松田陣平
なんで、こんなに可愛いんだ。バレンタインデーは毎年欠かさず何かしらを用意してくれていたが、料理を覚えてからは俺専用のオリジナルレシピなんて考えて。一緒に暮らす前は多少の日にちは前後することがあっても、一緒に暮らすようになってからは必ず前日に作るガトーショコラ。当日は肩を並べて座り、食わせてもらうところまでがセットで付いてくる。思わず溜息を吐き出してしまいそうなくらいには、可愛すぎると思う。普段の飯だって旨すぎるんだ。オリジナルレシピで作られたガトーショコラが旨くないわけがない。甘い物を好んで食わない俺好みの配合は、旭が俺のためだけに試行錯誤した結果出来上がったものだ。こんなことまでされて、喜ばない奴が居るだろうか。もし居るならそいつは人間じゃない。あまりにも可愛すぎる旭を、本当は片時も離れずに見ていたいと思う。生まれた時から続く万年不幸体質を今更嘆いたところでどうにかなるとも思っていないが、心配と不安はどんな時も影のように付きまとってくるのだ。もし、自分が居ないところで何かが起こったらと思うと。別に、金なら気にしなくて良い。勤続期間も長くなって自然と給料も上がってはいる。そろそろ昇進試験だのなんだのとあれこれ言われてはいるが、まあ先々を考えれば受けるに越したことはないだろう。元々、旭一人の面倒を見るくらいなんてことはないんだ。旭は旭で優良学生の枠をキープし続けて学費はずっと免除だし、日々の生活だって買い物を上手くしている。出来過ぎた嫁みたいなもんでも目指してるのか、ひたすらに金が掛からない。たまに服を買ってやろうとすると怒られる始末だ。だから、と続けるのが合ってるのかは分からないが、危険のないところにずっと居て欲しいと思う。いや、オブラートに包まずに言えば、俺しか居ないところに閉じ込めておきたいくらいは思っている。こんなにも可愛いんだ。これまでにも、旭が知らねえ奴にそういう意味で追い掛けられたことなんて数え切れないほどあった。俺と一緒に居る時はさすがになかったが、交番勤務時代を思い出せば頭も痛くなってくる。あの頃はすごかったねえ、と旭は笑うけど。確かに落ち着いたとはいえ、なくなったわけではない。降谷と諸伏が不審に思ったという男。しかもそいつは大学に居るらしい。今の所は近付く様子もなく、たまに視界に入るだけ。だが、今日は旭を追い掛けて店にまで姿を見せた。諸伏と伊達が気にしてくれるとは言っていた。ありがてえとは思う。それでも、本音を言えば自分が旭を守れるところに居たい。何かあってからじゃ遅い。そして、俺がそんな風に思っていることをきっと旭は分かっている。分かっていて受け入れている。それを俺も理解しているから、どうしようもなく可愛くて仕方ない。旭は俺を喜ばせる天才だ。旭が俺に向ける何もかもが愛おしい。可愛くて、大事で、失ってしまえばきっと息すら出来なくなるんだろう。きっとどんなものだって諦められるのに。旭だけは絶対に譲れない。譲るつもりもねーけど。
困ったことに悩みの種は尽きないもので。時々無性に何も考えたくないという心境に陥っては、旭の華奢な体に擦り寄る。そうすると普段はふにゃふにゃになるばかりだからか、俺のことを全力で甘えさせようとしてきて。小さな指先で何度も頭を撫でられると、どうしたって気持ち良くなってくる。楽しげに笑いながら、甘やかしてくる旭も悪くない。まあ、思う存分癒してもらった後はいつも通りとろっとろの顔にさせてやるけど。またしばらく時間が合う時は送り迎えするか、なんて思いながら。落ちてくる可愛いキスを受け止めるのだった。
***
「今日はね、猫の日なんだってー。」
塾の生徒さんが教えてくれたの。可愛い猫の画像とか見せてもらったんだよ。バイトをするようになった旭の話題が、少しずつ変わっていくことに気がついていた。夕飯の食器を洗いながら、そうかと頷く。良いことだとは思っている。だが、どこにも行かせたくないと思ってしまう声が、自分の中でどんどん大きくなっていっている気がする。穏やかな声で話をする旭を横目で見ながら、ほんの少し息をついたりして。最後の皿を洗い終わった後、スポンジの水気をよく切ってシンクに残った泡を流しておく。
「陣平くん。」
「どうした?」
隣に立っていた旭が、ぴたりと肩を寄せてくる。見下ろした先には、透き通るように輝いた大きな瞳。
「陣平くん。今、何考えてるの?」
思わず言葉に詰まる。何もかもを見透かそうとするような、真っ直ぐな瞳はひたすらに俺を見つめていた。
「ちゃんと教えて?陣平くんが考えてること。」
隠しちゃダメ。なんて言われてしまえば、自然と肩の力が抜ける。
「なんで、隠してるって思うんだ?」
布巾で手を拭いながら旭の額にキスをして。目を細めた旭はんー、と声を出す。
「分かんない。なんとなく、そうかなって思って。」
「ふ、そうか。」
向かい合うように体の向きを変えて、子供みたいにさらさらとした髪を撫でる。少しだけ強めに息を吐き出すと、旭は僅かに眉を下げた。
「格好良い俺じゃなくても良いか?」
「んー?なーに?大丈夫だよ。」
「大人気ないこと言っちまうけど。」
「良いの。言って。教えて?」
陣平くんの気持ち、全部俺にちょうだい?そう言ってゆるりと微笑む旭に、今度こそ大きく息を吐き出して。細い腰を抱き寄せながら、首筋に顔を埋める。まさかバレるとは思わなかった。どうしようかとは思うけど。きっと、嘘をついても簡単に見透かされてしまうんだろう。それならいっそ。苦笑しながら細い首筋に鼻先を押し当てて。一度だけ深呼吸をする。甘ったるい匂い。俺だけの旭の香り。
「外の話をしている時の、楽しそうな顔が好きだ。」
「うん。」
「でも、俺が知らない外の話をするのが嫌だ。」
「うん。」
「世界が広がって成長していくのを見るのが嬉しい。」
「うん。」
「でも、俺の手が届く範囲のずっと狭い世界に居てくれと思う。」
「うん。」
「誰からも慕われる優しい旭が好きだ。」
「うん。」
「でも、旭は俺だけのものだ。本当は誰にも見せたくない。」
「うん。」
「好きだ、旭。」
「うん、俺も。陣平くんが大好きだよ。」
すぐ傍で聞こえる穏やかな声が全身に染み渡っていくようで。堪らずに腰に回した腕に力を込める。それに応えるように、背中に回された腕の力も強くなって。ぎゅう、と抱き締められて旭は小さく笑う。
「俺は陣平くんだけが大好きだよ。どこにも行かない。ずっと一緒。」
「ん。」
「陣平くんが居なきゃ、生きていけないなあって思ってるくらい。」
「……そうか。」
「陣平くんの傍で生きていきたいの。陣平くんの傍じゃなきゃ、ダメなの。」
「……ああ。」
「ふふ、俺だって陣平くんを自分だけのものにしておきたいって思ってるよ。」
「……聞いてねえ。」
「そりゃあね、初めて言ったもん。」
思わず顔を上げると、あどけない表情で笑う旭。
「ちゃんと教えろ。」
「はーい、そうします。陣平くんも、やっと色々教えてくれたから。」
透き通ってキラキラと輝く大きな瞳は、甘やかに細められていて。湧き上がる感情がいくつもあって、どれも複雑に入り組んでいるようにも思えたけど。その内の一つは飛び切り強くて、色濃く浮き上がっていて。
「旭、愛してる。」
あまりにも自然に出てきた言葉に、俺自身が驚いた。見下ろした先の旭はパチパチと瞳を瞬かせて、すぐに顔を真っ赤にする。
「……ふぇ………陣平くん………………ズルい、心臓痛い〜………。」
ぎゅう、と目を瞑って可哀想な程に赤くした顔を、胸板に押し付けてくるから。てっぺんが見えた丸い頭をゆったりと撫でてやる。あまりの恥ずかしがりようを見せられて、俺もじわじわと熱を上げてしまった。旭が見ていないのを良いことに、まごつく口元を良い匂いがする頭に埋めることにして。………なんだこれ。めちゃくちゃ恥ずかしいっていうか、照れる。二人で悶えながら、互いの体をひたすら抱き締めることしか出来ない。とりあえず深呼吸をすることにした。少し経てば、やたらと早鐘を打っていた心臓も落ち着きを取り戻してきて。その頃には、旭もそろりと顔を上げようとする。乗せていた顔を退かすと、白い頬を染めながらも大きな瞳と視線が絡んだ。ほんの一瞬だけ視線が外れて、またすぐに戻ってくる。小さな唇を軽く噛んだ旭は、ゆっくりと口を開いた。
「……お、俺も…………あい、…してるよ……!」
「っ、………。」
あまりにも破壊力があり過ぎて、ゴクリと喉を鳴らしてしまう。恥ずかしい〜〜、と声に出しながらぎゅうときつく目を閉じる旭に下唇を噛んだ。……無理だろ。可愛すぎる。さっきよりもぐちゃぐちゃになった色んな気持ちを、ひとまず落ち着かせたい。そっと天井を見上げる。これが天を仰ぐというやつか。萩原が旭を見ながらやってるのは良く見ていたが、まさか自分がやるとは思わなかった。心臓痛え。ひたすらに可愛くて、可愛くて、可愛い。語彙力が低下し過ぎている自覚があるだけまだマシだ。ふう。息を吸っては吐いて。何度か繰り返していれば、旭の顔を見られるくらいまでには戻ってくる。変わらずに固く目を瞑ったままの顔を見て、思わず笑った。名前を呼ぶと、薄っすらと少しずつ目を開けてきて。
「うう………陣平くん………。」
「んー、早く慣れような。」
「え⁉」
「ふ、また言ってくれ。」
「んん、…………がんばる……。」
「おー。まあ、俺も言うから。」
「………陣平くん、心臓がすっごく痛いよお………。」
「はは、慣れろ。俺も痛えけど。」
「そうなの〜⁇全然見えない……。」
ぎゅうぎゅうに抱き締め合って、笑う。ほんの少しだけ距離を置いて顔を赤くした旭を見下ろした。自然と吸い寄せられるように、淡く色付いた唇に自分のを重ねる。ふにふにとした柔らかい感触を確かめるように触れ合わせて。ちゅ、と音を立てたあと。伸びてきた小さな舌にぺろりと唇を舐められたら。ぞわりと腹の底に湧き上がる衝動のままに、細い腰を抱き寄せた。するりと伸びてくる両腕は、俺の首に巻きついて。華奢な指先が後頭部を撫でるのが心地良い。
「陣平くん。」
「んー?」
「キス、したい。」
白い頬を赤らめながら上目遣いでのおねだりは破壊力が凄いなと思う。可愛い、と囁きながら顔を近づけた。はにかんで笑う旭はとろりと甘やかに瞳を細めている。子供の戯れのように何度か唇を触れ合わせたかと思えば、そのまま舌が伸びてきた。口を開けると入り込んでくる温かな熱。旭から舌を入れてくることなんて滅多にない。どちらかと言えば、すぐに俺ががっついてしまうから。そっと口内を撫でさするようなゆったりとした動きは、まさしく愛撫という言葉がぴったりだと思う。愛おしんで、大事に優しく触れていく熱がこんなにも体を痺れさせるのか。そんなことを思いながら、旭の体を抱き上げた。俺がどんなことをしようとも、旭は微塵の動揺も見せない。何もかもを穏やかに受け入れて、どこまでも大事に包んでくる。その全てが可愛いとも思うし、愛おしくて堪らないとも思う。変わらずに旭の愛撫を味わいながら、キッチンを出てリビングのソファを目指して。ゆったり、じっくり、早急さが一切無い旭らしいキスに、どんどん熱が上がっていく。抱え上げたことで俺よりも目線が高くなった旭は目を閉じていて。長い睫毛が震えるのをこっそりと見ながら、時折小さな舌に吸い付く。何をしたってどうしようもなく可愛い。こいつは俺のだ。俺だけの、可愛い旭。ゆっくりとソファに体を横たえる。可愛いリップ音を立てて離れた赤い唇から、荒く呼吸を繰り返して。ほんのり色づいた顔は蕩けきっていて、ゆっくりと頭を撫でると気持ち良さそうに目を細めた。
「それじゃ、次は俺の番な。」
まだ呼吸は整っていない。でも、どうせもっとぐずぐずになるのは分かりきっている。たくさん甘やかして大事に大事に触れたいのは常だが、時々無性に意地悪をして泣かせたくなるから困ったもんだ。俺のキスでいっぱいいっぱいになって、呼吸も出来ずぐずぐずに泣きじゃくるのも。それでも両腕を首に伸ばしてもっと、とせがむのも。とろけきった表情を浮かべて体を震わせるのも。甘ったるい声で俺の名前を呼ぶのも。何もかもが可愛くて、好きで、愛おしい。
旭は子供の頃から変わらないあどけない顔でふにゃりと笑う。だが、その大きな瞳に滲むのは息を呑むほどに綺麗な灯火だ。ほんの少しの不安と、それを勝る期待と、俺を愛おしむ甘やかな熱。滑らかな頬をするりと撫でる。きゅ、と細まる目元はじわりと赤が差して。
「優しく、してね?」
どきりと高鳴ったのはさっきから痛くなりっぱなしの心臓。本当に、旭は俺を煽るのが上手いからどうしてやろうかと思う。
「努力はする。」
「ええー。」
「旭が煽ったからな。」
「俺?」
「そ。」
まあ、良い。
気が済むまで小さな唇を味わうだけだ。