食べ頃は、甘いモノ

旧多と同僚な捜査官/

「あぁ、面倒臭い」

昼休みでほとんど職員が居なくなったフロアには、さっきまで私一人だった。だがしかしたった今、スマートフォンの画面を眺めて大袈裟に溜息をつきながら戻ってくる人影がひとつ。
よりにもよって、いちばん二人きりになりたくない同僚、だ。

「ねえ。女って、自信満々な癖して自信無さそうな素振りしちゃって、ホント媚びた生き物、だと思いません?」

独り言を装いながら、明らかに私に向かって話しかけている呟きを華麗に無視する。

「日比野さんって、ツンデレのデレが完全消滅しちゃった系ですよねえ」

ま、そこがイイんですけどね。にゃはは。
聞こえよがしにそう言い放って、キャスター付きのデスクチェアに座ったまま、奴はごろごろと移動して私のデスクへ近づいてくる。

「旧多さん、邪魔しないでくださいよ」
「近づいただけで邪魔モノ扱いですか」
「許されるのであれば、永遠に視界から排除したいくらいですから」
「うわあ。ゴキブリと同等の扱い、超ショック」

日比野さんのお顔が見れなくて、寂しくてかなしくて僕が死んじゃってもいいんですか。どう責任取って貰えるんですか。
多少きつい口調で返したところでこの男、旧多二福には何のダメージも与えられないだろう。それどころか、何事もなかったかのように振る舞ってくる。とにかく打たれ強いのだ。

今だって、芝居がかったオーバーなリアクションで嘆いていたと思ったら、結局私の隣へやってきて、作業中のノートパソコンの画面を覗き込んできた。

距離が近い。パーソナルスペースなんて概念は、知ったことではないらしい。

「あぁ。この間の襲撃事件の報告書」
「事務作業する時間が取れなくて」
「それ、多分ね、作るだけ無駄ですよ」

そう言ってパソコンの電源ボタンに手を伸ばしたが早いか、一瞬のうちに画面が暗転した。

「うわ、何するんです」
「ただのスリープ、電源落ちたわけじゃないでしょ。だってあの事件、局長預かりの機密になるって噂ですよ。きっと、僕や日比野さんが書いた薄っぺらい報告書なんて無駄になる」
「だからって、出さないわけには……」
「そんなことより、コーヒー休憩くらいしましょうよ。その様子じゃ、どうせランチ行かないつもりなんでしょう?」

ちゃんとね、日比野さんの分も買ってきたんです。
行きつけのコーヒーショップの紙袋を掲げてにっこり笑うと、持ち帰り用のカップをひとつ差し出してきた。

「“本日のブレンド”で低脂肪乳。今日は、はちみつ要らない日」
「……そうですけど」
「今月はもうちょい後ですよね、はちみつ入れる日」
「……なんで?」
「ぬへへ。愛の力ってなんでも分かっちゃいますよね。まあ嘘ですけど、それくらいフツーに把握済ですから」

甘いもの欲しくなるって言いますもんね、何の周期かは気づいてないフリしてあげますけどぉ?
得意気に、そうのたまう彼から視線を外す。
こいつ、本当に、なんでそんなことに気付くんだろう。正直ちょっと気持ち悪い。

小賢しいとでもいうのか、抜け目なく人の懐に入って、要領よくこちらのペースを乱してくることにかけては天才的だとすら思う。しかも、ターゲット以外には極めて巧妙に取り繕っておくことも忘れない。

やっかいなことに、彼が最近ご執心なターゲットは私、らしかった。

こちらの動揺を悟られないよう、すました顔で礼を言ってカップを受け取ると、香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐった。手元に届いた過程に少々の難はあるけれど、コーヒーに罪はない。ひとくち啜ると期待通りの味が広がる。

「此処のコーヒー、ホントお好きですね」
「新人の頃から、ずっとお世話になってますから」
「そーいう話すると、目元が緩むんですよねえ。日比野さんのその顔、僕、わりと好きです」
「あぁ、そういうの、要らないです」

こういう冗談か本気かわからない湿度を込めて、ヘラヘラしてくる態度も苦手だ。
言葉とは裏腹に、目が全然笑っていない。その視線に捉えられると、私はヘビに射貫かれた蛙みたいに動けなくなりそうで怖い。だから、できれば関わりたくない。はやく誰か、他の人を追いかけてくれればいいのに。

ふいに、旧多のスマホが鳴った。メッセージの着信を知らせる音が、ぴこんぴこんと何度か聞こえたけれど、彼は画面を一瞥してそのままスーツのポケットに仕舞った。

「返信しなくていいんです?」
「ちょっとご機嫌取っただけで彼女面したがる頭悪い女、要らないですし」
「はぁ」
「それに僕、今とっても忙しいんですよね」
「そうは見えないですけど」
「え。今なら日比野さん口説けるかなァ、って、僕のアタマは大忙しですよ?」

コーヒーのカップを両手で持って、ニコニコしている旧多を横目でちらりと見る。
どこか中性的で端正な顔立ちと、あざといくらいに柔らかな物腰があいまって、局内での隠れファンも多いらしい。
悔しいけど、見た目だけは良いんだよな。それから、とんでもない猫を被っていることに気付いていない人たちにとっては、人当たりだって悪くないと思われているに違いない。

「あ、まさか本気にしちゃいました?」
「してませんよ、微塵も」
「もう、照れ屋さんなんだから。僕わりと本気でもいいなぁ、って思ってるんですケド」
「残念ながら無いですね」

こんな会話になると、決まって往生際悪く文句を言う彼の口から出てきたのは、意外な言葉だった。

「そうですか」
「……?」
「いつも、付きまとってすいませんでした。もう、しませんから」
「え、あ、そうです、か」
「最後に、一緒にコーヒー飲めて嬉しかった、です」

これで、私に構ってくることが無くなるなら、それでいい筈だった。
でも、はにかむように笑った瞳が、どこかさみしそうに揺らめいて見えて。
そしてそれは小さな棘のように私の心をちくりと刺して、鈍い痛みを覚えさせるには十分だった。

それから数日後。
意図的に時間をずらしているのか、私の斜め前の旧多のデスクはいつも空席のままだ。
同じ部署に居るんだから、顔を合わせることがあってもおかしくはないのに。

姿を見たのは、それから更に3日後の会議の時だ。コの字型に並べられた会議机の、はす向かいに座った私に気づいた彼が、薄い笑みをたたえて会釈するからあわてて私も頭を下げた。けれど次の瞬間には分厚い資料に目を落としていて、こちらを見ている様子もなかった。

いつも、鬱陶しいくらい傍に寄ってきていたのに。
そのときが来たら、至極簡単に、拍子抜けするほどあっけなく興味の範疇から外してしまうもの、なのかもしれない。
そうだ、彼はそういう奴だ。今まで、私につきまとっていた時だって、たくさんの女たちがそうやってあっさり切られていく様を、嫌というほど見てきたじゃないか。

朝の出勤の途中で、騒がしい局のロビーで、一息つく昼休みに、午後の巡回がてらに。
無意識に、様々な場面で彼の姿を探している自分に気づく。
そしてそのたび我に返って、何をしているんだと自分を窘める。

違う、全部あいつが悪いんだ。茶化すような、からかうような態度ばかりだったくせに。
最後に残した視線に囚われて、抜け出そうともがくほどに絡みついて離れない。

夕方の早い時間に仕事が終わった日、久々だからと部署の皆は連れ立って食事に出かけた。常に忙しそうな喰種捜査官にも偶にこういう日があって、いつもなら私も同席しているはずだった。

それなのに、あれこれと理由をつけて、私は誰もいないフロアの自分のデスクで座っていた。
口実にした”他部署から依頼された火急の案件“なんてものは無い。けれど帰る気分にもなれなくて、溜まっていた資料整理を始めてみたものの、思いのほか大量で遅々として進まない。

普段からもう少し片付けておくべきだった。……そうだ、いつも途中で邪魔が入ったんだ。

ぼんやり過ごすうちに、すっかり夜も更けてきた。通路を除いて、人のいないエリアの照明が薄暗く落とされ始める。無断で残っているこの部屋も同様で、通路から差し込むぼんやりした光と、デスクに備え付けられた小さなライトの明かりだけが私を照らしている。

宴会はそろそろお開きになっただろうか。私も、いつものように皆と騒げばよかった。こんなところで一人で居たのでは、考えなくていいことばかり考えてしまう。

もしかしたら旧多に会えるかもしれない、なんて、心のどこかで思った結果がこれだ。

いい加減にして、これは自分から自分に宛てての忠告だ。勝手に期待をして、待っていたような出来事は起こらなくて、傷つけられてもいない傷をひとりで深めている。きっとこれは、馬鹿のすることだ。

鼻の奥が、ツンと痛む。涙がすぐそこまで来ている証拠だ。
でも、こんなことで泣いてしまうガラじゃないし、そんな立場でもないことは、自分が一番よく分かっているつもりでもある。
止まれ、止まれ。いくらそう強く念じても視界はぼやけて、霞んでいく一方だ。

馬鹿は私だ。

「え、嘘、日比野さん?」

ふいに聞こえた声に顔を上げると、居るはずのない人物がそこに居た。

「……あ、旧多、さん?」
「まさかこんな時間にココに居るなんて、思わないじゃないですかぁ」

てっきり、皆と飲みに行ってるんだとばかり。そう言って彼は自分のデスクのライトを灯して、抱えていたいくつかのファイルや封筒を机の端に置いた。資料室にでも行っていたのだろうか。

「うわ、ちょっと、何泣いちゃってるんです」
「泣いてませんよ」
「嘘、泣いてるじゃないですか」
「泣いてません」

乱暴にがしがしと目元を擦って、泣いてないと言い張る私から目を逸らして、彼は短く溜息をついた。

「仕方ないからコレ、差し上げます。さっき、ダッシュしてラストオーダーに滑り込んできたもので。冷めちゃってたらすいませんね」

下げていた紙袋から、いつだったかのように私にカップを手渡す。きっと、いつもの店のものだろう。

「いやいや、いいです。悪いし」
「まー、そう言わずにドウゾドウゾ」

半ば強引に私の手に握らせてきたカップは、まだほんのり温かかった。

「僕だって一応オトコノコなんですよ。女の子が泣いてたら、どうにかしないといけない気になるんです。勝手に。僕の自我を越えた、なにか本能的なもので」
「……」
「どれだけ面倒くさいって思っても、気にかけちゃうんです。少々、育ちがいいもので余計に」

なにか、あったんですか。
相変わらず視線を逸らせたままで、彼が聞いた。
それに対して無言を貫いたのは、こんな状況に陥らせた張本人に、面と向かって言えるわけがないことだからだ。

「……じゃあ、代わりに僕が一人で愚痴りますけど、気にしないでくださいよね」

深夜の職場で、ただのヒトリゴト。全然聞かなくていいですから。
自分のデスクに戻った彼はそう念押しして、頬杖をついて続けた。

「ねえ、僕ね、日比野さんが言うように、貴女の視界から消えてみようと思ったんです。会議の時だって、どうにか存在を消そうと無になってみたりして。大変」

この数日、ほとんど会わなかったのはそういうことだったのか。
まさか、自分の言ったことで自分の首を余計に絞めて、苦しがっていたなんて思ってもみなかった。

「でもね、やっぱり寂しかったんです。会えないの、すごく寂しかったんですよ」

ああ、この人はどうして今、そんなことを言い出すんだろう。
顔が熱くなって、さっき引っ込めたはずの涙が、また逆戻りしてくる感覚。ヤバい。

「……って、あーもう、どーしてここで貴女が泣くんですか」

慌てて立ち上がろうとした彼が、デスクで膝をぶつけたらしい音と、小さなうめき声が響く。
しばらくして、俯いたまま顔を上げられない私のほうへ、近づいてくる気配がする。

「なんだか僕、今めちゃくちゃカッコ悪くて嫌なんですけど、この際ですから許してくださいね」

よいしょ、と私の隣に膝をついた彼は、目線の高さを合わせて首を傾げた。

「どーして、泣いてるんです?」

ねえ、もしかして、日比野さんも寂しいって思っててくれたんです?
どちらの問いにも答えられなかったけれど、止まらない涙はそうだと肯定しているようなものだ。

「僕は元々自分勝手なんですよ、知ってますよねえ?貴女が何も言わないでいると、僕の好きに解釈しますけど」

何か、何か言わないと。
おずおずと視線を彼のほうへ向けてみると、気ばかり焦る私の隣で、ん?と困ったように眉を下げて苦笑する顔が見える。

「別に焦らなくていいですけど……じゃあ、こうしましょう。今日、僕と会えて嬉しかったなら、ソレ、飲んでください。嫌だったら飲まなくていい」

そう言って、ずっとコーヒーのカップを握りしめたままだった、私の手にそっと触れる。
重ねられた手に一瞬戸惑って、躊躇ったけれど言われるがまま、私はカップに口をつけてひとくち飲み込んだ。
それが、きっとその時の私の、本当の気持ちのはずだったから。

「……ん?」
「甘いですよね。だってそれ、貴女の為に買ってきたんです」
「え?」
「そろそろはちみつ入れる日、でしょう?」

笑ってるのに、笑っていない目。ほら、私はこの目に射竦められて、動けなくなる。

「日比野さんが僕を気にするようになるのも、飲み会行かずにひとりで残ってるのも、全部予想通り、でした」

やられた。けれど私だって、ある意味予想通りだ。この男は危険だと、気づいていたはずだった。
どうせこんなことだろうと薄々感じていたのに、自分から飛び込んでいくような真似までして、まんまとハマってしまった。

「最初は日比野さんがデレるかどうか、ゲームのつもりだったんですけど。僕、自分で思ってたより貴女が好きみたいなんですよねえ。そこだけは大誤算」

ならば私の誤算は、彼が遠ざかったことで、逆に目が離せなくなってしまったことだろうか。
いや、遊びのつもりだったと告げられても、さして問題でないと感じるほど、既に心を奪われかけていることかもしれない。

「でもね、会えなくて寂しかったのは、ホントに嘘じゃないんです。泣いてるの見て面倒だって思うことはあっても、焦ることなんて今までの人生、殆ど無かったんですよ」

信じて貰えないとは思いますけど。
そう言った後の彼は、ぞっとするほど甘ったるい声で囁いた。
パーソナルスペースを完全に無視した、ほとんど耳朶に口付ける、くらいの距離感で。

「ねえ寝子、僕と付き合ってみる気、ありませんか?」