「──誰ですか! 花礫くんにこんなとんでもないもの飲ませたの!」

 本日開催したショーも無事盛況に終わり、打ち上げと題して皆で細やかなパーティーを開いていた時のこと。一つの怒号が和気藹々と盛り上がる賑やかな喧騒を破り去った。
 何だ何だと酒やらジュースを飲み交わしていたメンバーがそちらに意識を向ければ、すっかりお冠な様子の名前とソファに深く腰掛け力無く凭れ掛かる花礫の姿。少年の端正な顔立ちは珍しく苦悶の表情に満ちていて、米神を揉んでいることから頭痛がするのだろうか、異変を察した與儀と无がすぐさま慌てて花礫に駆け寄った。
 苦々しい面持ちの名前の手には透き通った黄金色の液体が入ったコップが握られている。花礫が誤って飲んだ……否、飲ませられたものの正体だった。

「まだまだ成長期真っ只中の十五歳の子にウィスキーのロック……じゃないか、ストレートなんて代物を飲ませる非常識な輩は誰だ!」

 再度名前が声を張り上げれば、平然と奥のテーブルから「ん? あ、俺俺ー」と返事が返ってきた。キッと彼女が睨み付けながら振り返れば、そこには今まで平門と酌を交わしていた朔が鬼の形相をした名前に臆することなく挙手している。
 いつも凛々しくされど飄々としている顔付きは仄かに赤く、確実にアルコールが回っていることを暗に差し示していた。
 真向かいに悠々と腰を据えて朔と同じ飲み物を同じ量嚥下している平門は、これくらいへっちゃらだとばかりに涼しい顔して余裕の佇まいだというのに。

「あ、俺俺ー。じゃないですよ朔さん! 何考えてるんですか一体!! ウィスキーのストレートなんて私でも飲めませんよ!」
「怒るんなら喰も怒れよ、あいつもノリノリで花礫のこと羽交い締めにしてたんだからさ」
「いやぁ、朔さんこそかなり悪い顔してましたよ。まさか一気に半分以上流し込むなんて僕には到底マネ出来ないな」
「一気飲みとか花礫くん殺す気かあんたら!!」

 あくまでも俺は悪くないという姿勢を貫き通す大人げない大人と、確実に愉快犯な幼馴染みに溜まり兼ねて業を煮やした。
 氷一つ入っていない状態、つまり薄められてもいない原液を一気飲みなんてどんなに酒が強い人間でも卒倒するレベルだ。
 ましてや十五歳である花礫がアルコール慣れなんてしている筈もなく。突如襲い掛かってきた猛烈な眩暈と吐き気に為す術もなくダウンした。

「ごめんって、でもさっき念のため薬は渡したよ?」

 あっけらかんと暢気に笑う喰にそういう問題じゃないと名前が柳眉を逆立てる。
 そんな彼女を落ち着いてとツクモが宥めつつ、一方で與儀が渡された筈の薬を捜してキョロキョロと辺りに目を配らせた。すると无がソファの端に落ちていた白い包みを発見し、「もしかしてこれ?」と小首を傾げ、息巻く名前に薬を差し出す。

「无くんありがと。…花礫くん、薬飲めそう?」
「…………頭いてぇし、きもちわりー…」
「うん。これ吐き気止めだけど、多分飲めば頭痛の方も大分好くなると思うから、もし飲めたら直ぐに飲んで。明日まで尾を引いちゃったら、花礫くん一日中動けないよ?」
「………ソレ貸して」

 予めイヴァが汲んできてくれた水の入ったコップを渡して、粉状のそれを一口で水と共に流し込む。アルコールとはまた一味違った苦味に顔を歪めたものの、花礫は再び柔らかいソファに身を深く沈めた。
 先程した行いは戴けないが、確かに喰が育てた薬草の効果は抜群だ。次第に苦しみも和らいでくるだろうと胸を撫で下ろし、名前はソファの横に膝を折って少し固めの黒髪に指を通した。
 心地良さそうに僅かに険が緩められる眼差しにキュンと心を揺らしながらも、まるで頭痛の緩和を促すようにゆっくりゆっくりと髪を梳いていく。
 しかし花礫の酒が入って火照った体、荒い呼吸。弱冠十五歳とは到底思えない香り立つ色気。意識している訳では無いにしろ心臓に悪いとやがて直視することさえ難しくなる。
 ああだこうだと己の欲とせめぎ合い葛藤する名前などいざ知らず、眩む視界の中花礫は所在なさげに視線を彷徨わせる名前を捉え、徐に華奢な体躯をソファに引き寄せた。 ぽすり。上に引き上げられた反動で必然的にソファに座らせられる。キョトンと呆気に取られた名前を意にも介さず、横になっていた花礫は格好をずらして彼女の無防備な太腿に頭を乗せた。
 たちまち朱く染まる名前と與儀の顔。何でアンタまで真っ赤になんのよ、と與儀に対してイヴァから鋭い指摘が走る。全ての諸悪の根源である朔は安閑としてカラカラと声を上げて笑っているし、喰は声もなくただニコリとだけ微笑んでいた。静かなる怒りである。
 黙って現実から目を背けた。

「……が、花礫くん?」

 幾ら気の置ける仲間とはいえど仮にも人前だ。
 自分達二人が接触している光景を剰り大勢の目に晒されることを良しとはしない花礫が滅多にしない行動を取ったことで、名前の心臓はバクバクと高鳴っていた。だが相手は不可抗力と言ったとて所詮酔っ払いは酔っ払い。
 きっとこれも大した意味は無いのだろうと必死に言い聞かせ、付け上がろうとする心を厳しく一喝する。程なくして聞こえてきた安らかな寝息。今回花礫には裏方の仕事も手伝ってもらったから疲れも溜まっていたのだろう、ちょっとやそっとの刺激で起きそうにも無い。むくむくと湧き上がる悪戯心。
 无の不思議そうに見守る視線を躱し、火照りで淡く色付いた頬を指先で突っつく。びくともしない。
 耳の輪郭をなぞるように擽ってみる。眉間にちょっと皺が寄った。揉みほぐすように谷間をグリグリと捏ねれば鬱陶しげに払われる手のひら。
 面白い……! いちいち可愛らしい花礫の反応に持っていかれた名前は夢中になって眠る少年にちょっかいを掛け続けた。完全なる嫌がらせである。

「ちょっと、さっきから花礫君唸ってるじゃん。止めてあげたら?」
「そもそもこうなった発端は喰達の所為でしょ」
「役得したクセに」
「えへへご馳走様です」
「……ちっ」

 理不尽にも舌打ちされた。意味が分からない。

「あーあ、それにしても結局誰かさんの小賢しい入れ知恵の所為で肩透かし食らったなぁ」

 一瞬喰が何を言っているのか首を捻ったが、一拍置いてああ、と見当が付いた。大入り満員、拍手喝采で滞りなく幕を閉じた白雪姫。
 その劇中には当然名前がさんざん駄々を捏ね、地団駄を踏んで最後まで拒み続けたキスシーンもあり、喰は柄にもなく浮かれていたのだ。
 下心も決して無かったとは言わない。だが名前と芝居とはいえキスが出来る喜悦よりも、この意外と嫉妬深い少年がどんな反応を剥き出しにするのか楽しみでしょうがなかったのだ。しかし予想は反して期待はいとも容易く裏切られた。
 滔々と覚えた台詞を流暢に吐き、いざ眠る白雪姫に口付けを落とそうと王子、基い喰が足音高らかに花に囲まれて瞑目する名前に顔を近付けた、その時。
 彼女の唇が、照明に照らされてやけに艶光りしていることに気が付いた。
 メイクに依って施されたものではない、名前の唇が朱く腫れぼったい訳でもない。怪訝気に身を屈め、そのまま距離を縮めていけば──。

「自分の口にセロハンテープ貼るとかほんっと浅慮だよね」
「名案でしょ」
「どうせ自分で考えた訳じゃ無いだろ。セロハンテープは名前が持ち出してきたんだろうけどさ」

 いっそその小憎たらしいブツ引っ剥がして無理矢理にでも奪ってやろうかこの女。瞬く間に頬を引き攣らせた喰が当時そう良からぬ思いに身を馳せていたことを名前は知らない、知る由もない。
 知らぬが仏とは正にこの事。
 もし喰が実行になど移していたらそれこそハッピーエンドを迎える筈の物語が血に濡れたサスペンス展開を迎え、白雪姫か王子、どちらかが息絶えるまで争いは果てなく続けられるという強制バッドエンドが待ち構えていただろう。子供は見ちゃいけません。

 そんなこんなで、最終的には名前の唇は守られた。高がセロハンテープと侮ることなかれ、時に両面テープより万能な小道具は充分に己の責務を果たしてくれた。満足気に名前が膝の上に乗る花礫の頭を撫でていると、気に障ったのか小さく彼が身じろいだ。鼻から抜けた声がなんとも色っぽい。
 身悶えしつつも絶対に花礫を起こすことだけは避けたいと震える体を抑え付ける。しかし追い討ちを掛けたのは他でもない、眠っている花礫の口から夢見半分で零れ落ちた言葉だった。

「……名前……」

 す、きだ。音として直接出されることは無かったけれど、少年の唇がそう形作ったのを見て名前は声にならない叫びを上げそうになった。
 名前を呼ばれることさえ稀にしか無いのに、この破壊力。思わず立ち上がって狂喜乱舞してしまいたいくらいに、天にも昇る気持ちだった。だらしなく弛む頬に目も当てられない、と喰が早々に顔を逸らす。この機会を逃す手はない、皆が別々の所に意識が向いているなら、やることはたった一つだけ。
 ちょっとお腹が苦しいが上半身を屈め、無防備に晒されている花礫の額に唇を落とす。本音を言えば唇にしたかったけれど、体を曲げたこの態勢のままはいささか辛い。それにどうせするなら、花礫が起きているときじゃなきゃ意味が無いから。名前はこれ以上ないくらい蕩けそうな微笑を湛えた。
 まんまと一杯食わされた、と片や二人の様子を視界の端に映していた喰が心底憂鬱な溜息を吐いた。
 きっと名前は気付いていないだろうが、良い歳した大人達はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて二人を見ている。これは後で容赦なくからかわれて転がされるだろう。
 ──僕は助けないからな。
 意趣返しとばかりにそっぽを向いた。されど順調に幸せへの道のりを辿っている初々しい二人に、幼馴染みに、今度こそは幸あれと心の片隅で呟きながら。


周囲の糖度をあげないでください(今ならアルコール度数も高めです!)


「でもやっぱ腹立つ」
 リア充爆発しろ。
 顔を真っ赤にして慌てふためく幼馴染みを取り巻く悪い大人たちの群れに、青年も腹癒せとしてわざと困らせてやろうと自ら進んで歩み寄っていった。
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