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「おはよう、沙慈くん」

綺麗な声が聞こえて目を向けると、にこりと笑う顔。
その周りをパタパタと飛び回るのはオレンジ色。
機械的な音声がオハヨウ!オハヨウ! と語りかけてくることになんだか呆けてしまう。

「おはよう、ございます……」

半無重力空間特有の動きで狭い部屋へと滑るように入ってきたその人の両手にはお盆。
朝ごはんを持ってきたの、という声に首を傾げた。

「他にも僕のような人間が?」
「うん?」
「あ、えっと、お盆が二つなので……」

綺麗な人にまじまじと見つめられるのがこんなにも圧を感じることだとは知らなかった。
勝手に尻窄みになっていく僕の声を聞いた彼女が可笑しそうに笑う。
笑われた、と項垂れる僕の頭は次の瞬間にはものすごい勢いで持ち上がるのだが。

「私の分よ」
「えっ、……え!?」
「あなたが嫌でなければご一緒させてもらおうと思ったの」

なんでとか、どうしてとか、同じような意味の言葉が口からどんどん吐き出されている僕を見る彼女は変わらず綺麗な笑みを浮かべたままだ。
ダメかしら? なんて首を傾げられたら途端に口を閉じてしまう。
続け様に首をぶんぶん振りながら溢すのは小さな声だ。

「ダメじゃ、ない……です」
「本当?」
「……はい。その……僕も、あなたと話してみたかったので」

ぱちり。
音でもしたかと錯覚するほど、綺麗な瞳が僕を見つめる。
途端に浮かべられるふわりとした笑みを前に顔が赤くなるのを感じた。
こんなのをルイスに見られたらきっと怒って口を聞いてくれなくなるんだろうなと思う。
違うんだよ、ルイス。
この綺麗な人を見たら、きっと君だって勝手に顔が赤くなると思うよ。
だから許して欲しい、なんて久しく会えていない恋人に想いを馳せていた。

「あの、あなたも戦うんですか?」

決して広くはない部屋に二人で並ぶ。
ふわふわと浮かぶオレンジ色のハロを指先で撫でる彼女は楽しげに笑っていた。
無垢で優しい微笑みを浮かべるこの人のことは見掛けたことがある程度だったけど、此処に居る誰の雰囲気とも違うような感じがして気になっていた。
綺麗で、可憐で、どうしてこんな人が此処に居るのか不思議だった。
手足がすらりとしているからか身長も高く見えるし、きっと街を歩けば大抵の人が振り返るような美人だ。
綺麗な顔には優しくて安心するような笑みが浮かんでいるから、なんていうか、この人が此処に居ることにものすごく違和感を感じてしまう。
だから、この人も戦うのだろうかと確かめたくなった。

「そうねえ、必要になれば戦うのかもしれないわ」

なんてことはないとでもいうように呟かれた声は、部屋の中で凛と響く。
自然と俯いてしまう僕の隣で秘密を共有するような小さな声が聞こえた。

「でも今は、必要とされていないから戦わないの」

私にできることなんてたかがしれてるもの。
彼女はテクニカルなことはからっきしだと続けて苦笑した。
目を向ければゆっくりとした動作で朝食を口にする彼女に見惚れてしまう。
やっぱり、似合わないと思った。

「……あなたみたいな綺麗な人がこんなところに居るのは間違ってる」

無意識に溢れ落ちた自分の声は思ったよりも強くて、大きい。
ぱちりと瞬く彼女は直ぐにやんわりとした優しい笑みを浮かべてくれた。

「変なの。皆、どうしてか私のことを綺麗だって言うのよね」
「え、あなたみたいな綺麗な人、僕は見たことありません」
「ふふふ、それって見た目の話? それなら素直にありがとうって言うわ」
「見た目もですけど、なんていうか、その」

言い淀む。
彼女に感じる凛とした、汚れすら寄せ付けない白いイメージをなんと言えば良いのか分からなくて口籠る。
僕が口を開く前に名前を呼ばれた。

「あなたが言う綺麗って何かしら?」

優しく、穏やかな声色はそのままなのに。
どこか冷たいものに背筋をなぞられるような感覚がして、思わず息を飲む。
彼女の綺麗な顔に浮かぶのは完璧な笑みだった。

「此処に居る人たちに随分と強い言葉を掛けているみたいだから、あなたが思う綺麗がどんなものかを知りたいのよ」

言い淀む。
僕が思う綺麗の意味を思い浮かべることは簡単なのに、どうしてか言葉がつっかえてしまう。
彼女に見出す綺麗さを考えれば迷いなどないはずなのに。
言い澱み、口を噤む僕を見る彼女の相貌は優しく細められる。

「ソレスタルビーイングを良く思わない理由は、武力を使うから?」
「……そうです。ソレスタルビーイングが存在しなければ、起こらなかった戦いがあると思います」
「確かにねえ、あなたが言うことは真実だと思うわ」

顔を上げる。
常々考えてきたことを誰かに話したことは決して多くないけど、こんな風に肯定してもらえたことは初めてだった。
理解されたことが嬉しくてなんだか視界が潤んでくる。
僕は間違ってなかったよ、ルイス。
心の中だけで上げた叫びは彼女の微笑みに溶けていく。

「じゃあ、あなたはソレスタルビーイングが登場する前の世界がずっと続けばいいと思っているの?」
「……それは、……多分、違います」
「多分?」
「僕は、ソレスタルビーイングがなければ戦争のある世界なんて知らずに、大事な人を誰も失わずに生きていけたから、その……」
「世界に溢れている事実を全て知らない方が幸せに生きられることもあるわよね」
「……そう、……そうです。こんなこと言うのはどうかと思うんですけど、僕は何も知らないまま日常を過ごしていたかった」

胸の内に巣食う感情を本当の意味で口にしたのは初めてだった。
知ってしまった以上、知らなかった頃には戻れない。
戦争というものの存在を、事実を、現状を知ってしまったからには、ソレスタルビーイングが無かった頃に戻ればそれでいいと言ってしまうのも違うような気がした。
だけど、それでも、やっぱり焦がれてしまうのは何も知らなかった頃の自分が過ごしていた日常だから。
それを壊したのは他でもないソレスタルビーイングだし、無力な僕はぐるぐると渦巻く怒りや悲しみを盾に戦うこともできなくて。

「私も、弟には何も知らない世界で生きて欲しいと思っていたから、会うことを止めたわ」
「……え? そんな、どうして」
「会えばいつかバレてしまうと思ったから。嫌じゃない? 自分の身内が人を殺してお金を稼いでいるなんて」
「……あなたが、人を?」
「そうよ。私には人なんて殺せないって思った?」
「そんな、嘘だ」
「今すぐ証明することはできないもの。信じるも信じないもあなたに任せるわ」

そんな、と口にする僕を見ても彼女は完璧な笑みを見せるばかりだ。
自分が見出していた綺麗さが汚された気がして、唇を噛み締める。
フォークを持つ手はあんなにも細くて白いのに。
どうして、と溢れ落ちた声は小さくともやたらと響いた。

「あなたと違って私は自分で望んだから此処に居るの。言ったでしょう? 必要になれば私も戦うのよ」
「……どうして」
「うん?」
「どうして、あなたは戦うんですか」

彼女は僅かに目線を外したかと思うと直ぐに戻ってきて微笑む。
いつの間にか食べ終わって空になったお盆を傍に避けて、ふわふわと寄ってきたオレンジ色を膝の上に乗せた。

「強いて言うなら、好きな男のためかしら」
「……え?」
「私ね、此処に居る人たちが抱いているような世界平和とか、武力根絶とか、そんな志は持ってないの。ただ、好きな男が守ろうとしたものがなんだったのかを知る機会が回ってきたから誘いに乗ったのよ」
「……その人は、」
「死んだわ」

綺麗な唇が紡ぐ言葉に、なんの迷いも見出すことはできなかった。
細く、白い指先が幾度もオレンジ色の曲線をゆっくりと撫でている。
どこか愛おしそうに目を細める彼女を、ただ見ていた。

「両親も弟もあの人も、私が大事に思う人は皆死ぬの。だから、私はあなたや他の人たちが言うような綺麗な存在じゃないのよ」

そんなことないとは、軽々しく口にできなかった。
それでも、綺麗な人が浮かべる笑みはあまりにも完璧だ。

「ソレスタルビーイングが無ければっていうあなたの意見も真実でしょうし、此処の人たちが言う武力を使って平和な世界を目指すのも今の世界では真実だと思うの」

二つの意見がある限りどちらも正しくはないけれど、どちらも間違ってはいないんだもの。
だからね、と彼女は口角を持ち上げる。

「あなたはあなたなりの綺麗さを貫いたらいいと思うわ」
「……そう、なのかな」
「ええ。ただ、いつまでも此処に居たらあなたが辛くなるでしょうから、もう少し早く安全な場所にあなたを送り届けられないか私からも聞いてみるわね」

それまでは、あなたが嫌じゃなければ話し相手くらいにはなれるわよ。
ぱちり、と向けられた完璧なウィンクはどこかあどけない。
どちらの意見も正しくないし、間違ってもいないなんて、まだ少し飲み込むことはできないけど。

「ありがとうございます、……えっと、」
「ニールよ」
「よろしくお願いします、ニールさん」
「よろしく、短い間になるといいんだけどね」

差し出された片手を握ると、見た目のわりに手の平の皮膚が随分と固いことに気づく。
その感触に驚いていると彼女の膝からふわりと浮かんだオレンジ色がテスト!テスト! と声を上げ始めた。

「はあい。それじゃあ、また来るわね」

僕からお盆を受け取って、長い髪を揺らしながら出ていく彼女の後ろ姿を見送る。
タイプは違うけど、なんだか姉さんを思い出してしまう人だった。
ねえ、ルイス。
僕は此処に居るのがどうしようもなく嫌だったけど、あの綺麗な人とはもう少しだけ話をしてみたいと思うんだ。
きっと君も彼女に会えば僕と同じことを思うんじゃないかな、なんて。
全てが正しくないけど、
間違いでもないのなら