最近、夕暮れ時というやつがわたしは好きだ。うまく説明できないけれど、なんとなく他よりも時間がゆったりとやさしく流れている気がするのだ。今日のわたしと全蔵くんと同じように夜ご飯の買い物をするひとたちやまだまだ元気に買い食いをする寺子屋帰りの子どもたち、もう少しで来る他の街より少し長くて賑やかな夜に向けて動きはじめるひとたち。それからこどもたちに帰りを促すノスタルジックなメロディ。江戸に越して来たばかりの頃は少しいやだったことを思い出した。帰る場所と帰る家っていうのは似てるようでちょっと違う。

わたしは今、精肉店の前で全蔵くんを待っている。このお店は狭く、けれどなかなかに繁盛しているのでお肉の適正価格や部位の知識を持ち合わせていないわたしは入っても意味がないのだ。嗅覚、そして食欲をいい具合に刺激するコロッケの誘惑に耐えながらわたしは餃子パーティーに思いを馳せる。お肉を無事に買えたら、あとは家に帰るだけだ。その頃には坂田さんも来るだろう。

そのうちただ突っ立てるのも飽きてきて、その辺をふらふらと歩き始めたときだった。肩に強い衝撃がして、元々上機嫌で浮足立ってたわたしは弾き飛ばされてよろけてしまった。振り返ると、いかにもな感じのオニイサンふたりぐみ。

げっ、やべえやつだ。

こういうとき、思ったことをそのまま口にしてしまう、自分の素直さが嫌になる。もっというと、単細胞さに。既に頭の中では良く聞くシチュエーションがぐるぐるとメリーゴーランドのように回っているのだ。落とし前か?白い粉か?ドラッグか?それともなに?ツボ?絵?

わたしの思考をエスパーで読み取ったのかそれともそんなにわかり易かったのか、(推定)やのつく自由業の方たちは下卑た笑みを浮かべ始める。

「お姉ちゃん面白いこと言うやんけ」
「め、めめっそうもないです・・・」
「俺ら全然その気無かったけど、なんやごっつ期待されてるみたいやしィ」
「いやあ、あの〜」

わたしを見下ろす4つの目は、揃いも揃って濁りきっている。かぶき町は治安が悪い、というのをようやくわたしは身を以て実感した。なるほどここは物騒な町である。

「オイ姉ちゃん、聞いてんのかコラ」

けれど次に聞こえてきたのは、こわいこわい怒鳴り声じゃなくてかわいそうになるくらい間抜けた悲鳴だった。倒れこんで痛い痛いと呻いてる大男を呆然と見下ろしていると今度は自分の体がいきなり宙に浮く、というか抱き上げられた。力強く。

「俺が肉買ってるあいだに、何やってんだお前」
「あ、・・・全蔵くん?が?」
「遅ーよ」
ようやく、このオニイサンたちをやっちゃったのが全蔵くんだということに気付いた。そうだ一応、これでも彼はエリート忍者、らしいのだ。
「面倒ごとになんもの面倒だから、屋根から帰るぞ」
「え、はっ?!」

いつか風邪をひいたときとおんなじように、景色がひゅんひゅんと飛んでいく。俵みたいに抱えられて、わたしは今更恐怖を思い出して身を震わせていた。ほんとうに、嫌な目だった。全身が冷たくなるような。

「おし、着いたぞ」

さすが忍者の見事さで、瞬く間に我が家のベランダに着地した。落ちる夕陽を眺めながら、少し長めに息を吐き出す。まだ手先が痺れているような感覚。

「ねえ全蔵くん・・・目、見して」
「なんだそりゃ」
「いいから、おねがい」

訝しむ全蔵くんを待ちきれず、さらさらと揺れる前髪に手を伸ばした。

それは見る、というよりは包み込むような目線だった。わたしの好きな夕暮れみたいなやさしい目線。さっき見たのとは全然違う。見た瞬間、わたしはすっかり恐怖というのを忘れてしまっていた。いつも隠しているのがもったいない、と口にしかけてやめた。見たいときは今みたいにしてもらえばいいのだし、そうできることがなんだか嬉しかった。

「・・・怖かったろ。悪かったな」

いつになく弱弱しい声、そっと頭に触れる手。わたしは可笑しくなって少し笑ってしまった。申し訳なく思うことなんてないのだ。今鮮やかにわたしの恐怖を振り払ってくれたのは、他でもない全蔵くんなんだから。

「・・・おい、人が珍しく謝ってんのに何にやにやしてんだ」
「ううん、なんでも〜」
「なんか腹立つんだけど」
「わたしはお腹減った!というわけではやく餃子つくろ〜」

元気よくただいま!と言いながらベランダからリビングに入ると、既にうちに来ていた坂田さんと後ろにいる全蔵くんから同時におかえりが返ってきた。わたしはそれを聞いていたく満足する。あの町中に流れるメロディを聞いてももう寂しくならないのは、きっとこのふたりのおかげなのだ。


-meteo-