お昼下がりの散歩途中、通りがかったお店のノボリに書かれたスイーツフェアという大きな文字に思わず足を止まった。生クリーム、いちご、チョコソース、バナナ、アイスクリーム。いわゆるパフェのそばにひっそりと置かれているクリームソーダにわたしの目は釘付けだった。実家に住んでいるときはこんなはっきりとした色のものは食べさせてもらえなかった。メイケと呼ばれるやつはいかんせん堅苦しい。夢にまで見た、クリームソーダ。しかしわたしの財布の中にあるお金は、トウシローさんのものなのだ。そんなことを気に咎めるようなひとではないことは分かっているけれど。
「………」
それに、ひとりで飲むのはなんだか寂しいと思った。やっぱり、諦めよう。財布に伸ばしかけた手を止めて、ポスターに背を向けようとしたときだった。
「もしかして、おたくも?」
「は、はい?」
「いやァ、丁度良かったわ〜」
飛び込んできた鮮やかさに目がびっくりして、理解するのに時間がかかった。主張の強い銀髪に赤みがかった瞳、流水紋の入った涼し気な着流し。誰ですか、と聞くのも忘れてしばらく呆然としていた。
「そうと決まったら、早くはいろーぜ」
そう促す声は胡散臭いのに、なぜか手放しで信じられた。例えるなら、十年来の友達みたいな気安さ。そんなひと、わたしにはいないけれど。
銀髪の人ははなうたを歌いながらはやばやと入店して2名で、と指を付き出したので慌てて追いかけた。いらっしゃいませー、と明るい声がする。
銀髪の人が素早く注文を終えて、向かい合って出されたお水を飲んでいるときにハッとした。トウシローさんはこの前言っていた。特にこの街はいい人ばっかじゃねぇんだから、気を付けろよ。そう、あれは押しに負けてあ新聞をとってしまったときだった。お前が思ってるより巧妙だからな、セールスマンっつーのは。
「...セ、セールス、」
「なに、あんたセールスなの?」
「へっ?」
「アレ?俺ァてっきりあんたもパフェ食うには金が足りてねーのかと。だからコレ」
指さされたのはテーブル上にあったポップだった。スイーツフェアを銘打った右下に強調するように、「カップル割で更にお得!」と書かれている。わたしと、あなた?指を振ってジェスチャーすると銀髪さんは頷きながら苦笑した。
「なんかビビらせちまったみてーで悪ィな。俺ァ坂田銀時ってもんだ」
ゴソゴソと懐を探って差し出された名刺には万事屋銀ちゃん、と書かれていた。よろずや。聞き慣れない言葉を呟いてみる。
「ま、何でも屋さんってやつよ。銀さんって呼んでくれりゃーいいから。まぁあと、依頼くれたら一番いーけど」
坂田銀時、という名前はなんてこの人に馴染むのだろう。しっくりと来すぎていて、思わず銀さん、と口に出していた。
...
「えらく機嫌がいいじゃねーか」
「そうかなぁ。そうかも」
首をかしげながらも、そう答えるなまえの頬は確実に緩んでいる。今にも鼻唄でもうたいだしそうだなんて思いながら背後に回ったなまえにジャケットを脱がせてもらう。少し前に日曜夜のあの、進まない悠久の時を過ごす家族のアニメを見て(驚くことに、はじめてだったらしい)以来、なまえはこういうことをするようになった。なんとなくくすぐったい気分になるし、効率の話をすれば悪いような気もするが、本人が満足そうなのでそのままにしている。俺ももちろん、悪い気はしていない。
「今日はね、はじめてクリームソーダを飲んだの」
「ほぉ」
「しゅわしゅわしてて、ふわふわしてた。美味しいのね。はじめて飲んだのになんだか懐かしい味がした」
「そりゃ良かったな」
毎日こうして、なまえは今日あったことを報告してくるようになった。そういうことがあまり得意ではない俺は大抵頷くぐらいの相槌しかうってやれないのだが、それでもなまえはほんとうに嬉しそうに笑う。
「――あとね、友達ができたの。銀さんっていうんだって。パフェ食べてた」
「・・・は?」
「えっ?」
「ああ、いや。何でもねェ」
思わず飛び出た尖った声に、自分自身がいちばん驚いた。小憎たらしいあいつが頭のなかにぱっと飛び出してきて、反射的に眉間に力が入る。が、それと同時になまえの不安そうな顔に気付いて慌ててなんでもない風を装った。そうだ。ありえないことじゃない。なにせ生活圏がほとんど同じなのだ。それに得体のしれないなにか企んでいるような怪しい奴じゃなかっただけ喜ばしいとも言える。けれど、そう言い聞かせてみたって全然面白くなかった。
「言ったじゃねぇか。世の中は善人ばかりじゃねぇんだ。特にこの辺はあぶねェ奴なんかわんさかいるんだぞ」
「...銀さん、危なくないもの」
「そんなのわかんねーだろ」
「分かるよ。だって喫茶店で話してたら、なんかちょっとトーシローさんに似てたもん」
やけに自信満々に言いきるなまえから、俺は思わず顔を背けてしまった。アイツと一緒なんて全然嬉しくない、と眉間はまた力を入れ始めるのに、頬は緩むわ口の端は好き勝手に上がり下がりしだしたりして、自分のからだなのに制御が聞いていなくて俺はそれを恥ずかしく思う。
「...え、なに?トーシローさーん?」
自分が俺をそうさせたくせに、全然気付かずに回り込んで覗き込んでくるなまえが小憎たらしくて、反射的に両頬を軽くつまんでいた。俺はそのやわらかさに驚いて、それからこんなことを誰かにやったことも、やりたいと思ったこともなかったということに思い至った。
「うぇ?!」
「...つーかさっき『喫茶店で』って言ってたよな...ってことはよく分かんねーまんま一緒に飯食おうとしてたってことだよなァ?」
「まあ、その...」
「危なくねェってそれ結果論じゃねーか!」
ぎゅっと少しだけ、指に力を込めてやると悲鳴があがった。それなのに、横に拡張された顔はなぜか未だに笑顔が浮かんでいる。
「おまえなあ、何がそんなにおかしいんだよ」
「だって、わたし今トーシローさんに怒られてる」
「ハァ?」
「沖田くんがね、いっつもわたしに自慢するの。こんなに土方コノヤローに怒られたって」
聞きたいことも言いたいこともたくさんあったが、これで自慢し返せるのだと未だ頬をつままれながら勝ち気に笑うなまえに俺はついに耐え切れず、吹きだしてしまう。
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