松田旭
「旭お姉さーん!こっちだよー!」
高くて可愛い声が聞こえた方を見ると、大きく手を振っている歩美ちゃんが居た。良く通る声で気づいたのか、その隣に居た元太くんと光彦くんも名前を呼びながら手を振ってくれて。駆け寄ると、ぴょんと抱き着いてくる歩美ちゃんを受け止めた。
「こんにちは、遅くなっちゃったかな」
「ううん!まだ大丈夫だよ!」
それなら良かった、と笑いながら歩美ちゃんをそっと下ろしていると元太くんと光彦くんにも挨拶をする。三人と目線が合うようにとしゃがもうとすれば、こちらに歩いてくる男性と二人の子供が見えた。
「コナンくーん!哀ちゃーん!博士ー!」
誰が誰かは歩美ちゃんが紹介してくれた。ブンブンと手を振る様子に目を細めていると、三人は俺たちの方へ近づいて来て。スカートの裾を直しながら立ち上がることにする。
「こんにちは」
「おお、君が歩美ちゃんの従姉妹の」
「はい、その友人なので直接的な関わりはないのですが」
「旭お姉さんは歩美のもう一人のお姉ちゃんだもん!」
「あはは、それは嬉しいな」
小さな手にぎゅうっと繋がれた手が温かくて。笑いながら歩美ちゃんの丸い頭を撫でた。
「松田旭と申します。今日は代打で来ましたが、どうぞよろしくお願いします」
「阿笠じゃよ。こちらこそわざわざお越しいただいてしまってすまんの」
「いいえ、楽しみにしていましたのでむしろ嬉しいです」
コナンくんもこんにちは、と声を掛けると可愛らしいお返事をもらう。それから、と目を向けると俺を見上げる美人な女の子。彼女のことは歩美ちゃんから沢山話を聞いているから、勝手に知り合いみたいな気がしている。どんな女の子なのかなってずっと思ってたこともあって、こうして会えたことが凄く嬉しい。
「哀ちゃん、お話してた旭お姉さんだよ」
「こんにちは、初めまして」
哀ちゃんは落ち着いた声で挨拶を返してくれる。
「話は聞いてるわ。よろしくね、旭さん」
「うん、こちらこそ。哀ちゃんって呼んでも?」
「ええ、どうぞ」
「それじゃあお言葉に甘えて」
よろしくね、哀ちゃん。聞いていた通りの美人さんからはクールなお返事。歩美ちゃんと哀ちゃん、タイプは違うけどとっても可愛くていつまでも見てられるなあ。仲良しメンバーでお喋りをしだす様子を見ていれば、勝手に笑みが溢れてしまった。お邪魔しちゃいけないと思って阿笠さんの隣に立ちながら、声を掛ける。
「あの、鈴木さんはどこにいらっしゃるかご存知ですか?」
「ん?ああ、向こうの方に居たからじきにこっちへ来るじゃろう」
此処で待っておけば大丈夫じゃ、と言われて素直に頷くことにする。良い子たちだから大丈夫よと言っていたのはマナちゃん。それに、色々話しておいたからとも言われたんだっけ。マナちゃんの生徒さんに会えると知って、純粋に楽しみにはしていたんだ。でもなあ、こんな場なのに俺が女の子の格好をしているのはマナちゃんのせい。美少女って伝えておいたから可愛い格好していくのよ!なんていうメッセージが送られて来た時にはさすがに怒りのスタンプを送っておいた。もう、こんな場にお呼ばれしてるんだからしっかりしたお洋服を着たかったのに。悩みに悩んでお洋服は決めたけど、今日の朝もやっぱり行かせたくねえって引っ付いてくる陣平くんを送り出すのが本当に大変だった。可愛いとか、誰にも見せたくないとか言ってくれるのは、その、嬉しいんだけど………。なんだか思い出したら恥ずかしくなってきた!陣平くんがぎゅうぎゅう抱き締めてくれるのも、いっぱい可愛いって言ってくれるのも嬉しい。嬉しいけど、恥ずかしい。うう、陣平くん………。急に赤くなってしまった顔をどうにかしようと思ってぱたぱたと手で仰ぐ。
「ん?どうかしたかの?」
「あ、えっと!なんでもないです!ちょっと暑いかなと……」
あはは。下手くそ〜〜!!なんで俺ってこんなに下手くそなんだろう!!うわーん、やだ。全部陣平くんのせいだもん。気を抜くと次々と浮かんで来る今日の陣平くんを散らすようにするので精一杯。今はダメなの!!首を傾げる阿笠さんに気にしないでください、と笑うのに恥ずかしくて泣きたい。此処に陣平くんは居ないのに、すぐあれこれ思い出して恥ずかしくなっちゃうんだもん。もうずっと一緒に居るのに、俺はいつまで経ってもそう。陣平くんが格好良いから悪いんだ。俺は何も悪くないもん。今日帰ったらぎゅってしてもらおう。なんて、まだ目的も達成してないのに。楽しみにして来たはずなんだけど、もう帰った後の陣平くんとの時間のことを考えてる。しょうがない。どんな時だってまず考えてしまうのは、陣平くんのことだから。
「ああー!!居た美少女!!」
ぱたぱたと顔を仰いでいると、聞こえたのは大きな声。駆ける音がどんどん大きくなっていく。視線を向ければ、勢い良く飛び込んで来た女の子。
「わ!」
「やっと会えたー!!」
がばり。首の後ろに回った細い両腕でぎゅう、と抱き着いてくる体を受け止めると歩美ちゃんが大きな声を出す。
「あー!ずるい歩美もー!」
がばり。腰の辺りに抱き着いてくる小さな体を受け止めるのは、さすがに俺でも大変。ちょっとだけよろけていると、その後からやって来た長い髪の女の子がべりっと音がしそうな勢いで剥がしてくれた。
「もうー園子!危ないでしょ!」
「あはは、念願の美少女に会えて嬉しさのあまりつい…」
「突然すみません。びっくりしましたよね」
園子からも、としっかりした声色で促されてショートカットの女の子は肩を下げながら謝ってくれた。
「いえいえ、そんな。大丈夫ですよ。気にしないでください」
むしろ歓迎してもらえてるみたいで嬉しいです。目を細めると、勢い良く顔を上げた女の子が大きな瞳を爛々と輝かせていて。
「愛美先生から聞いてた通り!優しくて可愛い!」
「あはは、えっと、マナちゃんがお世話になってます」
帝丹高校の生徒さんってことは、鈴木さんと毛利さん?首を傾げると、それぞれが挨拶をしてくれた。二人はマナちゃんが先生をしている高校の生徒さんで、俺の話を色々聞いてると教えてくれた。どんな話をしてるのかまではあえて聞かないでおいたけど、ずっと会ってみたかったのだとも。純粋に嬉しいけど、知らない所で俺の写真を誰かに見せるのはどうなの?思わず苦笑すると、写真も可愛かったけど実物はもっと可愛い!と大はしゃぎの二人。元気で可愛いのは二人の方だよ、と笑うと途端に顔が真っ赤になってしまった。
「え!?大丈夫?どうかした…?」
言葉なく両手で顔を覆ってしまう様子に戸惑っていると、いつに間にか傍に寄ってきていた哀ちゃん。
「旭さんの笑顔が綺麗過ぎたのね」
「旭お姉さんこうやって色んな人のこと落としちゃうんだよー」
俺のスカートに顔を埋めていた歩美ちゃんまでそんなことを言うから。
「ええ…哀ちゃんも歩美ちゃんも何てことを…」
「あら、本当のことよ」
「そうそう!」
未だ顔を覆ったままぷるぷると震える女子高生たちと、涼しい顔で俺を見上げてくるおチビさん二人。今時の子はマセてるなんてレベルじゃないのでは…?と少しだけ混乱する。少し待っていると、復活し始めた女子高生組。関係者が居るからとのことで鈴木さんは園子ちゃん。お父さんであるあの有名な毛利小五郎さんも来ているからとのことで毛利さんは蘭ちゃんと呼ばせてもらうことにして。改めてよろしくねと挨拶をする。それから、園子ちゃんの案内で本日お招きいただいた鈴木次郎吉さんへ挨拶することが叶うと、いよいよお待ちかねの飛行船に搭乗するみたい。大きな飛行船を目の前にすればおチビさんたちは大興奮してたけど、俺も同じようなもの。
「ねえ旭お姉さん」
「ん?どうしたの?」
手を繋いでいた歩美ちゃんと同じ目線になるようにしゃがむと、一緒に写真を撮ろうと言われる。そうだね、せっかくだし。二つ返事で頷くと、歩美ちゃんが哀ちゃんのことも呼んでいて。肩に掛けたショルダーから端末を取り出すと、二人は俺を挟んで顔を寄せてくれる。三人分の顔と、背後には飛行船。画面に収まってるのを確認しながら、合図をしてシャッターを切った。
「マナちゃんにも送っておくね」
「うん!あと、旭お姉さんの彼氏さんにも!」
「あはは、送ります」
「あら、旭さんは彼氏が居るの?」
「もうとーってもお似合いなんだよ!」
「ふふふ、兄なんだけどね。歩美ちゃんいつも彼氏って言うの」
「お兄さん?」
「うん、従兄弟なんだけど。警察官だからどこかで会うかもねえ」
送って送って!と俺の端末を覗き込む歩美ちゃんに頷きながら画面を操作していく。その間に哀ちゃんと話をしていたら、くすりと小さな笑い声が聞こえた。
「旭さん、その人のことが大好きなのね」
「え!?」
なんで!?と哀ちゃんの顔を見れば、柔らかく目を細める表情がびっくりするくらい綺麗で。
「だって、表情がとびっきり甘くなるもの」
そんなことを言われて、今度は俺が両手で顔を覆う番だった。
マナちゃんと陣平くんにそれぞれ写真を送ったのを見届けると、歩美ちゃんは眩しいほどの笑顔を浮かべながら飛行船の搭乗口へと駆けて行く。走ると危ないよーと声に出しながら哀ちゃんと並んで歩くと、大丈夫!と笑いながら階段に足を掛けつつ振り返って来て。元気だなあ。そんなことを思っていると、歩美ちゃんは俺たちのことを待っててくれているみたいだった。優しい子なんだよね。楽しいことを誰かと一緒に共有しようとするんだ、歩美ちゃんは。そして俺たちが追いつくかどうかの頃合いを見計らって、一歩踏み出そうとする。
「わあっ!」
「歩美ちゃん!」
階段でバランスを崩したのを瞬間的に理解して駆けようとすれば、間に入って来た人。こちらを見てはいないけど、手で制されたら脊髄反射のようなもので足を止めてしまう。その人は歩美ちゃんの体を支えて、抱き止めてくれた。並んでいた哀ちゃんと一緒にほ、と息をついて。ドキドキと嫌な音を立てる胸を撫で下ろしながらお兄さんにお礼を言う。
「すみません、ありがとうございました」
「いいえ、お客様へお怪我をさせる訳にはいきませんし」
「注意しますね」
「ええ。それに、あなたにまで何かあったら大変ですから」
「お気遣いありがとうございます」
目を細めていれば、気持ちが落ち着いたであろう歩美ちゃんがお兄さんへお礼を言っていて。びっくりしたねえ、と声を掛ければこくりと頷いて小さな手の平が伸びてくる。ぎゅっと繋ぐと、安心したように擦り寄られて目を細めてしまった。後ろから大丈夫ですか!?と慌てた声を出して駆け寄ってくるのは蘭ちゃん。
「うん、お兄さんが入ってくれたから大丈夫」
「そうですか、良かった」
息を吐き出した蘭ちゃんはふと視線をずらすと、何かに気づいたような声を出した。
「あ、血が」
肘のところ、と続けてショルダーから取り出された絆創膏。俺の絆創膏は使わずに済んだな、と目線を逸らしてここは蘭ちゃんに甘えてしまおうと思った。お兄さんも男に世話されるよりは可愛い女の子にお世話された方が良いよね、なんて思いながら。頭を下げて、繋いだ手をやんわりと引きながら階段を上がる。後ろからついてくる哀ちゃんへも気を配っていると、私のことは大丈夫よなんて言われてしまって。なんとなく、俺よりもしっかりしてるんじゃないかなあと思って苦笑した。ひらひらと揺れるのは、たっぷりの布を使ったサーキュラースカート。今日のお洋服は黒地にボタニカル調の花柄が全体にプリントされたドレスワンピース。七分袖はパフスリーブで、肘周りはゆったりしながらも袖口が締まっているから邪魔にならなくて快適。絞られたウェスト部分は体のラインに沿っていて、広がらない重めのスカートをふんわりと見せてくれていた。カジュアル過ぎず、かっちりし過ぎず。そんなワンピースの綺麗なシルエットが気に入っていて、今日みたいなお呼ばれにも十分使えるお洋服。足元は歩いても疲れないように黒のローヒールなパンプス。それから肩に下げたアイボリーのショルダー。胸までの髪はサイドに流して、邪魔になったらまとめちゃえば良い。とりあえずお洋服だけの写真をマナちゃんに送ったら笑っちゃうくらいの大絶賛を受けてきた。
「わあー!」
離陸した船内。大きな窓から皆で景色を見下ろした後、案内されたのはスカイデッキ。歩美ちゃんと元太くん、光彦くんが興奮した様子で前に詰め寄っている。わあー、キラキラ。少し離れた所からその様子を見ていると、端末が振動した。ふと目線を向ければメッセージが届いていて。文面は『約束忘れんなよ』と『楽しんでこい』が並んでいる。自然と緩んでしまう表情をそのままに返事をした。それに対するメッセージがもう一つ。『写真、可愛い』もう。両手で顔を覆いたくなるけど、突然聞こえた音にびっくりして顔を上げて。次郎吉さん渾身のキッド対策がどれくらい凄いのかは、毛利さんと中森警部が身をもって教えてくれたのだった。
「旭お姉さん、食べ終わった?」
「うん、美味しかったねえ」
にっこりと笑う歩美ちゃんへ体を向けると、一緒にトランプしようと手を引かれる。向こうのテーブルから聞こえる阿笠さんの忙しないと言う声に苦笑しながら、立ち上がった。
「ご馳走様でした」
子供たちは見ておくね。そう言う俺に園子ちゃんはえー!と不満気だったけど。あとでまたゆっくりお話しようねと返せば、絶対ですからね!とぶんぶん手を振られた。応えるようにしてひらひら手を振ると、今度は蘭ちゃんも控えめに手を振り返してくれて。可愛いなあ。緩む口角をそのままにして居ると、廊下に出た辺りでキョロキョロとし始める子供たちに首を傾げてしまった。
「どうしたの?お部屋はあっちだよ?」
少しだけ屈むと、三人分の小さな手にしゃがむように促されて。丸くなって顔を突き合わせれば、こそこそと小さな声が。
「あのね、旭お姉さん」
「これから僕たちが行くのは部屋ではありません」
「ねーちゃんも一緒に行こーぜ」
「ああー、そういうこと?」
悪い顔で笑う三人は、そーいうこと!なんてますます笑みを深めるのだった。
「面白かったねー!」
どこに行くのかはおチビさんたちに委ねて、歩美ちゃんに手を引かれるがままについて行く。薄暗い場所をどんどん進んで行く男の子二人の背中を追いながら、ここはダメな所じゃない…??と眉を下げて笑ってしまうことも何度かあって。これ、バレたら俺が怒られちゃうんだろうなあ。まあ、でも。こういうのも付き添いの醍醐味みたいなものかな。そんな風に思うと小さな探検隊の仲間に入れてもらえたことは純粋に嬉しかったし、三人が楽しかったで終われるようにちゃんと見ていなきゃなと気を引き締めた。
「今度はクジラの尻尾の方に行ってみようぜ」
「元太くん、クジラに尻尾はありません。尾びれです」
こういう会話は幾ら聞いてても飽きないなと思う。歩美ちゃんや元太くんの疑問に答えてくれるのは光彦くんで、更に難しいことになるとコナンくんか哀ちゃんが教えてくれる。でも、小学一年生でも知ってるかなと思えるのは光彦くんの回答だけであって、コナンくんと哀ちゃんの知識は俺でもそうなんだと頷いてしまうことがある。なんていうか、陣平くんと話をしてる時にすごく似てるんだよね。警察官になろうと思っていた時に色んなことを学んだのは参考書だったりしたけど、一番良く教えてくれたのは陣平くんだ。普段はそんなことないみたいな風を装っているけど、陣平くんは頭が良いし何でも知ってる。元々優秀なのもあるけど真面目で努力をしているのに、決してそれを周りには見せない。でも、勉強したり筋トレをする姿を俺にだけは見せてくれていたから、俺も一緒に勉強するようになったんだっけ。何もしなくたって陣平くんは昔から俺のヒーローだったから、大した理由もなく陣平くんの真似っこをしたくてしょうがなかった。分からないことを陣平くんに聞くと大抵教えてくれる。もちろんそうじゃないこともあるし、大学の専攻なんかは俺の方が陣平くんよりも詳しいと思う。あまり上手く言えないけど、コナンくんと哀ちゃんからは不思議な感覚をどうしたって感じてしまうんだ。二人とも難しいことを知っているんだね、で終わらせようと思えば当然終わらせることだって出来るんだけど。ぐちゃぐちゃ考えていたら、不意に声が聞こえてくる。視線の先にはコナンくんが駆け寄ってくるのが見えた。
「元太お前、体は大丈夫か?」
「へ?」
真っ先に元太くんへと向かうコナンくんは難しい顔をしていて。黙り込んだままの様子を見る子供たちがどうしたの?と声を掛ける。
「そうだ、一緒に飛行船の中を探検しようぜ」
「それどころじゃねえ。今大変なことになってるんだ」
大変なことって?そんな光彦くんの声に、コナンくんは答えない。とにかくキャビンに戻るぞ、と言いながら歩き出す小さな背中を見た時。それよりももっと先の方で、何かが動くのが見えた。
「っ、待ってコナンくん」
無意識のうちにボリュームを絞った声を出していたけど、コナンくんは俺と目線を合わせて頷いてくれた。瞬間的にしゃがみ込みながら繋いでいた歩美ちゃんの手を離して背に庇うようにする。隠れろ。そんな風に口にするコナンくんの声を聞いてしまえば、事情は良く分からないけどこの飛行船内で何かが起こっていることを悟った。しかも、良くない意味での何か。こんな時なのに、行かせたくねえと行った陣平くんの声が聞こえてくる。もう少し何か分かったら陣平くんに連絡しよう。場合にもよるけど、何かしらの役には立つかもしれない。
「ここでじっとしてろ」
うん、と頷く後ろの三人だけど。さすがにコナンくんだけを前に行かせるのは嫌だな。そう思って身を屈めながら小さな背中を追う。こんなことになるならスカートもパンプスも止めれば良かった。今更そんなことを思っても仕方ないんだけど。出来る限り足音を殺し、息を潜めて先へ進む。柵の間から目を凝らして見ると、薄暗くて分かりづらいけど人影が動いていた。
「人が居る」
「うん、その眼鏡だと良く見えるの?」
「そう。これ、博士が作ってくれたやつなんだ」
「そっか。すごい眼鏡だったんだね」
どんな人が分かる?目線を合わせずにする会話。声の大きさを限界まで落としているから、コナンくんとは肩を寄せ合うようにして並んでいた。
「いや、フードを被っているから顔が見えない」
そんな時。カチリ、と確かに聞こえた音。何かを外した?
「誰ですかあの人」
「キッドの仲間なのか?」
突然傍で聞こえた声に、コナンくんと二人で息を飲みながらびくりと体を揺らしてしまって。振り返れば、真剣な表情をしている三人の子供たち。嫌なドキドキを続ける胸を落ち着かせていると、コナンくんはキッドとは関係ないと口にした。
「あいつらは恐らく、赤いシャムネコの…」
「え、赤いシャムネコ?」
この一週間、飽きるほど聞いた名前に耳を疑った。あの人たちのせいで警視庁にも緊張が走っているからと、陣平くんの絶対に行かせない攻撃に拍車が掛かったっていうのに。確かにタイミングは同じだけどその人たちが鈴木財閥やキッドを狙う理由も分からないし、何より自分たちも同じ船内に居ることでウィルスに感染するリスクが伴う。飛行船内で何かをするメリットがあまり思いつかないよ、とどうにかこうにか陣平くんを納得させて来たのに。この期に及んで赤いシャムネコ?え、なんで?混乱する頭のまま唸ると、どこからか聞こえてくるヘリコプターの音。
「しまった」
コナンくんの声ではっとすると、扉のような所が開いた。するりと入り込んできたのは複数人。武装していて、顔は見えない。ただ、銃を持っている人と何かを鞄から取り出して受け渡している人。ちらりと目線を合わせたコナンくんと頷き合う。
「奥へ行け」
その合図で走り出す子供たち。少しスピードを上げて辿り着き、まずは梯子を登る三人の体を順番に持ち上げて時間を短縮する。
「旭さんも先に」
「コナンくんが先だよ」
ほら、と持ち上げちゃえばこっちのものだから。梯子に掴まるコナンくんを見上げた視界の端で、こちらの方へ歩いてくる集団の動きを捉える。これ、見つかった場合は怪我で済めば良い方かなあ。陣平くんとの約束を破りたくないけど、と考えながら梯子を登ったのだった。
「どうします、コナンくん」
武装した人たちをどうにかやり過ごして、円を描くようにして並び腰を下ろしていた。気を強く持ってはいるようだけど不安そうにする歩美ちゃんはぴたりと寄り添ってくる。うん、怖いよね。絶対に守るつもりだけど大丈夫なんて根拠のない言葉を掛けることが出来なくて、無言のまま小さな頭を撫でた。そして次郎吉さん自らが行う船内放送を聞きながら、端末を操作して。作ったメッセージは今の状況と、これからすることになるであろうこと。宛先はもちろん、陣平くん。きっと心配してくれるとは思うけど、それよりも今の警視庁内で一番の重要トピックであるテロリスト集団の情報を渡せばきっと役に立ててくれるはずだから。電波が通っていて良かった。別な場所に居た時は圏外になっていた時もあったから、そこだけは不幸中の幸いなのかもしれない。メッセージが送れたことを確認して、マナーモードのバイブを切ってからワンピースのポケットに端末を滑り込ませた。コナンくんが取り出したのは、前に歩美ちゃんに見せてもらったことがある『探偵バッチ』。話を聞く限りだとめちゃくちゃ凄い発明品だと思ったけど、ふと冷静に考えてみれば電波法とか無線に関する知識とかその辺で頭が痛くなったから誰にも言ってない。ちょっと拝借して電子回路を見せてもらえばこれは陣平くんが喜びそう、なんて思って笑ってしまったけど。通信の相手は哀ちゃん。やっぱり犯行グループは赤いシャムネコで、その動機は鈴木財閥に対する恨み。うーん、あまり伝えたくないけどこれもどこかのタイミングで陣平くんに送ろう。あまり色々送って情報を撹乱させるのは良くないことだ。少し整理したいなあ。犯人たちは大阪に迎えって言ってたけど、なんで大阪なんだろう。何かあったかなと考えてみる。あまり頭が冷静じゃないから、パッと考えただけでは何も出てこない。コナンくんの話を聞きながら、やっぱりまずは爆弾の解除だよねと頷くのに。
「そういえば、喫煙室には行ってないな?」
その声に、全員で眉を下げて笑ってしまった。
「あ、あ〜、でも、ちょっと覗いただけだよ」
気まずそうな元太くんの声色に笑ってしまう。
「もしかして、喫煙室はアウトだった?」
念のために確認すると、コナンくんは怖いくらいの真顔でゆっくりと頷いた。
「まさか旭さんも!?」
「あー、うん。元太くんがすごく臭いって言うから。何か燃えてる訳じゃないよねって疑っちゃって」
あはは。コナンくんと話せば話すほど、陣平くんに連絡するのが辛くなってしまうこの現象に名前をつけたいな。無事に帰ることが出来ても、しばらくどこにも行かせてもらえなくなりそうだなあ。陣平くんの俺に対する過保護レベルがまた上がってしまう……。いつの日かみたいに、同期の皆さんが日替わりで送り迎えしてくれるようになったらどうしよう。申し訳ない。でも、そっか。あの喫煙室がアウトなら俺はもう陣平くんに会えないかもしれないんだ。それはやだなあ。ワンピースの裾を掴んだ手にぎゅう、と力を入れると歩美ちゃんに名前を呼ばれる。ごめんね、なんでもないよ。にこりと笑えば、安心してくれたみたい。歩美ちゃんと光彦くんは喫煙室の中には入ってないし、元太くんや俺のようにまじまじと匂いを嗅いだ訳でもないからとりあえずは大丈夫だと判断して。あまり触ったり近付いたりするのはやめなきゃな、と思う。
「このままでいる訳にもいかないし、まずは爆弾をどうにかしなきゃね」
「そう、だね」
目に見えて肩を落としているコナンくんに苦笑しながら、ここは大人が引き受けるよと言うのに。
「ダメだよ旭お姉さん!歩美も手伝う!」
「僕も手伝いますよ!」
「俺もだ!」
「ええー、でもなあ」
「ここは皆で手分けしよう」
あいつらがどのタイミングで爆破させるかは分からないし、と言われてしまえばそれもその通りだと頷かざるを得ない。柵から見下ろし、場所を確認したら。手分けして探しに行く三人の背中を見送った。
「ところでコナンくん、何か切れるものを持ってたりする?」
「え、うん、持ってるよ」
「さすが、準備が良いねえ」
サイドに流した髪を束ねながら、スカートの裾を結んで広がらないようにした。シワにはなっちゃうけど、どこかに引っ掛けた方が困る。
「ついでに聞くけど、もしかして爆弾も解除出来るの?」
「え、あはは、博士に教えて貰ったんだよ」
「へえ、まだ小さいのに凄いねえ」
「そういう旭さんは?」
「従兄弟が爆発物処理班なの。だから、同じ所を目指して勉強してたんだよ」
「そうなんだね。もう目指してないの?」
「うん、色々あってね」
元々、警察官を目指した理由なんて不純だった。国民を守るとかそんなことじゃなくて、たった一人の大好きな人の隣にずっと居たかっただけだから。
「そろそろ行こっか」
四つの爆弾を解除するのはそこそこ疲れそうだね。苦笑すると、そうだねと困ったように笑われた。
慣れてるなあ。狭くて高い所をすいすい歩いていくコナンくんを見ていると、こんな状況がこれまでに何度もあったのかもしれないなと思ってしまう。俺もそれなりに経験豊富な方だとは思ってたけど、案外マナちゃんが言ってたことは正しいのかもと考えてしまった。爆弾は残り一つ。子供たちに姿を隠すように言ってから手分けして探し、ようやく見つけたそれをコナンくんが解除している。下手に声を出して気づかれてもまずいから、今の様子を確認出来ないことがもどかしい。大丈夫かな。無意識のうちに両手を組んでぎゅうっと握ってしまう。ふと、嫌な予感がしてしゃがんだ。それが無駄だったことを知るのは、聞こえてきた足音を認識した時。そちらの方へ視線を向けると、この後に起こるであろう嫌な出来事を幾つも想像して溜息をついた。不安そうな三人に向かって笑い掛ける。コナンくんを焦らせても仕方ないと思って、無言のまま立ち上がり両手を頭の上に掲げた。
「旭さん、終わったよ」
「お疲れ様、コナンくん」
顔を覗かせたコナンくんに腕を伸ばすと、素直に飛び込んでくる体を受け止めて。
「ごめん、ここまでみたいだ」
「え?」
小さな体を床に下ろすと、コナンくんは相対する男たちを視界に入れる。そして、俺たちが置かれた状況を理解したようだった。
「お前らがやったのか」
小さな子たちを庇うようにして立ち、男を見上げる。
「この子たちがそんなことを出来る訳ないでしょう」
配線が切られた爆弾を手にした男は、きっとこの飛行船で動く部隊のリーダーのような存在なんだろうな。見上げるほどに背は高いけど、怯むことなく目を鋭くした。そんな俺の態度が気に入らなかったのか、苛立たしげに舌打ちをすると片手が伸ばされる。どうせ見た目も相まって舐めてるんだろう。それはそれでありがたいと思いながら、太い腕を脇の下で挟んで一気に重心を崩そうとする。うわ、重い。一瞬そう思ってしまったらそれが隙になったんだろう。
「旭さん!」
「旭お姉さん!」
挟んだはずの男の腕で簡単に持ち上げられてしまったら、為す術もない。こんなに簡単に持ち上げられてしまうとは思わなかった。コナンくんと、歩美ちゃん。それから多分蘭ちゃんと園子ちゃんの声。子供みたいに持ち上げられて抵抗出来なくなった俺は、それでも男を睨む。舌打ちが聞こえて、そのまま背中から床に叩き落とされた。
「っ、う、」
受け身を取ることすら出来ないまま、打ち付けた背中。痛みが強くて呼吸が一瞬止まる。苦しい。痛い。じんわりと滲む涙に下唇を噛むけど、それ以上の力は体に入らなかった。ぐったりする俺を横目に、男は俺から離れていく。待って、行かないで。その子たちに何もしないで。見ていることしか出来ないのが悔しくて、涙を溢しながら整わない呼吸を繰り返す。
「旭さん!」
俺に駆け寄ろうとするコナンくんは、男に捕まって。
「良い度胸だ」
そのまま、開けた窓から。
叫ぶことすら出来ない。痛みがおさまらない。苦しい。やめて。悲痛な声を聞きながら唇を強く噛む。窓には皆が駆け寄るけど、誰よりも早く窓枠へと乗り窓から飛び出して行った人が見えて。あれはキッド。そう確信した時には、安堵からかそのまま意識を落としてしまった。