとこじゃね」

好きなとこなんて一つに定められるワケねぇーだろバーーカ。お前の全部が好きで欲しくて、明確な理由なんてそれだけじゃダメなのかよ? 欲張りだな。そこも好きだし俺も同じだけど。

俺らはこれから先も、ずっとこんな距離感で居るんだろう。
家族も仲間も親友も恋人も片思いもライバルも悪友も好きも嫌いも、お前の位置付ける立ち位置全部を独占して、
全部のカテゴリーの一番に、ゆいいつになりたい。
お前とすべての関係性を、俺だけがこの手のひらいっぱいに肌身離さず持ってたい。
そういう欲張りを、これから先もずっとずっと忘れずに生きていきたい。


なあ名前、お前は今、幸せか?
俺は、このままお前と一緒に居て生涯終えんのも悪くねぇなって思ってる。

だから、お前の命を、
一生を、俺にくれねぇ?

…なんつったって、答えはどうせ決まってんだろーけど。

「花礫くん、だいすきっ」
「……知ってる」

俺も愛してるとか、
ロマンチックな言葉なんて、照れ臭いからお前には言ってやんねーよ。

──でも、ま。
俺の気が向いたら…言ってやっても良いかもな。
ALICE+