松田旭
大丈夫家まで送っていくよ!?と泣きそうな顔で言う萩原さんに大丈夫ですと返す。物凄く心配されているけれど、大学だって1人で通えているんだもん。
「それに、萩原さんはお家の方向違うじゃないですか」
結局、今日は最後まで付き合ってもらってしまった。折角のオフだったはずなのに。お邪魔しちゃったから早く帰ってゆっくり休んでくださいと広い背中をそっと押す。最後の最後まで心配そうに何度も振り返ってくる姿を見て、もう一度大丈夫ですよ苦笑しつつも手を振った。このままじゃ埒が明かないなあと思ったから、さっさと踵を返すことにする。先日初めましてをした萩原さんは、実家に帰る度に可愛い可愛いと頭を撫でてくる父を彷彿とさせながらも、何故か陣平くんばりの過保護になってる…?と首を傾げてしまう。別に、陣平くんの過保護は今になって始まったことじゃない。本当に本当に、俺を大事にしてくれているからあんな風になってしまうのだとちゃんと分かっているわけで。そう思うと、萩原さんも陣平くんみたいにとても優しいお兄さんなんだよね。理解は出来るし有難い。そして気に掛けてもらえるのは純粋に嬉しい。でも、俺だってもうすぐ成人になるんだし、皆大袈裟な気がするんだよなあと考えつつも口許が緩んでいく。
小さい頃から本当に色んなことがあったから、変な人に追い掛けられたくらいでは驚いたりしない。持久力はやっぱり負けるけど、瞬発力なら俺より反応が良いって陣平くんも褒めてくれた。大学を卒業した後、警察官になって困らないように。一緒に住むことになった陣平くんへお願いして、一緒にトレーニングもさせてもらうようになった。何もかも同じようにとはいかないけれど、運動してご飯も食べてるのになあ。見下ろした先の自分を視界に入れて、どうしたって厚くならない体に溜息を吐く。陣平くんがぎゅうぎゅうに抱き締めてくれる時は、ついつい腕とか腹筋に手を伸ばして触ってしまう。すっごく硬いし厚くて羨ましい。手の平でその硬さを確かめるようにほんの少し押すと、くすぐったいって笑うけどやめてあげない。陣平くんは、本当に格好良い。ずっとずっとそう。唇を尖らせる俺を見た陣平くんは、旭はそのままで良いんだよって柔らかく笑うだけ。どんなにむくれたって陣平くんの指先が優しく頭を撫でてきて、その気持ち良さについふにゃふにゃになっちゃう。陣平くんの手は何をしても本当に気持ち良くて大好き。大きくて無骨なのに、温かくて優しい。昔から手先が器用で、俺を甘やかすのが上手なあの手を生かして爆発物処理班で活躍してるのも納得出来る。まだ警察官になりたいってだけで、具体的にどこに所属したいとか考えたことはなかったけれど。指先の器用さも大事なんだなあとぼんやり考えた。まずは陣平くんのテクニックを盗んでみよう。最初は迷惑を掛けると思ったけど陣平くんの近くに居るおかげで勉強になることが沢山あるし、これはこれで良かったのだとようやく思えるようになってきた。今日は改めて陣平くんにお礼をしたいなあ、なんて考えながら乗っていた電車を最寄駅で降りて。すぐ傍の大通りを歩き出す。
大通りを歩くようにしろ、と言っていたのも陣平くん。何かあった時に助けを求めやすいし、誰かの視線はそれだけで何かしらの抑止力へ繋がる。何もかもを防ぐことは出来ないけれど、その教えは正しいと思っているから、例え言いつけられなくてもちゃんと大通りを歩いていたと思う。ポケットに入れていた端末の振動に気づいて取り出すと、残業はなさそうと陣平くんからメッセージが来ていた。はーい、気をつけて帰って来てね。返事をするとすぐに既読がついたことに目を細めた。もともと頻繁にメッセージはやり取りしてたけれど、この帰る時間連絡にも慣れたなあ。出来るだけ陣平くんが帰ってくる時間に合わせて温かいご飯を準備したいな、と言えば頭を撫でながらありがとなって穏やかな声が返ってくることがとっても嬉しい。家賃も生活費も、全部陣平くんが出すというのは頑なに譲ってくれなくて。それなら何かさせてとお願いしたらご飯係に任命された。ちなみに、他の家事は分担だったり一緒にやったり。水回りの掃除とか、食器を洗ったりとかは陣平くんが率先してやってくれる。大事な商売道具が荒れたら大変でしょって言っても、じゃあ手入れしてなんてお返しされるからお風呂上がりは陣平くんのケアタイムだ。なぜかそのまま俺のケアもされてるからもう訳が分からないけど、陣平くんが楽しそうだからまあ良いかなって俺も楽しむことにしてる。あれ?もしかして俺、お世話されてばっかりじゃない??うわああダメダメ!!俺は陣平くんの役に立ちたいのに!今日から頑張る!!なんて決意を改めて。
気を引き締め直していると、目の前の女性と擦れ違う男性の挙動がおかしいと気づく。女性が肩に掛けているショルダーの紐へ手を滑り込ませ、勢い良く紐を掴んで引いた。その衝撃に女性の体が揺らぐ。返して!と彼女が叫ぶよりも何秒か早く、俺はスタートを切っていた。よくありがちな『待て』なんて言葉は掛けない。言ったところで止まりはしないだろうし、俺が追い掛けていることを知らせてやる必要もない。陣平くんが褒めてくれた瞬発力のおかげで、そいつとの距離はあっという間に縮まるものの。目視した限りではウェイトで負けると思った。勢いに任せて体当たりしても良いけど相手が受け身を取れなかった場合、怪我をしてしまうかもしれない。私人逮捕は一般市民にも認められている。だけど、相手に怪我を負わせた場合は逆にこっちの立場が悪くなってしまう。瞬発力はあっても、この薄っぺらい体じゃ並の成人男性を相手にしても敵わない可能性の方が高い。うーん、ほんと厄介だなあ。とにかく、まずは相手を止めなきゃ。後ろからは俺の他にも追っているような足音が聞こえているし、何とかなるかな。全力で走る男には、余裕で追い付いていた。傍らで跳ねているショルダーの紐へそっと手を伸ばして掴む。ほんの少しだけ引くとうわ⁉と声を上げながら、男の足がもつれる。一気にスピードが落ちて、そのままどたりと転んでくれた。無いとは嫌でも分かっているけれど、出来るだけ体重が掛かるようにと背中に手を置きながらショルダーの紐に腕を絡める。はくはくと呼吸を繰り返す男の背中はじっとりと汗をかいていて、思わず眉が寄った。ここまで全力になれるのなら、他のことにその気力を使えば良いのにと内心で呟いて。よくやったなお嬢ちゃん!と聞こえた大きな声に振り返ると、随分と大柄なお兄さんが立っている。それから、俺より後ろから走って来たはずなのに玉のような汗はかいていても、呼吸が全く乱れていないことに気づいた。お兄さんから少し遅れて走って来た男性に変わるよ、と言われて素直に頷く。手慣れた動作で男の両手を拘束する様子を見れば、言葉はなくとも分かる。
「警察だ、現行犯で逮捕するぞ」
大柄なお兄さんは胸ポケットから警察手帳を取り出す。顔写真の下には名前と、階級。伊達と書かれていたその名前には覚えがある。確か、陣平くんの警察学校時代の同期に伊達さんが居たと思うけどなあ。でも所属まで一緒になった萩原さんとは違って、その名前を聞くこともしばらくなかった。人違いだったら申し訳ないし、わざわざ聞くことでもない。何にせよ、助かったなあ。このまま自分だけで男の人を抑えておける自信はなかったから、たまたまとはいえ刑事部の人が駆け付けてくれたことに安堵した。また警視庁へ行くことになったら陣平くんに心配を掛けてしまうし、このままお願い出来るのは有難い。手錠を掛けられた男から離れると、大柄なお兄さんが口を開く。
「随分と足が早いんだなあ、驚いたぞ!」
「たまたま目の前だったので、引ったくりに気づくのが早かったんです」
「こんなお嬢さんがと思ったが、お手柄だったなあ!」
「ふふふ、ありがとうございます。さっきの女性は大丈夫でしょうか?」
「ああ、1人置いて来たから問題ないはずだ」
「良かったです。これ、お返ししてください」
「ありがとう。ご協力、大変感謝いたします」
びしりと音が聞こえそうなほど立派な敬礼をされて、思わず溜息が出る。格好良い。自然と浮かんだ笑みのまま。その人、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「気をつけて帰るんだぞー!」
「はーい!ありがとうございます!」
大きな声を背に受けて、振り返りながら頷く。振られる腕の勢いが豪快で、なんだか可愛いお兄さんだなと笑って手を振り返した。前を向きながら、陣平くんが買ってくれたお気に入りのサッチェルバッグの位置を直す。さっきしてもらった敬礼、格好良かったなあ。陣平くんが帰って来たらお願いしてみようかな。うわあ〜〜絶対格好良いよねえ。緩む頬をそのままに、急いで帰路についたのだった。