エメラルド、ブラックダイヤ。そして
「お前、それ以外は付けねぇのか」
突然の問いかけと耳に感じた温い指先の温度に、監督生は肩を震わせる。手元の紙に皺が寄り、思わずジト目で睨みつければ、思いの外真剣な眼差しが彼女の耳を見つめていた。
ビビりな自分をよくよく知っている彼がまた適当な事で驚かせにきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。どうしたのかと僅かに躊躇って、口を開く。
「……まぁ。はい」
「ふーん…?左右で別モノってのは珍しいが……まぁ、センスは悪くねぇな」
「本当ですか?嬉しいなぁ」
えへへ。
くるりと手の平返し。はにかみながら少し顎を引いた。
彼女の小さな耳の、右には茶と黒の。左には濃紺の石がそれぞれ光っている。
色味も、デザインも、ブランドも。全部バラバラだ。
「贈り物か?」
「いいえ、自分で買いました。アクセサリーとか、見るの好きなんです」
「にしてはあんま着飾らないな」
「こっちのブランドとか流行りとか、よく分からなくって……。単純に、時間もないですし」
知らない文化。知らない常識。知らない勉学。
慣れない家事。慣れないルームシェア(魔獣だが)。慣れない友人関係。
毎日毎日やらねばらない事もやりたい事も山積みで、娯楽に手を伸ばす暇は正直に言って無い。ついでに言うなら、常時金欠の監督生には外に出て買い物だなんて。予算の目途がたたないから夢のまた夢だ。交通手段にはじまり、モノの安価高価もピンとこないのだから。
異世界とは難しのである。
「……名前」
「はぁい」
「見繕ってやろうか」
「えっ?あ、いえ、これ以上開けるつもりは、ないので!」
「ふぅん?」
押しが強い、と困ったように笑う監督生にレオナは吐息混じりに零して片眉を上げた。そのまま、胡坐をかいたその足に、ひょいと彼女の体を乗せる。
突然の動きに一拍おいて、慌てて逃げ出そうとするも時すでに遅し。比べるのも馬鹿らしくなるような長い腕が、檻の中に仕舞いこまれたかと錯覚するような圧迫感を監督生に与える。彼女ははっきりと溜息を吐いて力を抜いた。
女性には優しいし。そもそも前提として恋仲であるので、悪い様にはならないだろうという甘えもある。
「随分思い入れが強いンだなぁ?前から、妙に拘ってると思ってたんだ」
「拘ってる……?」
「対のそれはどうしたよ」
「あぁ、捨てちゃってますね」
「なんで」
「なんで、って……つけてくれる人が、いないので?」
「…………、それ、なんの為に買った?」
ずん、と唐突に周囲の空気が重たくなる。
監督生は困惑と緊張から喉を鳴らした。
何が彼の気に障ったのだろうか。訳が分からず固まる彼女の肩に、レオナの額が乗る。
「せ……せん、ぱい」
「アァ。いい、いい。聞き方が悪かったなァ」
両腕の上から体を拘束していた褐色の片方がゆっくりと持ち上がる。
親指。人差し指。中指。薬指。もったいぶるように、じわじわと、長くしなやかな指が真白く凹凸のない喉元に触れる。最後に添えられた小指が、次いでカリリと優しく爪をたてて痕をつけるフリをした。
背中に感じる人肌に反して流れる冷や汗に、監督生は声にならない息を吐き出す。
「誰を想って……テメェのカラダに穴開けたんだよ」
質問の体をなした、確認作業。
恐怖とはまた少し違う心の痛みに泣きそうになった監督生は一度唇を真一文字に結んだ。
ゆっくりと鼻で呼吸をして、嫌でも意識する喉から、声を出す。
「……兄が、いたんです。上に3人。歳の離れた。もう、顔も思い出せませんが」
瞬間、レオナの背筋が伸びる。離れた左手を、今度は監督生がそっと手に取った。
「幼過ぎて、覚えてないんです。でも、皆、バラバラな瞳の色がとってもきれいで」
「…………すまない」
「…いいえ。でも、なんで怒ってたのか教えてくれますか?」
「あー……。…………、……他の、男のため、かと」
「元カレとか?」
たしりと地面を叩く尻尾がイエスと答える。所在無さげな指先を絡めて、ふふと名前が軽く笑う。声色からも体の強張りからも無理をしているようには到底思えず、レオナも一先ず彼女の拘束を完全に解いた。
立派に成人した年上のカレシだというのに、くだらない勘違いから威圧して、愛おしい人の口から秘めていた事実を引っ張り出したのだ。ちょっと逃げ出したい気持ちが強いが、それこそ恥の上塗り。
自由にしてくれと行動で促せば、彼女はよいしょと反転して、向かい合う形で膝の上に座り直した。
「思い入れが強いなーとか、見たらわかるものなんですか?」
「あ?」
「審美眼なのか。なんかこう、魔法的なあれなのか。気になって」
「……モノには持ち主の気持ちが反映されるからな。見てりゃ、なんとなく分かる」
「すごい……」
正確には王宮で養われた審美眼四割、生命力の流れを視る魔法的なヤツ六割だ。
生きているモノならば必ずその体内では“生命力”が循環しており、その力の一部が魔臓とよばれる臓器を通る事で魔力に変換される。ツイステッドワンダーランドの住人は勿論必ずこの臓器が備わっていて、どれだけ魔力を生成できるかによって、魔法が使えるかどうか、魔法力の高さが定まるのだ。
「お前にはそもそも魔臓がねぇから魔力も勿論ない。が、元になる生命力は当然存在する。心を傾ける何かがありゃ、必ずその流れが変化すんだよ」
「それは、魔法士なら見えるものなんですか」
「適正がありゃな。必ず見れる訳じゃねぇし、見えても個人差が激しい」
「へぇ…レオナ先輩は凄いですねぇ」
気の抜けた返事だ。
よく見えれば見える程、それは他人の心の奥底を覗き見る事になる。幸いな事にレオナの目はそこまで良い訳ではない。
それでも、厄介なユニーク魔法を持った粗暴な第二王子がともなれば話は別だ。畏怖や忌避の視線がより一層増すだけ。
だからこそ、なんてことないふわふわとした本音が酷く心地よい。
「別に、凄かねぇよ」
小さく答えて、ピアスに触れる。忌々しかったつい数分前の自分を恨みつつ、今度はらしくない優しさをもって。
「怖がらせたな。落ち着いたか?」
「はい。……あの、先輩」
「あぁ」
「やっぱり、ピアス。今度、選んでもらってもいいですか?」
「…増やす予定はないんだろ?」
「流石にこれ以上は……ちょっと。でも、これをずっと付けていようと決めている訳でもないですし」
監督生はそう言って、合わせていた視線を上に逸らした。口元をもにょもにょと動かすそれは言葉を探している時の癖で、レオナは黙って彼女の答えが出るのを待つ。
きちんと自分の考えを伝えようと。それでも決して相手を傷つけまいようにと、そんな誠意の現れだ。厭う理由などない。
彼女の、一見黒に見える濃い藍色の瞳を眺める。
先の言葉の通りなら、兄のうちの二人に良く似たのであろうその瞳。何よりもその色達を監督生が覚えていたとするなら、きっと兄らも、彼女の瞳を美しいと事あるごとに覗き眺めていたのだろう。
光の当たりで絶妙に色味の変わる監督生の瞳は、レオナも好きだ。テストの勉強を見てやる時や、こうして考え事をしている時に意味もなく眺めるくらいには。
無意識だろう、繋げたままの手に力が込められる。応えるように握り返せば、パッと、意識がレオナへと戻ってきた。
「私には兄達しかいなかったので、これだけは忘れたくなくて、ずっと耳に飾っていたんです。でも、私、こっちで生きていくって決めたので。だから、きちんと、先輩との思い出を積み上げたいです」
「…熱烈な告白だな。さっきまでの俺が更にカッコつかねぇ」
「あは。いつも素敵すぎるから、たまにはそんな時を作ってください」
すっきりしたように笑う監督生の頬を、レオナはそっと撫でる。二、三度往復して、するすると下がって首元、鎖骨。
先程まで無遠慮に爪立てた事を詫びるように。
「兄貴たちの、髪の色は」
「え……と、みんな、黒でした」
「なら1つは決まりだ」
脳内で馴染みの店をいくつか思い浮かべる。流石に寮内にまで行商人は呼べないから絞られてしまうが、あまり高価すぎても困らせるだろうから丁度良いかもしれない。
「……えへへ」
「…?」
「いえ。レオナ先輩は、本当にお優しいなと思って」
「ンなこと言うのはお前くらいだ」
「なら私はとても幸運です。貴方の素敵な所を、誰よりも沢山教えて貰えたから」
我儘を1つ言っても?と、監督生がレオナを見上げた。自身が乱した黒髪を整えてやりながら続きを促せば、監督生は嬉しそうに頬を染める。
「緑色も欲しいんです」
くふくふと笑う顔はしてやったりと喜色満面。今度こそレオナは空を仰いで沈黙した。
何が我儘なものか。むしろ1つ決まった、なんて格好つけたが真っ先にエメラルドでも買おうと決めていた。
「楽しみにしてろ……」
「わぁい。先輩センス良いから、楽しみです」
監督生はそう笑って、彼の尻尾を踏まないよう立ち上がった。辺りは夕日で赤く染まっている。そろそろ戻らなくては。
送っていこう、と同じく立ち上がったレオナの左手が彼女に繋がれ、二人してのんびり会話をしながらオンボロ寮まで歩く。
何時か、もっと家族の話を聞いてくれるかなぁと思いながら。
何時か、もっとコイツ自身の話を聞けるだろうかと思いながら。
***
「き、聞いてないです!」
「あ゛?見繕ってやるっつっただろうが」
「え…えっ、あれ?」
「おら耳出せ」
「ひっ、待って下さい!そんな高そうな物耳にぶら下げられません!」
「こっの……ッ」
「………また随分、騒がしい」
「認識のそーいがあったらしいッスよ」
「相違?」
「なんか、レオナさんはプレゼントするっつってたのに、あの子、ただ選んでもらうだけのつもりだったみたいで」
「あぁ……」
「馬鹿っスよねぇ。男、しかも王族なんて金持ちがそんなんで終わらせるわけないのに」
洗濯物を取りに来たラギーと、マジフトの戦術について聞きに来たジャックは部屋の前で顔を見合せ、部屋の中をそっと覗き込んだ。
ベッドの上でぎゃいぎゃい騒ぐ監督生を組み伏せ強硬手段に出るレオナに苦笑するしかない。気に入らなかったならともかく、高そうだからなんて理由では彼も引くに引けないだろう。
「止めますか…?一応、その、監督生も女だし……」
「いや、放っときましょ〜。蹴られて死ぬのはごめんだし」
何だかんだ頬を染めていたから問題ないだろう。
ラギーはそう言ってひらり手を振り自室へ戻っていく。ジャックはそれを見送ってから、静かに頭をかいて、同じく踵を返した。
春日狂想