男の娘な従兄弟と決心した松田陣平の話
「いらっしゃいま、」
せ、と続くはずだった声は酷く小さなものになってしまった。
「こんにちは!」
そんな俺の状態にも気付かないまま、にこりと可愛らしい笑みが向けられる。柔らかく細まる大きな瞳も、胸までのゆるふわな黒髪もよく覚えていた。すらりと背が高く手足の長い華奢な体躯を持ったその子がここへ来たのは、たったの一度だけだったはずだ。だが、美少女と称するに相応しいその子の存在は、今日もまた店内に居た客の視線という視線を掻っ攫っていく。そして、俺の記憶にもやたらと濃く焼きついていた。
その子が初めてここへ来た日、常連の女子大生に連れられてきたのだと言っていた。高校からの付き合いだと言う二人の女子大生は見た目の系統が全く違うのに、一緒に並ぶと個々が持つ見た目の良さも相まって互いを引き立てていて。常連の女子大生は、同じくここで良く見掛ける少年探偵団のメンバーである吉田歩美ちゃんの従姉妹だと言う。クールな見た目に反して、歩美ちゃんと二人で訪れた時に見せる穏やかな表情はとても微笑ましい。そして、そんな女子大生が連れてきた友人は、これまた飛び切り可愛い子だった。二人は東都大学の文学部に通う学生さんで、レポートや卒論の作成の合間に息抜きとして来てくれたらしい。注文してくれたのは、カフェラテとここの定番メニューになっているハムサンド。すっごく美味しい!と飛び上がりながら頬を緩めるその子を見つめる常連の女子大生は、まるで小さな従姉妹を見つめている時のような雰囲気で瞳を細める。自分が作った物を美味しいと笑顔で言われるのはやはり嬉しいもので。お気に召していただけましたか?と思わず声を掛けていた。
「とっても!お兄さんが作っているんですか?」
「はい、僕が作っています。」
「わあ、お料理上手なんですねえ〜!」
「ははは、ありがとうございます。」
「今度、兄も連れて来ますね!」
「ぜひ。お待ちしていますね。」
眩く笑ったその子の隣で、常連の女子大生が顔を顰めたのを不思議に思っていた。
「二人なんですが、今日も席が無いくらい大繁盛ですねえ。」
きょろりと店内を見渡したその子は眉を下げて笑う。兄も連れてくるとの言葉に是非と返したが、まさか。その隣に寄り添うように立つ男が、自分の同期だとは思わないだろ⁉見慣れたサングラスが邪魔して、一体どんな視線をこちらへ向けているのかは分からないがこれでもかと眉を寄せている。浮かべた笑顔がひくり、と引き攣る感覚。だが、同期の男はすぐに口角を上げると、美少女と指を絡めるようにして繋いでいた手を少し引く。なーに?と首を傾げて男を見上げるその子の姿は、酷くあどけないものだ。
「飯が美味いって聞いてな。多少待っても構わねえから、案内してくれよ。」
おにーさん?と嫌な声が掛けられた。いよいよ、口角が不自然に上がりだす。
「あの、もしご迷惑でなければ、待っても良いですか?」
こてり。首を傾げる姿に思わず唇を噛み締めた。頭の回転は早い方であるのに、それでも処理しきれない情報とはいかがなものか。様々な違和感と、聞いていた話と違うという思いがない交ぜになって混乱している。だが、こうなってしまった以上は腹を括るしかないのだろう。
「もう少しで奥の席が空きそうですし、すぐにご案内出来るかと思いますよ。」
それまで申し訳ありませんが、そちらのお席でお待ちください。なんて、にこりと笑いながら休日だけ用意している椅子の方へ手の平を向ける。ありがとうございます!ぱっと明かりが灯ったような笑顔は、思わず目を細めるほど可愛らしいものだった。
「良かったねえ、陣平くん!」
「そうだな。」
「あのね、この前来た時に食べたハムサンドがとっても美味しかったの!」
「そうか、今日は色々試してみるか?」
「良いの⁉」
「ああ、せっかくだしな。」
「やったー!」
カウンターの中に戻っても二人の姿が気になって仕方ない。あまりにも繁盛する店の対策として、簡易的に用意していた椅子に座る男女の距離は近い。二人が着込んでいる膝丈のモッズコートはサイズこそ違うものの、お揃いなのだろう。今日は冷えるねえ、と言いながら屋内外の寒暖差に華奢な体をふるりと震わせた女の子の肩を男が抱き寄せる。寄り添い合い、男の肩に頬を摺り寄せた女の子は大きな瞳をとろけるように和らげていた。
「手、冷たくなっちまったな。」
「うんーあっためてー?」
「ふ、小せえ手。」
「陣平くんが大きいの!」
小さな両手は男の片手にすっぽりと包まれてしまう。あったかーい!とにこにこ笑う表情は、本当に微笑ましいものなのだ。だが、待て待て。兄と妹⁉それはないだろう⁉良い年した兄と女子大生の妹がする距離でも無ければ、出して良い雰囲気でもないぞ⁉
「ふふ、陣平くんサングラス曇らないの?」
「ん?ああ、大丈夫だけどそろそろ外すか。」
「鞄に入れておく?」
「ああ。」
なんとなく目が離せなくてチラチラと様子を窺っていれば。男は外したサングラスを女の子の小さな手に乗せる。それをタオルハンカチで大事そうに包みながら、丁寧な動作でショルダーへ仕舞っていた。
「鼻も赤くなってるな。」
「んん〜、お店あったかいからすぐ落ち着くかなあ。」
「まだ顔も冷てえ。」
「はあ〜陣平くんは顔もぽかぽかだねえ。」
ちょ⁉おいおいおい⁉今度は互いの頬をくっつけ始めた⁉はあ⁉世の中の兄妹は皆こうなのか⁉くそっ、一人っ子には分からない世界……⁉これが………⁉混乱し過ぎて頭が痛くなってきた……⁇頭痛なんていつぶりなんだ⁉そんな俺の視界に、洗い物をする手を動かしながらも顔を真っ赤にした梓さんが映る。そうだ、梓さんは確かお兄さんが居たはず………‼意を決して口を開く。
「あ、梓さん。」
「は!はい⁉なんですか⁉」
「あの、梓さんもお兄さんとはあんな感じの距離ですか……?」
可哀想なくらい顔を真っ赤にしていた梓さんは、俺の質問をたっぷり時間を掛けて噛み砕いているようだ。そして、すっと真顔になったかと思えば地を這うような低い声が掛けられる。
「……えっ?……する訳ないじゃないですか……。」
「デッ、デスヨネ〜〜‼アハハ、僕ちょっと疲れてるみたいです〜〜‼」
「あはは、安室さんったら!ちゃんと休まないとダメですよおー!」
あはは、と笑った後に唇を噛み締めた。ま、松田〜〜〜‼お前どうなってんだゴルァ〜〜〜‼叫びたくても叫べない苦しみに身悶えながら。
***
——信頼できる人間の家で匿ってもらっている。
幼馴染からそんな連絡が入ったのは、必死に探し回っていた真っ最中だった。端末に表示された文字列を何度読んでも全く頭に入ってこなくて、何度も首を傾げながらもう一度読むといったことを繰り返す。信頼できる人間?匿う?そんな奴、ここ直近の俺たちの周りにはただの一人だって居なかったはずだ。一体誰が?そもそもこの連絡は本当に幼馴染なのか?既に組織の誰かに掴まっていて、誰かが俺を試すためにこんな連絡をしてきたのでは?そんなことをあれこれ考えればキリがなかった。この連絡を信じられるものなら、信じたい。本当に追っ手を振り切り、安全なところに身を隠せたというのならそれで構わない。だが、どうしたって軽々しく信じられるほど甘いことではないとも分かっている。そんな夢みたいなこと、簡単に起こるはずがないのだと何度も実感してきたのだから。
きていた連絡に返信をしなかったが、幼馴染はまるで最初から存在しなかったとでも言うようにその日からぱったりと姿を見せなくなった。ライにもそれとなく聞いてみたが、本当に知らないような反応が返ってくる。『裏切り者のスコッチは逃亡し、完全に消息を絶った。見つけ次第殺せ。』ジンの命令が組織内部に出されたことで、俺はようやくあの連絡が真実だったのだと理解出来たのだ。逃亡したスコッチとスリーマンセルを組んでいた俺とライにも当然疑いの目はかけられた。だが、俺たちが本当に何も知らないことを見抜いたジンが腹いせとばかりに大量の任務を押し付けてくるだけで、事なきを得ている。ライはジンが。俺はベルモットがしばらく監視をすることになったものの、その期間は僅か一ヶ月程度で済み想定よりも大分軽かったなと思う。そうしてくたくたになった体で降谷零名義のセーフハウスへ戻り、ようやく幼馴染へ連絡を取ったのだった。
ヒロ、本当に無事なんだな?
——ああ、良かった。連絡がなかったから心配だったんだ。俺は生きてるよ。
ごめん。色々疑って連絡を返さなかった。
——そうだろうなとは思ってたよ。
どこかで一度会えるか?
——そうだなあ。場所はどうする?警視庁はまずいだろ?
そうだな。ポアロも厳しい。
——少し考える。すぐ連絡するからまずは休め。
ああ、助かる。
端末の明かりを消し、体をベッドへ沈み込ませる。一体どこでどうやったのかは分からないが、とにかく生きているならそれで良いと思った。組織のことやヒロの情報を流した警察内部のことなど対処しなくてはならないことが山積みだが、命があるならなんとかなるだろう。風見に連絡して色々動いてもらわなければならない。だが、心の底から湧き出てきた安堵が体中にじわじわと広がっていく。今はこの安らぎに身を委ねて眠ろうと思った。
***
「それで?」
「ん?ああ、良いだろ?学生に戻ったみたいでさ。」
学生っぽい格好してこいよ!という言葉が添えられていた指定場所へ行けば。
メガネ被ったなー。というか服装ほぼ被ってるだろ。髪が短くなり、髭を剃ったことで随分と雰囲気が変わった幼馴染が朗らかに笑って立っていた。ネイビーのチェスターコートにライトグレーのニットの首元からは白いシャツの襟が覗いている。そして黒のスキニーデニムにスニーカー。そんな装いの幼馴染に対して、俺はコートの色合いが暖色系なだけで装備はほとんど同じだ。おまけに揃いも揃って伊達眼鏡なんて掛けているのだから、思わず吹き出してしまう。
俺たちが落ち合ったのは、東都大学文学部図書館。さすが偏差値が高い教育機関の設備は秀逸だ。文学部用として使われているだけの図書館ですら、随分広いなと思った。少し場所を移動しようと言われるがままにヒロの後を追う。カレンダー的には休日に当たるが、学期末や卒論で追い込みを掛ける学生たちの為にと大学は開いているそうだ。とはいえ、人が多いのは図書館内に設置されているデスクがあるスペースなので、奥まで歩けば人の気配は少なくなる。図書館の裏口のようなところから出たヒロは、迷う素振りもなく薄暗い廊下を歩いていく。いくつもの部屋の扉が並んでいる通路。そしてどの扉の前にも教授の名札がプレートに嵌っていた。おい、こんな所に入って大丈夫なのか?ああ、許可は貰ってるんだ。こんな風にのんびりとしたヒロの声を聞くのは久し振りだと思いながらも首を傾げる。お、ここだな。と立ち止まった扉をノックもせずに開けていた。
「暖房つけてくれたんだなー。」
その言葉の通り、室内は暖かい。ヒロは、文学部教授の執務室に入れるツテなんて持っていただろうか。とりあえず座るか。ゆるりと笑う穏やかな声に頷いて、応接用のソファに向かい合って座る。ヒロはチェスターコートのポケットから無糖の缶コーヒーを取り出し、座卓に二本置いた。ほんのり人肌だなあ。一本を手に取りカシュ、とプルタブを捻る。ゼロも飲めよ。その言葉に甘えることにして。
「今、松田の家に居るんだ。」
「は?松田?」
「ん。松田陣平。警察学校時代の同期。」
「そんなこと分かってる。なんで突然?」
「あー、なんていうか、本当に偶然なんだけど。」
徐に話し始めたヒロに首を傾げると、眉を下げて笑う表情はなんだか随分あどけないと言うか。嘘みたいにドラマチックで、本当にあった話。そう前置きながら笑ったヒロは、松田旭という一人の一般人に助けられた夜のことを話すのだった。
***
「うーん、美味しい〜!」
オムライスプレートを目の前にしたその子は、今口の中で噛み締めているとろとろの半熟卵みたいにとろけるような表情でにっこり笑っている。可愛らしい声をあげて喜ぶその子と向かい合う男は、甘やかに目を細めて良かったなと呟いた。
「うん!陣平くんも食べてみて!」
「ん。」
「あーん。」
こてりと首を傾げながら、オムライスを乗せたスプーンを差し出す。男は、女の子の小さな手に自分の手を重ねながら大きな口を開けてオムライスを頬張った。
「ん、旨いな。」
「ねー!美味しいよねえ。」
「けど、」
「んー?」
「旭が作る飯が一番旨い。」
「ふふ、陣平くんがそう言ってくれるのが嬉しい。」
高くも低くも無い声が喜びを滲ませている。穏やかに微笑む男は、すっかり温まってほんのりと色づいた女の子の頬を指の背で撫でた。
う、うわああああああーーーーーーーー⁉何が楽しくて俺は同期がイチャつく姿を見ているんだ⁉これは新手の精神攻撃か何かか⁇両手で顔を覆って崩れ落ちる俺の傍で、梓さんが安室さん⁉大丈夫ですか⁉と叫んでいる。ははは大丈夫ですよ梓さん、今ちょっと壁で頭を打ち付ければこの悪夢から覚めると思うので。
「やめてください!お店壊すつもりですか⁉」
「え?お店?え?壊しませんよ?」
「しっかりして下さい安室さん!あの二人可愛すぎですけど、これは現実!」
「うわああああああああやめてくださいーーーーーー‼」
梓さんに肩を揺さぶられながら、現実という言葉の重みに堪えきれず頭を抱える。待て待て。落ち着けアムロ!いやレイ!違う!そうだけど‼俺!落ち着け‼目の前のイチャイチャに精神を侵されて冷静さを失うなど、それで公安は務まらん‼ゼロの名誉にかけて落ち着くんだ‼懸命に理性を総動員させながら深呼吸を繰り返す。そんな俺を見た梓さんがようやくほっとした顔をして肩から手を離してくれた。…………ふぅ。こんなところでこんなに取り乱すとは思わなかった。だが、良く考えろ。感じている違和感と、ヒロから聞いた話を思い出せ。ヒロは確かに言っていた。松田旭はヒロを救った時、兄が警察官だからきっと力になってくれると話したという。そして手を引かれるままに連れて行かれた自宅で同期の松田と再会を果たした。松田本人はごちゃごちゃと色んなことを言っていたため詳しいことは省くが、松田旭は紛れもなく男であり、松田とは従兄弟同士だと言っていた。松田陣平と松田旭は共に住んでおり、ヒロは身の安全が確保されるまでは松田の家で世話になっているとも。ヒロから話を聞き、すぐに松田旭の戸籍やこれまでの経歴を全て洗った。顔写真も松田陣平との関係性も全て本物で、その結果を見ればごくごくありふれた一般人であることが証明されている。それで?それで⁇今、俺の目の前に居るあの美少女は一体なんだ⁇俺たちの同期である松田を兄と呼ぶあの女の子は一体誰なんだ?
思い出せ。あの女の子と常連の女子大生は何と言っていた?二人は、東都大学の文学部に通う学生だと言っていた。そして松田旭も、東都大学の文学部に通っている。松田陣平と共に住む従兄弟の松田旭は、ヒロを救った。それから、ヒロと落ち合った場所は東都大学文学部図書館。ヒロが許可を貰っていると言いながら入ったある教授の執務室。その教授のゼミには、松田旭が居たはずだ。
つまり。つまり⁇あらゆる情報の糸を繋ぎ合わせた結果そこで同期とイチャイチャしている女の子は松田旭ということになるんだが⁇うわああああああ助けてくれヒロ‼そんなこと有り得るのか⁇俺、疑うことなくあの子のこと美少女って思ってましたけど⁉仕事中だとは思いながらも、端末を取り出してヒロへメッセージを飛ばしまくる。すぐ既読がつき、返信を今か今かと待った。
——ああ、それ間違いなく旭ちゃんだな。
両手で顔を覆い、今度こそ崩れ落ちた。
「安室さーん⁉どうしたんですか⁉」
「すみません梓さん、僕の顔って可愛いですよね?」
「え?はい……可愛いと思いますけど…?」
「そうですよね!ありがとうございます‼」
「でも、あそこのカップルさんの女の子が本当に可愛くて……。」
「あああ⁉」
「どうしたんですか⁉落ち着いてください‼」