従兄弟と再会する松田陣平の話
警視庁内部はかなり慌ただしい。その様子を横目に喫煙室から出て爆処の居室へ戻ると、ぼんやりとした顔の萩原。暇そうだ。刑事部やその上がマスコミ対応やら関西方面の警察との連携に追われる中、今の所爆処の出動要請はない。これといって早急にやらなきゃいけない書類などもなく、日勤の奴らは俺も含めてダラダラとしている。筋トレでもするかー、という声が聞こえてくるくらいだ。
「お帰りー」
「ん」
デスクに戻ると頬杖をついた萩原が声を掛けてきた。その視線はニュース番組を流すテレビに向いたまま。
「なんか変わったことは?」
「なーんも」
テレビはどこの局も赤いシャムネコだよ。肩を竦める萩原に息を吐くと、ポケットから端末を取り出した。午前中に送られてきたメッセージをもう一度開くと、二人の子供に挟まれて笑う旭の写真。一人は見たことないが、もう一人は知ってる。旭の高校時代からの友人の従姉妹だ。月に何度か家庭教師のようなことを続けているから、必然と付き合いも長い。タイミングが合う時は旭の送り迎えをすることもあるからわざわざ親御さんから挨拶を受けたこともある。子供に好かれる旭は面倒見が良いし、今回の代役には打ってつけなのだろう。後ろには画面に入りきらないほどの飛行船。なんだかんだと言ったことはほぼ本心だが、こうして楽しそうな顔を見てしまえば送り出して良かったとも思う。あとは無事に帰って来ればそれで良い。何も起こるな。生まれた時から見守って来た旭が万年不幸体質であることは自他共に認めることだ。今更何が起こっても驚きはしないが、俺が居ない所で何かに巻き込まれるのはどうしたって嫌だ。当然だろう。旭のために生きてると言っても過言ではない。旭だってそうだ。俺のために生きろと言ったのは俺自身。俺の手が届かない所で何かあったらと思うと気が気じゃない。『楽しかった』で今日が終わってくれたら、それで。会いてえな。今日の朝だって困らせた自覚はある。誰かに見せるためじゃねえことは分かっているが、可愛くて可愛くて誰かに見せてやることが嫌になった。どんな格好をしていようが可愛いんだからしょうがない。俺は悪くない。なあ、今日は行くな。家に居て、俺が帰って来るのを待っててくれ。帰って来たら直ぐに抱き締めて、キスしてえから。なあ、旭。旨い朝飯を食った後、キッチンで食器を片付ける旭の薄い腹に両腕を回し肩に顎を乗せる。わざと耳元で喋ると、どんどん顔を赤くしていくから。ドタキャンは出来ないとか、恥ずかしいから今はダメとか、羞恥のあまりに声を震わせるのはいつまで経っても変わらない。こんなのいい加減慣れたって良いのに、俺が格好良いから悪いなんて言って顔を真っ赤にするのだから堪らないなと思う。旭、なあ。華奢な背中から包むように抱き締めて、線の細い首筋に鼻を押し当てる。目を閉じて甘い匂いを嗅ぎながら、やんわりと甘噛みをすれば吐息が溢れ落ちていった。旭。ダメだもん。なんで?俺が行かなくなったら色んな人に迷惑掛けちゃうから。それ、本当は行くのやめてえってこと?うう、ダメなの!ふうん、可愛い。勝手に上がってしまう口角を隠すことなく、耳元にぴったりとつけた唇。旭、愛してる。そんなことを囁けば、ぎゅうっと目を瞑った旭は水道の水を止めた。もうー!陣平くん!ぷるぷると震えながら勢い良く振り返ったかと思うと、細い両腕が首に回ってくる。冷てえ。濡れた手が首の裏に当てられてひやりとした。ぎゅうぎゅう抱き締めてくる体が愛おしくて、括れた腰に腕を回す。手を拭う余裕すらなかったのか、胸元に顔を埋める旭は小さな声で俺の名前を呼んできて。好き、陣平くん。大好き、愛してる。高くも低くもない声でうわ言のように呟かれたなら、勝手に息が熱くなってしまった。ったく、どうしようもねえ。はあ、と繰り返す呼吸の熱いこと。名前を呼んで顔を上げさせれば、大きな瞳がぐずぐずに蕩けていた。なんでこんなに可愛いんだろうな。多分、俺も旭も同じなんだろう。どんな触れ合いだってしてきたのに旭は俺をいつまでだって格好良いと言うし、俺は旭をどんな時だって可愛いと言う。これまでがそうだったように、これから先もずっとそうやって寄り添いながら生きていくんだろう。何をしてたって可愛いと思ってしまう。愛おしくて、守ってやりたい。俺を生かすこの存在を、いつまでだって大事に抱き締めながら生きていたい。旭もそうだったら良い。俺のために生きて、俺だけをその瞳に映して。俺だけに愛を囁いてくれ。涙目の旭と視線を合わせれば、我慢なんて出来るはずもなく僅かに顔を傾ける。リップ音を鳴らすことすらせず、小さな唇に齧りついた。鼻から抜けていく息が艶を増していき、抱き締めた体からはくたりと力が抜けていく。細い腰を腕で支えてやると、ぎゅうと音がしそうなほどに固く目を瞑りながらも応えようとしてくるから。やっぱり行かせたくねえな。呼吸すら奪うように舌を絡めるキスを存分にしてゆっくり顔を離すと、はくはくと息を乱しながら寄り掛かってくる。額を胸元に埋めて甘えてくる様子に目を細めては、背中を優しく撫でてやった。一度は承諾したから、ちゃんと行かせてやるつもりだ。つもりだが、俺が本当は行かせたくねえと思ってることくらい旭は分かってるだろう。意地悪。旭はそんな風に俺を言うが、多分これは意地悪とかじゃなくて単に心が狭いだけだと思う。その視線も、その言葉も、その想いも、その何もかもが俺に向いていれば良いと思うから。手が届かない場所に行くのも、知らない奴に笑い掛けるのも、俺が居ない所で楽しそうにするのも、悲しんだり傷ついたりすることすら嫌だと思ってしまう。こんなの、旭に対してだけだ。昔から旭に対してだけ、俺はこんなにも心が狭い。呼吸が落ち着いてきた背中を優しく撫でて、細い首筋に顔を埋める。
「……行かせたくねえ」
「終わったらすぐ帰ってくるよ」
「帰ってきたらしばらく離してやれねえからな」
「ふふふ、良いよ」
いっぱいぎゅってして欲しいし、キスもしたいの。甘えるような声で名前を呼ばれて溜息を吐き出した。次の休みは文字通り朝から晩まで離さねえ。抱き締めていれば顔を上げて甘く瞳を細めてくるから、前髪を避けながら額にキスを落とす。嬉しそうにはにかんで笑う表情が可愛かった。
そんな朝のことを思い出していると、平和なのは良いけど暇だ〜と萩原が伸び始めている。暇ならあいつらみたいに筋トレでもしとけ、と居室の片隅で筋トレをやり始めた同僚たちを指差すのに。ええ〜〜とダラダラするばかりだ。まあ、俺も暇といえば暇なのは事実。テレビもネットニュースも赤いシャムネコの話題で持ちきりだし、作成する書類を抱えている訳でもないから手持ち無沙汰ではあって。端末をデスクに置き、頬杖をつきながらテレビへと目を向ける。犯行動機や今後の動向が見えない赤いシャムネコのあれこれを予想したり解説したりする専門家たちの意見には何も思わないまま、時間が流れていく。こういうデカい事件が起こっている時に爆弾を仕掛けようとする奴が少なくなるのは、人間の心理なのだろうか。あらゆる手口がある犯罪の中で、爆弾を使おうとする人間は多かれ少なかれ注目されたいという気持ちを抱いているのではと思っている。その根拠は、やたらと大きく取り上げられているトピックが世間を騒がせている時は出動要請が少ないのだ。こういったことを学べるのは犯罪心理学だろうか。興味はあるにはあるが、なかなか深く学ぶ機会に恵まれなかった。書籍も出ているし、旭が勉強してる時間に一緒にやるか。警察官になることを辞めたとはいえ、現役の大学院生である旭はそれなりに勉強やレポートをしている時間も多い。そんな時は俺も本を読んだり英語の勉強をやったりとなんだかんだとするが、心理学は旭も興味があると言ってたし一緒に何かやるのも良いかもしれない。警察学校での座学は刑法や警察法といった法律を学ぶが、心理学にまでは深く踏み込まない。刑事部へ行くための刑事講習は捜査心理学を学ぶのかもしれないが、推薦を貰って異動させて貰った時はさすがにイレギュラー過ぎたんだろう。なんてことをつらつらと考えながら。出動要請もなくこれといったやることもないまま今日が過ぎていくかと思われたが、それは起こってしまうのだ。
振動した端末を開くと、メッセージが届いていた。差出人は旭。楽しんでるだろうか。頬杖をついたまま中身を確認すると、自分の表情が険しくなっていくのが分かって。一度目を通してから直ぐに大きく息を吐き出す。結局こうなるのか。はあ、と溜息をつきながら舌打ちを一つすると萩原がこちらを向く。
「どうかしたー?」
「赤いシャムネコ」
「ん?」
「鈴木財閥が今日飛ばしてる飛行船でおっぱじめるみてえだぞ」
「……ん?」
「武装した集団の所持品は目視出来る限りで銃と爆弾」
「え、ちょっと」
「例の殺人バクテリアを持ち込んでるかは分からねえけどな」
「あのさ…………その情報って」
「旭からだ」
「やっぱりね〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
頭痛い……とデスクに突っ伏す萩原を横目に俺もだ、と溜息混じりに呟く。起きて欲しくないと願うことに限って起こってしまう。しかも、面白いぐらいにピンポイントで。この一週間、赤いシャムネコのせいで警視庁は忙しなかった。ちょっとしたからかいのような気持ちで旭にも言ってみたが、飛行船に入り込むメリットが見つからないと返してきた。俺も同意見だ。鈴木財閥によっぽどの恨みがあるなら別なのかもしれないが、とはいえ飛行船を乗っ取ることで果たされる復讐とは一体なんだろうか。さっぱり分からない。旭と俺が考えても分からなかったことが、事実として起こっているのだから何とも言えないが。
「とりあえず爆弾を解除して子供たちを守るとか言ってる」
「いやいやいや、何もやらないで良いよ〜〜〜〜〜〜」
「くそ、どうするかな」
「え?どうするって何!?」
「とりあえず伊達に共有する」
萩原を無視して伊達へとメッセージを転送し、電話を掛ける。刑事部には他にも当てがあるが、困った時の同期だろう。耳に当てた端末からは、ぴったりスリーコールで応答の音が聞こえた。
『おう、見たぞ』
「悪いな、忙しい時に」
『まあ、言うほど情報も掴めてないからな』
それで、これは本当なのか。そんな言葉に話が早くて助かると息を吐く。旭が例の飛行船に乗っていることを説明し、さっき送られてきたものだと説明した。悩ましげに唸り声を上げる伊達は深い溜息をついて。
『刑事部としてはありがたい情報だが、個人的には悩ましいな』
「全くだ」
『お前も苦労するな、松田』
「今に始まったことじゃねえから今更だな」
それもそうか。僅かに声色を和らげる伊達に苦笑する。
「一つ相談なんだけどよ」
『なんだ?』
「飛行船を追うことになったら情報くれねえか?」
『それは構わないが、まさか潜入するつもりか?』
「まあ、上手くいけばそこまでしてえけど」
『今回爆処は動かんだろ』
「事実として爆弾が設置されてるなら、刑事部に協力するとか言ってごり押す」
『そういう所、お前は変わらないな』
「それも今更だろ」
笑い声を上げる伊達は分かったと返事をしたかと思うと、何かあれば直ぐに共有すると言ってくれた。悪いな、と言えば構わんと豪快な声。口角を上げながら終話して。息を吐きながら端末をデスクに置くと、萩原が頬杖をつきながら笑う。
「松田のそういう所、本当にヒーローだなって思うんだよねえ」
「あ?」
「いや、旭ちゃんが優しい顔で言ってたのを思い出したからさ」
ま、俺も旭ちゃんのことめちゃくちゃ心配してるから松田が行くって言うなら全力で後押しするよ。そんな言葉に頷きながら、旭がまた連絡してきやしないかと指先で端末に触れたのだった。
***
「久し振りね、工藤くん」
「ども」
「でも驚いたわ、コナンくんも一緒だったなんて」
「佐久島に何か用でも?」
「話は後で。飛行船を追ってください」
その声に首肯して、飛行船を追ってとヘリのパイロットに告げる佐藤。横目で見た先には、高校生坊主とまだ小学校低学年くらいの子供が悪巧みが成功したとでも言うような顔を見合わせていて。名前を聞いたことはある。東の高校生探偵、工藤新一。その存在を知ってはいたが、こうして姿を現すのは随分と久し振りなんじゃないだろうか。それから、コナン。その名前を聞いたのはここ最近だったような。ああ、と思い出す。俺がそういう話を聞くのはほとんどが旭からだ。確か今回の飛行船の旅に一緒に招待されてたんじゃねえか?なんでこんな所に。思わず片眉を釣り上げると、高木の隣から身を乗り出した。
「なあ、坊主」
「へ?」
「ああ、そっちの小せえ方だ」
「僕?」
首を傾げながら自分に向かって指をさすあどけない顔に首肯する。
「お前、コナンって言ったな。あの飛行船に招待されてたはずだが今まで何してたんだ?」
「えっ!?」
「ちょ、松田くん、どういうこと?」
「うちのがあの飛行船に乗ってるもんでね」
「え、松田さんの彼女さんですか!?」
「ああ」
「えっ!?」
全員の胸の内は違うだろうが、全員が全く同じ表情を俺に向けていた。ふう、と息を吐くと小せえ坊主がもしかして…と恐る恐る口を開く。
「旭さんの従兄弟って……」
「ああ、俺のことだ」
だからお前のことも話には聞いてたんだが、なんでこんな所に居るんだ?目を細めながら聞くと、ほんの一瞬無言になって。口を開こうとした坊主を遮るように笑い声を上げたのは工藤新一だった。
「コナンのことは、俺が無理やり佐久島まで連れて行ったんですよ」
「ほお?」
「こいつ、俺の母親の親戚の子供で」
「え、そうだったの!?」
「あはは……あんまり人に言っちゃだめって言われてるから言わないようにしてるんだあ」
さっきから驚きっぱなしの佐藤と高木を横目に息をつく。こりゃあ、まんまと乗せられたな。こういう話にされちまうとそれ以上は追求出来なくなる。まあ別に構わない。ただ、旭が今どうしてるのかを聞ければと思っていたがそれは叶わなくなってしまった。ここは黙っておくか。もう一つ息を吐いて背もたれに体を預けようとする俺に声を掛けてきたのは意外にもコナンの方だった。
「あの、松田さんって機動隊の爆発物処理班なんだよね?」
「ああ、そうだけど」
「なんで佐藤刑事と高木刑事と一緒にヘリに乗ってるの?」
そんな疑問を投げ掛けてくる小学生の子供が果たしてどれだけ居るだろうか。妙な違和感を感じながらも開いた足の上に肘を置き、前のめりのまま逆サイドの端に居るあどけない顔へと視線を向ける。
「爆弾が設置されてるって情報を得たからな。うちからも一人出すことになったんだ」
「へえ、そんなことあるんだ?」
「いいえ、本当はないわよ」
深く溜息を吐くのは佐藤。その声色は強く、隣に座る高木がまあまあと宥めるように声を出していた。
「松田くん、今回のことで身内が関わってるからってゴリ押ししてきたのよ」
「ま、短い付き合いとはいえこれでも捜一に居た人間だしな」
口角を上げれば、佐藤は鋭い視線を向けてくる。
「このヘリにだって勝手に乗ってくるんだもの!」
「細かいこと気にすんなよ」
「気にするわよ!何かあったらうちが責任取るんですからね!」
「ああー!佐藤さんも松田さんも仲良くしましょ?ね?」
「高木、お前も苦労するな」
「ちょっとそれどういう意味!?」
「もうー!二人とも!工藤くんとコナンくんの前ですから!」
「あ、俺たちのことはお構いなく!」
「あはは、僕も難しいことは分かんないや……」
立ち上がり掛ける佐藤の勢いを宥める高木に話し掛けただけだが、坊主どもの清々しいまでの声色を聞けばなんとも言えない気持ちになってしまった。
「まあ、僕たちも松田さんが居てくれたら心強いじゃないですか」
ね、佐藤さん!こうして見ると高木は良い奴だなと思ってしまう。あとで伊達に伝えとくか。
飛行船内部に居た警察関係者から警視庁宛に連絡があった。その内容を聞くに、俺が伊達へと伝えた旭からの情報は全て合っている。ついでに言うと、例の殺人バクテリアも仲良く飛行中だそうだ。それでも行くか?そんな伊達からの電話に、俺がする返事なんて決まっている。聞くまでもねえな。行かないという選択肢があると思うか?旭が中に居る、それだけで理由としては十分すぎるほどだろう。笑いながら分かったと返事する伊達はうちからの要請ってことで機動隊にも掛け合ってやるから準備しとけと続ける。まさかのアシストに驚きながらも礼を言って。俺もお嬢ちゃんが心配だからなあ、このくらいはさせてくれ。そんな言葉を聞けば目を閉じながら口角を上げてしまった。直属の上司には萩原も一緒に頭を下げてくれる。件の飛行船に身内が乗っていることを告げれば、上司からはいつの日かを思い出すようだなとかなんとか小言のようなものを貰いながらも刑事部との連携を許可された。くれぐれも無茶をしないように。その声を背に受けて、ヘリポートへと向かったのだった。
「居ました!飛行船です!」
座席に背中を預けていれば、声を上げる操縦士に反応して身を乗り出したのは工藤。そして、小せえ体を伸ばすコナン。組んでいた足を直し、飛行船を見れば目線を鋭くしてしまう。
「近づいてください。犯人たちに気づかれないよう、十分高度を取って」
「了解」
端末を確認するが、メッセージは何も届いていない。くそ。奥歯を強く噛むと、聞こえた声に口を引き結んだ。
「風向きと、今のヘリのスピードは?」
「東南東、時速二百キロ」
「このまま進んで追い抜いた辺りで、飛行船にスピードを合わせてください」
工藤くん…?佐藤の怪訝そうな声。ヘリが飛行船をゆっくりと追い抜いていくのを横目にして。顔ごとそちらの方を見れば、開けた窓から片手を出す二人の坊主。こいつらもしかして、と思う間もなくそれは確信として思い浮かんでくる。何をしようとしてるのかは直ぐに思い当たったが、訓練を受けてる訳でもない人間が果たしてそんなことを簡単に出来るのだろうか。それが踏んできた場数の経験則だと言われたらそれまでだが、この違和感はなんだ。とはいえ、正直に言えば俺も考えてることは同じだったからこの流れに便乗させて貰おうとは思う訳で。
「工藤くん?一体何が…」
戸惑う佐藤の声に笑うと、坊主たちはつけていたヘッドホンを外す。
「それじゃあ、僕たちはこの辺で失礼します!」
ドアを開けて、そのまま。
「ああっ!」
ヘリの機体から飛び出して行く様子を見下ろすと、なるほど。体幹が良く鍛えられているのか飛行船と体を水平に保ちながら下降していく。そして、次の瞬間。空を羽ばたく鳥の羽のように、一瞬で白が見えた。
「キッド!」
違和感がこれだったのかはいまいち分からねえが、大人だってビビってやれねえことを簡単にやっちまう子供の姿に思わず笑ってしまった。
「ったく、やってくれるよなあ」
ドアに手を掛けながら笑うと、高木がおずおずと声を掛けてきて。
「あのー、松田さん、それ」
「ん?ああ、一応借りてくぞ」
「え!?」
「じゃ、助かった」
「ちょ、松田くん!?」
高木と佐藤の素っ頓狂な声色に笑いつつ、背中から重心を倒していく。下降して行く体のままヘリを見上げて、心配すんなと胸の内で思いながらサングラスを外した。専用のじゃねーからどっかに飛んでいっちまっても困るしな。畳んで胸ポケットにしまうと、体の向きを回転させて。ハンググライダーで空気の抵抗を殺したキッドは緩やかに下降し、やがて飛行船へと着地している。思ったほどそんなに距離もねえかと思ったが、轟々と唸り声を上げる風が頬を叩いていった。せっかく借りてきたし、背負ったパラシュートを使うか。犯人に見つかりたくねえのと飛行船との距離がそんなにないこともあって、パイロットシュートだけで着地出来れば良いかと雑に考えた。ごちゃごちゃ考えても仕方ねえ。とりあえず上手く行けばそれで良い。せめて無事でいろよ、旭。大きな瞳を甘く細めて笑う顔を思い浮かべながら、リップコードを引いた。急に空気抵抗が強くなったことで大幅な減速をする。その反動で体に衝撃が掛かるが、奥歯を強く噛むことでどうにか往なして。スピードが相殺されたことで風に流されながらも、緩やかに着地出来そうだと思った。自分のことに一息ついている間に、視界に入ってきたのは飛行船の上を逆走するキッドの姿。あいつ、何やってんだ。それなりに風はある。体勢が悪かったのだろうが、開きっぱなしのハンググライダーが風に押されて止まれなくなったとかそんな所だろう。正直、人の心配をしてフォローする余裕があるかと言われたら決してそんなことはない。ふ、と息を吐きながら世話が焼ける坊主たちだと呆れるが。もう少し後ろの方で降りとくか。そんな風に考えて風の流れに身を任せる。サスペンションラインが伸び切る前に飛行船に足をつけ、機体の通気口辺りに掴まった。あいつらの二の舞になる前にと装着していたベルトをさっさと外し投げ捨てる。風に煽られて流されていくパラシュートを見ながら、あれは警視庁の備品に入るのかと一瞬考えるがそっと思考を止めた。もうやっちまったことだ。今更悔いてもしょうがねえ。吹っ飛ばされていくパラシュートに一礼した後、坊主たちはと目を向ける。ワイヤーみてえなので辛うじてことなきを得たようだが、手の掛かる奴らだと息を吐いてしまった。とりあえず引っ張ってやるかと歩き出すことにして。
***
「ほんじゃまあ、グッドラックってことで」
「おめーは行かねえのか?」
「俺はしばらく此処で様子見だあ」
宝石はリーダーの手に渡っちまったし。そう言って飛行船に腰を下ろすキッドは、何かを取り出した。慌てたように取りに言った小せえ坊主が首を傾げる。
「じろきちさんの指紋シールだ」
なんだろうな、こいつらは。スラックスのポケットに両手を突っ込みながら話を聞いていたが、キッドはコナンを対等な相手として認識しているようだと思った。そういえば、旭が言ってたな。ポアロで何度か会っているが、まだ小さいのに随分難しいことを知っていると。妙に大きな瞳を輝かせるから何かと思えば、なんだか陣平くんと話してる時を思い出しちゃうんだと言ってきて。はあ、ほんと旭は可愛い。どんな時だって俺のことを考えてるようなことを良く言ってくるが、それは俺も同じだ。大事なあいつのことを考えない時なんてない。あるはずがない。俺の何もかもは旭のためにあるし、旭が居るから存在していられるとすら思う。可愛い可愛いと口から漏らす俺を見て話聞いてよお、と唇を尖らせる顔にキスをしてしまう。話を聞いてはいる。だが、正直に言えば俺以外の男の話題に興味はない。俺のことだけ見てれば良いなんて、そんなことばかり思ってしまう。キスを繰り返していれば最初はちょっとした抵抗をしながらも、最後は受け入れて細い両腕を首に回してくるんだ。可愛いよな、ほんと。小さな唇を文字通り食んでいれば華奢な体を震わせながら応えようとしてきて。きっと狙ってるわけじゃねえと思うが、あまりにも可愛すぎて煽られてしまう。もっとくっつくように引き寄せるのは仕方ない。それでも我慢出来なくなれば、押し倒して覆い被さってしまう。旭。胸の内で何度呼んだかはもう分からない。
「松田さん、ここから入れるよ」
「おう」
通用口の鍵を開けるのを横目に、小さく息を吐いた。
***
「坊主、気をつけろよ」
「うん、大丈夫」
旭が解除したとは思うが、念のために爆弾が再度設置されていないかを確認する。そう言った俺に二つ返事で頷いたコナンは、心当たりがあるから見てくると言って駆けて行こうとした。待て待て。下手くそなのか?さっきヘリの中で工藤新一に扮したキッドがどうにか誤魔化してくれたってのに。一応初めて入ったっていう振りくらいはしろ。わざわざそんなことを言ってやるまでもないが、溜息をつきながら猫のように首根っこを掴んで押さえる。今更慌てても仕方ねえから、一緒に行くぞ。そう言えば大人しく返事をするからまあ、良いかと思うことにした。
「なあ」
そのフロア内を一緒に探したが、結局見つかったのは二つ。それを見下ろして考え込んでいる様子を横目にポケットからマルチツールを取り出した。しゃがんだまま蓋になっている部分にナイフの刃先を差し込んで開け、配線を確認する。単純な仕組みの物だと判断してコードをナイフで切断した。事切れたことを目視し、もう一つにも手を掛ける。同じ手順で解除しながら難しい顔をしている子供に話し掛けた。
「お前、やっぱり飛行船に乗ってただろ」
「え!?」
「別に深く聞こうとは思ってねえよ」
「あ、あはは……」
「ただ、旭に何があったか分かるか?」
コナンは一瞬目を伏せたかと思うと、ゆっくり口を開く。
「旭さんは俺たちを庇ってくれたんだけど、犯人のリーダーに思い切り床に叩きつけられたんだ」
その後にどうなったかまでは分からない。それから、と一度口を閉ざして。ゆっくり息を吐くと、苦しそうに表情を歪める。
「もしかしたら、細菌に感染しているかもしれない」
目が合えば、嘘を言っている訳ではないと分かってしまった。くそ。握り込んだ拳が震えている。だから行かせたくなかったと言うのは簡単だが、今はそんなことを考えてる場合じゃない。音がしそうなほど奥歯を噛み締め、直ぐに深く息を吐き出す。奇妙な感じを覚えるが、見掛け上は子供の前だ。怒りを自分の中に留めようと俯いた。
「そうか、教えてくれてありがとな」
顔を上げて小さな頭を撫でていると端末が着信を告げた。迷った様子で見上げてくる顔に促すと通話ボタンを押して応答している。その間に、と自分も端末を取り出してメール画面を開いた。
犯人が飛行船に細菌を持ち込んだことをネットに書き込んだ。そのせいで今じゃ大阪中がパニックになっている。刑事部は忙しいだろうにそんな情報を幾つか送ってきてくれるのは伊達。警備部もいつでも出動出来るように待機命令が出ていると知らせつつ、そっちはどう?と心配が伺えるのは萩原。二人を送信先に指定し、念の為にCCにはあと二人分のアドレスを挿入しておく。作った文面には無事に飛行船に潜り込んだことと、佐藤と高木とは別行動を取っているがコナンという少年が一緒に居ること。それから、今回は怪盗キッドも力になってくれそうだから様子を見ると付け加える。あとは、旭は犯人に向かって行ったせいで怪我をしているかもしれないということ。とりあえず今の時点で見つけた爆弾は解除した。旭を探しに行くから落ち着いたらまた連絡する。そんな文面を打ち込んで確認し、送信した。降谷と諸伏が受け持っている案件とはまた違うだろうが、テロ活動を未然に防ぐために調査をするというのが本来の警察庁警備局の仕事だとも聞いた。言えば間違いなく力になってくれるだろうが、あいつらは忙しい身だ。ここは俺一人でなんとかするし、そのために上を丸め込んできたんだ。何はともあれまずは旭を探す。犯人を制圧する方法は動向を伺いながら考えれば良いだろう。解除した爆弾を見下ろしながら立ち上がると、松田さんはこの後どうするの?と視線が向けられる。電話の相手は随分と情報通なんだな?と口角を上げれば苦笑いが返ってきた。まあ、ここで追求するつもりはねえし詳細は話すまいと思っていたが勝手に知ったというのなら説明する手間も省けてむしろ助かったと思うくらいだ。何もするつもりはないと両手を挙げてジェスチャーをすれば、あからさまにほっとした表情。分かりやすすぎだろと思わず苦笑してしまった。
「俺はまず旭を探す」
警察官という立場で考えたら模範解答ではないだろうが、一先ず旭と会うまで俺の集中力が散漫になることは間違いない。事実として、常に頭の中ではぐるぐるとしているから気が散っているようなもんだ。旭を回収して一緒に動いた方が効率も良いしな。そんな風に言う俺に、コナンは首を傾げる。
「効率?」
「ああ、旭はあれで警察を目指してたからな。動きも判断も良いぞ」
「へえ、そうなんだね」
「言っておくけど、困った時に頼るのはなしだからな」
「あはは、やだなあ〜別にそんなこと思ってないよ」
「頼るならアムロサンにしとけ」
「安室さん…?」
「おっと、無駄話はこれくらいにしておくか」
何か言いたげな視線を向けられていることには気づきながらもわざと話を遮るようにして腕時計を確認した。時間もそんなにねえしな、と口角を上げながら見下ろすと子供には似つかわしくない肩を竦めるような仕草。お前は?と尋ねれば少し考えてみるとのこと。
「そんじゃ、ここで一旦お別れだな」
「うん、ありがとう松田さん」
「大したことはしてねえよ」
「正確なことは分からないけど、もし旭さんが隔離されてるとしたら客室じゃないかなあ」
「そういう情報は助かる」
「僕も旭さんのこと探してみるね」
「ま、俺より忙しそうだから無理すんな」
「ははは…」
「お互い死なずにまた会おうぜ」
次会ったら何か聞かれるとでも思ってるんだろう。苦笑いするコナンの頭をひと撫でしてから別れた。