松田陣平

 本日、私たちは成人式という人生の節目、そして大人としての門出を迎えることができました。私たちがこの日を迎えられたのは、今まで温かく育み、支えてくれた多くの方々の存在があってのことだということを忘れてはなりません…。

 壇上で成人代表の言葉を読み上げる線の細いすらりとした背中を見つめる。演台のマイクに吸い込まれる落ち着いた声はスピーカーを通して会場全体に心地良く響いていた。

 小中高いつどんな時も成績優秀で人当たりも良く、問題とは無縁の模範的な生徒として教師陣から愛されていたと言っても良い旭。あらゆる所属の人間たちから是非との声を受けて、今日の成人式では代表として壇上に上がっている。緊張する〜と眉を下げて笑うスーツ姿の旭は、寒さで鼻を赤くしていた。撫でた頰はひんやりとしていて、陣平くんの手があったかくて気持ち良いなんて言いながら柔らかく目を細める。小さな両手を包むように握ると、本当に緊張しているのか僅かに震えて冷え切っていた。大丈夫だ、ちゃんと見てるからな。うん、上手く出来たら褒めてね。そうしてしばらく体温を分けていれば、ようやく震えがおさまったようだった。さっきまでは、そんな風にふにゃりと笑っていたのにな。沢山の新成人たちの後ろに並べられた保護者席から見上げる姿は随分遠い。高くも低くも無い穏やかな声は良く耳に馴染むのに。普段、すぐ傍で聞いているそれをスピーカー越しで聞くだけで無性に不安が煽られるような気がした。

 保護者席には、俺、伯父、伯母の順で並んで座っている。隣の伯父は、朝俺たちが旭の実家に到着した時から既に号泣していた。あらあらと眉を下げて笑う伯母は大量のティッシュを伯父に渡していて、旭の両親は今日もいつも通りだなと思う。旭は、間違いなく松田家の顔だ。だが、その性格はどちらかと言えば婿入りした伯父に近いような気がする。と言っても本当にそんな気がするだけで、俺の父の妹である伯母も大概おっとりしているから正にこの親にこの子ありなのだろう。大きくなったなあ、とぐずぐずに泣く伯父の言葉には素直に頷く。生まれた時から見守ってきた旭も遂に成人を迎えた。実に晴れやかな気持ちであると同時に、見えないこれから先のことを考えてぼんやりとしてしまう。当たり前のようにずっと隣に居た旭は、いつか手が届かない所へ行ってしまうのだろうか。今、壇上に立つ旭がとても遠く見えるように。そんな日が、やって来るのだろうか。もし、旭がそうしたいと願った時。俺は怒りも悲しみもせずに繋いだ手を離してやれるだろうか。旭の願いは何だって聞いてやりたい。それぐらい大事だし可愛く思っている。だが、旭が隣に居ない俺はきっと俺では無くなってしまうだろう。旭が生まれてから、どんな時だって隣に居た。幼稚園も、小中高とどんな些細な行事にだって顔を出したし、毎年の誕生日だって祝った。俺がそうしたかったからだ。ただ喜ぶ顔が見たくて、からりと笑う声を聞きたくて、甘やかに細める綺麗な瞳を眺めたくて、穏やかに名前を呼ばれたくて。ただ、それだけで。

 ついこの間、成人式の当日は自分でネクタイ巻きたい!と言い出した旭に、膝の上で抱えながら巻き方を教えてやった。うんうん唸りながら小さな指先を動かす姿が可愛くて、自然と口角が上がる。時折、次はこっちに通すんだぞと教えると素直にこくりと頷いて。最後にキュ、と引っ張ればなかなか綺麗に結べている。出来た?と大きな瞳が見上げて来るから、そのままもう何回かやってみれば良いと促した。やったー!と無邪気に笑う顔は小さな頃から変わらないのに。見てーなんて言いながらにこにこと可愛い笑顔を浮かべるから沢山褒めてやって。ふわりと毛先を遊ばせた地毛を撫でると、柔らかな髪の感触はクセになる。気持ち良さそうな顔で擦り寄ってくる旭からは、甘ったるい良い香りがした。

 二十歳の誕生日は見たことが無いくらいはしゃいでいた。大きな瞳を瞬かせながら、何度も夢じゃない?と聞いて来るから何度だって夢じゃないと返して。丸い頭を撫で、少しずつ飲ませた酒のせいで赤らんだ頬をくすぐる。温かさが増した額にキスをすると、その度に夢じゃないね、陣平くんの温かさが分かる!と笑う旭の丸い頭をまた撫でた。一緒に酒が飲みたかったから、移動は電車。ほろ酔いでふにゃふにゃ笑う旭と手を繋ぎながらゆっくり帰れば、楽しかっただの綺麗だっただのと上機嫌で話す声に相槌をうつ。そうして、すごく幸せ!なんて飛び切り笑うから。そうかと頷いて、その場で思い切り抱き締めた。どうしたって可愛くて仕方ないのだ。だから、旭にネクタイの巻き方を教えてやっている時につい口から溢れた言葉は本心だった。華奢な体を腕の中に閉じ込め、捕まっちゃったー!と朗らかな声を出して笑う旭に、もう離せないぞと呟いた。あの時の俺は随分と真剣な顔をしていただろう。それなのに、旭はゆるりと微笑みながら良いよと言った。俺はずーっと陣平くんの隣に居たいから、良いよ。そんな旭の言葉に、一瞬呼吸を忘れていた。一体どんな顔でそんなことを言うのかと額を合わせて大きな瞳を覗き込めば、旭は真っ直ぐに見つめ返す。それは、いつだって俺を見る透き通った綺麗な瞳だった。真っ直ぐで、どこまで潜っても澱みなど無さそうだと思えるほどに眩い。どうしようもなく可愛いと思っては、無意識で目を細めて。滑らかな頬を撫でながら、堪らなくなって目元へキスを落とす。俺の可愛い旭。ずっと、ただこうしていたいのに。

 成人式は滞り無く終了した。式中とは違い喧噪に包まれる会場の中で待っていれば、走り寄る音が聞こえてくる。

「陣平くん!」
「おかえり。」
「ただいまあ〜。俺ちゃんと喋れてた?」
「ああ、良く頑張ったな。」
「良かったー、すっごくドキドキした!」

飛び込んで来た細っこい体を難なく抱き止めると、俺の胸に額を押し付けながら安堵の息を吐いている。

「旭!立派だったぞ!」
「ええ…、お父さんまだ泣いてるの〜?」
「ふふ、お父さんずっと泣いてたわよ。」
「お母さんも良く付き合うなあ。」

俺に抱き着いたまま、顔だけを向けて伯父を見る旭は眉を下げて笑っている。

「この後はお友達とかともお話するでしょう?」
「うん、マナちゃんが写真撮らせてって。」
「まあまあ、いつもお世話になってねえ。あとでお電話しなくちゃ。」
「お願いします。」
「私たちは気にしなくて良いから、陣平くんとゆっくり帰っていらっしゃい。」
「はーい!」

伯母は未だに号泣している伯父を引きずりながらひらりと手を振った。大きく手を振り返す旭はにこりと笑って陣平くんも一緒に写真撮ってくれるって、と俺の手を引いて歩き始める。なんかね、ここの会場で着付けサービスやってくれてる会社がマナちゃんのバイト先の人と知り合いみたいなんだあ、そんな声に。

「着付け?」
「うん、サンプル写真撮りたいから振袖を着て欲しいって言われたんだけど。」
「前にもそんなことあったな。」
「そういえば、高校の卒業式の時にも袴着せてもらったことあったねえ。」

着物なんて着る機会がないから嬉しいな〜、とにこにこ笑うから良いか。なんて横目で旭を見ながら息を吐く。

 旭の友人だとか言う高校の同級生は、旭が女装するきっかけを作った張本人だ。
元から可愛い旭に女の格好させたって可愛いに決まってるだろと思っている俺は旭に特段口出しもしないが、スカートの丈が短い時はさすがに注意する。と言っても、あまり綺麗な足を見せびらかすな程度。旭の白くて細長い足は俺だけが見られたらそれで良い。他の奴にわざわざ教えてやる必要なんてないだろ。そんな風に言うと、照れまくった旭が俺に抱き着きながら誰にも見せないよお〜と見上げてくるから大変満足である。対してあの友人は、もっと旭の可愛さを世に見せつけるべきだとかいう主張の持ち主だから腹が立つ。それは向こうも同じなようで、顔を合わせれば毎回睨み合いだ。事あるごとに旭を着せ替え人形みたいにするのが気に食わなくて、俺の旭だと言えば彼氏面すんなクソ従兄弟とか言ってくるから心底ムカつく。それでも、旭にとっては大事な友人らしいからなおのこと頭が痛い。

 眉を寄せた俺の顔を見上げながら、旭はおかしそうにくしゃりと笑う。繋いでいた手の指が絡められるように握り直されて。ふふふ、と笑い声を漏らした旭は俺の隣に並び、器用に頭を摺り寄せてきた。甘えるような仕草は、機嫌を直せとでも思っているのだろう。分かってると言葉にしない代わりに繋いだ手の指に力を入れた。ここって言われたんだけどなあ。不意に立ち止まり、旭は部屋の中を覗き込む。式自体は終わったからか、人の姿も疎らになってきているようだった。ちょっと聞いてくるね。するりと解けた手を何気なく見下ろし、寒いなと思った。

***

「カメラマンさん、凄い気合い入ってたねえ。」
「そうだな。足、痛くないか?」
「うん、大丈夫だよー。」

 からりと笑う旭は立派な振袖を着付けてもらっていた。履き慣れない足袋と草履でひょこひょこ歩く旭の手を握り、ゆったり歩くようにする。

 来年新作のサンプルだと言う振袖を着付けられた旭を見て、妙に興奮した企業の広報担当とカメラマンは来年用のパンフレットに写真を使わせて欲しいと頼んで来たが即却下した。あまりにもしつこく食い下がってくるため顔を顰めた俺を宥める旭が、最初の話通り実家近くの店舗に飾るだけにして欲しいと眉を下げながら笑う。渋々といった表情ではあったが、それでも創作意欲が引き立てられたと感謝を述べる広報担当の奴はせめてもの礼にと撮影した写真を焼き増しして何枚か旭へ渡していた。ついでに気を利かせたのか、俺の端末でも写真を撮ってもらう。そのデータを見た旭がにこにこと嬉しそうに笑うから、指先で頬を撫でた。

 後日郵送してくれたら良いと言う担当者の言葉に甘えて、振袖を着たままの旭と歩いている。夏祭りに浴衣を着た姿も、高校の卒業式に袴を着せられた姿も見てきたのに。振袖はこれはこれで良いな、なんて思ってしまって。ただ、俺と手を繋いで歩いていても旭の姿に目を留める奴が多く、つい眉を寄せてしまった。そういった視線に気づく度に、俺は可愛い従兄弟を誰の目にもつかない所へ隠したいと思う。俺の可愛い旭を、俺だけの可愛い旭にしたい、と。きっと、怒りも悲しみもせずにこの手を離すなんてそんなことは出来るはずがない。そんな日がいつか来るなんて、考えたくもないと思った。

「陣平くん?どうしたの?」

ゆったりとした声が聞こえる。見下ろす旭は、柔らかに目を細めていた。

「なんか不安そうな顔してるね?」
「……旭が、いつかどっかに行っちまうんじゃないかと考えてた。」
「俺?俺はどこにも行かないよ。ずっと、陣平くんの隣に居たいもん。」

こてりと首を傾げて、穏やかに笑う旭は繋いだ手に力を入れる。

「だからね、そのためにもっと頑張らなきゃいけないの!」
「……旭。」
「うん?」
「ただ、俺の隣に居れば良い。」
「うん、居るよ。」

大きな瞳を甘やかに緩める表情に不安と安堵がない交ぜになった感情を持て余しながら、冬の空気で冷えてしまった頬を撫でた。これから先を思えば、きっと不安は消えない。だが、目の前には真っ直ぐ俺を見つめる旭旭が居る。今はまだ、これだけで良いと思った。

「旭。」
「んー?」
「綺麗になったな。」
「ふふ、そうかなあ?」
「ああ、綺麗だ。」

体を寄せて肩を抱きながら、とろけたように笑う旭の額にキスをした。