男の娘な従兄弟と生還した松田陣平の話
『……もしもし、陣平くん?』
耳に当てた端末から聞こえる声は、心の底から聞きたいと思ったものなのに。
『……ごめんなさい、お仕事中、だよね?』
どこか切羽詰まったような、それでいて焦ったような声に思わず眉を寄せる。
『…あのね、……なんか、知らない人に、…追われてて……。』
途切れ途切れの言葉を紡ぐのは、息を切らせていたからなのかと理解した。
『……陣平くん、助けて……。』
今にも泣き出しそうな旭の声に、カッと体が熱くなる。
「旭、今どこだ⁉」
『んえ、…わかんない、……とにかく、走ってて…。』
「くそっ。」
『ひう、……ごめ、なさ……。』
「違う!旭じゃない、俺が……。」
秒ごとに刻むデジタル表示を横目で見て、残りの時間を確認する。俺が居るのは観覧車の中。今すぐこの爆弾を解体して、観覧車から降りたとしてどのくらい時間が掛かるだろうか。だが、これを解体してしまえばもう一つ仕掛けられた爆弾の在処が、とそこまで考えた時。旭の声が聞こえないことに気づいた。
「旭?おい、旭!」
ガサガサと音がして、すぐにやめて!と声が聞こえる。まさか、と思うと怒りで頭に血が上り響くような頭痛がした。目を閉じて深呼吸を繰り返す。無理だ、我慢出来ない。旭から電話が来る前に話していた萩原から言われたな。旭ちゃんはどうするんだ、お前が死んで旭ちゃん泣かせるのかよって。答えが出せなくて遮るように萩原との通話は切ったが、無理だ。旭のこんな声を聞いて我慢なんて出来るはずがなかった。
爆弾を解体する。そう決めたからには動きは早かった。端末はハンズフリーにして旭の名前を呼び続ける。返ってこない声に舌打ちをしながら見下ろした先の箱へと向き合い、コードをばらしていく。クソ。早く旭を助けに行かなければとうるさいくらいに叫ぶ自分と、それでも落ち着けという自分の声がせめぎ合っている。うるせえ。煩わしいと思いながらそれを振り切るように旭の名前を呼ぶ。俺の呼び掛けに答える余裕も無いくらい、走ってるんだろうか。衣擦れのような音はしているから、多分まだ逃げている。だがどうすれば良い?この状態の旭をどうやって探す?いや、まずは目の前の爆弾だ。ああ、クソ。旭のことになると本当に余裕が無い。頭を掻きむしりながらもう一度深呼吸する。なんにせよ、コイツを解体しない限り俺は旭を探しに行けない。集中しろ。集中しろと何度も自分に言い聞かせながら、口では旭の名を呼んでいる。旭を、俺が絶対に守ると決めたのはもう随分と昔だ。
パチン、パチン。一本一本コードの配線を辿り、確認して。やたら複雑な作りにしやがって。クソ。そうやって、もう何度悪態をついたことか。カウントはまだ止まらない。早く。落ち着け。一本でも早く。焦るな落ち着け。早く解体して旭を助けろ。焦って死んだら旭が泣くんだぞ。思わず、笑いが込み上げる。ついさっきまで、旭と大勢の一般市民を天秤にかけても答えを吐き出すことが出来なかったのに。今はどうだ。俺は旭のことしか考えていない。答えなど最初から出ていたんだろう。そもそも、俺が警察官になったのは旭を守りたかったからだ。その時点で俺にとって何が一番大事なのかは分かりきっている。指でなぞりながらコードを辿り、また一本パチンと音を立てて切った。旭。返事しろ旭。俺が助けてやるから、捕まるな。なあ旭、頼むから。爆弾と向き合いながら、何度も旭の名前を呼んだ。
時折、額の汗を拭う。意識して深呼吸を繰り返しながらタイマーを見て、またコードを指でなぞって。もうすぐだ。切ったコードは外側に広げて、内側の残ったコードと紛れないように丁寧に避ける。旭はどうなっているのだろうか。瞬発力は俺より反応が良くても、体が薄い分だけ持久力には弱い。あの細長い足で懸命に地面を蹴っているのかと思うと、堪らない気持ちになる。こんな所で使う一分一秒が惜しい。旭のことを考えて頭が熱を持つ度に深呼吸をする。鼻から酸素を吸い、思い切り肺を膨らませ口からゆっくり吐き出した。旭。もう何度目になるかも分からない名前を呼んだ時。
『…いい加減に、して……‼』
ガンッ!と大きな音が端末から鳴る。あまりの音に思わず瞬いてすぐ我に返った。
「旭⁉どうした!旭!返事しろ!」
『……ふ………ふぅ………は、………はっ、…………。』
聞こえるのは、旭の荒い息遣い。ハンズフリーを解除して端末を耳に当てる。
「旭!聞こえるか⁉旭!」
『……は、……じんペー…くん、……ふ、……。』
「旭、無事なのか⁉」
『…ん、…うん、鞄で…おもいっき、り……ふぅ……殴ったら……は、…。』
「……はあ、相手はちゃんと気絶してるのか?」
『……うん、……起きない…、から…良いかんじ…。』
「はあ、良かった旭……。」
『なんか、……すごい音、した……ねえ……。』
少しずつ呼吸を整え震えていた声が、段々と穏やかなものになってくる。思わず
はあ、と大きく息を吐き出しながら視線を落とした先の爆弾は何故かタイマーが止まっていた。そして、事前に予告があった三秒前でもないのにもう一つの爆弾を隠したという場所のヒントが表示されている。
「………は?」
なんだ?一体、何があった?目の前の状況を理解出来ないまま、端末から聞こえるガサガサという音だけを脳が認識していて。
『んー?なんか知らない端末が入ってる…?…何?表示が出てるけど……。』
そして、旭が呟いた言葉を慌てて聞き返した。
「おい旭、今の何を見て言った?」
『……ん?え、なんか鞄に入ってた端末の画面に表示されてるよ?』
「端末…?」
『うん、知らない端末。いじっても動かないから今ので壊れたのかなあ?』
そんな声を聞いて勝手に笑いが溢れる。はは、と声を出して俺が見ている爆弾に表示されているものと、旭が呟いたものの文字列は全く同じだった。万年不幸体質の旭は俺の命を救うのか。こんなの、ただのラッキーだ。それでも、こんなにも劇的なことはきっと他に無いだろう。端末をハンズフリーに戻して、再び爆弾と向き合いながら残ったコードを全て処理していく。旭、と出来るだけ柔らかく呼び掛けるとすっかり呼吸を落ち着かせた声が俺の名前を呼んだ。
「あと少しで移動出来るようになる。近くに、何か目印になる建物はあるか?」
『ん、と……あ、米花中央病院が目の前にあるよ。』
こんな所まで走って来ちゃったんだなあ。間延びした小さな呟きに顔を顰めた。
「……直ぐに萩原を向かわせる。ただ、中には絶対入るな。」
『ん?うん、分かった。』
「良い子だな。一度電話を切るぞ。」
『……ん、……陣平くん…。』
「どうした?」
パチンと最後のコードを切ったと同じタイミングで、落ち着いたはずの旭の声が震えた。
『…あのね、……早く、会いたい。ギュってして…。』
「ああ、すぐに行く。」
『…うん、……待ってるね…。』
今にも泣きそうな声。きっと落ち着いて冷静になった頭に恐怖が蘇って来たんだろう。奥歯を噛み締めて、目を閉じる。通話は旭の方から切ったようだった。終話しても、震えた声が頭から離れていかない。早く、抱き締めてやりたかった。
とはいえ、まずは旭の安全を確保しなければ。端末を操作し、萩原へ電話する。
『松田!やっと出た!』
「悪い萩原、米花中央病院だ。」
『あ?なんて?』
「もう一つの爆弾は、米花中央病院にある。すぐに向かってくれ。」
『お、おお……分かった。』
「それと、その近くに旭が居るはずだ。俺たちがずっと追って来た犯人もな。」
『はあ⁉どういうことだよ⁉』
「はは、お前の時と同じってことだ。旭が、俺を助けてくれた。」
『ったくよお〜。とにかく行くから、従兄弟くんも回収すれば良いんだな⁉』
「ああ、頼む。俺もすぐ行くから。」
『来たら、一発殴らせろよ。』
「仕方ねえな。」
観覧車から降りると、泣きながら詰め寄って来る同僚たちに苦笑して。引き止める声を無視して車一台借りるぞ!と走った。心配してくれたのはありがたいが、それよりも。俺が最初に言葉にして謝らなきゃいけないのは、他の誰でもなく旭なんだ。だから、胸の内で悪いなと謝ってハンドルを握る。
道が空いてるのを良いことに強めにアクセルを踏み込んだものの、気持ちばかりが逸る。怪我はしていないか、泣いてはいないか、ただそればかり考えて奥歯を噛みしめた。まず何を言おう。無事で良かった?ごめん?考えはまとまらない。とにかく、一秒でも早く旭を抱き締めたい。あの華奢な体を腕に閉じ込めて、柔らかな髪を撫でて。滑らかな頬にキスをして、甘ったるい良い香りを胸いっぱい吸い込みたい。旭を置いていく覚悟など出来ていないのに、爆弾と向き合ってごめん。一瞬でも迷ってごめんな。俺の一番は、旭が生まれた時から決まってるのに。そんな大事なことを、ここまで追い詰められないと気がつけない俺は最高にバカな男なんだ。
目的の場所へ辿り着くと、広い駐車場に車を停めてとにかく走る。端末を取り出して電話を掛けるのは萩原。ツーコールで応答の音がした。
「萩原、どこだ?」
『中庭。早く来てやって。』
「旭は?」
『俺は解体してるから、離れた所に座らせてる。早く頭でも撫でてあげなよ。』
「助かった。」
『良いよ。犯人も捕まえたし、皆無事に会えるならそれで十分でしょ。』
「ああ、その通りだな。」
もうすぐ着く。そう言って終話して。その間にも、ひたすら足を動かした。体力には自信があるが、それでも着く頃には随分と息が上がっている。古巣の同僚たちの顔を見ると、あからさまにほっとした表情をしていて。人数が少ないところを見ると、萩原を筆頭に爆弾を解体しているのだろう。同僚の一人が苦笑を浮かべてそこに居るぞと指差す。視界に入ったその姿を見た瞬間、迷わず駆け出した。
「旭!」
何度だって呼んだ名前。ベンチにちんまりと座る旭のすぐ傍に立つ。ゆっくりと顔を上げて、大きな瞳に俺の姿を映したかと思えばくしゃりと顔を歪めた。
「……陣平くん…。」
「遅くなったな。」
「……陣平、くん………。」
伸ばされた腕を引いて抱き上げる。
「…ふっ、う……うわあああ、じんぺーくん、……。」
「旭、ごめんな。」
「…うう…ふ、うっ、…じんペーくん……やくそくっ、したのに……‼」
細い両腕がしがみ付くように首に回り、苦しいくらいに抱き締められる。しゃくり上げながらぼろぼろと涙を流す旭は、俺の首筋に顔を埋めた。陣平くん。約束したじゃん。危ないことしないって。指切りしたのに。どうして、陣平くん。忘れちゃった?火が付いたように泣く旭は、震えながら言葉を紡いでいく。その声があまりにも苦しそうで、悲しそうで、抱き締める腕にただ力を入れた。
「忘れてない。……ごめんな、旭が居るのに。」
子供のように大声をあげて、酸素が吸えないほどに泣く旭の背中を片手で撫でる。萩原から俺の状況でも聞いたのか。旭が言っている約束というのは、爆処へ配属になった時に指切りをしたあれのことだろう。あの時も、旭は泣きながら危ないことはしないでと言っていた。ごめんな、約束破って。しないって言ったのに。ごめんな、旭。掻き抱くような旭の腕が、俺を取り零すまいとしているように思えて。ごめんと何度だって謝りながらこの小さな存在が心から愛おしいと感じた。
「旭、ありがとな。俺を助けてくれて。」
「………ひ、っうう……じんペー、くん……。」
「ん、俺はここに居る。」
「……ひとりに、……しな、いでっ……‼」
「ああ、そうだな。旭を置いていかない。」
「…ずっと、……となりに…いて、っ……。」
「そうだな、ずっと。」
ずっと隣に居る。ずっとだ。旭を置いていかない。ずっと隣で守るから。
「だから、旭も俺の隣に居てくれ。」
「……ん、………居る、…ず、っと…。」
「ああ、頼む。」
こくりと頷きながら、俺の首筋に鼻先を押し付ける旭の側頭部に頬を擦り付けた。
温もりを感じて、甘ったるい良い香りを吸い込んで、折れるんじゃないかと頭の片隅では思いながらも細い体をきつく抱き締める。陣平くん、陣平くんと何度も名前を呼ばれる声に目を閉じる。バカだなと思った。こんなにも可愛くて愛おしい旭を置いて行こうとしたのか。バカだ、本当に。ごめんな。悪かった。もう絶対しないから。
抱き上げた華奢な体を横向きに直してベンチに座りながら、ひくひくと体を震わせる旭を宥めるように頭を撫でる。俺のシャツを握る小さな手の平は白くなるほどに力が入っていて。甘えたように胸元に額を擦り付ける仕草が堪らなく可愛く思えた。陣平くん、陣平くんと何度も呼ぶ声に応える。どこにも行かない、そう言っても旭の体は可哀想なくらい震えるばかりで。
「旭、顔上げろ。」
「……ん、……っんぅ……。」
顎を掬って上を向かせれば、眉を寄せて大粒の涙を流している瞳と視線が絡む。はくはくと僅かに口を開けて、すがるように俺のシャツを握る。大声をあげて泣いたから、滑らかな頬が紅潮していた。親指で涙を拭ってやり、こんな状態の旭を見てごくりと唾を飲む音がやたらと大きく聞こえたことに笑う。旭、名前を呼んだ声は酷く掠れていた。可愛い俺の、俺だけの旭。
「お前は、可愛いな。」
吸い寄せられるように、旭の赤い唇にキスをして。とろけるほど柔らかいその感触を確かめた。