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「そりゃあ、最初は仲良くしようなんて微塵も思わなかったから愛想の一つも見せなかったわよ。一度会話した後は街で会っても無視したし、逃げたし、隠れもしたわね」
でもね、あの人ほんっとうにしつこいし絶対に諦めてくれないの。
食材を買いにいけばいつの間にか隣に居て当たり前のように夕飯の献立を聞いてくることもあったし、依頼を引き受けようと依頼主に会えばどこからともなく現れて一緒に話を聞こうとしたこともあったわ。
どんなに怒っても、怒鳴っても、叩いても蹴ってもへらへら笑いながらまあまあって私を宥めようとするのよ!?
すっかり夢中になって大きな声を出していたことに気づく。
私の様子を見てぱちぱちと瞬く相手の相貌と見つめ合うこと、三秒。
コホン。わざとらしい咳払いを一つしてからアイスコーヒーのグラスを手に取った。
喉を潤す。
つい今し方のことなんてまるで無かったかのように、美味しい、と口にしながら上品な笑みを貼り付ける。
淡々とした声でそのまま続けてくれと言われるから唇を尖らせた。
「とにかく、どこにでも現れて、ついてきて、話掛けてくるの」
そんなことが続けば無視するのも逃げるのも隠れるのもだんだん疲れてきて、一日に一回か二回は問い掛けに応えるようになったかしら。
どこに居ても付き纏われるのは心底気持ち悪いと思ったけど、面白いくらいどこにでも現れるからよっぽど暇なのねって呆れたくらい。
さすがに標的を殺した後にふらっと姿を見せた時は驚きすぎてうっかり殺しちゃいそうになったけどね。
袋に入れてライフルを背負ったまま咄嗟に構えた銃の向こう側へ目を凝らすと、慌てて無害なことを示そうとするあの人が居て思わず笑っちゃった。
こうして考えれば、いつだって緊張感の欠片もない人だったなと息を吐く。
息を吐く。
なんとなく、吐き出した息が甘いような、切ないような、そんな気がした。
「あの人ね、いつもいつも軽い調子で世間話を始めたかと思ったら、最後はいつも同じ話題に行き着くの」
何度も続けばまたなの? って首を振りつつ受け流すこともしたし、はいはいってうんざりした声で応えたりもした。
感情の起伏がいまいちコントロールできない時は本気で殴り掛かったこともあったし、一ヶ月くらい口を聞かなくなったこともあったかしら。
どんな話題だったのかって? そうね、あの人は出会った時から何にも変わらなかったの。
大真面目な顔のまま、やけに熱っぽい声でね、もう依頼を受けるのは止めろってそればっかり。
珍しいな、と相手は目を細めた。
何が? と首を傾げると少しだけ笑われる。
あの男はなんだかんだ言いながら人の意見を尊重することが多いと思っていた、なんて言わるから思わず瞬いてしまう。
直ぐに笑みを浮かべてフォークを動かした。
口へ運ぶと、優しい味が舌の上をじんわりと広がっていく。
「私たち、自己紹介をしたって言ったでしょう? その時にお互いがどんな風に家族を失ったかを話したの。あの人は私に自分自身を重ねてしまったんだと思うわ」
だから、あの人は多少無理やりでも私に人殺しを止めさせたかったんだと思ってる。
生憎とその辺の話はあまりしなかったから、今となっては本当のことなんて誰にも分からないけどね。
肩を竦める。
相手は何かを考えるような素振りを見せたけど口を開きはしなかったから、話を続けることにした。
思い返す。
何度も何度も止められた日々のことを。
飄々としていたし、重さを感じさせない口振りを装っていたんでしょうけど、どこか熱っぽかった。
穏やかなはずの声色も、真っ直ぐに向けられる相貌も。
あの人が私を止めようとした数だけ、私は頑に首を振ってあの人を拒む。
そんな意味のない日々を積み重ねていたと思ったのに、その時間は私たちが共有する世界に変わっていったの。
……変わっていった、と言うのは少し違うかもしれないわ。
なんとなく、育っていった、と言うのが相応しい気がする。
なんとなくだけどね。
「今になって考えれば、あの頃の私の日常という世界にはあの人だけが居たのかもしれないわ」
一人きりの日常が消えたと思ったら、あの人と二人きりの日常が傍にあった。
ほんと、そんな感じね。
口角を持ち上げながらフォークを置く。
かわりにグラスを手に取り、ストローで中身をぐるりと掻き混ぜた。
吸い込んだアイスコーヒーの味に目を細める。
ミルクもシロップも入れてないけれど、どうしてか甘く感じてしまう。
きっと、誰かの前であの人の話をこんなにしたのが初めてだったからだと思った。
もう一口アイスコーヒーを吸い上げる。
思い返す。
あの人の優しい声を、もっと思い出そうとする。
下ろした瞼の裏で探したけれど、随分とぼやけてしまっている記憶がそれ以上鮮明になることはなくて。
その事実を改めて理解してしまったことで、どうしようもなく泣きそうになってしまう。
大丈夫か? と声が掛けられたからゆっくりと目を開けた。
純粋で無垢な、まだ少年の名残すら見える大きな相貌と目線を絡める。
笑った。
にこりと、完璧な笑みを貼り付けたまま。
頭の中で話を整理していただけよ、と返事をすればじっと見つめられた。
見破られてしまうのかしら、と探るように目を細めるけれど。
相手は何も言わないまま続けてくれと先を促した。
ええ、と頷く。
「あの人が付き纏ってくるから結果的に私たちは一緒に居たけど、互いの主張は平行線のままだったわ。でもね、そんな日々はずっと続かなかったの」
どこまでも伸びていくはずだった平行線は、あの人が描いていた線の角度が急に変わったことで簡単に均衡を崩す。
それがいつのことだったか、正確なことは覚えていないの。
組織に所属してるわけじゃないからか、日にちの感覚が薄れていっちゃうのよね。
私たちは同い年だったんだけど、私もあの人も成人を迎えていた頃なのは間違いないわ。
ただ、いつもと変わらない日だった。
あの人に何があったのかは分からないけど、なぜか急に私が依頼を受ける理由を教えてくれと言ったの。
それまではどんな理由があるにしろ人殺しは止めろの一点張りだったから、随分と不審に思ったわ。
感情が露骨に顔に出ていたみたいで、私を見るあの人は苦笑していたけど。
何を企んでいるのか知りたかったから、どうして教えないといけないの? って聞いたわね。
そうしたらあの人、私のことを知りたいからって言うの。
そんなのいつも通りに自分でやればいいじゃないって言ったけど、私の口から聞きたかったんですって。
「私、その頃もまだ相当あの人が嫌いだったから意地悪なことばかり言ったわ。私が嘘をつくかもしれないじゃない? とか。あなたが知ってどうするの? とかね」
それでも、あの人は食い下がってくるの。
私は嘘をつかないだとか、私のことがどうしても知りたいだとか、子供みたいなことをずっと言うのよ。
何を言っても続きそうだと思ったから、教えたら付き纏うのを止めてくれる? って聞いたの。
そうしたらあの人、それは分からないって言うのよ?
それじゃあ私になんのメリットもないじゃない! って怒ったけど、なんだかすごく真剣な顔で頼み込んでくるの。
依頼があればどんな人間であれ平気で人を殺すくせに、心底嫌いだと思ってるあの人のことをどうしてか拒めなかった。
自分のことを非情だと思っていたから、こんな訳の分からないお願いに折れるなんてどうかしてるとも思ったわ。
時折フォークを動かして、合間にアイスコーヒーを口にする。
目の前の相手は育ち盛りの男の子らしく、ランチプレートの中身をどんどん減らしていった。
それでも自分からねだった自覚はちゃんとあるようで、膨らませた口を動かしながらも真っ直ぐな目線を向けられる。
もう少し食べる? と尋ねると少しだけ考える素振りを見せた。
小さく笑いながら飲み物がなくなったらメニュー表をもらいましょうか、と言うと頷かれる。
口に詰めた食べ物を飲み込んだ相手は、結局あんたのことを話したのか? と首を傾げた。
「ただ話すのもなんだか悔しかったから、あの人を連れて依頼を引き受けたの。依頼主とあの人は面識があるみたいだったから驚いていたけど、その時は私にお願いしたいと言ってもらえたわ」
引き受けた依頼は絶対に成功させるあの人のことはそれなりに知られていたし、それでも私に依頼してもらえたことでちょっとだけスカッとしたのはここだけの話よ。
片目を瞑って見せると、相手も小さく笑ってくれる。
相当嫌っていたんだな、という声に意外だった? と首を傾げる。
首肯の後に少しだけ、と目を細められた。
これはただの想像なんだけどね。
あの人、きっと子供の頃からあんな感じで誰にでも優しかったと思うの。
だから、誰からも好かれるし、自分を嫌う人の気持ちをあまり想像したことがなかったんじゃないかなって。
そんな感じだから私が何をしたっていつも飄々としてたし、本当に時々私が本気で怒ってることに気づいた時はすごくびっくりした顔をしていたのよ。
まあ、良くも悪くもそんなあの人だったから、私は今こうしてあなたとご飯を食べているのかもしれないけどね。
肩を竦める。
その仕草とは裏腹に、私は笑みを浮かべていた。
「あの人は、私を知りたいと言ったその言葉通りに、ただ黙ってついてきたわ。口を出さず、手を出さず。私が抱えているものを見定めるためか、じっと見ているだけだった」
不思議と緊張はしなかったわ。
人からの受け売りとはいえ自分の仕事の仕方が雑だとは思ってなかったし、飾らず驕らずいつも通りを徹底したの。
あの時のことで何か挙げるとすれば、いつもはうるさいくらいに話し掛けてくるあの人があんまりにも静かだから不気味に思ったことくらいかしら。
あの人は同じことをしてるだけあって私が何も言わなくても動いてくれたし、良くも悪くも邪魔をすることはなかったの。
おかげで私は連れて行ったあの人の存在を気にすることなく、あくまでもいつも通りに依頼を成功させたわ。
そこでひと息ついて、飲み物は同じものがいいかしら? と尋ねる。
お茶じゃなくてジュースでもミルクでも好きなものを飲んでちょうだいね。
そう口にすると、少しばかりの考える素振り。
結果として話に付き合ってもらってるんだから、今日は私がご馳走させてもらうもの。
にこりと笑うとそんなわけには、と言われるけれど。
いいのよ、こんなに誰かと喋るのも久し振りだから迷惑料だと思ってもらえたらいいわ。
向かい合う相手は少しだけ申し訳なさそうにする。
「それとも、あなたが訪ねてきた理由はもっと重いのかしら?」
無言。
難しい顔をされるから苦笑する。
それならもっと話をしなきゃね、と片目を瞑った。
真っ直ぐな相貌と目線を絡めて、小さく息を吐く。
何か思うところがあるのか相手はたっぷりの時間を掛けてからおすすめはあるか? と首を傾げてきて。
そうねえ、せっかくアイルランドに来たんだもの。レモネードはどうかしら?
なら、それで。静かな声に頷く。
炭酸は大丈夫? と尋ねれば首肯された。
メニュー表は持ってくる? 私が何か見繕っておきましょうか?
少しの間をあけて、首肯。
じゃあ少し待っててね、と笑いながら立ち上がった。
あの頃の私たちは