声のボリュームも、食べる順番もそれに準ずるマナーもいっさい気にする必要はない。店主が元忍だという親しみやすい、小汚いとさえ言ったっていい雑多な取り揃えのメニューの居酒屋に、もう何度となく突き合わせてる馴染みきった顔ぶれ。歯に衣着せない物言いが、お互いに許されている心地よさ。メンツは固定されているわけではないけれど、もう大体変わらない。正面が紅で、その隣は必ずアスマ。他はゲンマがいたりガイがいたり、酔ったアンコが乱入して来たり。けれどいつだって変わらないのは、わたしの隣がいつでもカカシだということだった。

「−−なまえ?なによボケーっとしちゃって」
「・・・あ、うん?あれ?してた?」

してたわよ、と紅は綺麗に微笑んだ。けれどその美しい目は獲物を見つけた、と言わんばかりに爛々と輝いているのでわたしは苦笑いで返す他ない。今日の追及を回避したとしても、次会ったときまでに忘れてくれる紅じゃないというのはもう10年以上の付き合いで骨まで身に染みている。ジュージューと音を立てる鉄板の音(アスマはいつだって鉄板担当だ。今日はお好み焼き)を聞きながら、半分ほど飲んだジョッキを開けてしまおうと手を伸ばしたときだった。

「なに、なまえでも悩みごととかあるの」
「いたっ。カカシ、それどーいう意味」
「いやぁ、なーんか女の子みたいだなって」

隣からゆうゆうと伸びてきた手甲付きのカカシの右手がわたしの頬を引っ張る。結構容赦ない力でやられるそれは、彼の癖のようなものだ。皆の注意を自分に向かせたいとき、暇つぶし、ストレス解消。理由はいろいろあるらしいがとにかくことあるごとにカカシはわたしの頬を引く。いつもならお返しに勤しむところだけれど、今日ばかりはそうもいかなかった。顔をひきつらせてその右手の熱を追い払う。頬なんて痛くない、けれど、心臓のほうはそうはいかなかった。

「おーい、焼けたぜ」
「あ、ありがとうアスマ!わたしいちばんおおきいのね!」
「へいへい。お前はいつまでも子どもみてーだな」

隣のテーブルから上がった騒音が、豪快なアスマの笑い声が、掻き消してくれて本当によかったと思った。それじゃなきゃきっとわたしの心臓が、みにくくぐしゃりと潰れる音が聞こえていたに違いない。はふはふと言いながらお好み焼きを頬張る自分が今うまく笑えてるかどうか、どうにも自信がなかった。


カカシが好きだと気付いたのはいつだろう。アカデミーでクラスが一緒だったわけでもないし、マンセルが被ったこともほとんど無いに等しい。出会ったのは里の慰霊碑の前だった。カカシは親友に、わたしは初めて組んだマンセルの仲間にそれぞれ花を手向け手に来ていた。何を話したかなんてもう覚えていないけど、稲妻のような傷のついた左目の写輪眼より、寂しそうな右目がやたらと気になった。
次に会ったときは数年後。上忍だけの飲み会で、暗部から異動になったカカシと、中忍からコツコツやってようやく昇格したわたしの歓迎会だった。ちゃんと覚えている。緊張して飲み物さえ充分に選べないわたしの隣で、大人になったカカシは頬杖をついて意地悪気に笑っていた。そしてわたしの頬を引っ張って、「久しぶりね」、と。そのときにはカカシが女をとっかえひっかえする癖をお持ちでいることも、アカデミーを卒業した子たちを既に何組か送り返していることも耳に入っていたのだけど、あの時のことを覚えていたということだけで全て忘れることが出来た。自惚れた時期が無かったわけじゃない。けれどこうして頬をつねられるのが、どこまでも軽口を言い合えるのがわたしだけであるというのなら、それでいいと思っていたのに。

昨日の事が脳裏をよぎる。すれ違った、通りを歩くカカシが、可愛らしい女のひとの頬を優しくつまむのを。




「なぁなまえ、お前二次会行くの」
「・・・ゲンマ?いたの?」
「おー途中から。つーかひでーな、お前はじっこでベロベロだったから気付いてねーなとは思ってたけど」
「あ。今日、千本くわえてない」
「ほんと全然人のハナシ聞いてねーな」

夜のひんやりとした空気を、ゲンマの呆れたような笑い声が揺らす。店の外、周りでは見慣れた上忍たちががやがやと何やら話している声が聞こえるのにどこか遠かった。喋らない代わりにいつもより多く飲んだお酒のせいだろうか。アオバんちだってよ、と差し出されたゲンマの手が、ゲンマだって分かってるはずなのに、カカシの手に見えた。
もういいかな、どうでも。カカシじゃなくたって。だってカカシも、わたしじゃなくていいんだから。

そう、思って伸ばした手はゲンマには届くまえに、乱暴に遮られた。

「はーい、そこまで。こいつはもう帰るから」
「え、」
「じゃーねゲンマ。俺もなまえ送ってくから離脱〜。みんなに言っといて」

カカシに引きずられるようにして、みんなとは逆の方向へずんずんと進んでゆく。喧騒が聞こえなくなってようやく自分の心臓の音がうるさいことに気付いた。どうでもいいと思ったって、やっぱりカカシの手は他とは違う。どうしようもなく、手に馴染んだ。カカシがわたしじゃなくてもよくたって、いいからって、その逆が言えるかというとそうではないのだ。そのことを痛いほど思い知らされた。

「・・・なんでベロンベロンなのに行こうとするのよ。気持ち悪くなるか、記憶なくすくせに」
「、べつに。・・・た、のしそうだったから」

咎めるような声に、わたしの心は反抗期のこどもみたいにささくれだってゆく。なんで、どうして。そんなの全部。

「ずっとしょぼくれて、泣きそうだったくせに?」
「そんなこと、」「あるでしょ」
「・・・あっても、カカシにはかんけーない、じゃない」

「あるよ。俺はなまえが好きなんだから」

「は、・・・は?嘘ばっか、」

目の前のカカシと、昨日のカカシが繋がらない。頭がぐらぐらと揺れるようだった。わたしはその言葉をまだうまく呑み込めていないのに、カカシはわたしのことなんかお構いなしでどんどん語気を強めていく。

「恋愛の好きってのはよく分かんないなと思ってたけど、なまえといるのは楽しかった。でもそれに気付いたのは昨日だった。情けないけどね。通りで身に覚えのない子に絡まれて、そのときなまえのこと思い出してさ。試しに頬を触ってみたら、全然違った。しっくりこないっていうかさ、とにかく、」

雪崩のように押し寄せるカカシの言葉に懐かしさを覚えた。そういえば、慰霊碑の前にいたカカシもこんな喋り方だった。感情がからまって先行して、分かりにくいたどたどしい伝え方。存外カカシは口下手なのを、どうしてわたしは忘れていられたんだろう。彼の生い立ちを思えば、それはごく自然なことだった。

「俺はなまえじゃなきゃ嫌だよ。なまえは?まさか他の奴ーーゲンマでもいいとか、言わないよね」

少し調子を取り戻したカカシは冗談みたいに軽い口調で、けれどわたしの頬をつねる両手には随分本気がこめられていた。それと、少しの不安。

「・・・なまえ?ねぇ、聞いてんの」

どんどんカカシの左右の手の距離が伸びてゆく。痛い、けれど今度は痛くていい。だってこれは、夢じゃない。

「・・・わたしも、カカシがいいよ」

カカシが小さく息を飲むのを聞いて、わたしは心から安堵のため息をついた。ゲンマのーーカカシじゃない人の、手を取らなくて本当に良かった。ゆっくりと壊れ物を扱うように抱きしめられて、頬だけじゃなくて全身にカカシの温度が伝わってくる。胸が苦しい、というのはしあわせなときにも使われるのか、と周らない頭でぼんやりと考える。

「ーーーところで、そこのオッサンオバサンはいつまで見てるわけ」

「いやぁ、下手なアクション映画より冷や冷やしたぜ。なぁ紅」
「ホーント。じれったいのよアンタたち」

アスマと紅の遠慮のない笑い声が降ってきて、醒めたと思っていた酔いからさらに一段階、わたしの顔から血の気が引いてゆく。知っていて続けたカカシに怒ればいいのか、大人げなく出歯亀をするふたりをなじればいいのか、ふたりのチャクラに気付かなかった間抜けな自分を怨めばいいかなんてもう考えたくもなかった。思わず目をきつく閉じる。ええと、やっぱり少し、夢でもよかった、なんてそんなの嘘だけど。


(もう諦めて、しあわせになっちゃいましょう)

(2015.05.11)

-meteo-