奇想天外で滅茶苦茶な女だと接するうちに認識が改められていった。元々個性の強い人間だとは思っていたが、まさかこんな深部まで自分の中に入り込んでくるとは誰が予想しただろうか。

「生憎、私達には酔っ払いの戯れ言に付き合ってる暇は無いんだ。そういう女との戯れがお望みなら余所の店に行くんだな」。

 普通の女なら回避する、常軌を逸した行動に好奇心を煽られたのがそもそもの発端で、始まりで。威風堂々とした立ち振る舞いで周りを圧倒し、体格差に怯むこともせず凛と相手を見据えながらこちら側に非は無いときっぱり言い放った姿に、好感を寄せたのも真実だ。


 彼女は芯の通った女性だった。
 その癖、時々屁理屈を捏ねたり他愛もないことでヘソを曲げたりと子供っぽいところもあったりして、頑固で融通が利かなくて、男勝りで、でも笑うと可愛くて。
 会う都度知っていく新たな一面に、どうしようもなく惹かれていった。

 ねえ、どうやら僕は君のことが好きらしい。
 今さらかもしれないけど、この期に及んで何を抜かすのかと君は失笑するかもしれないけど、これだけはどうしても伝えたいんだ。

 今、そっちに行くから。
 どうか君は、いつものように笑って僕を出迎えて。





「────居ない?」

「ええ、なんでも今日は例のお見合い相手の方と昼食を摂る約束をしてたとか……もう出掛けてから結構経つからそろそろ帰ってくると思いますけど、…って、あの、お客さん!?」


 留守番を務めていた店員の言葉も途中のまま、喰はなりふり構わず踵を返して駆け出した。
 本来ならば空から探した方が手っ取り早いが、休日で人が多いということもあり道は普段より混雑している。
 かといって実際足を使って虱潰しに探すというのもなかなか骨が折れる行いで、いくら喰の眼が優れているからと言えど追い求める姿は全く見当たらなかった。

 まるで独り相撲しているような気分だ、と喰は思った。
 勢い込んで艇を降りて来たものの、さっそく肩透かしを食らって、あまつさえこんな風に冷静さを欠いて見つからない姿に焦って。まだ一縷の希望はある筈だと足掻いてもがいて走り出す。


「は、僕の余裕崩すとかさ、そんな暴挙成せるのは後にも先にも君だけじゃない?」


 だからいつまでも隠れるなんて無粋な事してないで、さっさと僕の前に出てきなよ。
 今なら抱き締めてあげるから。

 なんて、おびき寄せるための餌として適当に思いついただけだけど。
 無論そんな糸を垂らしても、直接言葉にはしていないから釣れるわけも無い。

 いっそ耳障りなほど活気に満ち溢れた商店街、喰が立ち止まろうとすれ違う人々はただ邪魔そうに一瞥をくれるだけで我関せずと進んでいく。
 時が無情に進むように、一度たりとも振り返ることなく。

 いま君はどこに居て、僕以外の誰に笑いかけてるの? 問いかけた頼りない声は虚空に溶けた。虚しい、物足りない、感情の欠如。あの軽口が、意地の悪い微笑みがたまらなく恋しい。

 やがて視界がモノクロになって、あたかも自分だけ世界とは切り離されたような途方もない漠然とした感覚に陥る。その分より神経が研ぎ澄まされて、行き交う人々が急にスローモーションのように映った時だった。

 望んだ姿が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。幸い向こうはまだ気付いていない。
 この好機を決して逃しはしないと、喰は脇目も振らずアスファルトを蹴った。


「────湊!」

「! あれ、なんで、」


 何か言おうとした湊の言葉を遮り、喰は呆気に取られる彼女をさして意にも介さず強く抱きしめた。腕の中で息を飲む気配がする。

 相手が驚くのも無理は無い、むしろ自分が一番あり得ない行動に仰天していると喰は微かに笑いながら、抱き寄せる腕に力を込めた。


「…………ほんっとさぁ、どいつもこいつも身勝手だよね」

「は?」

「こんな綺麗に着飾っちゃって、僕がいっつも見るのは決まったスタイルなのに腹立つなー、ああ胸糞悪い。なんなの、そんなにめかし込んで気合いまで入れちゃってさ。その様子じゃさぞかし結婚相手とのデートは楽しかったんだろうね?」

「何でそれを……」

「僕はここ数週間散々悩みに悩んで頭痛までしてたっていうのに。結局は例の好きだった幼馴染みに行ってこいなんて後押しされて? しかも恋敵にまで若干脅し紛いの忠告されて? 汗だくになって街の中走り回ってたって言うのに、君は悠長に、他の男なんかとデート。腸が煮えくりかえるどころか皮膚を破って今にも出てきそうだよ」

「……悪いが一向に話が見えない。私にも理解出来るように簡潔に話してくれないか」

「ここまで言っても分からない?」


 怒涛に繰り出される不平不満の羅列に、湊は意味が分からないと困惑の色を隠せないまま身を捩った。比例してますます強くなる喰の力。

 彼がなんの理由もなくこんな行動を仕出かすなんて到底思えない。

 刺々しい口振りとは裏腹に優しい、けれど力強い腕に心臓は早鐘を鳴らし、湊の戸惑いをさらに煽る。


 だって、まさか、
 そんなこと在る筈が無いだろう。

 想いを無碍にしたのは喰だ。
 自分も了承した、納得した。
 煩わしいと自覚もしていた。だからあっさりと引き下がった。
 自分ももう年甲斐もなく一人の男に縋るほど、惨めにはなりたくなかったから。

 ただ想うだけなら自由だと、いつか熱が沈静するまではと渋っていたお見合いにも腹を括って踏み切った。これで直に忘れられると、そうようやく決心もついたのに。


「好きだよ湊。いつの間にか君のことが、こんなにも愛しく思うようになってた」


 この男は未だかつて見たことない真剣な面持ちでそんなことを言うから。


「何が何でも認めたくなかったけど、正直気付きたくもなかったけど、毎日毎日目の前で人目も憚らずいちゃついてるバカップルを見てたら意地になって顔背け続けてる自分が徐々に馬鹿らしく思えてきてね。受け入れたら最後、泥沼にハマるだけだって分かってたから尚更突っぱねてた。……けど、君が結婚するって聞いてこれ以上誤魔化しようもなかった、らしくもなく焦ったんだよ、この僕が」

「……」

「……湊が決めたのなら僕は何も言えない、言わない。でもおめでとうとも言ってあげない。知らない男に負けたんだと思うとムカつくし。ただこれだけは覚えてて。僕はもう君にしか興味もないし他なんて眼中もないってこと」

「……」

「……伝えたいのはそれだけ。言いたいことはおおよそ言ったからもう帰るよ。あまり長居するとこのまま離したくなくなるし」

「だったら離さなきゃ良い」


 きっぱりとした物言いで放たれた言葉に意表を突かれて思わず「……は?」と咄嗟に間の抜けた声が漏れ出た。

 知らない間に彼女の抵抗は既に止んでいて、今は身動ぎ一つせず黙って喰に身体を預けている状態。
 抵抗されず、逆に離さなくて良いなんて許可されるのは喰にとって願ってもないことだが、どことなく湊の様子がおかしい。
 いいや、いつも通りといえば確かにいつも通りなのだが。

 僅かに密着する身体を離して顔を覗き込めば、彼女はやはり毅然とした眼差しで怪訝げに窺う喰を射抜いて。


「婚約は丁重にお断りした」


 だなんてとんでもない爆弾を投下するから、言葉の意味を緩慢と咀嚼して理解したあと、瞳を見張った。


「なんで、だって君は」

「言っただろう、お見合いは私の本意ではなくあくまでも渋々、嫌々だったと。あんたを忘れるために利用しようと画策もしてみて試しに何度か付き合ったが、……案の定、私には結婚なんて分が過ぎたことだったな。期待させておいてあちら側には大変申し訳ないが、荷が重い」


 ふぅ、とため息を吐いた湊に暫し唖然として、けれど次第にこみ上げてくる感情に喰は沸々と湧き上がる笑みを堪えきれず声を出して笑った。
 「何か変なことでも言ったか?」と小首を捻る湊に、笑いをろくに噛み殺せないまま「イヤ、」とかぶりを振る。

 期待をさせておきながら申し訳ない? いやいやこちらの期待には裏切らず充分応えてくれたのだから問題ない。むしろ大金星を挙げることが出来たと歓喜した。
 これでもう何も懸念することは無く、堂々と湊と恋人だと胸を張ることが出来る。

 自分達は両想いなのだから当然で、当たり前で、極々普通の流れだろう?

 喰はそう信じきって微塵も疑わなかった。湊の水を差すような言葉さえ無ければ。


「なら、僕らは晴れて恋人同士っていうことで良いんだよね」

「断る」

「ハァッ?」


 素っ頓狂な声だった。しかし生憎ながら今の喰にそんな些細なことを気にしている余裕は無い。
 さっぱり意図が読めない女の言動に、喰は眉間にシワを寄せてどういうことだと詰め寄った。


「……だってあんた付き合うとなると束縛強そうだし。けど自分は気ままに女の子の間フラフラして彷徨ってそうだし。そうなると色々めんどくさいから付き合うのは嫌だ」

「……もはや突っ込みどころが満載でひとまずどこから突っ込めば良いのか判断に苦しむけど。信用無さ過ぎないかな僕。流石に傷付くんだけど」

「すまん。私は思ったことを素直に、率直に、ありのまま口にしただけだ」

「もうその下りは飽々だっての!! 人を好き放題振り回した挙げ句こっ恥ずかしいこと暴露させておきながらふざけんなよアンタ!!」

「混乱していて口調が乱れてるぞ。減点三十」

「減点とか意味分からないし聞いてねーよこんチクショウ!」


 我慢が限界に達して周囲も気にせずがなり立てた。もう彼女の気まぐれに振り回されるのはほとほと御免だ。苛立たしげに舌を打った喰を湊が顎に手を添えてクスクスと控えめに笑う。

 確実に手のひらの上で転がされ遊ばれていた。いつも人をからかって弄ぶのは自分の方だったのに、かねてからのツケが巡りに巡って回ってきたのか。一枚も二枚も上手な彼女に業を煮やし、仕返しにと弧を描く唇にキスしてやれば途端に丸くなる瞳。


「ざまあみろ」

「…やれやれ。これくらいのことで主導権を奪った気でいるなんて」

「、なっ」

「まだまだ甘いな、青年」


 一度離れた唇を再び重ねられて、あまつさえ薄く開いた下唇をペロリと舐められて。
 否応なしに引き攣る頬に、目の前には意地悪く広がる妖艶な微笑み。

 良い様に翻弄するのは女、されるのは男。それはこれから先も変わりそうにない互いの立場。いつになったら逆転出来るのか、果てしなく遠い未来に想いを馳せて、喰は眩暈がしそうになった。
 とんだ厄介な女に捕まったものだ。


「私たちの関係にわざわざ名前なんて必要か?」

「……その方が少しは安心出来るんだけどね」

「残念、あんたのモノになる気は無い。あんたをモノにする気はあるけど」


 それなら不本意ながらとっくになってるよ。

 自信満々に告げる湊に戦きつつ嘆息を吐いた。用意周到かつ巧妙に仕組まれた蜘蛛の巣に自分はいとも簡単に引っかかってしまったようだ。

 ……ああ、やっぱりこの女はこの上なく腹立たしい。


「──好きだよ、喰」


 だけど女の甘い言葉に素直に嬉しいと感じてしまう自分はいっそ死んでしまえば良い。





 ここでも一つ優位権を巡る新たなバトルが開幕を遂げる。
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