※ 野良猫編の話

「んん?」

マンションのオートロックのところに、白い毛玉みたいな猫がいた。カリカリとインターフォンのところによじ登ろうと必死で爪を立てている。そういえば最近野良猫を去勢するために集めてます、みたいなチラシが回覧板に挟まっていたなぁと思いながら近付いてしゃがみ込んでみる。どうやらピクリ、と動かせた尻尾でわたしを感知したらしく毛玉は俊敏な動きで振り返った。わたしは面食らってのけぞった。猫なのに目が死にきっていることと、それからその猫がわたしに飛びかかってきたことに。

「わあっ?」
「ナウ〜!ナウ〜!」

襲われたわけじゃないらしい。恐る恐る撫でてやるとますますしがみつかれた。くそお、可愛いじゃないか。心まで一気に掴まれたわたしは、エントランスの掲示版に貼られた「ペット禁止」という張り紙を視界に入れないようにしながらそそくさと毛玉を抱いてエレベーターに駆け込んだ。

いやしかし、かわいい。ペットを飼ったことが無いので実態はよく知らないのだが、猫はきまぐれと聞いていたのにこの猫はわたしにどこまでもついてくる。冷蔵庫に買い込んだ食材をつめていると、ピンと尻尾を伸ばしてナーナーと足にまとわりついてきた。そのくすぐったさに身をよじらせながら、猫ってなにを食べさせてあげればいいのだろうと考える。

「とりあえず、お水かなぁ」
「・・・ナー」

飲んではいるものの、ちょっと不服そうである。でも猫が口にできるものなんて他に無いもんなぁと思いながら買い物袋に手を突っ込んだときだった。

「ナー!ナーナー!!」
「えっこれ?・・・いちご牛乳?」
「ナー!」
「いいのかなぁ・・・ま、ちょっと待ってね。古いほう捨ててから入れてあげるから」

言いながら賞味期限が昨日切れてしまったものを冷蔵庫から取り出して、流しに開ける。坂田さん用に、と大体買っておいてるのだがここ最近はめっきり来ない。わたしも少しぐらいは飲むけれど、結局余らせてしまった。
それなのに、別にいいのに、いつもの癖でいちご牛乳をカゴに入れてしまっていた。もう無くなっちまったの、と残念がる坂田さんが懐かしい。

ドバドバと勢い良く流れるピンク色の液体が、渦になって排水口に流れてゆくのをぼんやりと眺めていると、下からナウ!という声がしてハッとした。慌てて買ってきたばかりの新しいいちご牛乳を開ける。

「ごめんごめん。飲むよね。いっぱいどーぞ」
「ナー、ナー」

どうしてだろう。口の周りをいちご牛乳でいっぱいにして舐め回す目の前の猫が坂田さんを思い出させた。こうやって、坂田さんも口の周りにいちご牛乳のひげを作っていたなぁ、とか。

「でもきみは、坂田さんよりかわいいねぇ」
「・・・ナウ?」
「ごめんごめん、続きどうぞ」

目が合った、ような気がした。と思ったら毛玉が肩口にするりとした毛玉の感触。わっ、と声を上げると同時に頬にペロというよりザラッとした感触。ゴロゴロと喉を鳴らす音。どうしたの、と身をよじらせていたときだった。さっきと同じようなカリカリという音がリビングの方から聞こえてくる。

気になって毛玉を胸に抱えたまま音の方へ向かうと、ベランダには黒猫と、

「・・・なんで、ゴリラ?」

わたしの姿を見るなりニャーニャーウホウホと私の手の中の猫も、ベランダの二匹?もうるさくなる。ていうかウホウホは会話に参加できてるの?・・・よくわからないが、友だちなのだろうかと窓を開けてやるとザラッという感触がまたほっぺたにして、そして白い毛玉は弾丸のようにベランダに飛び出していってしまった。な、なんだったんだろう。夢を見ているのかもしれない。少し疲れたわたしは、歩いて数歩のソファベッドに倒れ込んだ。



頬になにかが触れる感触で、目を覚ました。視界に広がるのは、見慣れた銀の毛玉。

「・・・坂田さん?」
「ナツちゃんまた鍵開きっぱだったぞー。危ねーだろ」

ゆっくりと起き上がって時計を確認した。もう真夜中に近い。寝たのは何時だったっけ、とわたしがぼんやりと記憶を辿っている間に坂田さんはキッチンに行って冷蔵庫を開けていた。バタン。音がして扉は閉まり、いつもの如く手にはいちご牛乳。

「あ!待って、坂田さんそれ賞味期限切れてる」
「切れてねーよ。今日買ったやつだろ」
「あ、そうだっ、た?」

なにか腑に落ちない。あれ?わたし買い物に行って、猫を拾って?あれ?確か途中で窓から出ていって?
けれど、なにかが引っかかっている。そうだ、わたしは新しいいちご牛乳を、ちゃんと冷蔵庫に閉まったんだっけ?

「何だよボケーっとして。飲みてーの?」

ソファに戻ってきた坂田さんにマグカップを握らされる。冷たい。口をつけてさらに分かった。キンキンに冷えている。

「・・・坂田さんいつきたの?」
「ついさっき」
「そっか・・・じゃ、夢かぁ」

首を傾げる坂田さんになんでもない、とだけ返してソファに座り直す。

「あーうめー」
「あんまりグビグビ飲んじゃわないでね」
「俺が飲まないと余らせて捨てちまうのに?」
「・・・いや、わたし飲んでるし。大体それわたしのだし」
「はい嘘ー」

頭の中の整理が追いつかないわたしを余所に隣の坂田さんは喉を鳴らして機嫌良さげに笑っている。



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