秘密のキス


「ぱぱ、くちびるにするきすって、すきなひとにするの?」

 ソファに座った俺の膝の上によじ登り、口元をじっと見ていたかと思えば突然そんな事を言い出した。
 驚きのあまり、口にした珈琲を吹き出す。もちろん優に当てるわけがない。

「ゴホッ! ま、まあそうだな。本当に好きな奴とするものだな」
「じゃあ優、ぱぱにきすする!」

 何という出血大サービス。明日の晩ご飯は寿司にしてやろう。明後日はステーキだな。
 是非ともお願いします、と言いかけて口を閉じる。確かに俺は優が好きだ。大好きだ。むしろ愛してる。優ラブ。
 だがキスはいけないだろう。頬やら額ならまだしも、唇は。

「……優、唇にするキスはな、本当に心底好きになった奴とするものだ」
「優はぱぱがだいすきだよ? ぱぱは、優がきらいなの……?」
「んなわけないだろう大好きだ愛してる」

 大きな瞳に滲む涙を指で拭う。

「そうじゃなくてな、結婚する奴とするものなんだよ」
「優、ぱぱとけっこんする!」
(なん……だと……?)

 まだ5歳の優には難しい話らしい。
 残念ながら俺とは結婚できないこと、それがどれだけ残念なことか、俺が優の母であり俺の妻である翠を今もどれだけ愛しているか、likeとloveの違いを事細かに説明すると、一応は納得してくれた。

◇◇◇

 翌日の夕方、仕事が終わり家へ帰る。玄関の扉を開けても誰も来ず(ちょっと泣きそうになった)、珍しく静かだ。
 足音を立てないようにしてリビングまで行き中を覗く。そこには、ソファに寝転がり寝息を立てる樹久と、樹久の顔に自分の顔を近づける優がいた。



 夢の中で、唇に柔らかな感触がする。薄く目を開けると、そこには俺のマイエンジェルである優ちゃんの顔があった。

(あれ? 俺、優ちゃんにキスされた? あ……なんだ、ただの夢か)

 再び目を閉じ、夢の中へ逃避する。
 遠のく意識の中で、優ちゃんの可愛い声が聞こえた。

「優、きっちゃんがだいすきだよ」

 俺も大好きさマイエンジェル。

「おおきくなったら、きっちゃんとけっこんする」

 そうか俺と結婚す……ん?結婚?
 誰が?いつ?どこで?誰と?何をした?
 優ちゃんが、大きくなったら、俺と結婚…けっこん…け、結婚?

「結婚!?」
「よう、起きたか虫けら」

 目が覚めるなり罵声を浴びせられたんだけど何コレ泣いていい?泣いていいよね。
 勢い良く起き上がった俺の向かい側にあるソファ。そこに真也と優ちゃんが座っていた。優ちゃんは真也の足を枕にして天使のような可愛さで眠っている。

「真也聞いてくれ! 優ちゃんが夢の中で俺にキスをしてきてそんでもって大きくなったら俺と結婚するって!! これ正夢かな!? 信じていいかな!?」
「そうか、よかったな」
(……あれ?)

 優ちゃんとキスしただの結婚するだのNGワードを連発したのに、珍しく真也が怒らない。真顔でテレビを見ている。

「……あのー、怒らないんですか? 真也お父様…」
「怒らねェよ……お前になら、優を任せられるしな」
「……はい?」
「優を大事にしてくれるし、お前なら安心だ」

 熱があるのではないだろうか、と真也の額に手を当て、自分の体温と比べる。瞬間、手首を掴まれて捻られた。

「あのー……俺ちょっと耳鼻科に行って…」
「真面目な話だぞ。本当に、お前になら安心して任せられると思ってんだよ」

 真剣な目、真剣な声。
 そうか、真也もいい加減に、優ちゃんの将来を真面目に考え始めたのか。

「つまり……公認、ってこと?」
「……そうなるな」

 よっしゃあ!とガッツポーズをした瞬間、リモコンが投げられ、額のど真ん中に命中した。
何?ツンデレ?デレツン?
 同時に優ちゃんが目を覚ます。俺と目が合った瞬間に微笑まれ、鼻血が出るかと思った。

「おはよう、きっちゃん」
「おはよう優ちゃん! あのな、さっき真也お父様に優ちゃんと俺の結婚を……い、いだだだだ! ぐるじい! いだぐるじいでず!!」




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