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「最初に言っておくけど、運命だとか必然だとか、そんなロマンチックなものじゃないわよ」

たっぷりの間を置いてから、淡々とした口調で別にロマンチックさは求めてないと言われる。
無表情が多いのかと思っていたけれど、案外そんなこともないというか。
よくよく見なければ見落としてしまいそうな変化とはいえ、小さく突き出された唇に目を細めた。

「そ? まあ、あなたってこの世に神はいないって思ってそうだものね」

途端に寄せられた眉間に笑ってしまう。
気に触ったなら謝るわ、となるだけ優しくなるよう意識して口を開くと表情どおりのぶっきらぼうな声で気にしてないと言われた。
そう? と再び尋ねる間にグラスが二つ運ばれてくる。
店員さんにお礼を伝えてからストローの先を指先で摘む。
アイスコーヒーの中に入っている氷を掻き回すと、軽快な音がした。
とりあえず一口含む。
自然と飛び出した美味しい、の声を聞いてから相手も手にしていたグラスの中身をストローでひと回し。
一口含み、ごくりと喉が鳴る音が聞こえる。
美味しい? と尋ねれば、頷く。
少年と青年の狭間にいるような相手の寡黙ながらも素直なアクションを見ていると、不意に唯一の肉親のことを思い出してしまう。
そのまま思考の波に沈み掛けてから、いけないと胸の内で己を叱咤した。
無垢でありながらも意志の強さを感じさせる相貌と目線を絡めることで、目の前に居るのが肉親ではないのだと認識を改める。
なんだか勝手に気まずくなってしまった。
ストローを指先で摘んでグラスの中身をぐるりと回す。
まだ大きな氷の連なりに目線を落とし、もう随分と薄れてしまっているあの人の相貌を思い返そうとした。
いつもいつも、優しい瞳だったように思う。
あんなに一緒に居たのに、と思ったけれど、実際のところ互いの人生の中で隣に居た時間は少ない。
優しい瞳を持った優しい人だったように思う。
あの人としたどんなことだって思い出せるのに、肝心のあの人そのものの情報が上手く思い出せない。
優しい瞳を細めて優しい表情で笑う人だったと思う。

「私たちが出会ったのは偶然だったわ」

運命だとか必然だとか、そんなロマンチックなものではなかった。
私はいつも通りに、あの人もいつも通りに。
引き受けた依頼をこなすために標的と成り得る男を探り、行動パターンを把握し、あるいは格好の場所に赴く情報を得るために。
私もあの人もいつも通りに、人殺しの準備を進めているところだった。

「ダブルブッキングってやつよ」

無垢な相貌のまま首を傾げられる。
その素直な仕草に心の奥底を甘く引っ掻かれながらも、少しだけ笑う。

「私もあの人も別な依頼人に頼まれていたの。ある男を殺すようにってね」

にこりと笑う。
相手は驚いた素振りを見せない。
姿を見せた時に必要なことは名乗ってもらったし、隠してきたという機体も見せてもらったけど。
はいそうですか、と納得するかと言われたらそう簡単な話でもないというか。
もしかすると受け入れたくないという心情の方が正しいかもしれないけど。
話をしながら探る。
相手の相貌を、呼吸を、鼓動を、心を。
色んな意味での時間が流れすぎた今、相手が私の前へ現れた意図をどうにか推し量りたい。

「標的となる男がどんなことをして狙われる羽目になったのかは、正直なところ今も興味ないの。あの時の男に限らず、受ける依頼は全てそうよ」

だって、人が人を殺したいと思う理由なんて人の数だけあるんだもの。
人同士が戦って、傷ついて、倒れていくのが当たり前の世界だから、自分の気持ちなんて関係なしに毎日生きてるだけで誰かの怒りを買うんだわ。
私にとって大事なのは私が理解できるかどうかじゃなくて、依頼人がちゃんとお金を払ってくれるかどうか。

「特にその頃はできるだけお金が必要だったし、身寄りのない女が体を売る以外の方法で多くのお金を稼ぐにはこれしかなかったの」

必要なものは自分の身一つ。
誰かを殺す道具は、目を凝らさなくとも至る所に落ちてるもの。
失敗すればお金をもらえない。
成功すればお金が手に入る。
私が大事にしているのなんてたったそれだけ。
でも。

でも、と滑り落ちた言葉を宙に漂わせたままストローを摘む。
手に取ったグラスの表面には細かい水滴が浮いていて、指先で触れたところから大きな水滴が滴り落ちた。
別に喉が乾いていたわけじゃない。
なんとなく高揚してきた気分を落ち着かせたくて、氷が溶けて染み出しているコーヒーを一口含む。
舌の上に広がるほろ苦さと冷たさが心地良かった。
グラスをテーブルに戻して、もう一度。

「でも、あの人は私と違ったわ」

私もあの人も、やることはいつも変わらない。
引き受けた依頼をこなすために標的と成り得る人間を探り、行動パターンを把握し、あるいは格好の場所に赴く情報を得る。
そうして私が達成するのは、お金を確実に得る確率を上げるため。
一方であの人は、標的が悪であるかどうかを見定めることを目的としていた。
私たちは同じことをしていたけど、その胸の内に抱えるものは全然違ったと思ってる。
まあ、だからあの人に置いていかれたのかも。
そう自嘲したのは一度や二度じゃない。

「あの人は標的となる相手の行いを自分で調べるの。調べて、調べて、それで仕方ないと判断した相手を必ず殺す」

あの人の腕前が確かなことはあなたが良く知っているでしょう?
首を傾げれば首肯される。
向かい合う相手は変わらず無言だけど頷く角度は深いものだった。
自然と口元に笑みが浮かんでいたことに気づく。
あの人がどんな風に戦っていたのかを聞いてみたいと思った。

「あの人は頼まれたからって安請け合いしないの。だけど、一度引き受けたら絶対に標的を仕留めるわ」

図らずも同じ標的を狙うことになった私たちは、いつも通りに下調べをしていくうちに互いの存在を探り当てるの。
確実に依頼をこなすため、徹底的に周りを調べていくのだから気づかないわけがなかった。
あの人と初めて会ったのは街中。
お互いに人を殺す時のポリシーは持っていたから、目が合った瞬間に相手が誰なのか分かったとしてもどちらからともなく無防備な両手の平を見せ合った。
高さの合わない目線をただただ絡めたあの日のことは、きっと死ぬまで忘れないと思ってるの。
ロマンチックじゃないかって? そんなことないわよ。
ただただ互いに見惚れてただけなの。あまりにも間抜けでしょう?
肩を竦めて笑いながら、意味もなくグラスに貼りついた水滴を爪の先でなぞっていく。
一瞬だけ目を閉じた。
またすぐに瞼を持ち上げて、向かい合う相手へと目線を向ける。
それで、と促される淡々とした声に感傷にすら浸らせてもくれないのねと内心では思うけれど。
一人になってから何度も何度も感傷の海に溺れきったことを思い出せば、相手のペースに合わせられるのはありがたいのかも。
随分と時間が経っていることは事実なのに、自分の中では微塵も過去にはできていないのだと改めて気づいてしまう。
まあ、今も尚あの人を求めるのは目の前の子も同じようだから当てられているのかもしれないけれど。

「街中で会った私たちもね、この喫茶店に来たのよ」

当時からこのお店は通っていたし、マスターも私を娘のように可愛がってくれているの。
私への依頼をマスターへ伝言する人もいるくらい。
ただ、当時はここみたいに個室席はまだなかったから恋人を装ってカウンター席に座ったわ。
馴染みの店といえど物騒な話を大声でする趣味もないしね。
それはあの人も同じだったから、互いに何も言わずとも自然と腕を絡めて肩を寄せ合い話すことにしたの。

「今考えても間抜けよね。お互いの前髪が触れ合うくらいくっついてるのに、真面目な顔で自己紹介してたんだもの」

自己紹介? と首を傾げられる。
頷く。
下調べが入念すぎて互いの名前や実績すら分かっていたから、今更隠す必要もないからって名前を名乗り合ったの。
そう補足するとなるほど、と頷かれる。
名前を名乗り合い、同郷であることを知り、いつから依頼を受けるようになったのかを語る。
私が大きさの違うあの人の手を取り指を絡めるようにして繋ぐ間に、あの人は高さの違う私のこめかみに唇を埋めた。
互いの前髪が混ざり合うほどに顔を寄せて、真剣な色を灯す双眸の奥を見透かすように目線を絡める。
小さな、相手にしか聞こえないほどの小さな優しい声で囁きながら既に知っている情報が正しいことを認識した。
体を寄せて、手を繋いで、唇で触れられることにどうしてか抵抗はなかった。
生憎と恋人らしい恋人が居た経験もなかったし、異性と触れ合う機会なんてなかったくせに相手にどんな風にして触れたら良いかはなんとなく分かったの。

「お互いのことを話し終えて、ようやく本題に入った時にね。あの人ってば私に何て言ったと思う?」

一人で思い出し笑いをすると、純粋で無垢な瞳を向けられ首を傾げられる。
その可愛い反応に目を細めながら、わざと焦らすようにグラスを手に取った。
ストローを摘んでアイスコーヒーを吸う。
少しだけ薄くなってきたかもしれない。
相手から返答はないまま、音を立てないようにグラスをテーブルに置く。

「若い女がこんな危ないことするんじゃねえ」

似てた? と笑うと相手も少しだけ口角を上げる。
言いそうだな、と呟かれる言葉に似てるかどうか聞いたのにと唇を尖らせた。
直ぐに唇の端を吊り上げて、言いそうでしょう? と笑うと頷かれる。
変わってないのね。
そう口にしながらも今でもすごくムカつくけど、と当時は本当に頭にきて怒ったことを説明する。
顔には飛びっきりの笑顔を貼り付けて、繋いだ手にはさっきよりも力を入れて。
隙間なんてないくらい体を寄せながら、ピンヒールの踵で思い切り足を踏んでやったの。
そうしたらあの人、驚きと痛みで叫びそうになるのを頑張って堪えてたのよ。
その頑張りがあまりにも間抜けでちょっとだけスカッとしたわ。
笑った。
思い出したら笑えてきて、息ができないくらい笑った。
それから、少しだけ泣いた。

「私ね、あの人のことがすごく、すごく嫌いだったわ。こっちの事情も知らないで、自分の中の正義を真剣な顔で説いてくるあの人が大嫌いだったの」

だからね、もうこんなこと止めろって続けたあの人の足をもう一度踏んでから首に両腕を回して引き寄せたの。
耳の中に直接息を吹き込むようにして、絶対に止めないし今回の依頼も成功させるって言ってやったわよ。
あの人が間抜け面を晒してる間にマスターには絶対にお金は受け取らないでってお願いして、一人でさっさと外に出たわ。
ふう、と息を吐きながら相手を見るとさすがに驚いているようで笑ってしまった。
傍らに置かれているメニュー表を手に取りせっかくだし何か食べない? と誘う。
マスターが作る料理はなんでも美味しいのよ、とそれらしい理由を並べながら思ったよりも長くなりそうだから付き合ってくれる? と本音を口にする。
素直に頷かれたことに少しだけ安堵しながら、指差されたランチプレートに了承した。
ちょっと待っててね、と席を立ち私のためにとわざわざ用意してもらった個室席から出て行く。
マスターは端末で注文できるようにしようとしてくれたけど、直接顔を見てお願いしたいからと言えば納得してくれていたことを思い出した。
二人分のランチプレートをお願いすれば思い掛けず心配されてしまう。
ここへ来た瞬間の私の表情があまりにも強張っていたから気になっていたそう。
今は大丈夫そうだねと優しく笑われるから、マスターには敵わないなと思う。
こんな風に。
どんな表情を貼り付けていてもマスターとあの人だけは私の心を簡単に暴いてしまうから不思議だった。
二人とも私が分かりやすいだけなんて言うけれど、そんなことは一度だって言われたことがないのに。
大丈夫の言葉と一緒に笑うと、直ぐに持って行くからねと優しい声。
頷いて、個室席へと戻った。
はじめまして、大嫌い。