目覚めれば直ぐ手の届く場所にいるのに、君が遠くなる夢を見た。
あの頃は何故だか不思議だったけれど、幾度も輪廻を転生し経験した今ならわかる。
あれは、未来(いま)への啓示だったのだ。

────夢と違って、影すら追えないくらいに遠く眩いけれど。



「……ひら、と……?」

男が愛おしい姿を見つけた時には、もう既に無情な別れは刻一刻と迫っていた。
あの日繋いだ手は彼女自身の血で汚れ、薄紅色が愛らしかった頬も色を失くし、生気すら欠け落ちていくようにいつも穏やかだった瞳に光は無く。
息も絶え絶えに木に寄り掛かって、視界もぼんやりと明瞭には映らない筈なのに足音だけで空から降り立った人物を恋人のものだと直感した。

男──平門は夥しい血液の海に息を飲みながらも、残り僅かな余力を振り絞って伸ばされた手を掴み、己の頬にすり寄せる。彼女の生命の源が肌にこびり付くがどうでも良い。今や氷のように冷たい手のひらをぎゅっと強く握り締めて、安心したように微笑んだ名前に平門も困惑する思考の中、理性的に努めて微笑み返した。

「ごめん、なさい…ドジっちゃった…」

「……そうか。お前は常に、そそっかしかったからな。これだから、片時も目が離せないんだ…」

「ふふ……能力者は、きちんと葬送、したから…レストラ、は、お願い…ね……」

「仕事を途中で投げ出す気か? 艇に戻っても、名前に課せられた任務は山ほどあるんだけどな」

「……ごめ、んね?」

眉尻を下げて困ったように苦笑する名前に、平門は為す術もなく下唇を噛んだ。責めたつもりは毛ほども無かった。けれど今目の前に広がる惨状を信じたくは無くて、名前の生命の灯火が、潰えそうになっているなんて現実を受け入れたくは無くてつい棘を含むような荒い語気になる。無駄な悪足掻きだと承知していても、平門は名前をこのまま永遠の眠りに就かせる気は無かった。

残された猶予は少ない。いずれにせよ早く救命処置を施さなければ、名前は本当に手遅れになってしまう。間に合わなくなる前に、と平門が掴んでいた手を離して速やかに名前の力無い体躯を抱き上げようとすれば、それは他でも無い名前自身に制された。
もうムリだよ、分かってるでしょう?
核心を突く言葉にそんなことは無いと平門は咄嗟に反論するも、身体は鋭く図星を見抜かれたからか意のままに動いてはくれなかった。

名前の傷は明らかに致命傷、だった。
能力者だけでなく、元より数多の能力躰の存在も確認されていた。ここよりさほど離れていない他の地点で同様に葬送任務に当たっていた與儀は先程無事に帰還したが、それでも身体の至る所に傷を負っていた。
いくら戦い慣れているとは言えど一人では厳しく、多勢に無勢。よほど手こずったのか、名前の周りは激しい戦闘の痕跡が深く刻まれていて。もう少し速く、此処にたどり着いて自分が加勢出来ていればと平門は忸怩たる思いに駆られて名前の身体を抱き締めた。

「……、ひら、」

「、うん?」

「つぎ……も、あえる、かな……?」

「……ああ。必ず。どれほどの月日が流れて名前が俺を忘れても、俺はいつまでも覚えている。絶対に、草の根を掻き分けてでも、また見つけてみせるさ。だから、」

──約束、だ。
平門のその言葉を最期に、名前は永い永い眠りに就いた。愛し愛された男の腕の中で、痛みとは無縁の安らかな表情をしながら息を引き取った。
男は泣かなかった、泣けなかった。
どれほどの悲哀に満ち、絶望の淵に落とされ失意に苛まれても、涙は一滴たりとも零れなかった。

そこに佇んで居たのはかの『輪』貳號艇長と闘員では無く、空っぽな亡骸とそれを抱き締めたきり微動だにしない、痛ましい男の孤独な姿。
これが、一番″最初″の二人の結末。

例え業火に妬かれ底なし沼に溺れても、起死回生を遂げて必ず君を見つけてみせる。
魂の、契りを交わして一時的な別離を果たした。


────二度目のシナリオは、まだ救われていただろうか。否、死に方は違えど、同じだった。

「………また、″ドジった″、か?」

「…ふふ……うん…そう、みたい……」

決して裕福な暮らしでは無かった。
二人が住んでいたところは治安も悪くて犯罪がひっきりなしに起こる場所。スリ、強姦、殺人、そんな悪事は毎夜のように頻発している。その時も、平門が家に帰った時には既に名前は虫の息だった。

丸腰の女一人が強盗犯をひっ捕まえようとした、なんて無謀な話だ。
前世(むかし)の名残で出来るかなって、根拠もない自信持って挑んだらアッサリ負けちゃった。また困ったように微笑う名前の姿に平門は歯噛みし、震えを押し殺した声で「馬鹿だな、」と苦笑しながら吐き捨てた。
家財だろうが何だろうが盗まれたって良かったのに、お前さえ無事で居てくれたら俺はそれだけで救われたのに。また置いてくつもりか、また遠距離恋愛させるつもりか?詰問する平門に名前は眉を下げて、「ごめんね」、そう、のたまった。

この時も涙は、奇しくも出なかった。


───三度目の転生は、名前は生まれつき身体が弱かった。日中の殆どを病院のベッドの上で過ごして、発作に悶え苦しむ日も少なくは無かった。

見ていて良い気分をするものじゃないよね、ごめんね。と、思えば名前はいつの時代だって謝ってばかりだ。彼女は何一つ悪くないのに、何もしていないのに、名前ばかりが犠牲になる。
目には見えない、得体の知れない何かに尊ぶべき未来を踏みにじられる、奪われる。生命すら、根刮ぎ。

これ以上失ってたまるかと、平門は苦虫を噛み潰したような顔で空を眺めていた名前を後ろから抱き竦めた。こうやってずっと離れず、腕の中に閉じ込めていたら名前は失わずに済むだろうか。
かけがえのない、己の命よりも大切な彼女を神とやらに攫われることも無いのだろうか。

「………ねえ、平門」

「……どうした?」

「生きたい、ね。今度こそ」

「……ああ…そうだな……今度こそは」

二人で、しあわせになろう。

今だけの満たされた時間を噛み締めるように二人は同じ言葉を反芻した。桜が綺麗だったその日、星が燦然と煌めいていた夜。
名前は、静かに何度目かの人生に幕を下ろした。


四度目、五度目、六度目。
そうやって気が狂うほどの転生を繰り返し、その度生きる気力を失って打ちひしがれてきた。

喉を枯らすほど叫んでしまいたかったさ。
涙が枯れるほど泣いてしまいたかったさ。
けれど尚そうしなかったのは、いつでも困ったように笑う君がそこに居たから。

俺が俺で、名前が名前だったから。
最期まで共に生涯を終えることを許されず、望まない最悪な形で引き離されるのだろうか。

二人でしあわせだって、笑い合いたかった。
二人でしあわせだって、…笑えなかった。

守りたいのに守れなくて。
離れたくないのに離されて。
置いていかれたくないのに、──ひとりぼっち。


天から水滴が零れるように激しく、
それでいて砂が落ちるように
密やかにそっと壊れていく。

誰もが気付けず、
しかし、気付いたときにはとうに遅いような速さで、歯車は廻っていったのです。
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