今日は早く帰ったらどうだ、と近藤さんに言われたので家に帰ってきたのはまだ日の沈みきらない夕方だった。普段は自分や俺の事情など放り出してストーカー行為に勤しんでるくせに、珍しいこともあるものだ。帰りがけに顔を合わした総悟もニヤニヤしていたし、なんか今日は不吉だなと思いながら戸を開ける。そういえば最近こんな時間に帰れたことはなかった。なまえは寂しかったなどとは決して言わないが、俺が帰ってくると少しだけ嬉しそうな顔をする。まぁ正直、待ち焦がれていたというよりはひとりでいる退屈が紛れた喜びってところだろうが。

とにかくそんな顔を見るのも久々だと、少し浮かれていたのだ、俺は。

「え、トウシロー、さん?」
「おう、今帰った」

それなのに、どうしてなまえは顔面蒼白なのだ。いつも言うおかえりなさいも忘れてなまえが逃げるように廊下から居間へ駆けて行くのを見て、俺はあっけにとられていた。

まさか、なんだ。必死に思い当たる節を探す俺の脳裏に浮気の二文字が踊った。浮気だなんだと言う前に、俺となまえは今現時点の話をすればたいして心を通わせ合っているわけではない。形こそ夫婦だが、心の距離はただの同居人、もしくは飼い主と野良猫の域をまだまだ出ちゃいない。それなのに、このざわめく胸はなんだ。もしこの奥に知らない男がいたとして、殴らない自信なんてのは無かった。けれど、行かないわけにもいかない。ここは俺の家なのだ。俺と、彼女の。

意を決して、扉を開けるともう一匹の家族、つまりうちで飼っている猫と、それから。

「ご、めんなさいトーシローさん」

なぜか半べそのなまえ。これで全部だった。そして食卓の上には枝豆とちくわにキュウリをつめたのが半分、もう半分はチーズをつめたもの、それから柏餅が並べられていた。全然意味がわからない。

「おいこりゃどういうことだ」

出来るだけ優しく聞いたつもりだったが、いかんせん状況を把握しきれてないせいか少し声が尖ってしまったらしい。なまえが肩をびくつかせる。キューピーが面倒くさそうに鳴いた。それを合図にしたようになまえが震える唇を開く。俺は固唾をのんだ。

「・・・今日、トウシローさんの、誕生日なのに、」

言われてカレンダーを見遣る。日めくり式のそれは確かに5月5日を告げていた。だから、近藤さんが珍しく気を利かせてきたのか。点と点がようやくひとつ繋がった。けれどその代わりまた疑問が浮かんでくる。

「けど、よく知ってたな」
「・・・今日は、こどもの日と思ってたから柏餅買いに、いって、そしたら総悟くんがバカですねィって・・・」

これでまた繋がった。つまり入れ知恵と、少しの意地悪をしたのは総悟らしい。総悟のニヤニヤと、それから柏餅も分かった。残るは他の食べ物と、泣いている理由。もうここまでくれば、俺の心は安らかなものだった。俺の考えは完全な杞憂だったと言い切ってやってもいい。肩の力も抜け、いつも通り促してやる余裕も出来てきた。

「総悟のことは気にすんな。それで?」
「お祝いしなきゃって急いで帰って・・・でも、わたしトウシローさんが欲しいものとか、分かんなくって、だって、マヨネーズは一杯あるし、」

それで、自分の好きなもの並べてみたけれど、並べてみたら全然違うって。そしたら、トウシローさんが帰ってきたの。

喉をひくつかせながらそう言うなまえに俺の胸は不覚にも熱くなる。誕生日なんてどうでもよくて、けれど俺の誕生日に何かしようと必死だった彼女に愛おしさが込み上げる。枝豆を茹でるのも、ちくわにキュウリやチーズを詰めるとつまみに良いと教えてやったのも俺だった。たったそれだけのことで、俺には十分すぎた。胸が、一杯になる。言葉にならなくて、頭をいつかやったみたいにわしゃわしゃと撫でる。今度は、逃げない。

「よし。食うか、コレ」
「・・・うん」
「今日はお前も一杯付き合えよ」

プレゼントはそれでいい、と言うとパァッと顔を綻ばせた。耳があったら、ピンと立たているんだろう。分かりやすく冷蔵庫へ駆けてくなまえを見て安堵の溜息を漏らす。今日のことは忘れたくない、と柄にもなく思う。少し考えて、カレンダーは俺がめくろう、と心に決めた。

(2015.05.05)

-meteo-