松田旭

 男子トイレから出ると、すぐ傍の壁に背中を預けて端末をいじっている萩原さんが居た。お待たせしましたと声を掛けると、甘いタレ目が眩しいものを見るように細められる。今日の格好変だったかな?高校から付き合いのある友人には最高に可愛いと言われ、そのまま撫で繰り回されたコーディネートだったんだけど。可愛いなあと思って。なんて、胸までの長さのウィッグを被った俺の頭を撫でる手は男の人の大きいそれだった。陣平くんとはまた違う大きさの手の平に撫でられてくすぐったい。

 俺を男と認識してもなお、普通に接してくれる人だと思ってほんの少しの信頼を寄せた萩原さんだから陣平くんの名前を口にしたけれど。お兄ちゃんみたいな優しい人なんだなあと思って自然と口角が上がる。何かと頻繁に会っている陣平くんから、萩原さんのことは少しだけ聞いたことがあって。警察学校時代の同期で、今は爆発物処理班に一緒に所属している彼のことを陣平くんは腐れ縁だって言うけれど。ちゃんと信頼していて、気が合う良き仲間であり友人なんだろうなと思っていた気持ちは確信に変わっていた。憧れの人が心を許し背中を任せられる、そんな人。良いなあ。萩原さんのことが純粋に羨ましくて仕方ない。

 直ぐに終わらせるからちょっとだけ付き合ってね。そんな言葉に頷けば、ゆったりと歩き出した広い背中を見て目を細める。何をしてもひょろひょろな自分とは違う、厚みのある体。すらりと伸びた長い足を動かす度に、ゆらゆらと揺れる毛先がとても色っぽい。ほんのり香るのは煙草かな。陣平くんとは違う銘柄だと思う。くん、と鼻を使うと少しだけ甘い香りもする。大人の男の人。俺も、陣平くんや萩原さんくらいの歳になったら格好良くなれるのかなあ。いつになっても可愛い可愛いと周りに言われて、高校の文化祭では友人のせいで毎年女装させられて。そのまま日常生活でも女の子の格好をして出歩くようにまでなってしまった。俺はどうしたいのかな、なんて自問自答はいつしか止めてしまったけれど。

 萩原さんの後ろを大人しく着いて歩きながら、ここが陣平くんが働いている所かあと視線をあちらこちらへ向ける。よー、と萩原さんへ声を掛けて通り過ぎて行く人たちには軽く会釈をした。退勤すると言っていた通り、丁度入れ替わりのタイミングなのだろう。お疲れーと声を掛け合って通り過ぎて行く人たちも沢山居て。警察官に昼も夜も関係ないことは、陣平くんの勤務状況を知って分かっていた。いつもありがとうございます。皆さんのお陰で、今日もこの街は平和です。そう心の中で深々と頭を下げる。

 今日は朝から色々なことがあったなあ。昔からツイてないというか、命を落とさないギリギリの低空飛行具合で生きてきた。そんな俺を両親は生きてくれてさえいれば良いよ、と笑っていたけれど。陣平くんだけは耳にタコが出来るくらい俺に言って聞かせるんだ。外を出歩く時は気をつけろ。危ない物を見つけたら110番しろ。必ず誰かを頼れ、なんてことを繰り返し、繰り返し。旭を危険から守れるように、街ごと守る。そう言い出した陣平くんは有言実行とばかりに、格好良い警察官になってしまった。しかも手先の器用さを生かして、爆発物処理班で働いている。最初に聞いた時は何それ格好良い!と飛び上がって陣平くんに抱き着いた。でも、後からじわじわと不安が大きくなっていって、陣平くんをぎゅうぎゅうに抱き締めながら危ないことしないでねと泣いてしまった。分かってるよ、なんて笑う顔に絶対だよと指切りもして。小さな頃から、従兄弟の陣平くんは格好良かった。俺のヒーローで、憧れの人で。眩しくて手が届かない人。陣平くんみたいになりたくて一緒に走ることもあるし、筋トレもした。ついていけない訳じゃなかったけれど、俺の体はどうしたって陣平くんみたいに厚くならない。いつまでもひょろひょろして、同級生から女の子泣かせだと影で言われていたことも知っている。陣平くんは、俺は俺のままで良いって言ってくれるけれど。

良いなあ、萩原さんも、ここで働いている人たちも。陣平くんの隣に立って働けるんだもん。俺も、大学を卒業したら警察官になろうと思ってはいるんだけど。何をしてもひょろひょろの俺に、ちゃんと務まるだろうかという不安はいつどんな時も付き纏ってくる。憧れている陣平くんの役に立ちたいから、なんて言ったら私欲が強過ぎて公務員には向いてないのかなあ。それでも、それでも。

「ここが俺たちの居室ね。」

 少し意識を飛ばしている間に目的地に到着していたみたい。萩原さんが振り返りドアを指差す。すぐ終わるし入って良いよとゆるりと微笑まれて。大丈夫なのかな、と思いながらも萩原さんの背中を追うように入室して、ドアを閉める。

「あれ、松田くん?まだ居たんだ?」
「あ、今日は大変お世話になりました」
「いやいや、一般市民を守るのがお仕事だからね」

俺に声を掛けてくれたのは萩原さんたちが爆弾を解体する間、隣に付き添ってくれた人だった。よく考えてみればこの人も優しい人だったな。念の為に持ち歩いているスキニーに着替えて、長い髪のウィッグを外した俺を見た時は萩原さんと同じくらい動揺して頭を抱えていたけれど。すぐにスンとした顔でこちらを見つめて、どんな格好も似合うね!と親指を立ててくれたことには思わず笑ってしまった。多分、普段相手にしている物が物だけに強靭なメンタルを持っているんだろうなと思って。気さくに話し掛けてくれる声に言葉を返していれば、なんだかうずうずとした顔をしている人たちがそろりと近寄ってきている。

「はーい、ダメダメ。この子のお迎えが来るから無闇に近づかないことー」
「えーなんだよ萩原ー、そんな可愛い子独り占めかよー」
「ずるいぞ萩原ー。お前だけ美味しいとこ取りかよー」
「うるさいでーす。元気にお仕事してくださーい。お疲れ様でしたー」

ひらひらと右手を振って俺の隣に立った萩原さんはいつの間にか着替え終わっていて。肩には大きめのトートバックが掛かっている。すごい、早着替え。陣平くんも着替えるの早いんだよねえ。行こっか、と穏やかな声が降ってきて頷く。お邪魔しましたと頭を下げると、またおいでねーという声が幾つも聞こえる。陣平くんの職場は優しい人ばかりだなあ、なんて思うと自然と笑みが浮かぶのだった。