松田陣平
焦る。ただただ焦りだけが募っていく。よりにもよって世間では帰宅ラッシュと言われる時間帯だ。いつも通りに大通りの道を車で走れば、すぐに渋滞に巻き込まれた。何度目かの舌打ちをして、咥えた煙草の本数を数えるのは早々にやめた。考えなくとも分かったことだろうに。萩原からの電話で旭の名前が出た次の瞬間には体が動いていた。一体何があったのかはろくに頭に入ってこなかったが、すぐに迎えに行かなければと思い電話をしながら車を走らせていて。いつもなら渋滞する時間帯を避けて通勤しているから20分と掛からないのに。視線を向けた時計では、既に30分以上も経っている。最早、焦りが苛立ちになっていた。
萩原が電話口でごちゃごちゃと言っていたが、とにかく旭が無事なことしか覚えていない。あとは家が焼けた?だったか?どうしたって胸の奥がぎゅうと痛む。だから、旭が一人暮らしをするとか言い出した時に言ったんだ。俺と一緒に住めば良いと。本人はそんなことないと笑うが、学力も身体能力も申し分ない旭は余裕で東都大学へ合格した。どこの学科だって選べただろうに、理系は研究に掛かりきりになって俺に会えなくなるのが嫌とか言いながら文系一択で。その中でも文学部を選んだと会った時に言っていた。
法学部や経済学部には行かないのか?と泣きそうな顔で説得する高3の頃の担任の様子をなぜ知っているかと言うと、旭の三者面談について行ったから。旭と伯母である旭の母親、そして俺を見た担任は困惑顔だったが、旭が兄ですと俺を紹介したことで首を傾げながらも話を進めていた。大学卒業後は警察官になるので、大学生のうちから公務員試験の勉強をしたいし、文学部の勉強をしながら法学部や経済学部の授業にも混ぜてもらいますと言い張る旭に、伯母はこの子が言うならとにこにこ笑うだけ。旭の学力や内申が完璧すぎるために担任は偏差値が高い学部へ入れたかったようだが、ひと睨みして黙らせておいた。兎にも角にも、危なげなく大学合格を果たした旭が一人暮らしをすると言った時、俺は頭を抱えることになった。特に何かを言っていたわけではなかったが、旭は実家を出て俺と暮らすのだと勝手に思っていたから。一人暮らしなんて何があるか分からないと却下する俺に、旭の両親は陣平くんは心配しすぎよお、と旭に良く似た朗らかな顔で笑うだけ。俺にはとてもそんな顔で笑っていられる神経が分からなかった。
旭は、昔から何かとトラブルに巻き込まれやすい。まだ幼稚園の頃だ。2人でお使いへ行きほんの一瞬目を離しただけで知らないおっさんに連れ去られそうになった。大声で周りの大人に知らせて事なきを得たが、連れ去られそうになった回数は数えきれない。変質者に会った回数も同上。近所の大型犬に襲われのし掛かられているところを助けたことだってあるし、車に轢かれそうになったことも何度だってある。立て篭もり事件に遭遇したことだってあるし、よく分かんねえ変な薬を持った男と鉢合わせしたこともある。遊園地へ行けば3回に1回は乗り物が止まるし、殺人事件の現場に居合わせることだってある。どうしようもないほどに万年不幸体質なのが旭だ。こればっかりはどうしようもない、生きてくれてさえいれば良いと旭の両親は笑うが、俺としては堪ったものじゃない。厄年なんて関係なしに、毎年初詣は一緒に行って厄払いの祈祷をしてもらうし、盆の墓参りにも必ず一緒に連れて行く。神頼みでもなんでも、とにかく出来ることがあれば何だってやっている。とにかく俺は旭が心配で心配で堪らなかった。
そんな旭が、一人暮らしをするだなんてそんなの、認められるわけがなかった。何もしなくたって不幸の方から勝手に近づいてくる旭を、1人で生活させるなんて正気の沙汰とは思えない。俺にだって一人暮らしくらい出来るもん!陣平くんは過保護なの!と怒られて何も言えなくなったあの時の俺を殴りたい。例え旭を気絶させてでも自分の家に住まわせるべきだった。こうなったからには、誰に何と言われたとしても一緒に暮らす。旭の両親である叔母夫婦には事後報告で良い。誰の異論も認めない。絶対だ。
この感じだと、旭を警察官にさせるのも悩む。俺を追い掛けて来てくれる健気さは目に入れても痛くないくらいめちゃくちゃに可愛いが、旭のことが心配で仕事に全く身が入らなくなりそうだ。もういっそ囲うか。旭は頭が良いから、在宅でもなんでも仕事は十分出来るだろう。そもそも、別に働かなくたって構わない。旭1人を養えるくらいの給料はもらっている。ただ家に居て、いつも通り旨い飯でも作ってくれたらそれで良い。俺が幸せになれる。なんて考えていたら、これ以上の名案は無いとさえ思えてきた。自然と口角が上がる。そうだ、それが良い。今日からゆっくり説得していけば良い。旭が大学へ入学してまだ半年。卒業するまでにあと3年半も時間がある。苛々した気持ちはいつの間にか成りを潜め、まずは一刻も早く旭を回収しようと思った。
ようやく警視庁の駐車場へ車を止め、すぐさまダッシュする。途中で仕事上がりの同僚とすれ違って。どうしたー?と声を掛けられたが、曖昧に返事をして休憩室まで走った。中へ入ると、こっちだよーと呑気に手を振る萩原と、見慣れた後ろ姿。こちらを振り返ってにこりと笑う顔を見たらもう堪らなかった。旭、と名前を呼びながら駆け寄り華奢な体を力一杯抱き締める。苦しいよ陣平くん、なんて笑う声を無視して、首筋に顔を埋めて甘ったるい香りを思い切り吸い込んで。旭だ。旭の匂い。旭の声。旭の細い体。穏やかに笑いながら、俺の頭をゆっくり撫でる旭の体温。心配した、と腹の底から深い息を吐き出す俺に、ごめんねと小さな声が返ってくる。可愛い俺の旭。怪我はないのか?とようやく顔を上げれば。大丈夫、無いよとゆるりと微笑む顔。
「そうか、良かった。警視庁には?何で来た?」
「一応行った病院でね、たまたま爆弾を見つけたの。すぐに110番したよ」
「そうか……ちゃんと110番出来たんだな、偉いぞ」
「陣平くんが言ってたから。必要事項も教えてもらってたし、ありがとう」
「旭は賢いからな。本当に良かった。110番の後はすぐに避難したな?」
「あ、えっと…一般の人が来たら危ないと思って……待ってました」
「はあ!?危ない物を見つけたら110番して直ぐ逃げろって言っただろ!」
「う、でも…もしかしたら陣平くんが来るかなって思って、それで…」
「はあ、全く。さすがにもうダメだ。今日からは俺の家に住むこと。良いな?」
「え?でも、陣平くんに迷惑掛けちゃう…」
「旭のことを迷惑だなんて思うわけないだろ。俺のために一緒に住んでくれ」
迷うような素振りを見せながらも、分かったと頷くその反応に安心して。良い子だと囁きながら目元にキスをした。そんな俺たちにちょっと待った!と大きな声が掛かる。
「あ?なんだ萩原」
「なんだじゃないよ!ハグくらいまでは良いけど、ちゅーはダメでしょ!?」
「ああ?何がダメなんだよ、こんなの当たり前だろうが」
「あたりまえ…」
「俺は旭が生まれた時から見守って来たんだ。キスくらいするだろ」
「ひえっ、旭ちゃん逃げて!今すぐ逃げて!」
「え?逃げる?」
「おい、テメエ、誰の許可取って旭の名前呼んでんだ!?」
「もうやだコイツ〜〜!!」