松田旭

 俺が大学最後の冬休みに入る少し前、陣平くんの警察学校時代の同期である諸伏さんは新しいお家が決まったとのことで出て行った。何度もお世話になりましたと頭を下げられて、またご飯食べに来てくださいと言えば是非と穏やかに笑うようにまでなっていて。すっかり心身共に元気になったようで良かったと心からほっとした。不思議な共同生活はとっても面白くて、遊びに来た萩原さんや伊達さん、降谷さんと話す陣平くんの表情がとても穏やかで。随分久し振りに全員で揃ったと皆が言っていたけれど、そんなことを感じさせないやり取りは見ているだけで楽しかったなあ、なんて。

 うちに来たばかりの諸伏さんは本人が思っているよりも精神的に弱り切っていて、良く食べて良く眠る生活を早急にさせる必要があった。だから、ソファで寝ると頑なに遠慮する彼を説得して、俺の部屋で寝てもらうことにした。陣平くんはなんだか思うことがあるようだったけれど、仕方ないと折れてくれたみたい。その代わり諸伏さんがうちに居候する間、俺は陣平くんと一緒に寝ることになった。萩原さんや伊達さんと宅飲みしてそのまま寝ちゃった時だったり、陣平くんが夜勤の時にレポートと戦っていたらそのままテーブルに突っ伏して寝落ちてしまった時だったり。陣平くんに運ばれて一緒のベッドで寝ることはこれまでにも時々あったんだけど。意図的に毎日一緒に寝るようになったせいで、諸伏さんがうちを出た後もなんとなく陣平くんのベッドで寝る癖が抜けなくなってしまった。特に、陣平くんが夜勤で居ない時。たった半年とはいえ一人暮らしをしていた時だってあったのに。一人でご飯を食べて、一人でお風呂に入って、自分で髪を乾かしている時間が酷く寂しくて。俺ってこんなに寂しがり屋だったかなあとぼんやり考える。俺だって大学へ通っているし、陣平くんだってお仕事に行っている。いつどんな時も必ず傍に居るわけじゃないのに。そんな風に思いながら、家を出る前まで陣平くんが来ていたTシャツに袖を通すと、サイズが全然違くて笑ってしまった。これは、彼シャツの亜種なのでは。なんて一人で吹き出しながら陣平くんが買ってくれたもこもこ素材の部屋着を上から着る。そのまま卒論用の参考資料と、公務員試験の問題集を抱えて陣平くんのベッドに潜り込んだ。

 ふかふかの枕に顔を埋めると、陣平くんの香りがする。煙草と微かな汗と、陣平くんの甘い香り。陣平くんは寝ているベッドですら良い香りだから思わず頬が緩む。お仕事へ行っちゃう前にも沢山抱き締めてもらったのに。もう温もりが恋しい。枕に頭を預けながら、気を紛らわすように解き方も答えも暗記してしまった問題集を眺める。大学を卒業したら警視庁に入りたいという気持ちは変わっていない。ずっとずっと、思ってきたことだもん。陣平くんの隣に立って、陣平くんの役に立ちたい。世界一格好良いヒーローの姿をすぐ隣で見ていたい。そう思うと、やっぱり爆発物処理班に所属するのが良いんだろうなあ。大学卒業に必要な必修科目以外の単位は四年生になる前に取得済みだし、ちゃんと卒論を提出さえ出来れば卒業するだけ。このタイミングで受験出来る公務員試験の日程は一次試験が一月三周目。二次試験が二月だ。一次試験前には卒論を提出するつもりだから、あとは試験だけに集中すれば良い。

 だけど、一つ気になっていることがある。そのことに気づいたのは少し前。公務員試験の勉強をしている俺を、陣平くんが何か言いたそうな顔で見ていた。どうしたの?と聞いても何故か教えてくれない。なんでもないと言って首を振るばかり。今まで、というか。少なくとも一緒に住むようになって色んなことをもっともっと話すようになってからはそんなこと無かったのに。どうしたんだろうと考えてみても思い当たることは無くて。陣平くんは眉を下げる俺を宥めるように抱き締めながら、何度もキスをくれるだけ。そしてそんな時は、いつもよりキスの回数が多いことも唇同士が触れ合う時間が長いことも、ちゃんと分かっていた。ダイニングテーブルで勉強していると簡単に抱え上げられて、ソファに腰を下ろした陣平くんの膝の上で抱き締められる。大きな掌に頭を撫でられて、少し掠れた声で名前を呼ばれて、顔中に可愛いリップ音を鳴らして口付けられた後。そっと触れ合わせる口と口の感触が優しくて、すごく切なくて。両腕を首に回しながら、自分から唇を押し付けるように無くなった距離を更に詰める。陣平くんの手の平がさらりと俺の後頭部を撫でて、ほんの少し顔を離してまたすぐにくっつく。ちょっとずつ顔の角度を傾けたと思えば、節くれだった指に顎を掬われ食むように唇を挟まれて。だんだん意識がぼんやりしてきて、優しく触れ合うだけのキスのことしか考えられなくなる。陣平くんの唇の感触だけがやたらと鮮明に感じるようになる頃、ゆっくりと顔が離れてぎゅうぎゅうに抱き締められた。穏やかに与えられる熱が恋しい。苦しいくらいに抱き締められる腕に焦がれる。

陣平くん。何度呼んでも、応えてくれる大好きな声は無い。俺を慰めてくれるのは、陣平くんの残り香だけ。
おかしいなあ。もう大人なのに。俺は、いつまでも経っても陣平くんが隣に居てくれないと寂しい子供のままだ。