「今日も安定の丸眼鏡だな」

「こっちが本体みたいに言わないでくれる?」

「気分を害したなら悪い。私は思ったことを素直に、率直に、ありのまま口にしたまでだ」

「遠回しに肯定してんじゃねえかコノヤロウ!」


 しれっとした顔で失礼なことを言ってのけた女に来店早々がなり立てた。
 ハッと直ぐに我を取り戻し、人目を気にして周りを窺うも幸い客は自分以外に居ない。
 クスクスと呑気に笑う女を睨み付け、折角やってきた客を冷やかすとはなんて底意地の悪い店主だと舌を打てば彼女の笑みはより一層深まった。


「おっと、そんな凶悪な人相してたらあんたの大好きな可愛い女の子も尻尾巻いて逃げるんじゃないか?」

「誰のせいかな」

「はて、誰だろう?」


 アンタだよ。
 白々しく惚ける女に喰は心中そう悪態吐いた。

 彼が最近足繋く通いつめる植物専門ショップ。
 商品は観葉といった観賞用の植物から薬用として栽培出来る植物の種など多角的に扱われており、滅多にお目にかかれない貴重な肥料までと幅広く多彩な品揃えが売りの、されどこぢんまりとした店だった。店内そのものは大して奥行きも無く狭く見えるが、品物は常にきちんと整頓されていて配置もバランスよく考えられているため息苦しさなどは感じない。
 むしろ居心地が良いとさえ落ち着くほどだ。

 だがあまり長居したくない、と煙たがるのは間違いなくこの店主が居るからだろう。
 何食わぬ顔でのうのうと書類を捲る女──湊を一瞥して喰は重いため息を落とした。

 元々ここに興味を持ったのはタチの悪い酔っ払った客と対峙している湊の姿を見かけたからだ。

 怯えて縮こまっているバイトの女の子を匿いながら一方的に浴びせられる罵詈雑言をただ黙って聞いている彼女を、道を行き交う人々は哀れみを込めた眼差しで見ていた。「ここのバイトは客もまともに相手出来ないのか」「ちょっと手が触れただけなのに痴漢扱いか」などと偉そうにふんぞり返り虚言をほざく男。

 「ちょっと手が触れた」? いやあの厭らしい手付きは明らかに明確な下心を持って自分から触れていたんだろと、近くの喫茶店から一部始終を覗いていた喰は呆れ顔を浮かべた。厚顔無恥とはまさにあの男の為にある言葉だ。

 さて店主はどう切羽詰まった状況を切り抜けるのか。ここはやはり店の評判に影響を及ぼさないため頭を下げるのが定石なんだろうな。そう喰が関心を失って紅茶を一口嚥下したとき──凛とした声が、喧騒の中をかい潜って耳に入った。


「さっきからペラペラと良く回る口だな。これでもう満足したか? 生憎、私達には酔っ払いの戯れ言に付き合ってる暇は無いんだ。そういう女との戯れがお望みなら他所の店に行くんだな」


 真っ向から物怖じせず、あくまでストレートに言い放った女に、意表を突かれたのは自分だけでは無いだろう。同様に様子を傍観していた喫茶店の店員が吹き出す音で意識が戻った。

 そちらに再び興味を戻せば、ポカンと呆けていた男の身体が次第に細々と震えてくる。
 そして胸倉に掴みかかり、周りの悲鳴もなりふり構わず男が女を殴ろうとした瞬間。

 男の体躯が吹っ飛んだ。

 周り茫然。喰も唖然。
 いったい何が起こったんだと呆気に取られたものの、時間を要してようやく彼女が男を背負い投げたんだと理解出来た。酔っ払った男は衝撃が強かったのか地面に臥して伸びている。

 暫くして治安部が男を回収していった後、瞬く間に広がる拍手喝采の嵐。
 しかし女は苦笑いを見せると、深々と一礼して店に引っ込んでいった。よく目を凝らせばその店は植物関連のショップで、好奇心をそそられた喰は席を立って店内に足を踏み入れた。


「それにしても君、ずいぶん怖いもの知らずなんだね。あんな自分よりも体格の大きい男一人に立ち向かうなんて」

「酔っ払いに大した力も残ってないだろう? あれくらい軽々とねじ伏せることは朝飯前だ」


 予てより欲しかった物も難なく手に入って懐がホクホクとしながら会計を済ませていた頃。喰はおもむろに女に自分から話しかけた。
 彼女は何の話かと小首を傾げたが、先ほどの一悶着を見られていたのかと察すると苦い笑みを落とす。淡々と返された言葉は確かに的を射たもので、けれど普通の女性ならば無闇に危ない橋を渡ろうとは、ましてや男相手に喧嘩を売ろうとはしないだろう。
 その時点でこの女は一風変わり種を抱えた人物で、豪胆で肝っ玉の据わった女だと、喰の中でそう認識されていた。

 個性的かつアクの強い人間だと、聞こえは悪いが正直に言えば変人だと思っていた。
 けどまさか、


「良いじゃないか丸眼鏡。もちろん本体のほうも好きだぞ」

「はいはいそれはどーも」

「……つれないな。そんなんじゃロクにモテたことないだろ」

「余計なお世話だ畜生!!」


 可愛い女の子は大好きだよ! 大好きだけどいっつも足蹴にされてばかりなんだよ!! 特にイヴァさんとかイヴァさんとかイヴァさんとか!! だからあの人苦手なんだよ!!!

 頭を抱えて悲痛な叫びを上げる喰に、地雷を踏んだ湊はカラカラと笑って「そんなところも好きだよ」とコーヒーを手に取った。
 まるで他愛もないことを話すように、サラリと告げられた愛の告白。


 ──まさか、一見難攻不落にも窺えるこの女が自分に惚れるなんて誰が予想だにしただろうか。なにも告白は今回に限ったことでは無かった。

 好きだと言われ始めたのはいつからだったか、具体的に日付までは覚えていない。
 いつの間にか想いを告げられることが当たり前になっていて、だけれど顔を赤らめることもせず、平坦と放たれるその言葉に信憑性なんてものは欠片も無かったから喰も気軽に受け流していた。

 だがしかし、別に何とも思っていない女性からこう何度も告白されるというのはなかなか至極面倒なもので。好きと言われる度に精神がすり減っていくような感覚、半端ない疲労感。
 そりゃあこんな生活を毎日続けてれば息苦しくも鬱陶しくも感じる訳だと、今ごろ幼馴染みと艇の中でいちゃついているだろう青年の昔を思い出してため息を吐いた。自分は毎日では無い、というだけマシということか。


「……君さぁ、なんで僕に惚れたの? むしろ惚れる要素どこにあったの? 顔?」

「残念だが顔はそこまで私の好みじゃないな」

「……あ、そ。まぁどうでも良いけどぶっちゃけ言えば僕こそ君は好みのタイプじゃないし、振り向かせたい子がいるからそんなにしつこくアピールされても困るんだよね」


 ほう、それは初耳。
 きょとんとした後ふと笑って平然とのたまう湊がいやに癇に障った。

 冗談なんかじゃない、本気なんだと自然と面持ちが険しくなっていくのを感じ苛立たしげに歯噛みすれば、「勘違いするなよ」と思いもよらない発言が返ってくる。あの日と同じ凛とした口調に、佇まいに、息を飲んだ。


「私はあんたを振り向かせたくてわざわざ言ってるわけじゃない。ただ好きだと感じた時に言ってるだけで、条件反射みたいなものだ。それ以上何か進展を望んだりはしない」

「…もし本当にそうだったとしたら、君の気持ちは押し付けがましいね。自己満足も甚だしい」

「承知の上だよ。あんたが止めろって言うんなら大人しく止めるさ、何も言わない」

「じゃあそろそろ止めてくれない? いい加減ウンザリなんだ、無駄に疲れる」

「そうか、分かった」


 存外あっさりと承諾した女に瞳を見張った。案の定そんな容易く引き下がるような軽い気持ちだったのか。
 今までの苦労は何だったんだ、こんなに簡単に解決するならもっと早くに言っておけば良かったと喰は瞑目してやれやれと肩を竦めた。

 何はともあれ問題は一件落着で片付いた。
 これで心置きなく商品を物色出来ると店内を巡り特別許可を貰ってハーブの葉をかじる。これは少し苦い、こっちはお茶に使うにはイイ感じ。

 (ああ、そういえば名前が生理で貧血が酷いとか言ってたかな……)

 ぐったりとした様相の幼馴染みを思い出して、なるべく胃に優しいものをと目的を変更し目を配らせる。
 すると怪訝に思ったのか、コーヒーを置いた湊が近寄ってきて。


「何か探し求めるものを?」

「……幼馴染みがいま月経で貧血酷いらしくて。何かオススメの草とかある?」

「ああ……ならネトルのティーを飲ませれば良い。緑茶みたいな味でクセもさほど強くないから飲みやすいだろうし、ビタミンやカルシウムだけでなく鉄分も多分に含まれているから、普段から飲むようにすれば貧血の予防にもなる」

「成る程ね……そうするよありがとう」

「どういたしまして。美味しいの作ってやれよ」


 例の大事なコ、なんだろう?

 そう綺麗に微笑んで湊がレジに戻ろうと踵を返した時、喰の鼻腔をついと甘い匂いが掠めた。
 花の香りかとも思ったけれど、違う。どれとも判別付かないこの匂いは──。

(…まさか、僕があの女にときめく訳ないだろ)

 だから一瞬だけ感じた心臓の高鳴りは気の過ちなのだと、喰は蟠る感情を紛らわせるかのようにネトルの葉を千切って一切れ口に含んだ。
 噛んだ瞬間口内に広がった後味の悪い苦味に、思いがけず顔を顰める。


「……にっが、」


 真に苦いのは口か心か。
 屈託なく微笑んだ女の顔が妙に脳裏にこびり付いて、喰は苦い葉を奥歯で噛み潰した。

 ……全く、意味が分からない。
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