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「……はあ……」

なんか普通に歩くのもしんどいなあ疲れたなあ。一刻も早く暖かいベッドの中に入って寝転がりたい休みたいもういっそ布団と一体化したい。なーんて夢のまた夢なことを想像して深々と溜め息を吐いた。
葬送任務後の異様な憂鬱感や倦怠感はどれほど経験を積んでも中々晴れるものじゃない、きっとこれから先も慣れることは無いだろうと先行き不透明な未来にとてつもなく肩に重いものが伸し掛かってきたようで、このままじゃ負の無限ループへの一途を辿ると直感した俺はトボトボと自室への道のりを歩いた。

こんなブルーな日は早々に寝て忘れるに限る、部屋に着いたらさっさと寝間着に着替えて歯を磨いて床に就こうと、くたびれた身体を半ば無理矢理引きずるように動かして進んでいた時だった。
角を曲がろうとしたら思いがけずちっちゃな影と衝突して、でも俺は体格差があったから全然ビクともしなかったんだけど幼い相手側はそうもいかない。軸を崩して尻餅を付いた姿を一目見るなり瞠目して、慌てて痛そうに顔を顰めるナツちゃんに詰め寄った。

「あ、ナツちゃんゴメン! 大丈夫っ!? ケガは無い!?」 
「わたしはへーき……與儀は?」
「俺は丈夫だし、ナツちゃんがぶつかってきたくらいで倒れるほど弱くないよ……! っていうか、手!! 擦りむいて赤くなっちゃってる!!」
「だいじょぶ。自己責任」
「いやいや自己責任なんて難しい言葉使ってるけど明らかにこれは俺の不注意が齎した結果だよね!? どうしよう花礫くんになんて言えばっ! 責任取るから妹さんを俺に下さいって土下座すれば良いのかな!?」
「誰がくれてやるかボケナス」

一瞬で視界が反転した。床とご対面してキスする羽目になった。紛れもなく実はナツちゃんの後ろに潜んでいたらしい(単に俺の眼中に入ってなかっただけ)花礫くんから回し蹴りを喰らったからだった。
相変わらずお粗末な扱いを受けている。花礫くんにとって俺とナツちゃんじゃ月とスッポンみたいな差だから仕方無いかもだけど……腑に落ちない。というかはっ倒されたっきりポツンと放置ってさみしい。切ない。

地に伏したまま、俺は不満げに首だけ捻って二人を見た。花礫くんは赤くなってるナツちゃんの手をまじまじと診てる。「痛むか?」「んん」問い掛けにかぶりを振って否定するナツちゃんの髪をくしゃってする花礫くんはしっかりお兄ちゃんを努めている。
俺にもその優しさを半分、とまでは欲張らないからほんの一ミリでも分けてくれれば……「……ナニ見てんだよ気色わりぃ」睨まれた挙げ句ナツちゃんまで隠された。案の定俺には優しさの欠片も無かった。

「ま、痛くなくても後でジジィんとこ行って念のため消毒してもらえ」
「舐めとけば治る」
「そういう問題じゃねえって」
「いーの、だいじょぶ」
「…………っとに、」
「!?」

思わず我が目を疑った。大丈夫だと意固地になって言い張るナツちゃんの手のひらを花礫くんが本当に舐めたのだ。皮が剥けていないにしても滲みはするのか、もしくは舌の感触が不快なのかナツちゃんは「うー」と唸りながら眉を寄せている。黒い瞳は何か物言いたげだが、直接口にされることは最後まで無かった。

ちゅっと花礫くんがナツちゃんの手から口を離したところで、ようやく俺は我に返った。今暫くの光景が未だに目蓋の裏をちらついて混乱しつつも「なっ、何してるのー!」とかろうじて声を振り絞る。なのに花礫くんはそんな俺の動揺をものともせず「舐めときゃ治るっつーから舐めただけ」なんて何食わぬ顔でサラッとかっこよく言っちゃうから、ついつい呆気に取られて間抜け面を晒した。これは予想外。てっきり俺はナツちゃんが自分でやるって遠慮して言ったことかと思ってたのに。

コイツ例え痛くても意地張って我慢すっからほっとけねぇんだよ、といつもの顰めっ面でのたまう花礫くんは完璧にナツちゃんの悪い癖を把握していた。ナツちゃんが気まずそうに目線を泳がせているのが確固たる証拠。図星だ。流石お兄ちゃん。

「つか懐芽、早くしねーとアイツらが五月蝿いんじゃねえの?」
「……あ! 與儀、立って! はやく!」
「え、え? これから何かあるの?」
「みんな待ってる!」

みんな?みんなってナツちゃんと花礫くん以外の人のことだよね……ツクモちゃんとか无ちゃんのことかな?
戸惑いながらも早く早くとナツちゃんに急かされ、億劫ながらもゆっくりと起き上がる。どうやら、ってよりやっぱり花礫くんに蹴られた弾みによって俺の鼻は地面にスライディングした時擦りむいてたみたいで、それを見たナツちゃんは「いたいのいたいの飛んでけー」と大変愛くるしいおまじないをしてくれた。
ちょびっと照れ臭そうにはにかんだ笑顔付きで。照れ臭そう、ここ重要ね!

まあ何が言いたいかってーと、百々のつまりものっっすごく癒された。痛みどころか疲れも吹っ飛んだ。まさしくこの子は天使だ、この世に降臨した聖女だ。尊ぶべき愛し子だ。
けどぎゅううって抱き着いたら再び花礫くんに首根っこを掴まれて無碍に放り投げられた。言わずもがなお兄ちゃんのガードは鉄壁だった。

「……いつか花礫くんの壁を越えてみせるから待っててナツちゃん……!」
「?」
「死ね」

果敢に挑んだところでにべもなく秒殺でしたけど。




そしてナツちゃんと花礫くんの含んだ言葉の意味が分かったのは食堂に着いてからだった。
扉を開けるなり立て続けにパンッ、パンッと短い破裂音が響いて、紙吹雪が俺の周りに降り注ぐ。不意での出来事に俺は目をパチクリとさせながらへ?と間の抜けた声を出して、唖然とその場に突っ立ってれば「なにボーッとしてんのよ主役」と呆れた顔のイヴァ姐さんに窘められた。横にいた筈のナツちゃんと花礫くんはいつの間にか忽然と消えてて向こう側にいる。
素早い動作にびっくりしながら今日何か合ったっけと思考を廻らせていれば、いつになく嬉々とした无ちゃんが「與儀、誕生日おめでとう!」と満面の笑顔で駆け寄ってきた。誕生日……え、誕生日?誰の、俺の?

「ド忘れしてたみたいだな」
「……ああっ! そっか、今日って……」
「與儀の産まれた日、でしょう?」

そっか、忙しくてすっかり頭から抜け落ちてた。
しかもツクモちゃんや无ちゃんだけじゃなくて艇を空けてることの方が断然多い平門さんや姐さんまで居る。あと喰くんも。みんなバタバタと忙しないのに俺の為に集まってくれたんだと分かると途端に胸に熱いものが込み上げてきて、俺は感極まった声で「みんな……!」と喜びを露わにした。
実のところ一人一人抱き着いて全力でありがとうを伝えたいけど、鼻水でグチャグチャなこの有り様でそんなことをした日にはこっぴどく叱られるし殴られるだろう。えぐえぐと溜まった涙を拭いながら俺はそう予見してぐっと思い留まった。

「可愛いナツ直々にお願いされたらそりゃ断る道理も無いでしょうよ」
「え? ナツちゃん?」
「懐芽が頼みに来たんだ、今日の夜は暇を作っておいてほしいと」
「與儀君の誕生日祝いたいからって率先して企画したのはあの子だよ」
「うわあ……ほんとに嬉しい」

感謝のハグを!!って思ったけど生憎にもナツちゃんは既にケーキに夢中だった。……あれ、まさか甘いものが食べたくてパーティを主催したとかじゃ無いよね。考えすぎだよね。でもナツちゃんは興味を失くしたかのように俺には見向きもしない。無言でケーキの苺を頬張っている。ああ、だけどあんな幸せそうな顔見たら絆されちゃうなあ可愛いなあ。花礫くんも今までになく優しい目してるし、なんかもう俺あの兄妹見てるだけでお腹いっぱいかも。和む。

微笑ましい光景にほっぺを緩ませていると、続々とみんなから誕生日プレゼントを渡された。
時間を空けてくれただけでもスゴく嬉しいのに、ちゃんとプレゼントまで用意してくれてたなんて……!感動のあまり今にも卒倒しちゃいそうだ。うっかり気を抜いたらまた泣きそう。泣く。

「懐芽ちゃん。こっちに来て、與儀に一緒に渡しましょう?」
「ん」
「、え? ……ひょっとしてナツちゃんも何かくれるの?」
「ツクモと无と、作った」

喰くんや姐さん達から貰ったアイピローやら新しい服やらを一つ一つ丁寧に纏めていたら、ツクモちゃんが一心不乱にケーキを貪っていたナツちゃんをこちらに呼び寄せた。するとナツちゃんがコクリと頷いて、等身大くらいの人形?を抱えて俺の側まで歩いてくる。わりと大きさもあるからそれなりに重さもあるんだろう、たどたどしい足取りで近付いてくる小さな身体に俺達はハラハラとしながら見守っていた。

「えーと……これは、」
「コケトカゲ。……と、ニャンペ」
「ニャンペローナね?」
「ん。……頑張った」
「その、ごめんなさい下手で……」
「ごめんね、與儀……」
「いやいやっスゴく嬉しいよっ!! 見た目よりもツクモちゃん達が俺の為に手間暇掛けて作ってくれたって事実のがスッゴく!!」

あー!自分の語彙の少なさがもどかしいっ!!この喜びをどう表現すればしょぼんって落ち込んじゃったツクモちゃん達を励ますことが出来るんだろう。もう兎に角嬉しくて嬉しくてしょうがないの!ってことを伝えたら、ツクモちゃんも无ちゃんも強張った面持ちから緊張がほどけたみたいで柔らかく笑ってくれた。ナツちゃんは終始無表情だったけど。

だけど何を思ったのか、ナツちゃんが急に俺に抱き着いてきた。腰回りにぎゅうってしがみついて、俺のお腹に顔を埋める。「羨ましい!」って誰かが言った気がするけど誰だろう、ナツちゃんしか見てなかったから分からない。花礫くんからの鋭い視線はひしひしと感じるけどね。……あれこれって、うわぁ、もしかしなくても死亡フラグ……!
内心戦々恐々とする俺に、しかしナツちゃんは意にも介さず。お腹から顔を上げて、黒い睫毛に縁取られたつり目を窄めて無邪気に笑った。

「與儀、お誕生日おめでとう」
「〜〜っナツちゃんっ!!」

性懲りもなく俺はナツちゃんを抱き締めた。もちろん見兼ねた花礫くんと姐さんの手によって直ぐ様引き剥がされて俺は泣く泣く平門さんの隣でケーキを食べたけど。


──でも、今年の誕生日は今まで以上に楽しかった。みんなと過ごせて、みんなに祝ってもらえて。とてつもなく幸せだった。それこそ最初のブルーな気持ちなんて遥か彼方に置いてきちゃったくらい!
ある日舞い込んできたちっちゃな天使は癒しと共に幸せまでも運んできてくれて、俺の心を潤してくれた。

「ナツちゃん大好きだよ〜っ」
「んぅ、與儀ほっぺた痛い」
「頬擦りすんな、いい加減離れろ」

いつか俺のこともお兄ちゃんって呼んでくれる日が訪れたら良いなあ、なーんて、今のは花礫くんにバレたらまた蹴られるからナイショね?
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