はじめて風邪を引いたときのことをわたしは今でも覚えている。一言で言うと、大騒ぎだった。もうずっと昔の、懐かしい記憶。

「38.7℃。こりゃ風邪だよ。ただの風邪」
「は?カゼ?」

驚きの声をあげたのはルパンだけだったけれど、声こそあげない次元と五右ェ門も表情はルパンとおんなじだった。まさにびっくり仰天といった顔。次元なんかは危うく咥えていた煙草を落としそうになっていた。

「だからそう言ってんだろうが。つーかもぐりになってお前らがはじめてだよ。風邪なんかで駆け込んできたのは」

そんな三人に、白衣を着たおじいさんはわたしの額に手を置きながら呆れを隠しもしない声色で続けた。

その日は朝からどうにも体はだるいし熱いし背筋には絶えず寒気が走るし頭はぼーっとしていて、朝ごはんの時間になってもベッドから出れずにいた。しばらくしてわたしの異変に気付いた三人は、目の色を変えてわたしをお医者さんのところへ連れ出したというわけだ。

けれどルパン達はここに来てからずっと腑に落ちない顔をしていた。頭を捻って、首を傾げて。

「なぁ次元、五右ェ門。お前ら、風邪って引いたことあるか?」
「……無ぇな」
「…記憶に無い」
「だよなぁ」

揃って首を振る三人に、今度はおじいさんのほうが驚愕する(というより、呆れる)番だった。わたしはそれを熱に浮かされた頭の片隅で聞きながら、羨ましいと思っていた。

本当に大丈夫なのか。入院しなくていいのか。薬は本当にこれがいちばん効くのか。ジジイは本当はヤブなんじゃないのか。そんな感じのバカバカしいうえに失礼な質問を三人は代わる代わるたっぷり三周して、ようやくわたしたちはアジトに戻ってきた。確か、抱えてくれたのは五右ェ門だった。そのままベッドに直行させられて、寒いかと聞かれて頷くと、何枚も重い毛布を被せられた。そのせいでその後にピラミッドの下敷きになる夢を見たほどだ。

「辛くねぇか?」
「だいじょうぶ」
「もう寒くねーのか?」
「うん。あったかい」
「枕は冷たすぎないか?冷えピタは?」
「どっちも、だいじょうぶ」

体はもちろん変わらずだるかったのだけど、わたしを気遣う三人のほうがもっと辛そうな表情をしていたのでなんだかちょっと笑えてきてしまった。ベッド脇のサイドボードにはお水、スポーツドリンク、みかんゼリー、ゼリー飲料、プリン、ヨーグルト、りんご、栄養ドリンク数種。お供え物のように並べられたそれらを眺めていたらルパンが「アイスもあるぜ」と付け足した。五右ェ門は五右ェ門でさっき買ってきたわたしの頭の下にあるアイスノンの説明書きを熟読している。

「体起こせるか?なんか食ってからじゃねーと薬は飲めねぇからな」

そう言いながら扉を足で開けて入ってきた次元の手には、一人用の土鍋。蓋を開くとほかほかと湯気が広がった。それは淡くて黄色い――卵粥。

「そうなのけ?俺結構歯痛のはガンガン飲むけど大丈夫だぜ?」
「お主のテキトーな胃袋と一緒にするな」
「そうだぞルパン。それにそんなことしてマコがお前みたいになっちまったらどうすんだ」
「なんだよ!お前らも人のコト言えねーんだからな!」

ぎゃあぎゃあと騒がしくなる中で、次元が口元に差し出したれんげにそっと口をつける。体をいたわるやさしい味が口いっぱいに広がった。おいしい。そう呟くと次元は満足そうに笑った。

「食べたらよく寝て早く元気になれよ」
「うん…あのね。手、にぎっててくれる?」
「仕方ねぇな」

それを聞きつけたルパンと五右ェ門が自分こそがやるのだと言い張って、狭い部屋はまた騒がしさを取り戻す。顔を突き合わせているルパンと五右ェ門が湯気の向こうでゆらゆらと揺らめいた。




目を覚ましてすぐに気付いた右手の違和感。視線で辿ると、その先には次元がいた。固く繋がれた、細長い指と大きくて硬い手のひら。

「お、おはよ…」
「おう。だいぶ熱も引いたみてぇだな」

わたしの額に手を当てて次元は頷いた。そう言われれば、パジャマが汗で湿る気持ち悪さ以外は少し体がだるいくらいだ。そうだ、思い出した。久々に昨日、風邪を引いて寝込んだのだ。

「…手、」

今のわたしはもうとっくに子供じゃない。大人って言ってもいい年齢なのだ。気恥ずかしいような悔しいような気持ちになりながら、手を解く。

「風邪のときは手を繋ぐんだろ?」
「あれは子どものときの話だもん…」

言い返してみたけれど結局子どもじみた口調になってしまったので決まりが悪く、わたしはそっぽを向いてベッドから立ち上がる。

「マコ、卵粥食うか?」
「えっやった!もちろん食べる!!」

魔法の言葉。現金なわたしは小躍りせんばかりのテンションで次元を振り返る。

「なんだ。もうすっかり元気じゃねーか」
「そ、そんなことない!すごいだるいよ!あーツライ!」
「まぁ、もう出来てんだけどな」
「そうこなくっちゃー!」

風邪を引いたら卵粥。はじめてわたしが風邪を引いたときからずっとそうだ。わたしの大好きな、わたしだけの特別な料理。

風邪も結構いいよなぁ。徹夜明けの疲れ切ったルパンは、羨ましそうにわたしがはふはふと卵粥を頬張るのを眺めている。
-meteo-